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第7章 神として

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(どうして……気が付かなかったんだろう)
 ……もう遥か前から、誰もがそれを語っていたというのに。

――お前、俺が怖くないのか?
――いるよ。あ、でも何て言っていいかわかんない。いた、の方が正しいかもしれないけど……だけど淡島ではこういう話、基本的に禁句だから。特にあのお方の話はみんなしない。――しちゃいけないんだ。
――少なくとも……貴女様がお想いになる神々は、その花の見栄えで人の想いを選り分けることはなさらないかと。

――……己が外見だけで男に靡くような浅ましい愚か者でなかったことを……育ての親に感謝するがいい。

(……)
……神依の頭に日嗣の声が響く。
 神依はやがて、見慣れた淡島の風景の中に戻っていた。
 そしてその景色に混じる日嗣は、いつも一人で身を隠すように淡島のどこかにいた。
 高天原にも戻らず、日がな一日なにをするわけでもなく……政にも祭事にも一切関わらず、神ゆえに無限にも等しい時間を、瞳に海を映すことだけに費やしていた。
(……日嗣様は……)
子を一度でも、その腕に抱けたのだろうか。それを許されたのだろうか。
 毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、膿むような時間海の向こうを眺めて、何を想っていたのだろう。
 ……常世の国があるという、その見えない世界に我が子を想っていたのだろうか。
 自らの過ちゆえに、花の如く短命となってしまった子孫たちを、想っていたのだろうか。
 あるいは……泣きたかったのかもしれない。
 けれど灼かれた魂はそれさえもさせてくれなかった。干上がった大地のような魂には、ひとしずくの水さえ零すことも許されない。
 だから、代わりに海を映して。
 今度は自分自身に、その見えない刃を突き立てていった。

***

 しかしそんな憂いに満ちた男神はやがて、淡島の巫女……女たちに取ってはまたひどく儚く、硝子細工のように美しいものに……見えてしまうようになった。愛された者、生む者としての怒れる母の性は、永い永い時の末に忘却され、愛し、求める女の性へと廻っていってしまった。
 それは愚かなことだろうか。
 神依に判じることはできない。神依もまた、同じだった。
 女たちはその器と衣に恋焦がれてはすがり、愛の言葉を囁く。
 日嗣が紛れるいずれも人目につかない場所で、女たちはその身と心を晒してすがり、愛欲の言葉を強いる。

――お願いします……どうか、私を。一夜限りでも、どうか私をお美しい貴方様の眼にお映し下さい。
――貴方様のためなら、乙女にも売女にもなりまする。ですからどうか私を、高貴で秀麗な花に添う蝶として飼って下さいませ……。
――今となっては誰よりも高潔で見目麗しいあなた様……あなた様のものになれるのなら玉も衣も、またこの身の純真さも要りませぬ。どうぞ唇を吸って、肌を噛んで――この乳房も女陰も、すべてあなたのお好きなように――

(…………)
日嗣はそうして、自身が犯した間違いそのままに、鏡写しのように女たちに爛れた愛情を寄せられていった。
 そして日嗣はそれを……醜いと思う。しかしそれは、諸刃の剣だった。日嗣に彼女たちを罵る資格はない。だから日嗣は奥歯を噛み、腕に抱くことはなけれどすがる腕を振り払うこともできず、今度は女たちから向けられた見えない刃先を受け入れていく。そしていつしか恋を嫌い愛を疑い、誰にも心を寄せなくなった。自らを含め、憎しみさえ覚えるようになっていった。
 そしてそのまま……腐り落ちることすら許されない身と魂はその傷口をひきつらせ、よりかたくななものにしていく。
 無理矢理縫い合わされ、いびつに歪んだ中途半端な魂。
「……もういい……、もう見たくない」
神依は静かに目をつむりそう呟くと、いろんな感情を混ぜた涙を流す。
 ……ならば自分は、あの男神に取って何だったのだろう。
 男として拒み、神として拒み……今も拒んでいる。
 花の香りがする。風が葉を揺らす音がする。
「わたし……やっぱり、できない」
『……どうして?』
「……」
少女はぎゅっと目を閉じたまま頭を横に振る。ただ――
「わたし……全部受けとめられるほど、優しくない……。まだ……心が小さいの」
結局、臆病なのだ。
「……神楽殿でも、わたしは聞けなかった。日嗣様も話してはくれなかった。わたしたちは……結局ひとりぼっちのまま、二人でいただけ。それに……私はきっと、あんなふうに貫けない。日嗣様を……救ってはあげられない」
『……』
「……だけど……」
 ――神依……!!
 再び耳に届いてきた声に、神依は一度びくりと肩を震わせ目を開き、天井を仰ぐ。
 「……」
何が起きているのだろう。どうしてあんなにも……必死になって、声を張り上げているのだろう。
 そして、どうして自分はこんなにも……心が痛いのだろう。苦しいのだろう。
『……あの子が、嫌いになった?』
「……っ」
神依は声がした方に振り向く。あのおおきな水晶には、いつの間にか……不思議な顔をした、自分の姿が映っていた。泣きそうな、悲しそうな……それでも何かを信じているように、ほのかな笑みを唇に浮かべて。
『あんな醜いあの子は嫌い?』
「……の」
『……』
「違う……の」
神依の目から、またぽろぽろと涙が溢れる。それはまるで、泣けない誰かの……誰かたちのぶんまで。
「……嫌い……じゃない。嫌いになんか、なれない。だって……だってわたしは、嬉しかったから。来てくれて……嬉しかった。例え荒ぶる魂にでも、その胸に抱かれて……嬉しかった、寄り添ってくれて嬉しかった。……だって、わたしも寂しかったから。友達も作れなくて、禊たちにも優しくできなくて。……一緒に身を寄せ合って歩いた道は寒かったけど、あったかかった」
『……』
「だけど……だけどわたしは、同じくらい、日嗣様を許せない。……怖いの。だってわたしは、あんなに強くない。花の女神様のようにはなれない。あんなふうに……たくさんの女の人たちを傷付けた日嗣様を、巫女たちは……私たちはきっと、許してはいけなかった」
『……』
「わたしは……わたしは、そんな自分が一番嫌なの……。絶対に許しちゃいけない……それなのに……それなのに、……わたしは今まで触れ合ってきた日嗣様を……嫌いにはなれない。……いつだって日嗣様は冷たくて、怖かったけど。きっとそれは、また自分が人を傷付けてしまうのが怖くて……遠ざけていただけ。だけどそうすればそうするほど、今度は日嗣様が傷付いていく。……そんな人を、わたしは嫌いにはなれない。わたしを信じて、触れ合ってくれたひとりぼっちの人を、突き放すことなんてできない」
『……』
「ごめんなさい……、……ごめんなさい……っ」
神依はいつかと同じように、その額を水晶に付ける。
 それは謝罪だった。神依は誰かにそれを無性に謝りたくて……赦して欲しくて、それをする。そして……自分の姿を借りた女神は、それに笑って……応えてくれた。
『……私もまだ、あの方を愛しているわ。だけどそれができるのも……私が薄情で浅ましく、慈悲深くて美しい……女であったから』
「女神様……っ」
『だからそれを……恐れないで。怖がらないで。……確かにあなたの大地はまだ未熟で、だけれどあの子もまた、固く青い穂のままなの。だからあなたたちにはまだ、ともに成長していく道がある』
「……だけど……ッ、……だけど」
『……いいの。それでいいのよ。命は二人で生み出すもの。その源である恋の芽も、二人でなければ育たない』
「……」
神依は顔を上げ、穏やかに笑む自身の顔を見る。
「どうして……わたしなの?」
『……』
その問いに、女神は答えてはくれなかった。ただにこりと笑って、また「涙を拭きなさい」とその仕草をしてみせる。
 そしてまた神依がそうすれば、どこか安心したようにその姿を揺らめかせた。
『……あなたは、約束を覚えてる? あの子は覚えてるわ。信じて……お行きなさい』
「約束?」
不思議そうに目を開く神依の前で、ざあっと花の香を混ぜた風が四方の景色を煽って揺らす。
 そしてそれが収まると足元が一面の荒れた昏い雲海に変わり、その上に神依を花柱として花開くよう真白の蜘蛛の巣が一瞬で張った。
『――あなたは、あの龍を』
「え……」
頭の中で、さらに別の女性の声がする。
『飴を、ありがとう』
(……あなたは)
そして神依の意識は、再び水に落ちた。
 一糸もまとわぬ姿のまま、水に落ち……形なきものを絞め殺さんばかりにぎちぎちととぐろを巻き、自らを絞め殺す首の無い龍を目の当たりにして……ようやくうつつに戻る。
 そして肉体は日嗣の前でゆっくりと神楽鈴を拾い、五色布を綺麗に正した。
「――神依……!!」
日嗣はそれに、ひどく安堵し膝をつく。天つ台に膝をつき、揺らぐ視界にその巫女の姿をにじませる。
 しかし日嗣の目に映った少女の瞳はと同じ――
 夕焼けの雲海で向かい合った時と同じ、緋の色をしていた。
 神憑かみがかりだった。
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