31日目に君の手を。

篠宮 楓

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SS番外集

ななしの頭のねじが飛びました

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 両思いになった後の、アオの家。
 いつもの如く、バレー部三人衆もその場にいたりする。



「……な、なし、く……ん?」

 不自然な個所で切れたアオの言葉に、縁側に座っていた3人は顔を上げた。けれど、次に聞こえてきた声に後ろを振り向くことはできなかった。

「なんで、あいつらばっか見てるんだよ」

 不機嫌な、ななし……こと、原田の声。
 いつも無表情で淡々とした口調ではあるが、不快感をここまで露わにした声音はあまり聞いたことがない。現に、いつもなら動揺をみせない辻でさえも、動きを止めて後ろの気配を窺っている。
 佐々木と井上は、辻を見て態度を決めた。
 ここは辻の行動を追随しよう、と。

 ――――俺たちは、風景。
 ――俺たちは、塵芥。
 むしろ、空気。

 二人の脳内を文字化したら、こんな感じだろう。


「え、と。ななしくん?」

 そんな3人の心情を知る事もない当の二人……いや、その内の一人である本作ヒロイン、アオはいつもとは違う原田の雰囲気に戸惑っていた。
 眉間にしわを寄せているのも、低い声なのも、慣れてる。
 けれど、その表情はいつもとは違う。はっきりとした不快感を感じるのに、なぜか口元は笑みを浮かべていて。

 アオは怖いと思いながらも絵描きの習性なのか、思わずその表情の変化に意識を向けてしまっていた。

 そこまで怒られる事、何かしたかな。
 何も、おかしい事はしていないはず。
 ただ縁側に並んで座る3人の姿が風景に溶け込んでいて、凄く素敵だと思って。
 スケッチを、し始めたばかりなんだけど……

「……って、え?」

 横に座っていた原田が、徐に膝で畳をすりながらアオの後ろに移動してきた。思いがけない行動にアオは動くことも出来ず、結果、自分の首を絞める事になった。
 微かに空気が揺れたと思ったら、原田がアオの肩口から覗き込んできたのだ。それはぬくもりを感じるほどの近さで、アオはぴきりと動きを止めた。
 アオは右手に持った木炭をそのままに、後ろから覗き込んでくる原田の近さに動揺を隠せない。

「え、と。あの、ななしくん? その、近い……」
 上擦る声で何とか名前を呼んでも、原田はその体勢を止めてはくれない。それどころか、そのまま右手を伸ばしてアオの手から木炭を奪い去った。
「……っ」
 驚いて肩を揺らすアオの姿に小さく息をつくと、取り上げた木炭をケースへと戻す。

 怒っていても、放り投げたりしないでちゃんとケースに戻すところがななしくんだよねぇ。
 動揺しつつもそんな事を考えたアオはとりあえず前に少し移動しようと、両手を畳についた。
 が。
「……」
 何か、気に障ってしまったらしい。
 アオは動こうとしていた体をそのままに、再び固まる。背後にいる原田のオーラがどす黒く変化したような、よく分からない緊張感が増してしまったからだ。

「アオ?」
「……っ」
耳元を通り過ぎた吐息に、アオの肩がピクリと震える。

何で疑問形……っ?
てか、何? なんなの?

いつものななしくんじゃない……、普段の彼とは違う雰囲気にアオの思考はパニックに陥っていた。

「アオ」
「な、なに?」
 呼ばれる名前に応えても、ななしの声は止まらない。
「アオ」
「はい」
「アオ」
「は、はい」
 いく度か繰り返したあと、ななしは小さく息を吐き出した。

「俺の名前、呼んでくれないの」
「……?!」

 驚愕に固まったのは、アオだけじゃない。庭に向いたまま二人を窺っていたバレー部三人も、ピキリと音がしそうなほどの驚きを感じていた。


 ――――原田が、狂ってる……!?
 ――原田が拗ねてる!?
 俺達の目の前で、なんかアオさんに甘えてる……。


 透明なはずの3人は、むしろ物理的にこの場所から逃げ出したい思いにかられながら微動だにせず成り行きを窺っていた。
 だって、ほんの少しでも動いたら矛先がこっちに向きそうなんだもん! ←佐々木談

 3人がそんな葛藤を展開している背後では、アオは原田相手にパニックに陥っていた。


 アオは後ろから抱きしめられるようなその体勢に、どうしていいかわからず視線を彷徨わせる。けれど原田はそんなアオの心情もよそに、自分の要望を突き付けた。
「アオ。俺の、名前」
「……ななしくん」
「それは、名前、じゃない」
「っっ!?」
 耳元で、潜めた声で。
 噛んで含めるように、ゆっくりとした言葉で。
 少し伸びてきた前髪が、頬を擽って。状況を把握した途端、鼓動が今まで以上にばくばくと暴走を始めた。

「ななしくん! ね、ホントその、近いって……ねぇっ」
 守るように両腕で自分の体を抱きしめる様にして、原田から離れようと試みる。
 が。
 再びの。

 それがいけなかった――

「なんで、逃げるの。俺の側、嫌?」

『ぎゃぁぁぁぁぁっっ』←3人の内心の叫び声

「いいい、嫌っていうか嫌っていうか!」
「嫌じゃないならいいよな」
 何をどう答えたらいいのか全く分からず、パニック継続中のアオはそれはもう大変正確に原田の地雷を踏みぬいた。

「いつものおかーさんななしくんはどこ行ったの!!!」


「……」

 一瞬の沈黙。


『そこでそれいうかぁぁぁぁっ!!!』←再びの2人の内心の叫び声


「おかん的ななしくんの傍は安心できるのに、こんなんじゃ怖いだけだよ!」


 そう叫んだアオに、3人は手を合わせてみた。振り返らず、想像上の原田に。
 うん、頑張れ(笑


「おか……さん」
 不機嫌さを増した原田の声が、ぽつりと落とされた。
「あ」
 アオもさすがに気が付いた。
 ななしくん気にしていることに実は気付いていたのに、つい言っちゃった……っ!!

 真っ赤だった顔から急速に血の気が引いていく。

「あ、えっとあのその、ななしくん。その、今のは……」
 どもりながらも懸命に言い訳をしようとするアオの肩に、ゆっくりと温かい重みがかかった。
「----------!!!」
 見なくても分かる、原田の頭。
 アオの肩に、頬をのせて小さく息を吐き出した。

「おかん……ね。ふうん、そっか。甘やかしてるとこうなるわけか」
「あああああままあまmmっ!」
 甘やかしてる!?
 何時甘やかされたの私っっ!!

 そんな雄叫びを内心あげていたアオだったが、次に原田が言った言葉に思考さえも真っ白になった。

「じゃあ、……おかん止めようか」

 どくり

 鼓動が、高鳴る。

 低く、少し甘さを含んだ声。いつものななしくんからは想像できない、大人びた声。
 部屋を、静寂が包む。


 マジか! なにすんのどーすんのおかんがおーかみさんになるの?!≧▽≦←佐々木

 ほぅほぅ( ̄ー+ ̄)←辻

 帰りてぇε-(ーдー)←井上


 内心の声が聞こえるなら、とっても騒がしいんだろうけれど。
 実際は、物音一つしない。


 当人であるアオはグラグラしそうになる体を両腕で抱きしめながら、脳内はぐるぐるとまわりまくっていた。けれど沈黙に耐えられなくなってきたアオは、ぱくぱくと口を開け閉めし始める。
 何かしゃべらなきゃ、何か言わなきゃと喉の奥から何とか絞り出された声は、掠れていて。その自分の声にさえ体温が上がってしまいそうなほど、恥ずかしいもの。

「え、と。ななし……く」

 が。

 一生懸命上げた声は、原田に遮られた。

「――え?」

 肩にのせていた原田の頭が横にずり落ちて、そのままぱたりと床に倒れ込んだのだ。ふっと体から重みが消えて、アオはぱちぱちと瞬きを繰り返してから、はっとした様に横で伸びている原田の顔を覗き込んだ。
「ななしくん!?」
 アオの上げた声に、空気になっていたはずの3人もがばっと背後を振り返る。

 そこには床に伸びている原田と、焦ったように声を上げるアオの姿。弾かれたように立ち上がって原田の側に行けば、安らかな寝息が聞こえてきた。
「……は? 寝てる?」
 佐々木の呆気にとられた声に、おろおろしていたアオがピタリと止まってまじまじと原田の顔を覗き込んだ。

 規則正しい呼吸。
 まごうことなく、睡眠中。

「……なんなのよ……、一体」

 緊張していた体から力が抜けて、へたりこむ。それは佐々木や井上も同じだったようで、座卓に上体を突っ伏して大きく息を吐き出した。

「え、じゃあ何か。ずっと寝ぼけてたって事? 今のこいつ」
 人差し指で頭をつつけば、少し眉を顰めて……でも眠りは薄れる事はないらしい。
 すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。

 はぁぁぁぁぁ

 3人のため息が、盛大に重なった。

 佐々木は人騒がせな……と呟いて、なぜか立ったままの辻に顔を向ける。


「どうした、辻」
 辻の視線は座卓に向けられていて。佐々木の問いに、辻が困ったように小さく笑った。
「もしかしてなんだけど、ななしって、酒に弱いのかも」
「酒?」
 酒と言われても飲んでいたわけじゃないのに、なんでそんな事を言いだすのか呆気にとられながら辻の説明を待つ。辻が手を伸ばして取り上げたのは、原田の座っていた場所に置いてあった小さなカップ。それは二つあり、取り上げたのはアオが食べる予定だったゼリーの方。
 佐々木は意味が解らないとばかりに、首を傾げた。
「蓋は空いてるけど、食べてないじゃんか」
 そのカップの中には、綺麗に残っているゼリー。

 今日のおやつは辻が買ってきたものだ。ゼリーが好きなのかなんなのか、ここに来る時には辻が大体ゼリーを買ってくる。

「うん。これ、アオさんに食べてもらおうと思って買ってきた……梅酒ゼリー」
「あ、前言ってた……」
 まだ立ち直りきれていないアオが、少しぼうっとしたまま口を開いた。辻はその言葉に頷くと、多分……と苦笑する。
「アオさんが食べやすいようにカップの蓋を取ってあげたのはいいけど、お酒の匂いに酔っちゃったんじゃないかなって思うんだけど」

 その言葉に、4人の視線は原田に集まる。
 すこやかーに寝ている、原田。

「何こいつ、梅酒の匂いだけで酔ったって事?」

 ぽつりと井上が誰ともなしに問いかければ、佐々木が再び座卓と友達になる。

「マジかー、ありえんのかおい」←佐々木
「酒に弱いのもたいがいだろうよ……」←井上
「酔ったらあーなるとか、面白いけど大人になったらどーすんだろ」←辻
「……」←アオ

 残念な視線を送られながら、原田はのんびりと睡眠をむさぼっていた。


 そしてもっと残念なことに、その時の記憶は綺麗さっぱり残っていなかった(笑





「アオ、いる?」

 あれから数日後。原田は手にビニール袋を持って、アオの家に来ていた。
「……ななしくん」
 台所にいたのか足音をさせて現れたアオは、少しぎこちない笑みを浮かべて原田を迎える。
そんなアオの態度はここ最近いつもの事で、原田は何がきっかけでこうなったのか分からないまま辻に持たされたビニール袋をアオに差し出した。

「これ、辻から」

「……辻くん?」

 アオが小さく首を傾げながら、その袋を受け取る。
 そして中を覗き込むと、2つのカップゼリーと小さく折りたたまれたメモ。それを取り出してメモに目を通すと……

「辻くん、嫌い!!!」
 そう叫んで、台所へと引っ込んでしまった。
「は……あ?」
 取り残された原田は意味も分からず呆気にとられたまま、その場で立ち尽くした。




「辻、原田に何もたせたの」
 アオの家に寄る原田を見送った3人は、正門の前でバスを待っていた。佐々木は辻がさっき買ってきて原田に渡していた袋が、気になっていた。
 なんとなく、想像がつくけれど……

 辻は、にっこりと笑って「梅酒ゼリー」と応える。
 そして。

「お好きにお使いくださいって、メモ入れておいた♪」


「……」
「……」


 楽しそうな笑みを浮かべる辻に、二人は口を噤む。

 アオさん、ご愁傷様。
 とても楽しそうな辻を止める勇気は、俺達にはありません。


 きっとメモを読んで叫んでるだろうアオと、意味も分からず困惑しているだろう原田を思い浮かべて、心の中で合掌した。
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