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18 蛇足・翌日の二人と、先生・こたろー
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学校に喫煙室は、当たり前だけどない。
けれど教師の中にはいまだに愛煙家もいるので、校舎からほど近い場所にある通称物置小屋の一角に、喫煙室に指定されている場所がある。
図書室で比奈が帰っていくのを内心呆然と見送った俺は、喫煙室の窓際でぼけーっと煙草を吸っていた。
昨日、比奈に言われた言葉が、脳裏から消えない。
おやすみと言った時の笑みが、ちらつく。
おかしい。
比奈の嘘なら、見抜ける自信がある。でもあの顔は、嘘をついている表情じゃなかった。眉間に皺、寄ってなかったし。
じゃあ本音なのかと思えば、さっきの図書室の比奈。まったく本に没頭できていなかった。比奈にとっては当たり前のように俺に嘘吐きと告げたはんだろうに、何を考え込んでいるんだろう。
それとも、本当に俺はどうでもよくて。
何か違う悩みがある?
堂々巡りの思考は、まったく答えを導き出してくれない。
昨日の事を聞こうにも家に帰らないと流石にちゃんと話はできないだろうし、しかもフライングでさっき聞こうとしたけれど拒否のオーラが漂っていた。
まぁ伊藤先生に邪魔されたのが直接的な原因だったけれど、仮に彼女が来なくても比奈は何も答えてはくれなかったと思う。
「どーすっか、なー」
比奈が、何を考えているのかわからない。
幼馴染だから、俺が胡坐をかきすぎたのか? 比奈の事が好きなのは、俺の本心なのに。
確かに幼い頃、比奈は庇護のみの対象だった。
五歳年下の、隣の子。
生まれた時から知ってる、家族のような存在。妹、幼馴染、手のかかる元気な子供。いいとこ、そこらが俺の比奈に対する感情だった。
それが、恋愛感情に変わったのは、俺が高三、比奈が中学校に上がった年。
外を駆けずり回って楽しそうに遊んでいた比奈が、突然大人びた。それは、制服になったからというわけじゃなくて。いや、それによる効果もあったのかもしれないけれど、やはりそれだけじゃなかった。
いつも自分が通っていた公立図書館で本を読む比奈を見かけるようになると、俺の中で、比奈への感情が少しずつ変わってきていることに気が付いた。
あんなに子供だった人間が、大人へと変化していく様は、幼い頃から知っているはずの人間なのに、まったく違う不可解な気持ちを抱かされた。
何でも知っていると思っていた、自分の認識の甘さ。
近くにいすぎたからこその、勘違い。
知らないうちに比奈は自分の世界を作り上げて、どんどん変わっていく。俺の知らない比奈が増えていくのを見ていて、こみ上げる焦燥感に最初愕然とした。
だって。
十八歳と十三歳。
五歳差は、その年頃の男女にとても大きい溝。
これが成人して社会人になってしまえば、せめて大学生になってしまえば気にするものではなくなるんだろうけれど。
高三の男が、中一の女子にそういった目を向けることが、……俺が比奈を見るその目が凄く汚く見えた。守ってやることが当たり前だった比奈を、男の目で見ていたことに気が付きたくなかった。
認めたくなくて。
どうしても、それを認めたくなくて。
面だけは良く親が生んでくれたから、告白してくる相手と考えもせずに手当たり次第付き合った。
最低だったと思う。
今思い出だしても、あの頃の自分は最低な人間だった。例え、告白された時に相手に気持ちがない事を言ったとしても。
それでも、気持ちもない心もない、そんな相手と付き合うことで自分の想いを否定したかった。
一時の気の迷いだと、そう自分の感情を決めつけて。
どうにか感情の矛先を、違う誰かに向けようと必死になった。
とにかく、誰でもよかった。比奈じゃなければ、誰でもよかった。
幼い頃から守ってきた比奈を、どうにかして、俺から守りたかった。
「辛気くせぇ面、してんじゃねーよ」
後ろから小突かれて、持っていた煙草の灰が机に落ちる。
いつの間にかほとんど灰に変わっていたことに気づいて、指に挟んでいた煙草を灰皿に落とした。
「痛いよ、片セン」
「ちゃんと呼べよ、後輩」
顔を上げれば、傍の椅子に腰を掛ける片山先生が呆れた顔をして俺を見ていた。
そのまま手に持っていた缶珈琲を、机に置く。
「ラッキー、奢り?」
「百円を奢りだと喜んでくれるんなら、やっすいもんだ」
ニヤリ、という呼称の方が似合う笑みを浮かべて、片山先生はもう一缶持っていた珈琲のプルタブを押し開けた。
「悩み多き年頃か? 二十三歳にもなって」
「永遠の十八歳」
「脳味噌だけはな。中学生だな」
ぽんぽんと会話を交わす片山先生は、俺の高三の時の担任。
俺が一年間フリーターをする事になったのを聞いて、今回の臨採を教えてくれた愛すべき担任。
「やめろ、うぜぇ。気持ち悪い」
声に、出ていたようだ。
「片山先生さ。もしかしてと思うけど、俺の事を比奈に言った?」
藁にも縋りたい気持ちで、問いかける。
比奈が、どうしていきなりあんな事を言い出したのかわからない。
けれど俺の事で比奈が知らないのは、学校の中の事だけだから。もしかしたら、最低な高三時代を知られたから、俺の気持ちを信じられないのかと思いついた。
片山先生は面倒そうに眉間に皺を寄せると、珈琲に口をつける。
そうして、あー、と間抜けな声を上げて視線をさまよわせた。
「なんだ、お前の鬼畜所業、ばれたのか」
「やっぱ、ばらしたの!?」
一気に緊張感が体を襲い、片山先生の方に身を乗り出す。
「言ってねーし、今の言葉そんな意味じゃねーだろーよ。国語免許持ちが、どんな読解力だ」
ぱしんっと頭を軽く叩かれて、縋るようにその次の言葉を催促する。
「え、じゃぁ」
「大体お前の幼馴染に言うくらいなら、伊藤先生にばらして目を覚まさせる」
「なんだ、……比奈にばれた訳じゃないのか」
最後の方のくだりはどうでもいい。
とりあえず、比奈に知られてなきゃどうでもいい。
あぁ、でもそうしたら謎が解けない。
「伊藤先生もあんな感じじゃなかったのに、お前が来てから変わっちまったよなー。俺達独身男性教師の癒しの対象が」
じとーっとした視線を向けられても、俺のせいじゃないし。
「つーかさ、幼馴染に絶対学校で手出すなよ。ていうか、せめて教師やってる間は自宅でも自重しろ。まさかお前の悩みのタネが、うちの学校にいるとは思わなかった。知ってたら、臨採の話しなかったってのに」
「今更ー」
軽く返せば、じろりと睨まれる。
「面倒事は嫌だからな。問題になったら、俺は知らぬ存ぜぬで通すからな」
「本当にそうしそう。まぁ、今そんな状況じゃないから安心してよ、先生」
はぁっと、大きく息を吐き出せば、どうした? とでもいうように、片山先生が片眉を上げる。
数少ない、俺の心情を知る人。
俺が高三の時、あまりにも阿呆な生活をおくり出したのを見て、真剣に止めてくれた人。そういう意味で、俺の弱音を吐き出させてくれる、唯一の人。
「比奈に、嘘吐きって言われた」
「嘘吐きぃ?」
缶珈琲の飲み口に口をつけたまま、片山先生が首を傾げた。
俺は顔を伏せたまま、頷いて、ため息をつく。
「俺の気持ちは、比奈にとって嘘なんだってさ」
けれど教師の中にはいまだに愛煙家もいるので、校舎からほど近い場所にある通称物置小屋の一角に、喫煙室に指定されている場所がある。
図書室で比奈が帰っていくのを内心呆然と見送った俺は、喫煙室の窓際でぼけーっと煙草を吸っていた。
昨日、比奈に言われた言葉が、脳裏から消えない。
おやすみと言った時の笑みが、ちらつく。
おかしい。
比奈の嘘なら、見抜ける自信がある。でもあの顔は、嘘をついている表情じゃなかった。眉間に皺、寄ってなかったし。
じゃあ本音なのかと思えば、さっきの図書室の比奈。まったく本に没頭できていなかった。比奈にとっては当たり前のように俺に嘘吐きと告げたはんだろうに、何を考え込んでいるんだろう。
それとも、本当に俺はどうでもよくて。
何か違う悩みがある?
堂々巡りの思考は、まったく答えを導き出してくれない。
昨日の事を聞こうにも家に帰らないと流石にちゃんと話はできないだろうし、しかもフライングでさっき聞こうとしたけれど拒否のオーラが漂っていた。
まぁ伊藤先生に邪魔されたのが直接的な原因だったけれど、仮に彼女が来なくても比奈は何も答えてはくれなかったと思う。
「どーすっか、なー」
比奈が、何を考えているのかわからない。
幼馴染だから、俺が胡坐をかきすぎたのか? 比奈の事が好きなのは、俺の本心なのに。
確かに幼い頃、比奈は庇護のみの対象だった。
五歳年下の、隣の子。
生まれた時から知ってる、家族のような存在。妹、幼馴染、手のかかる元気な子供。いいとこ、そこらが俺の比奈に対する感情だった。
それが、恋愛感情に変わったのは、俺が高三、比奈が中学校に上がった年。
外を駆けずり回って楽しそうに遊んでいた比奈が、突然大人びた。それは、制服になったからというわけじゃなくて。いや、それによる効果もあったのかもしれないけれど、やはりそれだけじゃなかった。
いつも自分が通っていた公立図書館で本を読む比奈を見かけるようになると、俺の中で、比奈への感情が少しずつ変わってきていることに気が付いた。
あんなに子供だった人間が、大人へと変化していく様は、幼い頃から知っているはずの人間なのに、まったく違う不可解な気持ちを抱かされた。
何でも知っていると思っていた、自分の認識の甘さ。
近くにいすぎたからこその、勘違い。
知らないうちに比奈は自分の世界を作り上げて、どんどん変わっていく。俺の知らない比奈が増えていくのを見ていて、こみ上げる焦燥感に最初愕然とした。
だって。
十八歳と十三歳。
五歳差は、その年頃の男女にとても大きい溝。
これが成人して社会人になってしまえば、せめて大学生になってしまえば気にするものではなくなるんだろうけれど。
高三の男が、中一の女子にそういった目を向けることが、……俺が比奈を見るその目が凄く汚く見えた。守ってやることが当たり前だった比奈を、男の目で見ていたことに気が付きたくなかった。
認めたくなくて。
どうしても、それを認めたくなくて。
面だけは良く親が生んでくれたから、告白してくる相手と考えもせずに手当たり次第付き合った。
最低だったと思う。
今思い出だしても、あの頃の自分は最低な人間だった。例え、告白された時に相手に気持ちがない事を言ったとしても。
それでも、気持ちもない心もない、そんな相手と付き合うことで自分の想いを否定したかった。
一時の気の迷いだと、そう自分の感情を決めつけて。
どうにか感情の矛先を、違う誰かに向けようと必死になった。
とにかく、誰でもよかった。比奈じゃなければ、誰でもよかった。
幼い頃から守ってきた比奈を、どうにかして、俺から守りたかった。
「辛気くせぇ面、してんじゃねーよ」
後ろから小突かれて、持っていた煙草の灰が机に落ちる。
いつの間にかほとんど灰に変わっていたことに気づいて、指に挟んでいた煙草を灰皿に落とした。
「痛いよ、片セン」
「ちゃんと呼べよ、後輩」
顔を上げれば、傍の椅子に腰を掛ける片山先生が呆れた顔をして俺を見ていた。
そのまま手に持っていた缶珈琲を、机に置く。
「ラッキー、奢り?」
「百円を奢りだと喜んでくれるんなら、やっすいもんだ」
ニヤリ、という呼称の方が似合う笑みを浮かべて、片山先生はもう一缶持っていた珈琲のプルタブを押し開けた。
「悩み多き年頃か? 二十三歳にもなって」
「永遠の十八歳」
「脳味噌だけはな。中学生だな」
ぽんぽんと会話を交わす片山先生は、俺の高三の時の担任。
俺が一年間フリーターをする事になったのを聞いて、今回の臨採を教えてくれた愛すべき担任。
「やめろ、うぜぇ。気持ち悪い」
声に、出ていたようだ。
「片山先生さ。もしかしてと思うけど、俺の事を比奈に言った?」
藁にも縋りたい気持ちで、問いかける。
比奈が、どうしていきなりあんな事を言い出したのかわからない。
けれど俺の事で比奈が知らないのは、学校の中の事だけだから。もしかしたら、最低な高三時代を知られたから、俺の気持ちを信じられないのかと思いついた。
片山先生は面倒そうに眉間に皺を寄せると、珈琲に口をつける。
そうして、あー、と間抜けな声を上げて視線をさまよわせた。
「なんだ、お前の鬼畜所業、ばれたのか」
「やっぱ、ばらしたの!?」
一気に緊張感が体を襲い、片山先生の方に身を乗り出す。
「言ってねーし、今の言葉そんな意味じゃねーだろーよ。国語免許持ちが、どんな読解力だ」
ぱしんっと頭を軽く叩かれて、縋るようにその次の言葉を催促する。
「え、じゃぁ」
「大体お前の幼馴染に言うくらいなら、伊藤先生にばらして目を覚まさせる」
「なんだ、……比奈にばれた訳じゃないのか」
最後の方のくだりはどうでもいい。
とりあえず、比奈に知られてなきゃどうでもいい。
あぁ、でもそうしたら謎が解けない。
「伊藤先生もあんな感じじゃなかったのに、お前が来てから変わっちまったよなー。俺達独身男性教師の癒しの対象が」
じとーっとした視線を向けられても、俺のせいじゃないし。
「つーかさ、幼馴染に絶対学校で手出すなよ。ていうか、せめて教師やってる間は自宅でも自重しろ。まさかお前の悩みのタネが、うちの学校にいるとは思わなかった。知ってたら、臨採の話しなかったってのに」
「今更ー」
軽く返せば、じろりと睨まれる。
「面倒事は嫌だからな。問題になったら、俺は知らぬ存ぜぬで通すからな」
「本当にそうしそう。まぁ、今そんな状況じゃないから安心してよ、先生」
はぁっと、大きく息を吐き出せば、どうした? とでもいうように、片山先生が片眉を上げる。
数少ない、俺の心情を知る人。
俺が高三の時、あまりにも阿呆な生活をおくり出したのを見て、真剣に止めてくれた人。そういう意味で、俺の弱音を吐き出させてくれる、唯一の人。
「比奈に、嘘吐きって言われた」
「嘘吐きぃ?」
缶珈琲の飲み口に口をつけたまま、片山先生が首を傾げた。
俺は顔を伏せたまま、頷いて、ため息をつく。
「俺の気持ちは、比奈にとって嘘なんだってさ」
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