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29日目 アオ視点
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「うちの弟、可愛いでしょう?」
にこりと笑う三和さんを、じっと見返す。
可愛い……、うん、確かに可愛い。
見た目ではなくて、心が。
行動が……、言葉が。
でも――
「可愛いですね。可愛いですけれど……、私は頼り切ってしまって申し訳ないって思ってます」
そう私が言った後、三和さんは少し驚いたように目を見開いてすぐに満面の笑みを浮かべた。それはさっき浮かべたものとは全く違う、優しい表情。
「そっか、ならいいの」
もうその話には興味はないとでもいうばかりに、大福を手に取る。むにーんとふざけた様に大福を口先で伸ばす様に食べる三和さんは、とても綺麗な人。細身の長身、ふんわりした栗毛をアップスタイルで纏ている。
こう言ってはなんだけど、ななしくんと姉弟って言われても一瞬首を傾げそうなくらい対極な雰囲気。
でも――
「声。あの……声、素敵ですね」
良く通る、女性にしては低めのアルト。
耳に心地いい、落ち着く音程。
ななしくんの声も男性の中でも低いけれど、その安心するような雰囲気はそっくりだと思う。
三和さんは最後の一口を食べようとしていたけれど大福を小皿の上におくと、粉だらけになっている手で私の両手を包んだ。
「嬉しいわ! 私、大学で声楽専攻なの! もしかして、弟に聞いてた?」
突然の行動にびっくりしながらもなんとか頭を横に振って否定すると、もっとテンションを上げさせてしまった。
「なら、本音で言ってくれたって事よね! 凄く嬉しい」
「三和さん」
その気持ち、分かる。
お世辞抜きで。
心からの本音で。
自分を肯定される、してもらえるその幸せは何物にも代えがたい。
三和さんは嬉しそうにもう一度ありがとうと言うと、乗り出していた体を椅子に戻した。
「ほら先に知ってるとさ。思ってなくてもそう言ってくれるじゃない、気を遣って。まぁ、そうやって考えちゃうこと自体、相手の人に失礼なのかもしれないけれどね」
せっかく褒めてくれてるのに……、そう自嘲気味に肩を竦める三和さんにゆっくりと頭を振って否定する。
「分かりますよ。そうやって相手を疑って、いけないって思うけど……でもどうしても素直に喜べなくて。そんな自分が嫌になるんですよ……、ね」
「……アオちゃん?」
少し驚いたように三和さんが呟く。私も、何を言ってるんだろうって自分でも思ったけれど、でも……止められなかった。
「少しでもネガティブな事を言われればその人が思った以上にダメージを受ける癖に、褒められれば疑って」
今まで、自分がそうだった。
周りから褒められれば褒められるほど、自惚れる癖に。
嬉しい癖に。
なのに内心は、「本当にそう思っているの?」って疑う自分がいて。
だから、聖ちゃんが私のすべてだった。
聖ちゃんさえいてくれれば、私は私を保っていられた。
それが、自分を一番貶めていることに――聖ちゃんを一番遠ざけていたことにさえ気が付かずに。
「……アオちゃん」
三和さんの声が、じんわりと心に沁みとおる。
本当に、私、大丈夫になったんだなぁ……
ちゃんと、自分の行動を、過去を客観的に見ることが出来るもの。
「ほんと……、本当に。ななしくんには、本当に感謝してるんです」
視線を向ければ、薬が効いているのかななしくんはぐっすり眠ってる。
明日には、もっとよくなってる。
明後日には……もっともっと。
「……三和さん」
徐に視線を三和さんに戻せば、真面目な表情をした彼女と目が合う。
「こんなに感謝してるのに、私、今から酷い事しようとしてるんです」
「……酷い事?」
「はい」
静けさが、耳に痛い。
「それは、うちの弟を軽く見るからこその行動?」
「違います、……違うんです。でも、そう見えると思います」
――そう。
しばらくじっと私を見ていた三和さんが、小さく息を吐き出した。
「ねぇ。お名前、伺っても?」
その言葉に頷いて、息を吐き出す。
やっぱり、辻くんから聞いてるのかもしれない。
私が、名前を口にすることを避けていたことを。
名前。
三和さんは声楽科専攻と言っていた。
音大じゃなかったら……芸大だとしたら、もしかしたら私の名前を知っているかもしれない。
もしかしたら。
もしかしたらだけれど。
もしかしたら、軽蔑されるかもしれない。
純粋に芸術を愛している人にとって、私の過去は。
でも。
聞いて欲しい。
ここに来た時に口にする事さえ嫌だった自分の名前を――
見失った、自分の過去を。
三和さんを見れば、私を見つめる穏やかな表情。
ただ、聞いて欲しい。
私の気持ちを、聞いて欲しい――
「……全部、聞いて貰えますか?」
「アオちゃんが、それを望むなら……。ていうか、弟じゃなくていいの? 私?」
その言葉に、ゆっくりと頷いた。
「ななしくんには、すべて終わってから……伝えたいから」
「ふふ、私はその為の布石ね?」
そうやって呟く三和さんの声は、とても落ち着いていて。
思わず、口から零れてしまった。
まだ、本人にさえ伝えていない言葉を。
「私、ななしくんが大切なんです」
「……大切?」
穏やかなその声に、ゆっくりと頷いた。
「その言葉を伝えるために……。けじめをつけたいんです」
今までの、自分に。
だから。
「私、明日、ここを出て行きます」
にこりと笑う三和さんを、じっと見返す。
可愛い……、うん、確かに可愛い。
見た目ではなくて、心が。
行動が……、言葉が。
でも――
「可愛いですね。可愛いですけれど……、私は頼り切ってしまって申し訳ないって思ってます」
そう私が言った後、三和さんは少し驚いたように目を見開いてすぐに満面の笑みを浮かべた。それはさっき浮かべたものとは全く違う、優しい表情。
「そっか、ならいいの」
もうその話には興味はないとでもいうばかりに、大福を手に取る。むにーんとふざけた様に大福を口先で伸ばす様に食べる三和さんは、とても綺麗な人。細身の長身、ふんわりした栗毛をアップスタイルで纏ている。
こう言ってはなんだけど、ななしくんと姉弟って言われても一瞬首を傾げそうなくらい対極な雰囲気。
でも――
「声。あの……声、素敵ですね」
良く通る、女性にしては低めのアルト。
耳に心地いい、落ち着く音程。
ななしくんの声も男性の中でも低いけれど、その安心するような雰囲気はそっくりだと思う。
三和さんは最後の一口を食べようとしていたけれど大福を小皿の上におくと、粉だらけになっている手で私の両手を包んだ。
「嬉しいわ! 私、大学で声楽専攻なの! もしかして、弟に聞いてた?」
突然の行動にびっくりしながらもなんとか頭を横に振って否定すると、もっとテンションを上げさせてしまった。
「なら、本音で言ってくれたって事よね! 凄く嬉しい」
「三和さん」
その気持ち、分かる。
お世辞抜きで。
心からの本音で。
自分を肯定される、してもらえるその幸せは何物にも代えがたい。
三和さんは嬉しそうにもう一度ありがとうと言うと、乗り出していた体を椅子に戻した。
「ほら先に知ってるとさ。思ってなくてもそう言ってくれるじゃない、気を遣って。まぁ、そうやって考えちゃうこと自体、相手の人に失礼なのかもしれないけれどね」
せっかく褒めてくれてるのに……、そう自嘲気味に肩を竦める三和さんにゆっくりと頭を振って否定する。
「分かりますよ。そうやって相手を疑って、いけないって思うけど……でもどうしても素直に喜べなくて。そんな自分が嫌になるんですよ……、ね」
「……アオちゃん?」
少し驚いたように三和さんが呟く。私も、何を言ってるんだろうって自分でも思ったけれど、でも……止められなかった。
「少しでもネガティブな事を言われればその人が思った以上にダメージを受ける癖に、褒められれば疑って」
今まで、自分がそうだった。
周りから褒められれば褒められるほど、自惚れる癖に。
嬉しい癖に。
なのに内心は、「本当にそう思っているの?」って疑う自分がいて。
だから、聖ちゃんが私のすべてだった。
聖ちゃんさえいてくれれば、私は私を保っていられた。
それが、自分を一番貶めていることに――聖ちゃんを一番遠ざけていたことにさえ気が付かずに。
「……アオちゃん」
三和さんの声が、じんわりと心に沁みとおる。
本当に、私、大丈夫になったんだなぁ……
ちゃんと、自分の行動を、過去を客観的に見ることが出来るもの。
「ほんと……、本当に。ななしくんには、本当に感謝してるんです」
視線を向ければ、薬が効いているのかななしくんはぐっすり眠ってる。
明日には、もっとよくなってる。
明後日には……もっともっと。
「……三和さん」
徐に視線を三和さんに戻せば、真面目な表情をした彼女と目が合う。
「こんなに感謝してるのに、私、今から酷い事しようとしてるんです」
「……酷い事?」
「はい」
静けさが、耳に痛い。
「それは、うちの弟を軽く見るからこその行動?」
「違います、……違うんです。でも、そう見えると思います」
――そう。
しばらくじっと私を見ていた三和さんが、小さく息を吐き出した。
「ねぇ。お名前、伺っても?」
その言葉に頷いて、息を吐き出す。
やっぱり、辻くんから聞いてるのかもしれない。
私が、名前を口にすることを避けていたことを。
名前。
三和さんは声楽科専攻と言っていた。
音大じゃなかったら……芸大だとしたら、もしかしたら私の名前を知っているかもしれない。
もしかしたら。
もしかしたらだけれど。
もしかしたら、軽蔑されるかもしれない。
純粋に芸術を愛している人にとって、私の過去は。
でも。
聞いて欲しい。
ここに来た時に口にする事さえ嫌だった自分の名前を――
見失った、自分の過去を。
三和さんを見れば、私を見つめる穏やかな表情。
ただ、聞いて欲しい。
私の気持ちを、聞いて欲しい――
「……全部、聞いて貰えますか?」
「アオちゃんが、それを望むなら……。ていうか、弟じゃなくていいの? 私?」
その言葉に、ゆっくりと頷いた。
「ななしくんには、すべて終わってから……伝えたいから」
「ふふ、私はその為の布石ね?」
そうやって呟く三和さんの声は、とても落ち着いていて。
思わず、口から零れてしまった。
まだ、本人にさえ伝えていない言葉を。
「私、ななしくんが大切なんです」
「……大切?」
穏やかなその声に、ゆっくりと頷いた。
「その言葉を伝えるために……。けじめをつけたいんです」
今までの、自分に。
だから。
「私、明日、ここを出て行きます」
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