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ぼくが変わり、夢が変わり、少女が変わる(その2)

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 ぼくは迷った末、
「湖畔を散策していたら、廃墟のドライブインから妙な匂いがして、覗くと怪しげな箱があったので……。とにかく、ひどく匂ってので」
 と告げた。
 法事で帰ってきたが、道路が通行止めでこちらに回ったこと。
 例の事件で大々的な捜索もしているし、箱も開けて見たわけでもないので、中身も大したものではないかも知れないが、念のために、と。それも付け加えた。
 駐在所の警官は、五十絡みの年輩で箕面巡査長と名乗った。
 彼は、ぼくが名を告げると、ああ、と言って苦笑した。
「木塚さんのことは聞いたことはありましたが、なるほど。しかし、困りましたな。中身を確認していないのであれば、なるべく血なまぐさいものは見たくない性分なもので」
 箕面巡査長は、ぶつぶつ言いながら何カ所か連絡を入れていたが、ある電話の途中でぼくを手招きした。
「木塚さん。ちょっと事情を説明してやって下さい」
 ぼくが替わった電話の相手は、戸田刑事だった。ぼくは、カラクリが飲み込めないまま、経緯を説明した。箕面巡査長は、それからも数カ所に連絡をしていたが、連絡し終わったのだろう。晴れ晴れとした顔で言った。
「お待たせしました。すぐに応援が来ますので、改めて立会をお願いできますか」
 ぼくは、はあ、とだけ言った。どうやら、法事には行けそうもなかった。
 
 十五分もすると、鑑識課と思われる数人と他に三、四人の警官がやってきた。ぼくは彼らに伴われて、廃墟のドライブインに向かった。途中、歩道傍の駐車場から中には入っていないこと。当然、木箱にも、周辺のものにも触れていないこと。発見したときの事情など、手短に再度確認された。
 ほどなくドライブインの中から、「頭部発見。現場確保」と大声が上がり、捜査員たちが慌ただしく動き、連絡をし始めている。
 ぼくは、あてがわれた椅子に座ってぼんやりと辺りを眺めていた。
 徐々に捜査員が集まり始め、現場指揮所の陣容が整っていく。
 頴娃えいインター近くの捜索を取材していた報道陣も池田湖畔にシフトしてきたのか、騒々しさが一挙に増加した。
 することもなく放って置かれたまま、何度見ても進まない時計が、ようやく十一時をさしかけた頃、戸田刑事の姿が見えた。
 戸田刑事は真っ直ぐ近づいてきた。
 ぼくは思わず声をかけた。
「戸田さん。ぼくは、どうしたらいいんでしょう」
 戸田刑事は、さて、と言ったきり黙り込んだ。
「ぼくはただ、変な匂いがする怪しい箱を見つけた……。それだけのことなんですが」
「ですね。胡乱うろんですが、それに尽きますか。県警に匿名で遺棄場所の未確認情報が入った。該当場所で怪しげな箱の目撃情報も入った。で、念のために捜査に入った。結果、情報通り発見された。それだけのことです。情報提供者の確認を急いでいるが、見つかりそうもない。ましてや、超能力で行き当たりばったりに見つけたわけではありませんので、その辺を納得していただければ、帰っても構いませんよ」
 戸田刑事は、そう言ってぼくの肩を叩いた。
 
 その夜、また一城美奈子の夢を見た。
 小さくなった彼女やばらばらになった彼女を、ホイールローダーで掬い取り、堆肥のような山に積み上げていく。掬っても掬ってもホイールローダーのバケットは空のままで、積み上げるはずの山もいつまでも小さいまま。彼女がしゃべろうとしている何か。そのひとことでも聞き取れれば、ぼくはバケット一杯に彼女を集められる。ぼくは必死になって彼女の口元を見つめている。彼女の唇が、ゆっくりと動いた……。
 そこで目が覚めた。時計を見る。三時を少し回っている。夢を見て目が覚めれば、もう眠れなくなる。ぼくは、毛布を被り部屋の壁にもたれて丸くなった。
 そう言えば、彼女を殺して埋める夢を見なくなったのは、いつからだったろう。
 警官に踏み込まれて、埋めた死体を掘り出される不安に駆られる夢を見なくなったのは、いつだったろう。
 どこかで、何かがきっかけで、何かが変わっている。
『警官に踏み込まれる夢は』とぼくは苦く思い起こした。
 戸田刑事に近づきすぎてしまって、夢に見てしまえば、あまりにも現実的に過ぎるから見なくなったのかもしれない、と。
 そう言えば、初めて戸田刑事を見たとき、この人と話せば(犯罪者は)必ず落ちるかもしれない。そう感じたことを思い出した。あの時も、一城美奈子の夢を見て夜中に起きていて。
――その時間に、犯人が遺体をゴミステーションに置いて回っていたのだった。
 ぼくは、頭を振った。
『今は、いつから、何がきっかけで夢の中身が変わったのか考えるべきだ』と。
 大きく変わったのは、数日前、永幸産業のリサイクルセンターで戸田刑事に会ってからだった。
 いや、その前。
 戸田刑事に一城美奈子の話をして、存在を確かめたいと強く思ったときからかもしれない。
 あの夜、ぼくは一瞬だけ、輪郭のはっきりしない彼女の夢を見たはずだった。
『やっぱり、戸田さんに似顔絵書きを紹介してもらおう。明日、もう今日か。今日でも連絡入れることにして』
 他人にも自分にも、はっきりと、彼女、一城美奈子の姿が見えるようにする。
 捜すのはそれからだ。
 やっと腹が決まったとき、夜は明けていた。
 
「木塚、お前って、よっぽど魅入られてるんだな」
 出勤すると、いきなり工場長が皮肉めかして言った。
「最近依頼がないから安心してたが、休んで法事に行けば、行った先で死体だの首だのが転がり出てくるんだから」
 ぼくには、言い返すことばがなかった。
「まさか、木塚が見つけたんじゃなかろうな」
「いや……。そんなことはありませんよ」
 嘘だが、どのみち信じてはもらえない。それ以上相手にならないためにTVの電源を入れると、さらに嫌なニュースが飛び込んできた。
「本日早朝、K市加治屋町の維新館玄関付近で、切断された女性の頭部が箱に詰められて放置されているのが発見されました。K県警は、連続している女性の頭部切断事件と関連があるものと見て……」
 ぼくは、TVの電源を切った。工場長は何も言わなかった。
 十時を回った頃、永幸産業の上野さんからの連絡を受けた。
 吉野のリサイクルセンターに警察の捜査が入り、ウッドチップの山の中から一連の殺人事件の被害者のものと思われる血痕が発見されたこと。引き続き捜査が行われるが終了するまで立ち入りも搬出もできないこと。捜査終了の期日が確定しないので、念のため予約をキャンセルしたいこと。というようなことだった。
 ぼくは、配送中の工場長に緊急連絡を入れ、永幸産業分のウッドチップを飯島興産分に振り替える手配をした。
『これが、戸田さんの見つけた捜し物か』
 ぼくは、奪われた腕を捜す鬼の姿を思い起こした。鬼はまだ、腕そのものを見つけたわけではない。これからが戸田刑事の本当の闘いになるはずだった。
『ぼくはぼくでやるしかない。ということだな』

 ぼくの分の配送業務は午前中で終わった。同時に今日の業務も終わったことになる。ぼくは準備していた昼飯を食ってから堆肥センターを出た。いつものように産業道路へ出て、ふと県警に寄ることを思いついた。似顔絵を描ける人がいるかも知れないと考えたからだが、着いてから土曜日だったことに思い至った。受付はいたので、戸田刑事の名を告げ大まかな事情を伝えると、すぐに婦警がやってきた。婦警は鑑識課の小藤巡査だと名乗り、ぼくのことばに合わせて似顔絵を描き始めた。
 小さくすっきりした顎を持つ細面の輪郭。くっきりした二重のやや釣り上がった切れ長の大きな目。ふっくらとした唇。長い真っ直ぐな黒髪。
 彼女の、小藤巡査の手の中で、存在のおぼろげだった一城美奈子が実体を持っていく様が、はっきりと伝わってきた。
「これでよかったでしょうか」
 小藤巡査のことばに、ぼくはただ肯くだけだった。
「よろしければ、こちらでも照会してみますので、なにか思い出したことはありませんか」
 ぼくは首を振った。
「ほんとにそれだけなんです。生きている人間だったかもわからない……」
「わかりました」小藤巡査は静かに肯いた。
「何かわかったことがありましたら、すぐにでも連絡下さい。こちらも、可能な限り調べてみますので」
 ぼくは、似顔絵が出来てほっとした勢いで、つい口を滑らした。
「よく考えると土曜日なのに、仕事だったんですね」
「いえ。今はご存じのように、非常事態ですから。では、これで」
 小藤巡査の凛とした返事に、ぼくはことばを失い、立ち去っていく姿を見つめているしかなかった。
 県警の建物を出て、何気なく振り返ったとき、ふと【鬼の栖】ということばが浮かんだのも、不思議はないのかもしれない。

 ぼくは、この五年の間、折りに触れて同じ夢を見続けた。
 少女を殺し、死体を床下に埋める。
 発覚して警察に踏み込まれる。
 その不安が夢だと思う。そんな夢。
 その夢が繰り返されることで、ぼくは、夢ではなく現実かもしれない不安に苛まれてきた。ところが、夢が変化し始めたことで、ぼくは不安を忘れ始めていた。
 何故だろう。
 ぼくは変わらず一城美奈子の夢を見、風に遇い続けているのに……。
 今は、自分が捕まるかも知れない、犯したかも知れない罪の不安に怯えるよりも、ただ彼女を捜し出すことだけを考えていた。
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