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時は進む。
凪 1
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しばらく全速力で馬を駆った後、速度が落ちた。凪は気づかれないよう薄目を開けると、できるだけ状況を把握しようと視線だけを動かす。
ゆっくりとした足並みで向かう先には、微かな明かりの下、数人の人影が見える。凪を乗せていた馬も、周囲に遅れることなくその集団の傍へと脚を止めた。
集団と言っても、十人程。そこに凪達を襲った人数を加えても、二十人越えるか越えないかくらい。待っている間に暖を取っていたのか、今は消されている焚火がいくつか木に掛けているランプの灯りにぼんやりと映し出されていた。
……思ったより、少ないな。
そう内心呟いて、微かに安堵してしまった自身の意気地の無さに顔を顰めた。
飄々と、任務をこなしたいのに。
……クソかっこ悪りぃ
自分が囮になることが、自分の為にもこの無駄な小競り合いを収束させるためにも一番の近道だと納得して引き受けた任務だった。
ただの別動隊として分けるなら、九軍の誰でもいい。それこそ頭の回転のいいレイノールと従卒のトンノなら難なく使命を果たすだろうし、他にも成果を上げそうだ。
けれどそこに囮として敵方に魅力があるかの条件を加えると、途端、凪かイルクだけになる。
近衛隊長に目をつけられている凪と、全方向で人質として価値のあるイルク。
いくら小競り合いとはいえ、ここは戦場。もし命を落とした場合、その亡骸を連れ帰ることができる保証はない。
そして今回、イルクを戦場に連れて行けという命令を国は出していない。連れて行くなという命令も出していないけれど。それが示すことは、この場に居るのがイルクの意思という事で、それを許した存在は九軍の隊長という事になる。
止めなかった証拠もなければ、行けと言った証拠もないわけだから。
だからイルクがもし命を落としてもその責任の所在は隊長が一身に背負うことになり、ランディア国としては遺憾の意を伝えるだけ。そしてソクラートの出方を見ながら、戦端を開くきっかけを伺うのだろう。
王弟殿下の存在など、無視して。
凪は、ただの一介の兵士だ。子供の頃の記憶はないけれど、隊長に拾われた後からの記憶はある。
だから。
隊長がどれだけ白軍師や貴族たちから妨害を受けようと、部下の兵士を大切に守ってきたことを知っている。
いけ好かない無表情黒軍師と一緒に、国王ではなく国民を国として考え守り続けてきたかを知っている。
それは九軍全員の、総意でもある。
だから。
自分が囮になると言われて、頷いた。
受け入れなければ、その役目はイルクになってしまうから。
自分ならもし囮とばれても助けが間に合わなくても、痛めつけられるだけで終わるから。最悪命を落としてもそれだけだ。
でももしイルクが捕まり、助けることができなかったら。
クレイグルに囚われれば、二重の人質として。
子爵に囚われれば、クレイグル・近衛のどちらかとの交渉の餌として。
そして近衛に囚われれば、命を刈られる。それを契機に戦端が開かれれば、ソクラートとの戦でどれほどの命が消えるかわからない。
だから。
凪は薄く開けていた瞼を閉じると、ゆっくりと息を吐きだした。
だから、やるなら自分しかない。
だから、大丈夫。
俺ならできる。できないわけがない。絶対にできる。
いつもの俺はどうした。震えて怖がったって、誰かが守ってくれるわけじゃない。自分で自分を守らなきゃいけないんだから。
震えそうになる顎に力を込めて奥歯を噛みしめると、微かに首を擡げた恐怖心を無理やり抑え込んだ。
そうこうしているうちに、凪を乗せて来た男が小さな掛け声とともに馬から降りる。
「それが、近衛隊長ご所望のちびっこ?」
馬から降りた男とは違う声に、思わず震えそうになった凪は、内心慌てながらそれでも閉じた瞼を開くことなくその鼓動を落ち着かせる。
いつの間にか、傍に誰か来ていたらしい。
「そうそう近衛隊長に恩を着せる為に、うちの子爵がご所望の」
凪を乗せていた男が、そう笑う。
さっきはすげぇ顔してイルクから逃げるように必死で馬を走らせていたけれど、仲間と合流できたことで笑う余裕ができたらしい。傍に来た男に手綱を渡す。
「次はお前? まぁ、そうじゃなくっても、とりあえず俺の役目はここまでだから次の奴に渡してくれ」
「おー、了解」
……引き継ぎ簡単だなぁ、おい。
思わず内心で呟く。一応はあんたらの親玉が望んだ人質だろうよ。
そんな些細な事からも、あけすけに見えてくるこの集団のまとまりの無さ。兵士としての質の低さ。要するに訓練されている兵士じゃない。よくて傭兵、普通に考えればそこら辺の傭兵崩れを金か何かの力を使って集めて人数だけ体裁を整えた状態。
指示する役目を負う直接の部下はいるのだろうけれど、統制の取れていないこの状態は自分にとって……吉と出るか凶と出るか。
「……いてっ」
うつ伏せで馬に載せられている俺の顔を見ようと、下から覗き込もうとして馬に頭突きして呻いてるこいつなんか、傭兵どころかそこら辺の村人とか旅人とかなんじゃねぇの。
馬に頭突きって、大丈夫かこいつ。
でもなんか少し、緊張が解けた。
少し罰悪い気になりながら、今、まさに目が覚めましたという体で目を開けた。
「……」
「……」
馬に頭突きしてる時点で傍にいる事には気づいていたけれど、驚いたように目を瞠ってしまったのは、素だ。鼻先数センチの所に、他人の顔があれば誰でも驚く。そしてそれは、相手も同じだったらしい。
「う、うわっ」
驚いて、尻もちまでついてる。
「なんだよ、いきなり目を開けるなよっ! びっくりするだろ!」
「いや、こっちこそびっくりなんだけど。ド真ん前に顔寄せるとか変態かよお前」
「流れるように口悪い!!」
「褒められたぜ、ありがとー」
「ぜ、とか言うな女の子が!」
両手を握り締めて悲壮な表情を浮かべた傭兵(仮)が、気持ち小声でがなり立てるのを凪は微かに首を傾げて口を開いた。
「お前みたいな下っ端にまで、俺が女だって周知されてんの?」
よくわかったな、と言わんばかりの凪に傭兵(仮)は、苦笑を零して立ち上がった。
「そりゃ分かるだろ、さすがに」
そう言って少し戸惑うように伸ばされた指先が、凪の胸元でやはり逡巡する。凪はきょとんとしたままその行く先を見ていて、それに気付いた傭兵(仮)がそのまま胸元に手を伸ばした。
ぐいっと引っ張られたのは、ボタンの飛んだシャツの襟もと。そのままぎゅっと深く左右を合わせられて、傭兵(仮)は巻いていたスカーフを取るとぐるりと凪の首に巻き付けた。
「……こりゃどうも」
「いや、少しは恥ずかしがろうよ、凪ちゃん」
「いやこんなぺったりな胸見られても、別に恥ずかしくもなんとも……」
「いやっ、やめて凪ちゃんっ! そこは恥ずかしがって!」
いやいやと首を振る傭兵(仮)の姿を、凪はじっと見てただ一言呟く。
「気持ちわるい、やめろその茶番」
傭兵(仮)は微かに眉を引き上げると、おやおやと腕組しながら顎を指で撫ぜた。
「主長が欲しがるのも納得だねぇ。ねぇ凪ちゃん。これを気にさぁ、十軍においで」
「やだね。あんたらみたいに、脳みそ使うの苦手」
「天性のカンって、一番欲しい才能なんだけどね」
「はいはい。で、あんたがアウルの部下でいいのか?」
走らせ続けていた馬を休ませる目的もあるのだろう暫く休憩を取るようで、周囲には馬はいるけれど敵はいない。自分達のテリトリーに入ったからか、一人とはいえ見張りがいるからか、随分と警戒心が薄れているようだ。
いつのまにか周囲にはこの男しかおらず、少し離れたまだ火のついている焚き火の前に殆どが固まって話していた。
「まぁ、ここにいるのはもしもの時に切られるしっぽ要員だから、警戒心なんて二の次よ」
「だからあんたも潜入しやすかったって?」
「まぁね」
くすりと笑うその顔は、飄々としてどこかうちの隊長を思い出させた。
ゆっくりとした足並みで向かう先には、微かな明かりの下、数人の人影が見える。凪を乗せていた馬も、周囲に遅れることなくその集団の傍へと脚を止めた。
集団と言っても、十人程。そこに凪達を襲った人数を加えても、二十人越えるか越えないかくらい。待っている間に暖を取っていたのか、今は消されている焚火がいくつか木に掛けているランプの灯りにぼんやりと映し出されていた。
……思ったより、少ないな。
そう内心呟いて、微かに安堵してしまった自身の意気地の無さに顔を顰めた。
飄々と、任務をこなしたいのに。
……クソかっこ悪りぃ
自分が囮になることが、自分の為にもこの無駄な小競り合いを収束させるためにも一番の近道だと納得して引き受けた任務だった。
ただの別動隊として分けるなら、九軍の誰でもいい。それこそ頭の回転のいいレイノールと従卒のトンノなら難なく使命を果たすだろうし、他にも成果を上げそうだ。
けれどそこに囮として敵方に魅力があるかの条件を加えると、途端、凪かイルクだけになる。
近衛隊長に目をつけられている凪と、全方向で人質として価値のあるイルク。
いくら小競り合いとはいえ、ここは戦場。もし命を落とした場合、その亡骸を連れ帰ることができる保証はない。
そして今回、イルクを戦場に連れて行けという命令を国は出していない。連れて行くなという命令も出していないけれど。それが示すことは、この場に居るのがイルクの意思という事で、それを許した存在は九軍の隊長という事になる。
止めなかった証拠もなければ、行けと言った証拠もないわけだから。
だからイルクがもし命を落としてもその責任の所在は隊長が一身に背負うことになり、ランディア国としては遺憾の意を伝えるだけ。そしてソクラートの出方を見ながら、戦端を開くきっかけを伺うのだろう。
王弟殿下の存在など、無視して。
凪は、ただの一介の兵士だ。子供の頃の記憶はないけれど、隊長に拾われた後からの記憶はある。
だから。
隊長がどれだけ白軍師や貴族たちから妨害を受けようと、部下の兵士を大切に守ってきたことを知っている。
いけ好かない無表情黒軍師と一緒に、国王ではなく国民を国として考え守り続けてきたかを知っている。
それは九軍全員の、総意でもある。
だから。
自分が囮になると言われて、頷いた。
受け入れなければ、その役目はイルクになってしまうから。
自分ならもし囮とばれても助けが間に合わなくても、痛めつけられるだけで終わるから。最悪命を落としてもそれだけだ。
でももしイルクが捕まり、助けることができなかったら。
クレイグルに囚われれば、二重の人質として。
子爵に囚われれば、クレイグル・近衛のどちらかとの交渉の餌として。
そして近衛に囚われれば、命を刈られる。それを契機に戦端が開かれれば、ソクラートとの戦でどれほどの命が消えるかわからない。
だから。
凪は薄く開けていた瞼を閉じると、ゆっくりと息を吐きだした。
だから、やるなら自分しかない。
だから、大丈夫。
俺ならできる。できないわけがない。絶対にできる。
いつもの俺はどうした。震えて怖がったって、誰かが守ってくれるわけじゃない。自分で自分を守らなきゃいけないんだから。
震えそうになる顎に力を込めて奥歯を噛みしめると、微かに首を擡げた恐怖心を無理やり抑え込んだ。
そうこうしているうちに、凪を乗せて来た男が小さな掛け声とともに馬から降りる。
「それが、近衛隊長ご所望のちびっこ?」
馬から降りた男とは違う声に、思わず震えそうになった凪は、内心慌てながらそれでも閉じた瞼を開くことなくその鼓動を落ち着かせる。
いつの間にか、傍に誰か来ていたらしい。
「そうそう近衛隊長に恩を着せる為に、うちの子爵がご所望の」
凪を乗せていた男が、そう笑う。
さっきはすげぇ顔してイルクから逃げるように必死で馬を走らせていたけれど、仲間と合流できたことで笑う余裕ができたらしい。傍に来た男に手綱を渡す。
「次はお前? まぁ、そうじゃなくっても、とりあえず俺の役目はここまでだから次の奴に渡してくれ」
「おー、了解」
……引き継ぎ簡単だなぁ、おい。
思わず内心で呟く。一応はあんたらの親玉が望んだ人質だろうよ。
そんな些細な事からも、あけすけに見えてくるこの集団のまとまりの無さ。兵士としての質の低さ。要するに訓練されている兵士じゃない。よくて傭兵、普通に考えればそこら辺の傭兵崩れを金か何かの力を使って集めて人数だけ体裁を整えた状態。
指示する役目を負う直接の部下はいるのだろうけれど、統制の取れていないこの状態は自分にとって……吉と出るか凶と出るか。
「……いてっ」
うつ伏せで馬に載せられている俺の顔を見ようと、下から覗き込もうとして馬に頭突きして呻いてるこいつなんか、傭兵どころかそこら辺の村人とか旅人とかなんじゃねぇの。
馬に頭突きって、大丈夫かこいつ。
でもなんか少し、緊張が解けた。
少し罰悪い気になりながら、今、まさに目が覚めましたという体で目を開けた。
「……」
「……」
馬に頭突きしてる時点で傍にいる事には気づいていたけれど、驚いたように目を瞠ってしまったのは、素だ。鼻先数センチの所に、他人の顔があれば誰でも驚く。そしてそれは、相手も同じだったらしい。
「う、うわっ」
驚いて、尻もちまでついてる。
「なんだよ、いきなり目を開けるなよっ! びっくりするだろ!」
「いや、こっちこそびっくりなんだけど。ド真ん前に顔寄せるとか変態かよお前」
「流れるように口悪い!!」
「褒められたぜ、ありがとー」
「ぜ、とか言うな女の子が!」
両手を握り締めて悲壮な表情を浮かべた傭兵(仮)が、気持ち小声でがなり立てるのを凪は微かに首を傾げて口を開いた。
「お前みたいな下っ端にまで、俺が女だって周知されてんの?」
よくわかったな、と言わんばかりの凪に傭兵(仮)は、苦笑を零して立ち上がった。
「そりゃ分かるだろ、さすがに」
そう言って少し戸惑うように伸ばされた指先が、凪の胸元でやはり逡巡する。凪はきょとんとしたままその行く先を見ていて、それに気付いた傭兵(仮)がそのまま胸元に手を伸ばした。
ぐいっと引っ張られたのは、ボタンの飛んだシャツの襟もと。そのままぎゅっと深く左右を合わせられて、傭兵(仮)は巻いていたスカーフを取るとぐるりと凪の首に巻き付けた。
「……こりゃどうも」
「いや、少しは恥ずかしがろうよ、凪ちゃん」
「いやこんなぺったりな胸見られても、別に恥ずかしくもなんとも……」
「いやっ、やめて凪ちゃんっ! そこは恥ずかしがって!」
いやいやと首を振る傭兵(仮)の姿を、凪はじっと見てただ一言呟く。
「気持ちわるい、やめろその茶番」
傭兵(仮)は微かに眉を引き上げると、おやおやと腕組しながら顎を指で撫ぜた。
「主長が欲しがるのも納得だねぇ。ねぇ凪ちゃん。これを気にさぁ、十軍においで」
「やだね。あんたらみたいに、脳みそ使うの苦手」
「天性のカンって、一番欲しい才能なんだけどね」
「はいはい。で、あんたがアウルの部下でいいのか?」
走らせ続けていた馬を休ませる目的もあるのだろう暫く休憩を取るようで、周囲には馬はいるけれど敵はいない。自分達のテリトリーに入ったからか、一人とはいえ見張りがいるからか、随分と警戒心が薄れているようだ。
いつのまにか周囲にはこの男しかおらず、少し離れたまだ火のついている焚き火の前に殆どが固まって話していた。
「まぁ、ここにいるのはもしもの時に切られるしっぽ要員だから、警戒心なんて二の次よ」
「だからあんたも潜入しやすかったって?」
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