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番外

097 レノアノール1

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「姫様がご無事で、本当に良かったですね」
「そうですな。期日までには戻れるようですし、ワシも安心しましたぞ」

 白い角の生えているケネフェトと、ドワーフのブワーナンが話し合っている。
 二人とも憑き物が落ちたかのような晴れ晴れとした表情だった。二人に限らず、会議室にいる魔族はみな気が緩んだ様子だ。

(……問題は何も解決してないと思うんだけど)

 魔族たちを眺めながら、レノアノールは思った。
 現状はただ、ディニッサの部下になった、ヘルベルトという魔族がやってきただけだ。

 ヘルベルトは、ディニッサが無事であることと、大陸北部の港街にいることを知らせてくれた。ディニッサは他にも何人かの魔族を雇い、急ぎ城に戻ろうとしているという。

 たしかに朗報ではある。
 しかし大軍に包囲されつつあるという、ルオフィキシラル領の危機的状況は、まったく変化していない。

(まあ、フィア様が元気になったのは嬉しいけど)

 フィアの口元が緩んでいる。ふだんあまり表情が変わらない彼女には珍しいことだ。
 よほどディニッサの情報が嬉しかったらしい。しかしレノアノールの頭には疑惑がよぎっていた。

(そもそもあの魔族、ホントにディニッサ様の使者なのかな?)

 ヘルベルトは、契約書を持っていた。
 ディニッサに雇われた時に受け取ったという、直筆の書類だ。

 しかしそれが本物である証拠は何もない。確証のない情報を鵜呑みにするのは危険だ。
 それがレノアノールの率直な感想だった。彼女自身も疑いすぎと思わないでもなかったが、国政を預かるものは慎重であるべきだろう。

 肝心のヘルベルトは、すでにレノアノールが用意した部屋で休んでいる。魔法の連続使用で疲労困憊していたためだ。おかげでほとんど話も聞けず、それもレノアノールからすれば疑惑を呼ぶ種だったのだ。

 使者が偽物である可能性を指摘しようかどうか、レノアノールは迷った。
 理由は二つある。

 そもそも平民にすぎないレノアノールは、この会議室にいる資格すらないのだ。
 ヘルベルト到来のドサクサに紛れて会議室のすみにいたが、いつ誰かに怒鳴りつけられてもおかしくない。

 無断で会議室にいる分際で、生意気に意見を述べるのはどうだろうか。
 レノアノールがためらうのには、十分な理由があった。平民が魔族に話しかけるのは、それ自体が危険をともなう行為なのだ。

 じっさい大した理由も無しに魔族に殺された平民を、レノアノールは何人も見てきた。
 平均的な魔族は、平民を虫ケラと同程度の生き物とみなしているのだ。
 ……もっとも、ルオフィキシラル領では多少事情が異なるが。

 もう一つの理由は、フィアの顔を曇らせたくないというものだった。
 もしも使者が偽物となれば、どれだけフィアがガッカリするだろう。そう思うと、よけいなことを言う気になれない。

「みな少し待て。喜ぶのは良いが、あの男は本当にディニッサ様の家来なのか。敵勢力の誰かが出した偵察という可能性も考えるべきではないか?」

 ノランの発言に、レノアノールは密かにうなずいた。
 ヘルベルトを疑う意見が出たことに、心からホッとする。

(あの魔族、異常に無口だったし。いくら疲れてるからって、短い単語しかしゃべらないなんて怪しすぎるでしょ。……いやでも、密偵になるような人ならもっと上手くやるかな? そう考えると怪しくない? それともそこまで考えた偽装……?)

 レノアノールが悩みながらも周囲を観察すると、魔族たちは意外そうに顔を見合わせていた。ほぼ全員が、ヘルベルトに疑いを持たなかったらしい。

「いや、ヘルベルトを雇うって契約書に書いてあっただろ。ほら、あれだ。字の特徴とかで本物ってわかるんじゃないか? なあフィアさんよ」

 ネンズに聞かれたフィアは、首をふって否定した。

「筆跡は、わからない」
「覚えていない、ということですの?」

「違う。姫様の字、見た記憶がない。姫様、お絵かき、上手。でも文章は、書かない」

 レノアノールは思わず吹き出しそうになった。
 領主の地位にある者が字を書かない、などということがありえるのだろうか。

「なんだよ。もしかして、偽物って可能性もあるってことかよ……」
「字は、わからない。けど、本物」

「どうしてそう言い切れますの?」
「姫様の匂い、する」

 今度こそレノアノールは吹き出した。
 六人の視線が集まる。

「し、失礼しました!」

 レノアノールは心臓をバクバクさせながら、あわてて謝った。魔族を笑うなど、即死ものの愚行だ。しかし幸いにも、すぐに魔族たちの視線はそれてくれた。

「……いやさすがに臭いはしねえだろ。するとしたら、あの犬男の体臭だろうぜ」
「違う。間違い、ない。姫様の匂い、する」

 フィアは自信満々で言い切る。その勢いに押されて皆反論を諦めた。
 じっさいのところ彼らにしろ、ディニッサが間もなく帰ってくるという情報を信じたいのだ。

「ま、まあ、フィアを疑うわけじゃないが、念のためヘルベルトの様子はみておこう。同じ犬耳つながりってことで、俺が行ってくるわ」

 そう言ってネンズは部屋から出ていった。
 率先して仕事を引き受けたと言えなくもないが、怪しい、とレノアノールは思った。レノアノールのみたところ、会議が面倒になって逃げ出したという疑いが濃厚だ。

 しかしネンズの意図がどうあれ、ヘルベルトを見ていてくれるのはありがたい。
 じつはすでに、監視役としてメイドをヘルベルトにつけていた(もちろん名目はヘルベルトの世話役だ)。

 しかししょせん平民だ。相手に魔法を使われたらどうにもならない。
 ネンズが監視役を引き受けてくれるなら、レノアノールとしても安心だった。

「お姫様が戻ってくるのは確定として、戦いの準備はどうしますの? さすがに帰りを待って指示を仰ぐのは無理ですわ」

(ようやく話が建設的な方向に向かった)

 魔族たちの話し合いが始まる。
 先ほどの暗い雰囲気は消えていたが、しかし良い案は出てこなかった。

 それも仕方ない。魔族の戦争というものは、数が多い方が勝つという身も蓋もないものなのだ。正確には「魔力総量の多いほうが勝つ」だが、どちらも圧倒的に劣勢なのは変わらない。

(……今度こそ意見を言わないと。このまま放っておくと、まともな意見が出ないまま会議が終わっちゃうかもしれない。大丈夫。ここの人たちは、平民だからっていきなり殺したりしない。少なくとも、フィア様は味方してくれる。絶対)

 レノアノールは、意を決して口を開いた。
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