負け犬は赤と白を胸に秘め青く静かに遠吠える

ヤスオコウジ

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負け犬は赤と白を胸に秘め青く静かに遠吠える

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 高級リゾートホテルの最上階のスウィートルーム。暑い日差しが差し込み始めた室内。あえてエアコンは止められ窓が全開にされていた。吹き抜ける風には磯の香りが混じっている。

 人種も年齢も多様な美しい女たちが一糸まとわぬ姿の者たちが気だるげにそこかしこで体を横たえ、燃え立つ炎のような股ぐらの草むらから濃密な香りを漂わせている。

 草むらは艶めく潤いを携え、それが命の源であることを誇るように数本から数十本のいくつかの束となりその先からすでに乳白色の滴を落としているものもある。

 女たちは年齢も体型も様々で、これから始まる営みに期待で胸を膨らませる若葉のような娘や自らのうちに沸き起こる情動に身を任せることに衒いも躊躇いも捨てた熟し始めた女。跳ねるように動き、秘密を隠すように俯き微笑む少女たちがいる。

 そして目線をキングサイズのベッドで寝ころぶ己の股間に移す。

 口唇で男根に愛撫を捧げる二人の美少女の髪をその手のひらで撫で、時に指で交ぜ、懸命な動きと漏れ聞こえる湿度の高い舌と唇が奏でる欲望を音に訳してみたような呼吸音。へその下あたりを這う熱い吐息。何かを伝えるように確かめるように折を見て見上げられる眼(まなこ)。
 
 答えるように脈打つ男根。

 放出まであと刹那、そのとき我に返った。

 朝田智人(あさだちいと)は目を開ける。卒業式は滞りなく進行している。。彼は高校三年生。たったいま、自分の卒業式に卒業生として参加中であった。彼は校長や来賓の退屈な挨拶の間に暇つぶしにエロい妄想をしていたのだった。

 危うく妄想とズボンのポケットに突っ込んだ手による刺激で卒業式の合間に射精するとことだった。地方の高校の薄ら寒い体育館でイカの香りの異臭騒ぎを巻き起こすのはかろうじて免れた。辺りを見渡すと他の者たちは厳粛な面持ちで話を聞くか目や鼻を交互にハンカチで押さえている。

『みんな、受験に失敗した負け犬の俺が自転車で日本一周するって知ったらどんな顔するんだろう?』

 卒業後の智人の進路は決まっていない。いわゆる浪人生だ。

 智人は十歳の時に、地域の権力者として権勢をふるい、地元選出の国会議員さえも平伏させる力を持つ朝田家に跡取りとして引き取られた。智人は朝田家の当主、朝田榮太郎が遊びとして抱いていた女の一人に産ませた子であり、雀の涙ほどの手切れ金で捨てた子でもあった。しかし、跡を継ぐはずだった息子が家を飛び出してしまったため、智人に養子の話が舞い込んだ。

 実母からその話を聞かされたときに智人は衝撃を受けた。実母は明るい声音で智人にとっていい話であると語った。

「お母さんのことはもう忘れて向こうでいろいろやらせてもらいなさいよ。せっかく金持ちの家にもらわれるんだから」

「やだよ。忘れられるわけないもん」

「大丈夫。あんた男だからね。彼女ができれば忘れるよ。あたしのことなんて」

「そんなことない」

「あとさあ、ごめんね。あたしがバカで苦労したからあんたには智恵を使って上に立ってほしかっただけなんだけどさ。読み方もなんか外国語で最強って意味らしいし。あたしなりにいい名前つけれたって思ってたんだけど」

「え?」

「まあ、いつか分かる日が来るかも知れないけど恨むんならあの人を恨みな」

「え?」

 母はそう言うとかみ殺していた笑いを解放して笑った。その笑みは智人が見たことがない笑みであった。母は感情表現が豊かだった。いつも怒りと悲しみばかりであったが。その母が腹を抱えて笑っている。母にとってこれはいいことであると智人は考えた。そして感情を押し殺し、作り笑顔を作った。慣れたものだった。

 朝田家に引き取られてからしばらくし、生活にも慣れたころに智人は衝動的にかつての生家に駆けだした。たどり着いた公営の集合住宅の智人の生家には見知らぬ他人が住んでいた。母は連絡先を教えてくれていなかったことに初めて思い至った。帰ればいつでも迎えてくれる、そう信じ込んでいた。

 そして、智人はサッカーチームに入れさせられたが元来器用な方ではなく争いを好まぬ性質もあって上達せずにチームメイトから笑われることも多かった。それを知った父はサッカーを辞めさせ、智人に小鳥の世話を命じた。

 智人が小鳥をかわいがり話しかけるようになったある日、父の命により使用人たちに小鳥とともに座敷牢に閉じこめられた。そして告げられた。小鳥を殺すか自分が捨てられるか選べ、と。それまで食事も与えられず手洗いは中のおまるにしろと命じられた。

 智人は寝ずに考えた。翌朝、何事もなかったかのように活動を行っている使用人たちを座敷牢から見て心が決まった。慎重に鳥かごから小鳥を取り出すと座敷牢の柵の隙間から放った。小鳥がいないことに気がついた使用人に父の前に連れて行かれた。

「捨てられることを選びよったな。なぜだ?」

「わかりません。ただ、小鳥を殺してまでここにいたいとは思いません」

「なるほど。珍しいな。まあよい。聞け。下々の者とは小鳥のようなものだ。餌が足りないと鳴き、餌を与えても鳴く。籠を開ければ外へ逃げる。餌を与えられた恩も忘れ、その先にどのような脅威が己に降りかかるかも、己が捨てた者にどのような脅威が降りかかるかも考えずにな。いいか、我が家督を継ぐのなら、飼い犬にも猟犬にも番犬にもなるな。支配者は孤高の狼たれ。忘れるな」

「はい」

 しばらくして、玄関の靴箱の上に剥製が飾られた。どこからどう見てもあのとき放してやった小鳥だった。

 それから智人は実力で国内の最高学府に入学することを義務づけられる。編入させられた大学の付属小学校で努力を続けた。しかし、孤独を埋めるために物語や空想の世界に入り浸ることに心を囚われがちになり、学業も運動も身につかなかった。高校も卒業できたのは朝田家の息子に私学の学校側が気を使ったからである。

 希望は潰えていた。

 受験の結果を知った父母の言葉が思い起こされる。父は静かにそれでいて断固とした口調で「代わりを捜す。負け犬の面倒は見ない」と言い、母からは「知ってるかしら? あなたみたいなのを海外(むこう)じゃ負け犬(ルーザー)と呼ぶのよ。6K仕事でもなさい。お似合いよ」と智人の顔を見ることもなくそのような言葉を浴びせた。

 智人には親というものは子供を無条件で愛するもの、という思いこみがあった。少なくとも父とは血がつながっているという事実から、両親は忙しいから相手にしてくれないだけで、本当は愛されているのでは? という期待があった。だが確信した。自分は両親から愛されていない。

 純粋に朝田家の跡継ぎ候補が自分しかいないから養育されていただけだ、と。血筋によって人を支配するというのは歴史の教科書ではよく見かける話であった。そして、別腹の兄弟が多数いてもおかしくない。

 成長に伴い性欲も生まれていくなかで自分の生き方を考えるようになった。たそれでも結論は出せない。鬱憤が溜まる。使用人や家庭教師の目があるため性欲を刺激する媒体を目にすることは叶わず、結果として智人は妄想をたくましくした。智人のエロ妄想にはそのような男にとっての悲劇から生まれているのである。

 しかし、智人がどのような状況であってもエロ妄想に入り込むことができ隙さえあればいつでもどこでも射精までできてしまう、という事実には対して「いや、気持ち悪い、このむっつりスケベのど変態!」というような、うら若き乙女たちが素直な感想を持つのもまた自然なことではある。

 また、智人の母が言う6K仕事とはキツイ、キケン、キタナイ、キル、キラレル、キカクルウの頭文字のKを取って揶揄される仕事である。智人のいるこの令和の時代の日本では決闘代理人という仕事が存在していた。

 国民同士に争いが生じた場合、通常は裁判で決着が着けられる。だが、時間と費用がかかり、また感情的ないさかいもある。そこで両者の合意があれば決闘できることになった。法律の範囲内ではあるが決闘で勝利、つまり敵を殺したほうの主張が通る。また、刑事裁判としても原告、被告の同意と裁判所の許可があれば決闘は行われる。

 この決闘では法律で一般人が使用を禁じられているものでなければ武器として使用することが認められており、勝利条件や決闘場、参加人数などあらゆる要素を当事者同士が決めるため、純粋に殺人術に秀でた物が勝利するようなものではなく、またそのことが持たざる者たちへ微かな希望を与えることになった。

 また、立会人として指名された国民、定められた以上に納税しているものはその様子を画面を通してリアルタイムで見ることができた。そして、立会人が納税した金額は周り回って立会人のところに還元された。実際には上級国民と呼ばれる階層の者たちや、特別に許可を得た外国人の娯楽として機能していることは周知の事実であった。

『敗戦国の末路』

 そう自嘲する者も、そう揶揄する者もいた。その多くは紛争の当事者に以来され、決闘に赴く者たちであった。決闘代理人である。決闘代理人という職業はやむに止まれず命を懸けてでも高額の報酬を必要とする者たちが最期に行き着く仕事でもあった。
 
☆★☆
 
 卒業式を終えて教室に戻ると春休みを控えた教室は開放感と熱気で満たされていた。競うように大きな声で春休みの予定を口々に話し、何かにつけてスマートホンで写真を撮りあう様子が見て取れた。しかし最期のホームルームが終わり記念撮影が終わると晴れやかに、あっけらかんと生徒たちは教室を後にした。

「打ち上げは駅前の店で6時からなー」「馴れてない奴は牛乳飲んでから来いよー」などの言葉の残響が響く教室の中、智人はベランダからでスマートホン越しに空を眺めていた。その後ろ姿に声をかける女子生徒。制服を着崩して、髪を染め、軽く化粧をしている。智人の肩に手を載せると言った。

「ちょっと、智人。春休みどうすんの?」

「うわっ」

 楓太は声を上げると振り向き女子生徒の顔を見上げて言った。

「なんだよ? 千尋(ちひろ)か。ビビらせんなよ」

「は? ほんと、あんた、ヘタレだね」

 智人は思い出していた。かつて千尋の家のプールサイドで起きたことを。千尋に背中かから抱きつかれたことがあった。驚いてジタバタともがいているうちに二人ともプールに落ちた。後で千尋に聞くとちょっと驚かそうと背中を押しただけだ、智人が暴れたから、落ちないようにしがみついた、そう言って譲らない。この件はなにか二人が揉める度に立ち上る話題であった。

 確実なことは智人は決して忘れていないということである。そのときの背中に当たる千尋の胸の感触を。そして、制服の夏服姿で濡れそぼった胸の膨らみとその先端の突起が透けていたことを。もみあっているうちにブラがずれていたのだった。髪から水を滴らせながらも「あはは」とあっけらかんと無邪気に笑って水しぶきをかけてくる千尋がまぶしく見えていたことを思い出す。

 後日、千尋にそんなことをした理由をたずねたことがあった。「わかんないよ、なんとなくそうしたくなっただけだし」という反応で、智人は幼なじみでありよく知っていたつもりの千尋がなんだか遠いところに言ってしまったような一抹の寂しさを覚えた物だった。
 
 そして、智人は記憶から目の前の現実に意識を戻す。ズボンの前ポケットに手を入れて、絶賛思い出し勃起中の息子の進むべき未来を調整しつつ言った。

「で? どうしたんだよ? そんなにじっと俺のこと見つめて」

「ねえ?」

「なんだよ?」

「今、おちんちん、大きくなってるでしょ」

「は? なってねえし!」

「別に素直に言えばいいじゃん。智人が独りで変なことしてるの、何度も見てるんだし」

「ねえし! あれはエアギターだって何度も言ってんだろ?」

「パンツ脱いでしないでしょ?」

「するって! 男のデリケートな部分は蒸れやすいんだからな!」

「はいはい」
 
 親同士が親交があったため、智人が朝田家に引き取られてからの馴染みである千尋は智人が唯一心を許せる相手であった。千尋は智人の家をよく訪れた。そして我が家のように振る舞い、智人の部屋をノックもせず開けた結果、自慰をしている智人を発見することがたびたびあった。

 自慰は妄想派の智人、妄想世界に入り込むと周囲への警戒を忘れてしまう。最初はお互いに驚愕していたが、繰り返されるうちにお互いに馴れてしまった。智人の自慰を目撃することは千尋の日常の出来事としてとけ込んでいった。

 千尋はその性欲の強さにいささか身を引く想いはするものの、持ち前の世話焼きの気質と弟二人も似たようなことをしている気配を感じており、また両親の仲むつまじい様子を頻繁に目にしていたことから男にとって自然なことであると受け入れていた。
 
 千尋は智人の顔を覗き込む

「そんなことより、少しは将来のこと考えた? 予備校だってまだ手続きしてないんでしょ?」

 智人は答えずに目を逸らした。千尋は周囲を見渡すと素早くしゃがみ智人の顔を覗き込む。顔を近づけ小声で尋ねてきた。

「ねえ、知ってる?」

「何を?」

「拓也、外国の大学に行くんだって! すごくね?」

「好きなことやってるだけだろ?」

「それがすごいんじゃん。だって、智人の好きなことって変なことするだけでしょ?」

「ちげぇし。写真とかゲームとか読書とか映画とか音楽とかいっぱいあるし」

「うん、知ってる。今まであんたが撮ってくれた写真大切にしてるし。 あたし、自分があんな表情するなんて全然知らなかったし」

「そっか。まあ、俺が学校で見てるのお前ぐらいだしな」

「あ、見取れてたぁ?」

「ちっげぇよ」

 千尋は智人の人間関係を知っている。自分くらいしか話し相手がいないことも知っている。

「知ってた。そんなこと。でさぁ、あたし、結局親の言うとおり地元の女子大行くじゃない?」

「行くじゃない? って。まあ、あいつと比べたってしょうがないだろ? どうせ、世の中不公平なんだしさ」

「そうかもしんないけどさ。っていうか、ぶっちゃけうちらは恵まれてるほうだよ 。かなりね」

「わかってるよ、そんなこと」

「でも、やっぱ拓也はすごいよね。怖いくらい。だって外国だよ? 寺井ちゃんも連れて行くらしいよ?」
 
 智人は絶句した。一人になりたくなった。千尋を追い返すことにした。拓也と寺井は朝田家に引き取られる前に同じ集合住宅で過ごした幼なじみである。そして寺井は智人が中当時から恋い焦がれた少女だった。

 拓也と寺井は二人そろって高校から智人と同じ高校に入学してきた。智人はそのことを知り心踊らせたが二人はすでに交際していた。またアルバイトもしなくてはならない二人とは立場が違うことを思い知らされただけだった。それから二人と疎遠になり寺井への想いは募るばかりだった。

「っつーかさ、いい加減、みんなのところに戻れよ。お前と一緒にいるところをカーストトップの方々に見られたら大変だ」

「なに? カーストって」

 その声が記憶を呼び覚ます。

 編入当初、歓迎会と称して小学生ながらにカラオケに行くというクラスメイトたちについて行った。歌い疲れ歌う者がいなくなったころスマートホンで撮影した歌う姿の動画を見せた者がいた。各々スマートホンの画面を披露し始める。智人が歌う姿を再生した者がいた。

『ほんとお前の音痴だな? よくカラオケこれたな?』

『え?』
 
 空気が変わったことを感じた。みんなが自分を見ている。その顔には嫌らしい笑顔が張り付いていた。

『俺、こいつがいた小学校の奴と塾が一緒なんだけどさ。こいつ音痴過ぎて合唱コンクールで歌うのみんなから禁じられてたんだぜ』
 
 事実だった。

『朝田家に引き取られたからって調子に乗るんじゃねえよ。貧乏人が。俺ら場所代えるからここの支払いよろしくな。朝田家は金持ちなんだからな。つーか、お前の名前、何だよ? 朝田智人(あさだちにん)って。どんだけエロいんだよ?』 
 
 クスクスと笑う女子生徒たちの顔。高校での智人の階級が定められた瞬間だった。朝田家に持たされていたクレジットカードで払った。その結果、支払先について母から問いつめられ事情を説明した。

 朝田家がどのように手を回したのか知らないが、カラオケに行ったメンツから金を返された。それ以降、千尋以外に智人に話しかける者は学校からいなくなった。

 頭を振り回想を断ち切り千尋に答える。

「別に知らなくて済む言葉は知らなくていいんだよ」

「ま、いいけどさ。『俺は孤高だ』とか言ってるけどただのぼっちだからね。あんた」

「はいはい、陽キャはとっとと打ち上げにいってヤリチン大学生のサークルみたいにコールしながらはしゃいで飲んで捕まれ」

「ばか、飲まないよ、うちの部は。それにあんた、あんなのに憧れてるの?」

「い、いや? べ、別に憧れてなんかないからな」

 憧れている。

「わかったわかった。そんなことよりあんたさ、春休み、うちにバイトにきなよ。ホテルでもレストランでも雇ってあげるから。」

「なんでだよ?」

「ま、息抜きっていうかさ。どうせ家にいたって勉強漬けにされるんでしょ? うちでバイトして気晴らししたら?」 

 微かに間があった。千尋は智人の顔を覗き込む。

「いま、ビミョーに目ェそらしたでしょ?」

「別に」

「ほら、じゃあ、あたし面接官やってあげるから、君、バイト希望者ってことでここで面接の練習始めよっか」

「なんのコントが始まるんだよ? やらねえっての」

「はいはい。わかったから。ちょっと笑ってみ」

「なんでだよ?」

「どこに行くにしてもこれから新しい出会いがあるんだからさ。まずは笑顔。コミニュケーションの基本でしょ? ってういか、他の子たち、あんたの笑顔見たことないって言ってるんだかんね」

「別に必要ないなら笑わないっての。つーか、孤高なの、俺は」

「そーお? あたしといるとき笑うじゃん。フツーに」

「そーだっけ」

「いいから、笑ってみ。人生、作り笑顔が必要なときもあるんだよ?」

「わかったっての」

 智人は笑って見せた。

「・・・・・・」

 千尋は眉間にしわを寄せ腕組みをして固まった。
 
「なんか言えよっ」

「なんか、ごめん・・・・・・」

「謝るくらいならやらせんなっての」
 
「ごめんごめん。それよりあんたさあ」

「なんだよ?」

「春休みになにかやらかすつもりじゃないでしょうね?」

「やらかすって何を?」

「ほら、テロ的なこと。世間をあっと言わせてやるぜって」

「そんなわけないだろ? たかが受験に失敗したくらいで」

「そっか。なら、いいんだけどさ」

「ああ、もう行けよ。部活の打ち上げとかあるんだろ?」

「うん。じゃ帰る前に写真撮ろ? どうせ誰とも撮ってないんでしょ?」

「そうだけど一言多いっての」

 千尋は黒板に桃色のチョークでハートマークを書いた。他の落書きにも重なるのも気にせず上から下まで使って大きく書いた。

「いいのかよ? 他の奴の消えてるじゃん」

「どうせ、みんなもうここには来ないよ」

「そうだけどさ」

「それにあんた撮ってるんでしょ。黒板」

「ま、そうだけど」

「これをバックに二人で写真撮ろうよ。で、待ち受けにしなよ。お守り代わりに」

「なんのお守りだよ?」

「ほら、いろいろ出会いがあるじゃん。どうせ、智人知り合うのなんて男子なんだからさ。自慢できるし格上扱いされるでしょ? あたしみたいな娘と仲がいいって」

「なるほどねー。お前、頭いいな」

「そういうとこは素直なのになー、あ、素直だからかー」

「なんだよ? 素直で悪いかよ」

「別に。それより写真撮っちゃおうよ」

「ああ」

 それから智人愛用の本格的なカメラで千尋を撮り、お互いのスマートホンで顔を寄せ合い自撮り撮影をした。千尋は智人に黒板になにか書くように勧めた。生徒たちが想い想いに言葉を書き込んだ黒板。智人は落書きと落書きの隙間をみつけるとチョークの勢いにまかせて書きなぐった。

「fuck!」

 ただ、他の落書きに重ならないように配慮した結果、手のひらで隠せるほどの大きさだった。

 その日の夜。千尋は自宅に帰って床に入ってからもしばらく迷ったが、スマートホンの画面いっぱいに撮影していた「fuck!」の画像データにメッセージを付けて智人に送信した。

 『いつかおじさんたちにもこれ見せたら?』

 智人からは既読スルーされた。

☆★☆

 智人は自転車を漕いでいた。雲が夜空を覆い視界が効かないとはいえ目も慣れた。荷台に大きなバックパックを括(くく)りつけたマウンテンバイクを小さなライトを頼りにふらふらと進ませていた。他に光はない。車のライトも民家の明かりも街灯ですら見当たらない。道の脇に拡がる田畑も夜更けの今は黒く染まって底知れない。

 背後に何かの気配がまとわりつく。気のせいだと呟いたところで廻すペダルは止められない。着ている白いTシャツは夕方に着替えたものだと言うのに襟首は汗の重みで弛(たる)んでいる。薄い背中はペダルを踏むたび右に左に揺れた。
 
 自転車で全国走破の旅に出たのは夜明けのこと。日が明け通りすがりの床屋に立ち寄り伸びた髪を短髪に刈りあげた。鏡に映る己の姿にこれから始める冒険に武者震いを一つ。出会いと別れを繰り返し一人前の男になって寺井の前に現れる未来の自分を夢想する。
 
 節約と冒険心から野宿をしようと決めた。テントを張ろうとした公園で警察官が寄って来る。相手をするのが面倒で荷物をまとめて移動した。人気(ひとけ)のない空き地を見つけて中に入ってはみたものの、いつの間にやら野犬の群れに囲まれた。危険を感じて犬を相手に尻尾を巻いてこそこそゆっくり逃げ出した。
 
 やがて夜が更け周りを見れば暗闇だけがそこにある。いつの間にか人里離を離れていた。両側を高い気が覆う車がすれ違うのがやっとのような道路を走っている。薄気味悪くて止まることも憚(はばか)れた。

 あてもなくペダルを漕いでいる。すると遥か先に小さく光を放つ建物が見えた。焦(じ)れる想いでペダルを漕ぐと道をふさいでいる物に気が付いた。カラーコーンが数個おかれその間をつなぐようにテープが貼られている。そのテープには立ち入り危険と複数の言語で書かれていた。

『別に工事なんてやってないじゃん。っていうか、ここから引き返す方が怖いっての』
 
 自転車を担ぎまたぐようにテープを越えた。しばらく進むと光の正体が判明した。ごくありふれたコンビニエンスストアだった。
 
 コンビ二の駐車場に入る手前で様子を窺う。広い駐車場に圧倒された。体育館を思わせる広さと高い柱に取りつけられた眩しいライト。どちらも見たのは初めてだった。一つ選択を迫られた。どこにテントを張るか考える。自然とコンビ二の側面が候補となった。左右の側面を見比べる。ライトに照らされ明るい側(がわ)と陰となり見通しが効かない側(がわ)。明るい側には物置と屋根付きの駐輪場と裏口と思しきドアが見える。
 
 店員に見つからないことを祈りながら駐車場を大きく回る。選んだのは陰の方。邪魔をされずに寝たかった。陰の中の奥まで入り込み壁に沿わせて敷いたマットの上に寝袋を拡げた。倒れるように横になる。焦(こ)がれた眠りが訪れかけた。
 
 邪魔された。重低音のリズムとまくしたてられる言葉の大音量。近づくそれは騒音だった。寝袋から這い出て陰から覗く。騒音の正体が目に付いた。大きな四輪駆動の自動車が駐車場に入ってくる。コンビニの入口前に横づけされた。大きなフロントバンパーの迫力に目を奪われる。やがて四人の男たちが降りてきた。
 
 四人はスーツ姿の体格のいい者たちでその手にはむき身の日本刀やバットが握られている。立ち止まり顔を巡らし周囲の様子を窺う者もいた。思わず影に隠れて口を抑える。音楽が止められた。静寂が訪れる。うるさい程に胸の鼓動が高なった。男たちの姿を思い返す。揃いも揃って背が高く体格がよかった。屈強な筋骨隆々の者たち。 
 
 対峙するだけで身も竦むような者が日本刀やバットを手にぶら下げている。しかも一人は警戒していることも明らかに周囲を見渡していた。戦うことも逃げ切ることもできないであろうことは容易に想像できる。そしてなにより体力が限界に近かった。尻も痛み、腿は張り、腹も空いている。聞き耳をたて彼らが立ち去るのを祈るしかできなかった。

 やがて警察官の姿が頭に浮かぶ。這うようにバックパックに取りつきスマートホンを取出した。握りしめ画面の緊急連絡という文字に指をあてる。落ち着こうと深呼吸をしていると聞こえてきた。
 
 コンビ二の自動ドアが開かれるメロディが響いた。呪いが解けたかのように智人の体は素早く動き始めた。恐怖が力を振り絞らせた。寝袋とマットを丸めバックパックに適当に放り込む。自転車に跨ぎコンビ二の影から様子を窺った。

 女の姿が目に入る。コンビ二の入口よりも向こう側の壁際、駐車場のライトとコンビ二から漏れる照明の間(はざま)で薄暗い場所に女はこちらに背を向けて立っていた。背が高く手足の長い細身の若い女。大学などの卒業式だったのか袴姿に黒髪。ショートカットだからか首を動かす度にうなじが見える。ライトを浴びて輪郭を覗かせている耳、それとあわせてその清潔さと堅さを併せ持つなじの白さに目を引かれる。
 
 髪の輪郭を青白い光がぼやかしていることに気づく。スマートホンの画面を見ていると思い至った。悩ましい問題を突き付けられる。女に声をかけるかかけずに去るか。

 可能性は低いとは思ってはいるがゼロではない。女が襲われたかもしれないという疑念がつきまとう。そしてこの場を去ればそれを確かめる方法は永遠に失われる。気にしなければいいとは思っても気にしてしまう性質(たち)であると強い自覚があった。
 
 危険を伝えようと声をかけてみてもまずは自分自身が怪しまれることが想像された。暴漢とまでは言わないまでも誘いが下手な軽い男と誤解を招くと思われる。そして話を碌に聞いてもらえぬうちに男たちが現れたとしたら。

 揉め事に巻き込まれて怪我や死んでしまうのも、何もできずに女が乱暴される場面に居合わせることも、あの時に声をかけてればと悔やみながら人生を続けることも恐ろしくてたまらなかった。

『クソっ。俺がこんなにヘタレだったなんて!』
 
 考えは閉ざされた円環の中を繰り返し回り続ける。結局、その場にいた。何も決断できなかっただけだった。何かあったら直ちに警察に連絡を取れるようにとスマートホンを手に握りしめ陰から覗き続けた。女はスマートホンを耳に当て何やら会話をしているようだった。
 
 しばらくそうしていると、やがてコンビ二の自動ドアの開閉を報せるメロディが流れた。男たちが現れる。コンビニに持ち込んだ武器の類を脇の下で挟み持ち、両手にはコンビニの袋一杯に詰められた食料と飲み物を持っていた。笑い声を漏らしていたが女の後ろ姿を捉えると誰からともなく頷き合った。
 
 二人が黙って手に持ったコンビニ袋と武器を残りの二人に預けた。預けられた二人は黙って車に乗り込む。運転席と後部座席。車のエンジンが唸り始めた。ハッチバックのドアが開かれる。残りの二人は日本刀を構えじりじりと女との距離を詰めていた。
 
 智人は陰に体を引っ込めると逸る気持ちを抑えて一一〇番に電話をかけた。呼び出し音が続く中、車のナンバー、車種を確認しようとコンビニの陰からそっと顔を覗かせる。ナンバーは外されていた。

 確認するとすばやく闇にその身を潜めた。苛立ちまぎれに爪を噛みながら痛いほどにスマートホンを耳に押し当てる。通話中を伝える信号音が聞こえてきた。スマートホンの画面を目を凝らして見つめる。圏外の表示に気が付いた。
 
 スマートホンを強く握りしめ腕を大きく振った。腕が痛むほど繰り返す。祈る気持ちで改めて画面を見みつめる。変わることなく圏外の文字が目に飛び込む。天を仰いだ。朝田家にいた面々の顔が浮かぶ。『クソババァ! クソオヤジ! こういうときにどうしたらいいかってことぐらい教えておけよ!』声に出さずに罵詈雑言を並べ立てていると何か固い物がアスファルトに落ちた音に気が付いた。

 音の正体を確かめようと顔を出した。男二人が目に入る。倒れていた。手には握りしめたままの日本刀。視線を感じ、恐る恐る目を向ける。血溜まりに転がる生首と目が合った。
 
 尻もちをついて両手で口を抑える。何が起きたか理解できない。現実感がまるでない。耳を突く音で視線が移る。転回している車に気が付いた。急ブレーキの音だと合点がいく。エンジンが吠えタイヤが鳴った。目の前を掠めるように、コンビ二のガラス面に沿って駆けていく。ヘッドライトの先には袴姿の女がいた。
 
 女の右手の日本刀はまだらに赤く光を放ち、片目を隠す黒髪は花を愛でるように頬に散った血を撫でた。そのまま女は眩しそうに眉根辺りに左手を掲げて見せると中指を天に突き立て片目をつぶり舌を見せつけ嗤った。迫りくる車をひらりと躱す。車はそのまま駆け抜け、その先で止まった。

 慌ててコンビ二の影に隠れた。逃げることも助けを呼ぶことも叶わない。ただ震えた。かつて人間の頭であったものを見てしまった。大型の四輪自動車は人間の生首などものともせず踏み越えた。それは水を詰めた風船の破裂を想わせた。周囲に拡がる水しぶきは当然赤い。

 胃袋がせりあがってくる感触。食道を這い上がる熱い空気。口中に拡がる苦味。それらを味あわされ続けていた。吐きたかった。だが胃袋にはなにもなく、音を立てるのは憚れる。

 強い意志を要する深呼吸とペットボトルの水を少量だけ口に含みは静かに吐くことを繰り返していた。水を飲むことは出来なかった。小用を足すことで自分の存在が彼らに知られることを恐れていた。

 情報端末が本来の機能を発揮しない状況で彼に出来ることは、怯え、恨み、また怯え、震え続けることだけだった。

 段々と落ち着ていくるとコンビ二の外壁にもたれかかり足を投げ出していた。舌にこびりつく臭いをどうにかいしようと改めて瞼を閉じペットボトルに口をつける。

 聞こえてきたのは女の声。

「見ぃつけた」

 思わずペットボトルから手を離し、両手で頭を覆った。足を引き寄せ丸くなって転がった。水を飲むことも吐きだすことも目を開けることすらできない。

「そんなに怖がるかなー。なんかあたしが悪いみたいじゃね?」

 精一杯に否定の意味で首を横に振る。女がしゃがみ込む気配があった。膝と肩に手を置かれる。

「怖い? 大丈夫。とりあえず立って。安全な場所(とこ)に連れてくから」

 ゆっくりと頭を覆う腕を外した。女の顔を見上げる。薄暗くて表情は良く見えない。だが女の優しげな声音から言葉が通じる相手であることを確信した。震える声で告げた。

「あ、あの俺、あの、な、何も見てませんから」

 女は咳払いを一つ。そして言った。

 「ま、それはこっちで判断するから。とりあえずお腹を下にして両手を頭に載せて寝転んで」
 
 女の迫力に満ちた声音に気圧され全力で言われた通りにする。顔にライトを当てられた。咳払いが聞こえる。耳を塞ぐように言われ従った。どれくらい時間がたったかわからない。軽く背中を叩かれた。

「ねえ。君、ここがどこだかわかってる?」

「すいません、道に迷ったみたいで」

「そっか。死にたくないなら、指示に従って欲しいんだけどさ。ここじゃ死人に口なしだからね。警察が助けてくれるとか思わない方がいいよ?」

「従います。聞きます。なんでも言うこと聞きます」

「ねえ、ここで今、決闘してるんだけど。道、封鎖されてなかった?」

「すいません、気が付きませんでした」

「そっか。とりあえず自己紹介しとくね。私は篠塚。決闘代理人。君の名前は?」

「朝田です。朝晩の朝に田圃の田です」

「下の名前は?」

「智人(ちいと)です。難しい方の智恵の智に人です」

「へえ、智人(ちいと)君。珍しいね。なんか意味あるの?」

 ちいとは英語でCHEATと書く。一般的には不正行為という意味で使われている。智人は中学生になり趣味の読書中に、ちいとという語彙の本来の使われ方を知った。

「あ、どうでしょう? なんか頭が良くなって欲しいってことらしいですけど・・・・・・」

「ふーん。頭いいんだ。智人君」

「いえ、浪人生です。バカだから大学全部落ちちゃって・・・・・・」

「そっか、大変だね。ま、受験できるだけいいんじゃん? あ、ごめん、もうこっちむいていいよ。あ、飴舐める?」

 智人が立ち上がると篠塚は飴を握らせた。

☆★☆

 篠塚と智人は二人連なって歩いていた。四駆の車に向けてゆっくり動く。戦闘は篠塚。踵の脛まで覆う黒の編み上げブーツのみ。他は全裸だった。智人は黒のバンダナで顔の下半分を覆い篠塚に持たされた日本刀を手に歩く。

 日本刀など持っているだけで恐ろしく、重たい。こんなものを振り回す気になどなれず存在を忘れたかった。自然と目は別の場所に向く。左手のオレンジ色の液体で満たされた野球のボールほどのカラーボールを見つめる。コンビ二や金融機関に設置してある犯罪者に投げ付けてインクで印をつけるためのもの。篠塚の説明は単純だった。

『それを持ってあたしについてきて。あたしが後ろに手を廻したらカラーボールを渡すこと。それから日本刀を置いて全力でできるだけ私から離れて』

 目的の説明はなかった。ただ復唱させられた。篠塚が手の動きに集中しよう、話を聞いたときは素直にそう思っていた。

  だが、どんなに気をつけても勝手に篠塚の尻に視線が吸い寄せられる。

『だめだ、我慢できないっ! 割れ目の奥をもっとみたいっ! ブラックホールに光を当ててこの目でじっくりたっぷり見てみたい。例え吸い込まれたって構わないからこの目できちんと確かめたいっ! 匂いも味もどんなものか知りたくってしょうがないっ!』

 靴紐を直すふりをして見上げようかどうか検討を始めているうちに疑問が湧いた。

『巨乳好きとかちっぱい好きとかおっぱい星人の奴らの方が市民権を得ているっていうのに、どうして俺はどうしようもなくお尻派なんだろう? おっぱいも見るチャンスあったのにっ!」

 エンジン音が高鳴った。反射で体が止まる。

「ボールっ!」
 
 差し出された手にカラーボールを手渡した。日本刀を置いて全力で駆けだした。篠塚から離れ際後ろを振り返る。現実とは思えない程ゆっくり見えた。篠塚が放ったオレンジ色のカラーボールはヘッドライトを受けてオレンジ色の光を反す。

 日本刀を拾いあげ駆けだす篠塚。車のフロントガラスで破裂するオレンジ色のインク。日本刀を構えて車と対峙する篠塚の体。うっすらと上気して湯気が漂う。桃色に火照る肌。すぐさま車が篠塚の姿を隠す。

「ビッグバン……」

 自分が発した言葉。他人事のように聞いた。後に全力で駆け抜けた。足がもつれて転んでしまった。誰かの叫び声を背中で聞いた気がした。轟音と地響き。地震かと思った。頭を守って地面で丸まり瞼を閉じた。
 
 篠塚はコンビ二の壁に激しく突っ込んだ車内を覗き込む。エアバッグはしぼみ、男が瞼を閉じているのを確認できた。智人に駆け寄り頬を両手で持ち上げ目を見つめて告げた。

「まだ終わってないからね」

 楓太の手を引きコンビニの裏手へ周った。囁き声で命じる。

「私、奥で服を着るから。誰か来ないかあっち向いて見張っていて」

「はい」

 智人は同じく囁き声で答えた。返事は意思が込められたものであった。混乱が収まったと見る。コンビ二の影から顔をのぞかせている智人を確認した。置いておいた衣服から人差し指ほどの小型のライトを取出しランタンのように光る設定に切り替えて地面に置いた。背を向けハンカチであらかた返り血を拭う。手早く袴に身を包む。そっと後ろから忍び寄り智人の耳元で囁いた。

「見てたでしょ?」

 体が跳ねた。

「い、い、いえ。見てません」

「別にいいよ。さっきからずっと見られてたんだし。今さら。怒ってないから正直に言って」

「い、いえホントに見ちゃいけないと思ってたんで。さっきだって地面ばっかり見てましたから」

「そう。ちょっと残念。魅力ないかしら。胸も小さいし」

「む、胸は見てないからわかりません。で、でもキ、キレイです。笑顔が素敵でした。それに俺、なぜか子供の頃からブラックホールの中が気になってしょうがなかったんですよね。何があるんだろうって」

「ブラックホール? 宇宙にあるやつ?」

「いや、だから。おっぱいは女の人に育ててもらう赤ちゃんのためにあって、ブラックホールは探索に命を掛ける俺のために存在する。そういうことです」

「なんだかよくわからないけど…… ねえ? 大丈夫? やっぱりさっきの、君にはショック大きかった?」

「大丈夫です。俺のビッグバンが始まった。ただそれだけです」

「あ、そう……」

「そうなんです」

 力強く言われた篠塚は若干身を引きながらも咳払いをして主導権を取り戻す。

「ありがと。とりあえず協力してくれて。 ところで私、臭わない? さっきので汗かいちゃた」

 目を見開く。

『いいんですかっ?』

 口には出さずに時間をかけて鼻から吸って口で吐く。吐く前に口中で舌を廻してみたが味わえない。

「い、いえ別に何も」

「そう? じゃあ背中のペイントも落ちてなかった? 天使の翼の奴」

「はい。落ちてませんでした」

 智人の肩を抱きよせ耳元で囁く。出来るだけ低い声で。

「ほら。やっぱり見てた」

「す、すいません。こ、こ、こんなラッキー逃したら二度と見れないと思って……」

「すごいね。生きるの死ぬのってときに……」

「そ、そう思っちゃったんでどうしようもなかったんです」

「あ、そう。ま、いいわ。でもね」

「は、はい」

「今度ウソついたら殺しちゃうぞ?」

「す、すいません。殺さないで。もう嘘つきませんから」

「反省してるなら許す」
 
 土下座を始めた楓太の頭を撫でながら耳を塞ぐように命じた。ポケットから小型のマイクとイヤホンが一体となった通信機器を取出し装着する。

「そっちの状況教えてください」

 ヘッドセットの声に耳をすます。聞き終えるとマイクに告げて言った。

「生け捕り無理っぽかったら私を待つって話だったじゃないですか?」

 さらに相手の言葉を聞いてから畳みかけた。

「わかりましたっ。じゃあ、死体は駐車場に頃がしておいてくださいっ! 私がなんとかしますんでっ!」
 
 通信を終えるとしゃがみ込んで俯く楓太の肩を軽く叩いた。耳だけではなく瞼もきつく閉じていた。目を開けると微笑みかけた。

「ちょっとタイミング合わせなきゃいけないからその間ちょっと話さない?」

「な、なんですか?」

「とりあえず身分証ある? 免許とか保険証とか」

「どっちも持ってないです」

「そっか。あとで私の上司が詳しく聞くから悪いけどつきあって。何気にまずいことしてるから。君」

「はい」

「悪いけどスマホとかカメラの画像見せて」

「はい」

「最後に写真撮ったのいつ?」

「昼間です」

 楓太はカメラとスマートホンに記録されている映像を再生して見せた。黒板をバックに千尋と並んで撮った写真が写っていた。

「この子は彼女? 可愛いね」

「違います」

「そっか。友達なんだ? 卒業式か。いいな。あたし出られなかったから。でも写真上手いね。好きなの?」

「ええ、まあ」

「なんで?」

「いや、なんとなく」

「なーんで?」

「あ、いや、その、上手く言えないですけど、みんなが気づかないところを気づきたいっていうか」

「ねえ、写真好きな人ってみんなそんな理由で撮ってるの?」

「他の人のことはわかんないですけど。あ、あと、時間を超えて何かを伝えられるっていうか。すいません、上手くは言えないんですけど・・・・・・」

「そっか」
 
 篠塚の脳裏に中学時代の記憶が浮かんだ。クラスメイトの男子と教室に居合わせた。春休みを控えた前日の夕暮れ時、周りには誰もいなかった。何度か話しかけても上の空で彼は熱心に窓を開けて空の写真を撮影していた。思わず問うた。今になって思えば強い言い方だったような気もする。

「なんでそんなに必死なの? 写真で見るより、目の前の現実で見る方がよくね? どんどん変わってっちゃうんだし」

「その一瞬を切り取ってんだよ。誰かに見落とされた瞬間を俺が救ってやってるわけ。今はわかってもらえなくてもいつかどこかの誰かに伝わるかもしれないだろ?」
 
 少年は答えてから照れたように笑った。気が付くと二人は見つめ合っていた。彼の言葉の意味よりも彼の瞳に自分が映ることの方が重要だった。

 篠塚は軽く瞼を閉じ一息はくと言った。

「それじゃ、私、行くから。コンビ二の中に入っちゃって。一人で行けるよね?」
 
 篠塚は車まで戻り運転席の窓から男の様子を観察する。大きな外傷が見られないことや呼吸が安定していることからしばらく放置しても問題ないと判断した。男三人に抱えられた畑野が駐車場に置かれ、男達とともに朝田楓太がコンビ二に入って行くまで待ってから運転席の窓から男に声をかけた。

「ちょっと。死んだ振りバレてるよ。ハンマー隠し持ってるでしょ?」

 男の反応は無い。

「バカじゃん? あんた。この体勢で待ち伏せカマすんなら振るより突けるもん選ばないと」

 ドアを蹴り飛ばす。反応はない。篠塚はポケットからハンカチを取り出すと男の口元を覆った。そこへペットボトルの水をかけ始めた。やがて男は踊るように手足をばたばたと動かし噎せた。

「ふざけんな、ホント6Kの奴らは狂ってやがんな」

 男は濡れたハンカチを投げつけてきた。眉一動かさずそれを交わすと篠塚は男に告げた。

「うちのバカがあんたんとこの雇い主のこと、とっくに殺しちゃってさ。残念だけど終わり。あたしも皆殺ししたかったから続けたいんだけどね。これ以上続けたらコンプラ違反でいろいろまずいから」

「うそつけ。あいつらがやられるわけがねえ。やくざだって俺らには道開けるんだぞ? てめえらみてえな6K仕事しかできねえようやつらとくぐってきた修羅場が違うんだよっ」

 腹が立つ。言ってやる。

「ところで後ろに変わった荷物おいてるけど、なあに? あれ」 

 男は振り向いた。

「うわっ!」
 
 声をあげた。男が見たもの。それは濡れたウェットスーツを思わせた。首を失くした人間の体だった。衝撃で後方に飛ばされ血に塗れていた。呟きが聞こえる。

「な、な、なんだよ? どうなってんだよ?」

「気づかなかった? その死骸、窓から乗り出してたからさ。あたし、首切っちゃった」

 男は何かに気が付いたようにいった。

「あれかっ? あのカラーボールはそのためかっ?」

「かもね」
 
 男たちは智人と違って篠塚が裸であることに気が付いでも冷静だった。女は酒でも薬物でも暴力でもあらゆる手段で抱きたい女を飽きるまで抱いている。生き残っている仲間も決闘の場でわざわざ女を脱がせるほど冷静さを失わないはずだ。そう判断した。

 だから女の後ろにいる仲間を演じている男ごとひき殺してやろうとした。そして突如カラーボールで視界をふさがれた。同乗する仲間が窓から身を乗り出しハンドル操作を指示した。気が付いたら強烈な衝撃に見舞われた。
 
「ところで確認してよ、一応雇い主でしょ? あれ」

 篠塚は駐車場の一角をさす。

「狂ってやがる・・・・・・」

 指さした場所にあるのは小脇に己の首を抱えて正座をしている首のない人体だった。

☆★☆

「どうやら落ち着いてきたみたいだね? さっきは顔が青ざめてたけど大分顔色良くなった」

 男は缶コーヒーを一口啜った。年は三十台半ば。やせぎすの男。作業着姿。その風貌はありふれた会社員。智人はそのような男とコンビ二の事務室でテーブルを挟んで向き合っている。

 事務室にはロッカーとテーブルと椅子とノートパソコンとクーラーボックスしかなく、智人が沈黙する度にエアコンが冷気を吐きだす音が耳に付いた。

「さて、自称、朝田智人君。電話させてあげたよね? メールだかトークアプリだか知らないけどそれも試したんだろ?」

 小さく顎を引くように頷いた。

「さっきも言ったけどケータイの電波を妨害する装置は既に切ってある。使えないのは君のケータイに原因がある。貸してあげた電話は普通に使えたろ? だけど普通は知らない番号には出てくれないよ? しかも、こんな夜中に。きっと眠れなかったんだろうね? 朝田さんの奥さん。はっきり言われてたよね? スピーカホン機能で私も聞かせてもらっていたのは覚えているよね? ねえ、なんて言われてた?」

 ややあってから楓太は声を出した。

「いえ、ちょっと信じられなくて」

「言えないなら私が言おう。朝田智人君は昨晩、旅の途中で事故に遭い亡くなったと。間違いないよね?」

「俺が朝田智人なんです……」

「とても芝居してるようには見えないんだけどさ。警察の人が来たら本当のこと言うんだよ?」

「もう言ったんですけど……」

「困ったねえ」

 腕を組みため息を漏らす。重たい沈黙が事務所を漂う。しばらくするとノックもなくドアが開かれた。作業着を着た白髪を短く刈り込んだ壮年の男が入ってくる。その男に問われた。皺の刻まれた顔に人懐っこい笑みを浮かべていた。

「お前、生で見たのか? 篠塚の仕事は見事だったろ?」

「いえ。見れませんでした。っていうか、俺、早く帰んないと。母親がちょっと訳わかんなくなってるみたいで」

 白髪の男に頭を撫でられた。思わず払いのけようと手を挙げた。気が付くと頬が冷たい。視線の先に姿見があった。手を取られ、肩を抑え込まれ顔をテーブルに押し付けられているのが見える。何が起きたかまったくわからなかった。声が降り注いでくる。

「そんなに拗ねるなよ。坊主。こいつも人がいいからやらねえだけで本当ならお前なんか盗撮犯ってことで警察に突き出してもいいんだぞ? いや、お前、ホントはやったろ? やったよな? 決闘の盗撮。売るんだろ? 百万か? 二百万か? ガキのくせして御大層なカメラ持ってたらしいじゃねえか? 盗撮しようとして忍び込んだはいいけれど仕事する前に篠塚に見つかった。そうだよな!」
 
 怖かった。違うと言いたかったが声が出せなかった。さらに言葉は追い打ちをかけてきた。

「篠塚に聞いて映像確認したら、お前、封鎖のテープ跨いで入ってきてんじゃねえか。世間はお前のことをこう見るんだぜ? 事情を抱えてしょうがなく決闘制度に頼んなきゃいけなくなっちまった人や、実際に血塗れで殺し合っている代理人を面白半分に覗いてやろうっていうクソ野郎だってな。覚えとけよ。小僧」

 智人はテーブルに突っ伏したままドアが閉じる音を聞いた。視界が涙でにじむのを止めることはできなかった。

☆★☆

 作業着の男は何も言わなかった。しばらくすると篠塚が事務所に入ってきた。白いTシャツにジーンズという姿。それが似合う均整の取れた体。そして肩にはタオルを羽織り、黒髪は濡れて艶を放っていた。そして芯の強さを感じさせる瞳と眉。事務所はシャンプ―の香りに満たされた。
 
 隣に立つ篠塚を見上げた。思わず胸元に目が行く。うっすら湿ったTシャツから肌色が透けていた。伸びを擦りふりをして背中側も確認する。背中の大きな翼を模るペイントを横切る下着の線は確認できない。

 『さっきまで怖くてしょうがなかったのに…… 篠塚さんが来たらすぐコレだ。俺ってほんとなんなんだろう? ああっもうっ! 乳首を見たくてしょうがないっ! ノーブラだと知ってしまった以上はしょうがないっ!』
 
 視界をぼやかす涙をこすり落として視界の確保に全力を注いだ。先ほどの男に言われたことなどすでにどうでもいい。

 篠塚は男との話に集中していた。島本の罵声は外まで聞こえてきた。エロい目線で自分が見られているとは想像だにしなかった。むしろ、あとで慰めてやろうと考えていた。

「クライアント様と挨拶を済ませました。お送りの車も出発しました」

「ありがとう。で、彼についてちょっと確認したいんだけどね」

「ああ。朝田智人君ですね。私が保護しようとしたにも関わらず駆け出して駐車場で勝手に転んで泣いていた彼がどうしたんですか?」
 
 篠塚と作業着の男、二人揃って見つめられた。二人の話を聞いていなかった。

「え? すいません。なんでしたっけ? ちょっと疲れちゃって…… 」

 篠塚は笑顔を見せた。顔を近づきて覗き込まれる。胸元に目が言ってしまう。気取られないように咳時々視線を外してみせるが乳首を確認するまでは引き下がるつもりはない。

「君は私に助けられた。盗撮もしていない。間違いないよね?」

 吐息に顎のあたりを撫でられた。頷くことしかできない。

「もうひとつ聞こう。服はなぜ脱いだ? 返り血から病気が移る危険性は十分知ってるよね?」

「知ってますけど、敵に脅されやむなく脱ぎました」

「君が脱いだおかげで立会人向けの画像から君だけが映らななくなったよ。AIがドローンを操作しているからね。裸だと判断されたら撮影されないようになるからさ。知っているよね? 決闘の場において立会人は男女問わず裸の撮影を禁じられている。決闘の現場はある意味治外法権だからね。意味分かるよね?」 

「はい、決闘の現場ではレイプも起こりえて、我が国の決闘の鑑賞を許されている世界の権力者の中には女もいるからです。外国の女性は怖いらしいですからね。権力者も奥様には頭があがらないのでしょう。まあ、グロはよくてエロはだめっていうのは半端な気もしますが」

「まあ、君の怒りには私も共感する。誰も騒がないが内政干渉だからね。だがそれとこれとは別でね。故意に撮影されないようにする行為は禁じられているし会社に処罰もあることも知ってるね」

「はい。ですが敵に脅されたのでやむなく脱ぎました」

「オッケー。私の負けだ。私がモニタリングした限りにおいて君や朝田君を撮影できていたAIカメラは存在しない。まあ、ごちゃごちゃ言われたら私と上でなんとかする。その代わり」

「なんですか」

「転職の件を真剣にを考えてくれ。君はまだ若い。いくらでやり直せる」

 篠塚はなにも答えず男に頭を下げると智人に笑顔を見せた。

「よかったね。君はなんにも悪くないって」

「はい。ありがとうございます」

「素直でいいね。君は。あ、バナナ食べる?」

 篠塚は手に持っていたバナナの皮を剥くと智人の口元に差し出した。まるで餌を与えられたひなのようにその先端を咥えた。そして、思った。

『これ、俺が食べるんじゃなくて篠塚さんに食べさせたい奴っ!』

「ごめんね。あげといてなんだけど自分で持ってもらっていい?」

 目線を交差させてうなづきバナナを受け取った。篠塚は智人の頭を軽く撫でると事務所を出て行く。ドアを開けたとたん振り返る。

「警察の方がいらっしゃってるみたいですよ?」

「じゃあ、お通しして」

 篠塚と入れ替わりに警察官が入ってきた。

☆★☆

 警察官が事務所の扉をあけて入っていたとき思わず立ち上がり言った。白髪頭の初老の男と体格が良く髪を短く刈り込んだ若い男という組み合わせだった。

「お巡りさん。助けてください。俺の母親、俺が死んだとかってわけのわからないことを言い出したんです」
 
初老の警察官がにこやか告げる。

「あー、そうかい。そりゃ大変だ」

「うちの母親、おかしいんですよ。昔っから俺に対して冷たくって」

「あー、成程。成程。君のことはよくわかったから。とりあえず座って。書類作るから。ね?」
 
 智人は興奮を恥じ、警察官がここにいるという事実を得たことで冷静さを取り戻した。

「すいません。もうさっきから不安で不安で」
 
 椅子に腰を降ろす。気が付くと警察官二人に挟まれていた。座っている横で警察官に立たれると腰の辺りが視界に入る。拳銃のホルダーが視界から消えない。変わり果てた人体を連想させた。人間とそうでない物の輪郭がぼやけていくように見えた。

『あれ? 何だこれ。世界が廻る。あ、俺の目が廻ってるのか?』

「どうした?」

 男の問いには何とか答えた。

「だ、大丈夫です……」

 息苦しくシャツの胸のあたりを掴んで捩じる。いくらか呼吸が楽になった。

『だけど…… もし本当に本物の朝田智人が死んじゃってて、俺が妄想癖があって狂ってるだけだったらどうしよう…… 俺の頭がおかしいのかどうかなんて、どうやって確かめたらいいかなんてわからないよっ!』
 
 呆然と長机の上に置いた両の手のひらを見ていた。その手のひらはゆっくりと開いては急激に閉じた。その動きを繰り返してみる。他人の手が動くのを見ている気がした。

 男は智人から視線を外して警察官に向けて言った。

「すいません。お巡りさん。彼はショックが大きいみたいなんで。さっきは興奮していろいろ喋ってくれたんですけどね」

 そう言うと事務机の上に置いてあったA4サイズの紙を初老の警察官に手渡して言った。

「お疲れ様です。良かったら缶コーヒーでもどうですか?」

 若い警察官が右手を自身の目前で軽く振りながら丁寧に答える。

「すいません。お気持ちはありがたいんですが……」

 初老の警察官は肩口に装備してある無線のマイクをに向けて紙に書かれていることを読み上げていた。イヤホンに手を当てて相手からの返信を聞いている二人の警察官を横目にクーラーボックスに歩み寄った。缶コーヒーを取り出し二人の警察官に向けて差し出す。

「まあ、折角だからいただこうや」

 初老の警察官に言われると若い方も男から缶コーヒーを受け取った。警察官二人は手首を返すように缶コーヒーを軽く振り上着のポケットにしまった。

「じゃあ俺が読み上げるから書いちゃって」

 初老の警察官が男の渡した紙に書かれている事を読み上げる。仇討ちに巻き込まれた場所、時間、現場に立ち入った理由、住所、氏名、年齢、電話番号等。

「じゃあ。捺印。ハンコは持ってる? 朱肉はこれ使って」

 若い警察官は智人の前に書類と朱肉をおき書類の上を人差し指で指し示す。

「あ。彼の荷物はこちらに」

 男はそう言うと黒いナイロンのブリーフケースを掲げて見せた。それから印鑑を取り出し楓太の手のひらに乗せた。手のひらが急激に閉じられた。智人は我に返り印鑑を手にしながら書類を見た。

「あの……」

 言い終わる前だった。高くて乾いた音が響く。智人が目線を音のした方に向けると空き缶が床に転がっていた。男は言った。

「あっ。すいません。うっかり。もう年齢(とし)ですかね」

 笑顔を浮かべる初老の警察官に目線を合わせながら男は続ける。

「お巡りさんも忙しいんだからさ。ですよねぇ?」

 おもねるように見上げる男を見て二人の警察官は微笑んだ。初老の警察官が軽く智人の背中を撫でた。楓太は印鑑を押した。手が震えていた。

『上手く押せてますように』

 そう祈る想いで楓太は書類から印鑑を離した。その書類には朝田智人という名前はどこにもなかった。

 警察官が去るとクーラーボックスから缶コーヒーを取出しテーブルの上に置いた。コーヒーを指さして言う。

「大事に飲みなよ。それ。高いんだから。あとね、缶はちゃんと持って帰ること」

 持ち上げて警察官の真似をして軽く振ってみると気が付いた。缶コーヒーの底には折りたたまれた紙幣が貼り付けられていた。

「私にできるのはこれくらい。あとは自力で頑張りな」

 男は事務所のドアをあけて出て行くように促した。力ない足取りでふらふらとそのドアから出て行く。外に出てみると夜空は黒から藍色に変わり始めていた。朝日が雲の隙間から顔をのぞかせている。目がくらんだ。目を細め俯くと智人はマウンテンバイクに跨る。雲の切れ間の朝日を見る。

「人の気持ちも知らないで……」

 知らないで…… だから何なのかはっきりとさせるべきだと思った。

「いつも変わらずそこにあるんじゃねえよ」

 朝日に向かってつぶやくと力なくペダルを踏んだ。ハンドルを切れずに立ちどまった。自宅に帰ってどうするのか? 電話をかけた時の母の声が思い出される。膝が震えた。ハンドルを持っていられない。ふらつく。自転車の倒れる音がする。どうでもよくなった。駐車場に倒れ込んだ。瞼を閉じる。それでも朝日が眩しい。瞼を強く閉じ体を丸め、頭を抱えて、吠えた。全力で吠えた。声が出なくなるまで繰り返す。

 そして笑いがこみあげる。思い出す。かつて使用人たちがしていた噂。智人は当て馬で本命の跡取り候補は他にもいるという噂。変わりなく昇り続ける太陽が涙で滲む。腕を振るって瞼をこする。涙をこそげ落とした。

『くそっ! どうせ、俺の代わりが用意できたってところなんだろ。朝田家なんて関係ない。俺の人生は俺のもんだ』
  
 智人は駐車場で朝焼けに吠えると力尽きた。母親に息子と認めてもらえなかった。自分が何者であるか、過去の思い出に縋る。苦い物だがそれゆえ強烈な想い出。

「クレーンゲームって人生と似てるよな」

「は? そんな難しく考えているから楓太は下手くそなんだよ」

 智人が朝田家に引き取られる前に思い出を作ろうということになった。拓也とショッピングモール内のアミューズメント施設に来ている。目の前のクレーンゲームのなかには人気キャラクターをかたどったぬいぐるみのキーホルダーが底が見えない程度に乱雑に転がっていた。

 二人とも整髪料をつけた髪を光らせ精一杯洒落こんでいる。寺井紗織が現れるのを待っていた。智人はクレーンゲームの中を覗き込みながら言った。

「ちげーよ。テクの話じゃなくてさ。こいつらはさ。この中で守られてりゃきれいなまんまなのによ。いきなり誰かの都合でクレーンで引っ張り出されて外に出されちまう」

「いや。そういうゲームだから」

「そうじゃなくてよ。俺たちも気が付きゃこんな世の中に産み落とされてよ。いっつも誰かの都合で戦わされて死んでいくんっだぜ。たまんねえよなっていう話」

「お前さあ。 そりゃ東大とか行くのは大変だろうけど俺から見たらうらやましい話なんだぜ? 」

「いや、東大だろ? お前じゃないんだし、無理だっての」

「いいじゃねえか。アル中爺とか立ちション婆とかうろついてるあんな団地からお金持ちの家の子になるなんてよ。それにこいつらは閉じ込められてんの。俺もいつかこういう奴らを救い出す側に回ってやるぜ」

 拓也は先ほど獲得したばかりの戦利品を智人の鼻先に突き付け軽く振って見せた。

「こいつらにとっては大きなお世話かもしんねえだろ? 平和に暮らしていたのにって」

「負け惜しみ言うなって」
 
智人は何度か挑戦しているが景品は獲得できていなかった。

「くそ」
 
 智人は小銭を投入口に入れた。ボタンを押しタイミングを計り離す。目当ての場所から少し手前でクレーンは下降を始めた。寺井が鞄に着けているものと同じキャラクターのキーホルダーを狙っていた。智ひとの脳裏に寺井の顔が浮かぶ。クレーンのアームはキャラクターに多少触れただけだった。

 振り返ると拓也と寺井が向き合っていた。寺井は拓也が獲得した景品に頬ずりをしていた。何か言わなくてはという焦燥から言葉が口を突いて出た。

「あ。いいよ。じゃあ3人で行こうぜ。そろそろ映画始まるだろ?」
 
 拓也と寺井は見つめ合った。寺井が拓也の二の腕辺りに右手を添えた。智人は言った。

「あ、いけね。メッセージ来てる。いや、俺、スマホもたされちゃってさ。俺、朝田家に行かなきゃ。じゃあな」
 
 嘘だった。うまく笑えている自分に嫌気が差していた。 思いだして苦笑いが浮かぶ。幼い子供のように声をあげて泣きたかった。だが、そうしても何も解決しないこともわかっていた。横たわり体を丸める。何かで見た胎児の画像が頭に浮かぶ。

 『こんなに胸が苦しいくなるくらいに俺はちゃんと俺の人生を持ってるんだ! なのに、なのに・・・・・・』

 唇が震え始め、鼻先にツンとした刺激。涙が溢れ、頬を伝わる滴がやけに熱かった。そのときだった。
「ごめんね。思い出して泣いてるの? 君を守るためにベストは尽くしたんだけど…… そりゃそうだね。初めてあんなの見たら怖いよね?」

 背中で聞く、優し気で、暖かいその声。先ほども間で聞いた声とは似ても似つかないその声。
仇討ち人、篠塚のものだった。

「そんなところで寝てると風邪ひくわよ、なんてね。うちの車で寝ようよ。心の傷は体で癒すに限るわよ」
 
 篠塚がそう言いながらしゃがみ込む顔を覗き込んでくる。淡い風が吹き始めた。朝の橙色の日差しが篠塚の髪に輪郭を光らせる。風が髪を遊んだ。咥えてしまった髪を耳に掛け直すと篠塚は微笑む。目を奪われた。

「どうしたの? 固まっちゃって」

 首を傾げながらも笑顔のまま篠塚に尋ねられても言葉は出てこなかった。

「ま、いいわ。話したくないなら。うちの車キャンピングカーだからベッドあるし。シャワー使えるし。うちの同僚が使ったあとで汚れてると思うけど」

 首を振った。何とか言葉を絞り出す。

「い、い、いや、いいですよ。そ、そこまでしてもらうほどのことじゃないんでっ。じゃ俺はもう行きますから」

 慌てて立ちあ上がる。篠塚も立ち上がる。二人向き合う。篠塚は言う。

「行っちゃうなら行っちゃうでいいけどね」

「いや、できるだけ我慢します。あ、でも、そう言ってもらえると気が楽かも。いつかはイっちゃうと思うんで」

 真顔で真剣に答えた。

「うん、だからね。行く前にこの汚れたシャツは脱いだ方がいいと思うよ」

 腹のあたりに気配を感じる。見ると篠塚がTシャツの裾を引っ張っていた。埃と汗に塗れ、薄汚れたTシャツの裾を掴む篠塚の指は細く、長く、白い。その先の爪は清潔に切りそろえられ、ほんのりと光沢を放っていた。

「あ、あ、あ、いや確かに汚いTシャツは脱いだ方がいいのはわかるんですけど……」

「洗濯もできるよ? 乾燥機も着いてるし。その間、寝てていいよ。お詫びってわけじゃないけど、あとで君の行きたいところまで送ってあげるし」

「いえ、俺なんて汚いままでいいんですよ。っていうかどうして俺に構うんですか?」

 篠塚は俯き頬を染めた。意を決したように顔を上げると言った。

「だって…… 君のことが好きになっちゃったんだもん……」

「え?……」

「裸も見たんだし、責任とって結婚してよ」

「はあっ?」  

「あはは、やだなー。そんなわけないでしょ。っていうか好きとか言われた時と責任とってって言われた時の顔、ギャップありすぎでしょ。ホント、もう男ってこれくらいから男なのよね。子供のくせに」

「な、なんですか? からかわないでくださいよ。篠塚さんだって夜はわかんなかったけどこうしてみると俺と変わらなそうじゃないですか?」

「君、浪人生ってことは」 

「十八です」

「わっかいなー。いいなー、あたしも十八に戻りたーい」


 不意に涙がこぼれた。それを自覚したら立っていられなかった。しゃがみ込んで片膝と片手を地面に着いた。

「え?なにどうしたの?ごめん、なんか、わたし言い過ぎた?」

 鼻水交じりに出てきた言葉。

「お、俺だって戻りたい。俺の、俺の…… 俺が覚えてる家や学校に…… 戻りたいですよ」

「戻ればいいじゃん。君、家出中なんでしょ。戻ればみんな喜ぶって」

「いや、だから、そのみんなが俺を俺と認めてくれないんですよ。母親は俺を息子と認めてくれないし、スマホ使えないから知り合いにも連絡取れないし」

 篠塚に肩を抱かれた。香りと温もりが体を奔った。しばし、我を忘れた。

「だ、か、ら。言ったでしょ。心の傷は体で癒せって。ついてきて」

 篠塚に手を引かれしばらく歩くと朝日を受けて白く輝くキャンピングカーが目に入った。となりには朝日を受けて輝く篠塚の笑顔とただよう香りと耳を打つ朝を告げる雀の声。

 勃起する 朝勃ちと 言い訳でないほどに 勃起する 

 智人は一句読みながらキャンピングカーの中に入っていく。

★☆★
 
 キャンピングカーに乗り込む。手狭なリビングと言う印象だった。そのソファに男が座っていた。ニ十台なかば程の男が上下スェット姿でリラックスした様子で新聞を読んでいた。目の前のテーブルの紙コップからは湯気が立っている。
 
 思わずたじろぎ篠塚を頼りに振り返るとそこには誰もいない。扉はすでに閉められていた。男は後ろからよく通るうるさいほどの大きな声をかけてきた。

「お、ホントに来るとはね。篠塚から聞いてるよ。上で寝てもらうんだけどその前にシャワーを浴びてくれ。俺は篠塚の先輩。一応」

「あ、いや、でも、俺、篠塚さん待ってないと……」

 振り返ると篠塚はいなかった。

「ま、突っ立ってないでまずは座りなよ

「あ、いや、俺は、こ、こでいいです」

「篠塚は事務所で休むんだよ。さっき君が尋問をうけてた部屋。あいつはこんな男くさい場所に来ないから」

「あ、いや、でも、篠塚さん、なにか心の傷を癒してくれるって…… な、なにかカウンセリング的なことかなって」

「あはは。なんだよ、カウンセリング的ななにかって? 武士の情けで黙ってたけど勃起してんの丸わかりだよ。そのズボン。どーせやらせてくれるかもって勝手に勘違いしたんだろ? ただ上で横になって体を休めろってことだよ」

「い、いや、勃起はしてますけどた、ただの朝勃ちですから。た、ただの生理現象なんでそんなことじゃありませんから」

 鼻で嗤われた。

「ま、いいさ。若いんだからよ。俺もだけど仕事のあとはいつもお疲れ勃起が収まんねえもん。シャワーは扉の奥。あとこれをを使ってもいいから、一発シコッてとっとと寝な。昼には出発するからあんまり時間ないしね」

 若い男はテーブルの上に置いてあった珍しい形をしたペットボトルのようなものを放った。受け取ってマジマジと見てみる。

「あ、あのすいません。何ですか? コレ?」

「ホントに知らないの? そういうの面倒だからやめなって。いい子ぶるの」

「すいません。い、いや、なんとなくイメージするのはあるんですけど間違ってたら失礼かなって」

「気にすんなよ。こういう遠回りのコミニュケーションの方がメンドクサイ。君のイメージ通りアレするときにナニ入れて使う奴だよ。まあ、説明書を見りゃ使い方はわかるって」

「い、いいんですか? なんとなく高そうなイメージあるんですけど」

「大丈夫、支給品だからそれ」

「え?」

「会社からもらえるの。それ」

「へー、いい会社ですね」

「はは、ま、仇討ち前に変に高ぶる奴いるからさ。ヌカせてスッキリさせて仕事させようってわけ。会社的に」

「はあ、なんていうか。大変ですね」

「ま、6K仕事だからね。ほら君汗臭いからさ。とっととシャワー浴びちゃってよ。タオルも替えのTシャツとパンツも脱衣所に置いておいたから。良かったら使って」

「あ、はい。ありがとうございます。なにからなにまで」

 弾かれたように行動を開始した。頭からシャワーを浴びているうちに落ち着きを取り戻した気がする。

『まずはこいつを何とかしないとな』

 シャワーをとめオナホを股間にあてがう。

「お、お、おおう…… ふぅー」

 ヌルリと言う感触とシャワーよりも若干低めの温度に思わず声が漏れた。壁にもたれて瞼と閉じる。寺井の顔が頭に浮かんだ。首を振る。脳内で画像を検索。篠塚の顔、背中、尻が浮かぶ。

「よし」

 決意して右手を動かし始めた瞬間だった。バタン扉が開かれる。外気に体を覆われた。目を開ける。若い男の顔がそ目の前にある。笑っていた。体重をかけられ壁に押し込まれた。息苦しいと思ったら口を手で抑えつけられている。状況に思考が追い付かない。

「気持ちいいだろ? これ」

「ん、んんーっン」

 股間でオナホが大きく動かされた。先端だけがオナホの中に残っている。首を微かに動かすしかできない。腰を動かして全てをオナホに埋めたくなる。

「おっと。だめだよ。全部つっこませてなんかぁ、やらないぜ?」

 へその下あたりに硬い塊の感触。拳を押し込まれているようで息苦しい。

「さて。素直に答えてくれれば解放してやる」

 頷くと口から手が離された。その手は顎の下に移動し押し込んでくる。

「な、なにを答えれば?」

 声が上手く出せない。

「お前。何者?」

「た、朝田智人のはずなんですけど…… あ、あふう」

 オナホがわずかに動いた。外れる方向に。

「けど?」

「母親だと思ってた人に連絡したら俺は死んだって・・・・・・ あっ」

 オナホがわずかに動いた。深く嵌る方向に。

「決闘に関わった目的は?」

「な、ないです。偶然迷い込んじゃっただけです」

「篠塚との関係は? あいつに何か渡したんじゃないのか?」

「さっきであったばかりです。助けてもらっただけです」

「本当か? あいつの強さは異常だからな。何か薬(ヤク)でも使ってんだろ? それが切れたからお前が補充しにきたんじゃないのか? どこだ? どこに隠してるんだよ? 薬(ヤク)」

 徐々に徐々にオナホが外れる方向に動く。

「し、知りません。そ、そんなこと。た、ただ俺は篠塚さんの、む、胸を、あ、いや、せ、具体的には、ち、乳首を見ようとしたり、お尻とアソコの毛をチラ見してただけなんです。友達でも恋人でもありません。い、言うなれば篠塚さんは俺のオカズです。それ以上でもそれ以下でもありません」

 オナホの動きが止まった。

「うふう」

「っていうかよくあの女で抜けるな。性格キツイだろ?」

「いや、俺も最初はそう思ったんですけど、やさしいですよ」

「なるほど。まあただのオカズだしな。わかった、じゃあ、なんでこんなところをあんな夜中にうろついてた?」

「一人旅の途中です」

「なんで旅に出た」

 答えなかった。寺井の顔が浮かんでいた。

「てらいっ」
 
 一気にオナホに飲み込まれていた。

「今、メッチャ気持ち良かったろ? 思いっきり動かしたいだろ? てらいってのが薬(やく)の暗号か? さあ、答えればこのオナホを自由にできるぜ? 俺はオナホを固定して腰を振るのをおすすめするがな。さあ、蛇の生殺しはつらいだろ? とっとと答えてピストンしろよ。な? とっとと言って気持ちよくなっちまえよ。な?」

 答えなかった。ただ頬に涙が伝わる。力が抜ける。

「え、えぇ。もしかして、君はこれくらいでイっちまったっていうのかい?」

 答えられなかった。ただ解放されていた。尻が冷たい。座り込んでいることに気が付いた。女座りだった。

「なんか、ごめんなー。ただ俺も仕事でさ。拷問かけるわけにも行かないし、俺なりに気を使ってはいたんだぜ? まあ、君はほんとに、ただ巻き込まれただけなんだな。うん。君は悪くない。代理人のみんなにはそう伝えておく。あ、あとは好きにしていいよ。う、うん」

『そんな村のみんなには伝えておくみたいなことじゃないだろ? これ』
 
 声にはできなかった。勃起は完全に収まっている。ふらふらと立ち上がり、ただ黙々と洗い流し、服を着替え、はしごをのぼりベッドに横たわった。下から、『てらいって好きな娘(こ)の名前かー』と聞こえてきたが無視をして瞼を閉じた。

☆★☆

「で? どうしてこうなったんだ? 説明してくれよ。どうして彼がここにいるんだ? 監禁したなんて騒がれたらどうするつもりだ?」

 智人が目覚めると階下のリビングから話し声が聞こえてきた。作業着の男の声だった。わずかに顔を出し様子を見る。男は座りテーブルを挟んで若い男が立っていた。

「おい、答えないか」

「俺は間違ったことはしてません。まあ社内規定を破ったことは認めます。処分はお任せします」
 
 そう言うと若い男はポケットから飴玉を取出しテーブルに置く。

「なんだ? それ」

「篠塚が朝田君に渡したと思われる飴玉です。成分を調べてください。きっと覚醒系の成分が見つかるはずです」

「まだ、疑ってるのか? 我々は毎月の健康診断が義務付けられている。当然検尿の際には薬物もチェックされてる」

「今までの検査では出ない新薬かもしれません。とにかく篠塚の五感の鋭さと身体能力は人間の常識を超えています」

「気持ちはわかる。だが、彼女が努力してることは認めるだろ?」 

「まあ、それは」

「ああ、確かに恵まれたフィジカルを持ってる奴はいるし、周りから愛される奴ってのはいるよ。私やお前と違って」

「そうですね」

「ただ、体は使い方だし、周りからのサポートは普段の心がけ次第だよ」

「理屈はわかりますけど」

 作業着の男は苦笑いを浮かべた。

「敢えて言うけど達人の私からしたら篠塚は普通に優秀って程度さ。知恵と工夫で解決できる問題は多い。解決できない問題はできる奴に頼めばいい。我々は篠塚も含めて仲間なんだ。それぞれ得意なことで力を発揮すればいい」

「まあ、そうなんですけどねー。あ、市村さんってどうなんすか? 人間国宝になるかもって話ですよね」

「まあ、まだ難しいだろうね。忘我の境地には届いてるみたいだけどさすがに無我の境地はね。ま、我々はお互い凡人だ。市村家みたいな剣豪一家と比べてもいいことないさ。ところで朝田君。盗み聞きは趣味が悪いぞ?」

「「えっ?」」

 智人と若い男の声が重なった。

「降りてきな。朝田君」

「あ、はい」

 はしごを降りて若い男の隣に並ぶと男は立ちあがった。

「君には重ね重ね申し訳ない。強引にこの中に連れ来たってわけじゃなさそうだが謝るよ」

 そう言い男は深々と頭を下げた。若い男を見るときまり悪そうな顔をして頭を下げた。

「申し訳ありませんでした」

 二人の頭を見比べると気が済んでしまった。眠れたからかもしれない。

「あ、もういいですよ。こっちこそなんか汚しちゃってすいません」

「汚した?」

 男の怪訝な顔に答えた。

「あ、いや、オナホです。その人が入って来た時はメッチャ焦りましたけど。あんなに気持ちいいなんて知りませんでした」

「ああ、やっぱオカズは好きな女に限るよな。イクとき好きな女の名前を呼ぶといつもより多く精液出るらしいぜ?」

 自慢げに知識をひけらかす若い男に親近感を覚えた。

「あ、それ聞いたことあります。確かにすげえ出てました」

「だろ? 篠塚なんかで抜いてないでこれからは「てらい」でヌケよ」

「うーん。あれは不意打ちだったけど…… あんまり寺井のこと汚したくなんですよね」

「そっか、じゃあ篠塚で我慢しとけ」

「はい」

 咳払いが聞こえた。男が苦笑いを浮かべて見ていた。

「お前ら篠塚に絶対聞かれるなよ? そんな話。さ、朝田君。篠塚に送らせるからそろそろ準備してくれ」

「あ、大丈夫です。これ以上迷惑をかけられませんから」

 手を振りながら断った。

「別に監視させるってわけじゃないさ。単純に君は複雑な事情を抱えているだろう? もしご両親や君のお知りあいと会うことになったときにさ。一緒にいるのが女性の方がいろいろ話がスムーズなのさ。遠慮もいらないよ」

 若い男の様子を見てみた。笑いながらうなずいている。

「ああ」

「ほら。篠塚が待ってるから。行き先はどこでも君の言うところに連れて行くはずだから。な。気持ち切り替えて前向きにね」

「はあ。ま、行きたいところなんてとくにないですよ。どこ行ったって別に変わんないですもん」

「だったらホテルは?」

「え?」

 若い男の提案に生唾を飲み込んだ。

「いや、だってこの春に二人でドライブだろ? 楽し気なところに連れて行って盛り上がったらいけんじゃねえの?」

「ま、まさか。そ、そんな」

「いや、やれますよね。課長」

「まあ、男と女は読めないよね。合意なら私は何も言うことは無いさ。なんなら結婚して寿退社させても構わない」

「え? いいんですか?」

「なんてね。4月から法改正で決闘代理人でやってくのは厳しくなるんだよね。彼女は浪人、じゃなかったフリーランスになってでも続けるって言ってるんだけどそうなると会社じゃ護れなくなっちゃうからさ」
 
 そう話すと男は目の間をかるくもみながらさらに続けた。

「ま、私もそうだけど決闘代理人なんてみんなワケありだから」
 
 車内に沈黙が舞い降りた。とりなすように若い男が言った。

「わけありっていや、おかしな人おおいっすよね」

 男が笑いをこぼした。若い男と目を見合わせ頷いた。

「どうしたんですか?」

 尋ねた智人に若い男は言った。

「ああ、決闘代理人ておかしな人多くてさ。他の会社なんだけど市村って言う剣豪がいるんだけど、その人、男も女もありらしくってさ。決闘場でもやっちゃうらしい。敵味方関係なく」

 それを受けて作業着の男が話し始めた。

「ああ、その噂は本当かもね。ま、強い人はどこか壊れてる人が多いよね」

「確かにそうっすね。でもセックスなんかより人を斬るほうがよっぽど気持ちいいって人もいますよね。セックスしてる暇があったら人斬りたいわって」

「いるね。わかるよ、その気持ち。わたしもどっちかっていうとそっちのタイプかな」

「そっすか? 俺は元々食うための仕事なんでセックスの方がいいっすわ。朝田、お前は?」

「俺は・・・・・・」

「そこ、迷うところじゃないだろ? あんな現場見ておいてもうヌいてるんだから。意外と向いてるんじゃないの」

「えっ? 俺、さっき見られましたけど仮性ですよ?」

「ちっげぇよ、なんでチンポの話になんだよ? 向いてるって言ったんだよ、剥けてるじゃなくって」

「ははは、朝田君は殺しも女も両方いけるクチかもな。法改正がなければリクルートとしてるところだよ」

「いや、俺なんて妄想して現実逃避してただけっすよ」

「何言ってんだよ。憶えてないのか? 篠塚が首切り落としたの見た後お前コンビニに入ってきたときさ」

「はい」

「勃起してんの丸わかりだったぞ?」

 そう言って快活に笑いあう二人を見て智人は思わざるおえなかった。

『狂ってやがる。こいつらも、俺も・・・・・・』

☆★☆

 智人はタイヤを外して専用の運搬用バッグに押し込んだ自転車をそっとトランクに置いた。目の前にあるスポーティな雰囲気の二人乗りのオープンカーが篠塚の私物だと聞いていたからだ。

「よかった、とりあえずトランクに入って」

 篠塚は張り付くようなジーンズとTシャツ、そして薄い色のサングラスという伊達立ちだった。

「かなり、チャリばらしましたから。でも篠塚さんこういカッコイイ車が似合いますね」

「でしょ? なんてね。ほら、行くよ」

 篠塚は笑みを浮かべながら言った。そして二人を乗せたオープンカーは走り出す。しばらくして車が他の車の流れに乗ると篠塚が尋ねた。

「どう? よく眠れた?」

「あ、おかげさまでぐっすりです」

「それならよかった。あ、そうだ、このまま高速乗っちゃうけどトイレとか大丈夫?」

「あ、全然大丈夫です」

「あ、じゃあ、高速でちょっとテンションあげよっか。そこのグローブボックス開けてくれる?」

「え? どれですか?」

「えっとね、目の前のガラスのから下の方に視線を移すと回せそうなつまみ見えるでしょ?」

「あ。はい」

「それを廻すと、手前にパカッと開くから」

「あ、はいクパァっと開きました」

「ピンクのケースあるでしょ? 丸くてプラスチックの」

「あ、はい。その中にさっきあげたのと同じ飴あるからそれとって。君のもね」

「あ、あれ? これどうやって開けるんですか?」

「ああ、もう。それは力づくで開けるんじゃないって。両手で端と端を持って、時計回りにゆっくり廻すと飴でてくるから。あ、裸で出てくるから気を付けて」

「あ、あー、あ。わかりました。でてきました、裸で出てきました。へー面白い、なんか果実を絞りました、って感じですね。こんな仕掛け始めて見た」

「うん、面白いでしょ。やっぱりそれ説明されないと開けられなよね? 私も開けられなかった。じゃ一個」
 
 篠塚は車を前を見ながら片手を智人に差し出した。智人の手から桃色の小粒で丸い飴を受け取る。無造作に口に放り込む。

「あー。この口に入れた時に粉が解ける瞬間がいいの。鼻に香りが抜けてく感じで」

「へー。うまそうですね。俺も」

 飴を口に放り込んだ。

「え?なにこれ? すっげぇ」

「それ、ちょっと作ってるでしょ。今のリアクション」

「いや、マジでうまいっすよ」

「あ、そうなんだ。へー味覚合うねぇ。一度、島本さんにあげたら口に合わないって。なんか無理して食べきってはくれたけど」

「俺たち気が合うんですね。あ、いやこの場合、体が合うっていうんですかね」 

「ばーか」

そう言う篠塚の薄い色のサングラスの奥で目は笑っていた。

『この流れ、絶対ヤレル流れだ』

 確信を深めた。オープンカーは前の車を追い抜こうとスピードをあげた。篠塚は風で舞う髪を軽く撫でつけこちらを向いた。

「どーお? 気持ちいいでしょ? 生きてるって感じ、するでしょぉ?」

 オープンカーは車が風を斬る音が大きい。自然と会話は大きな声になり単純な言葉を選びがちになる。

「はぁい、マジ、サイコーです」

「あははは。それじゃほら、何か叫んでみて。どーせ誰も聞いてないから。普段我慢してることいっちゃいなよ」

「いやぁあ、改めて言われるとそんなに出て来ないっすね」

「あ、そーお? じゃあ、私叫ぶからね。一人だとバカ見たいだから一緒に叫んでよ」

「りょーかいっす、どーぞ。言っちゃってくださーい」

「わたしは自由だー」

「俺は自由だ―」

「わたしはわたしだー」

「俺は俺だー」

「人を斬るのってサイコー」

「人を斬るのっってサイ…… え?」

「なによ。ノリ悪ーい」

「あ、すいません。でもさすがにそれはどうかなって」

「ああ、めんどくさいなぁ。私が斬るのは悪人。あくまでもね。っていうか、私だって好きで始めたわけじゃないし」

「いや、でも今サイコーって」

「うん。どうせやんなきゃいけないんなら笑ってサイコーって言いたいじゃん? そのほうがよくね? っていうかお互い殺(や)らなきゃ殺(や)られるってことわかってて決闘場にいるんだしね」

「っていうか仕事なんて好きなこと選べばいいし……」

「好きな仕事やって生きてけると思ってるんだあ? あ、そういえばお金持ちなんだっけ? 君んち」

「地元の中ではですけど…… なんか、すいません」

「ま、いいけどね。お金持ちの君とわかりあえるとは思ってないから。で? ホントにお花見でいいの? 寒いんじゃない? 行き先変えるなら早い方がいいんだけど?」

「人がわいわいしてるところに行きたくなっちゃって。あとできれば桜と篠塚さんの写真撮らせてもらえるとうれしいんですけど。」

「あ、そーお? いいよ。君、上手だし。私のスマホにも送ってくれる?」

「はい」

「何でも好きなもの食べて。どうせあたしのお金じゃないし。あれ? どうしたの? リアクションないけど」

「いや、なんでもないです」

  大人たちの優しさに、そして自分の幼さの情けなさに涙がこぼれそうになるのを押さえるのにのに必死だった。そして、篠塚と別れてかれてから本当に泣くことになる。

 スマートホンは通信できず、クレジットカードもキャッシュカードも使用できなくなっており、親からは死んだものとして扱われ、わずかばかりの現金で見知らぬ土地でどう生きていけばいいか途方に暮れた。

 篠塚を頼らなかったのは見栄なのか矜持と呼ぶべきものなの、童貞故の遠慮あるいは意地とでも言うべきか智人自身にもわからなかった。

  智人は梅雨の底冷えのするテントの中で目を覚ました。朝とはいえまだ肌寒い。腕時計を見る。寝袋から這いだしペットボトルに残っていた水を飲み干す。生ぬるい。だが一口飲むごとに胃袋が満たされていく。だるさが取れた。手元のペットボトルをパッケージに意味はない。スーパーのトイレの洗面所の水道。センサーの反応による停止にいらだちながらもなんとか目一杯蓄えた水だ。

「何やってんだろ? 俺」

 Tシャツを着がえると這いずるようにテントから這い出る。舌打ちを一つ。テントをまとめる。荷物をまとめバックパックを担ぐ。ブルーシートや段ボールで二畳から三畳ほどに区切られた迷路のような道を進む。そこは河川敷に自然発生したホームレスたちの住宅街だった。

 決闘に巻き込まれた日の夜。篠塚に車で最寄り駅まで送ってもらうと春休みの特別割引された切符を購入し普通電車を使い、途中駅で降り野宿で夜を明かし、再び自転車に揺られ故郷に帰ってきた。家のドアには鍵がかけらていた。チャイムを鳴らした。インターホン越しに母親が言う。

「誰なの? あなた」

 カメラが付いているインターホン越しに家出を詫びる。取りつく島もなく、玄関前で土下座した。しばらくするとドアが開けられた。許された、そう思って顔を上げるとどことなく自分と似ている気がする同世代の青年が立っていた。青年曰く。

「これ以上、母親につきまとうなら警察呼びますよ。っていうか、警備員はもう呼びましたから。じゃあ」

 そしてドアは閉ざされた。閉められると気付く。改めて思い返すとチェーンロックは外されていなかった。

「え?……」

 返す言葉なく、すごすごとその場を去る。物陰から玄関前の様子を覗き見ていた。しばらくすると警備会社の社名が入った車が玄関前に停められた。玄関先で警備員と話す母と先ほどの少年の姿を見た。間違いなく今まで一緒に暮らした母だ。その母が守るように少年の肩を抱いているのが目に入る。

 気が付いたときにはふらふらと自転車を漕ぎながらその場を立ち去っていた。千尋の家にも行ってみた。だが使用人が出て本人は取りついでもらえなかった。何より、面識のあるはずのそれぞれの使用人たちが智人を
智人と認識してくれなかった。

 寺井と拓也の家にも立ち寄ってみた。千尋の家とは違いまとめて建てられた団地群の一角であった。こんな形で訪問することがあろうかと想いながらドアの前に立つ。新聞受けの入り口を覆うように張られているシールに気がついた。「空き家です、チラシを入れないでください」そう書かれていた。

 スマホはさんざん試したが通信も発信も受信もできなくなっていた。そして、バッテリーが切れた。篠塚の電話番号だけはメモをとったが頼りようにもなにを頼ればいいのか、さすがに借金を申し込む気にはなれず、また、頼めばいくらか融通はしてくれたとしても、それを繰り返すわけにもいかないことはわかっていた。

 そして、作業着の男が渡してくれた現金で地道に食いつなぎながら居場所を求めて数日。彷徨ううちにテントが立ち並ぶ大きな河川敷にたどり着いた。ホームレスたちの住処である。そこの隅にテントを張っていると声をかけてくる者がいた。仕事の斡旋をしているというその男の言われるままに、肉体労働に従事することとなった。

 朝になると駅に向かい、マイクロバスに乗り、働いて、帰ってきてテントを拡げて眠る。そんな暮らしが始まってからさらに一か月ほどが過ぎ四月も半ばとなり世間では月末から始まる大型連休の話題で浮かれているなか、大型商業施設の建設現場で働いていた。朝の六時にマイクロバスに乗り込み一時間ほどかけて到着する。

 昼の十五分を除き夜の九時まで土砂や瓦礫の山を指示された場所に猫車で運び続けていた。山のように土砂が積まれた猫車を押す。罵声におののきながら強引に方向転換をした。腰の筋肉がひきつれたように感じた。思わず手を離す。猫車が倒れた。罵声が飛んで来る。そのようにして一日を過ごす。

 作業現場への送迎バスには男達の汗と皮脂と土の匂いが染み込んでいた。初めて嗅いだ時は吐き気を覚えた。今では違和感すら感じない。仕事が終わりバスに乗り込むときに賃金が各自に渡される。席につき財布にしまうとため息が漏れる。世間の相場よりだいぶ安い賃金でこき使われている。

 自分が何者か証明できないからである。高校を卒業して学生証も捨てた。母親から息子と認めてもらえない。それこそ自分の記憶を疑い、自分が朝田智人であるという妄想の囚人だとも思った。だが、恋い焦がれた寺井への想いと記憶に胸を締め付けられる。それだけが自分が自分であるということの唯一の証明であった。

 正規の仕事に雇われるには住所がいる。働いて金を溜めても部屋を借りるには戸籍がいる。全て失ったものだった。いつものように仕事が終わりバスの中でうたた寝をしていると飛び込んでくる声があった。

「あれやれよ。決闘代理人。金はいいし。法律変わって誰でもできるようになったらしいじゃねえか。外国の傭兵とかもできるようになったんだろ?」

「無茶言うな。すぐにぶっ殺されて終わりだろ? それに俺は戸籍がねえからな。無理なんだよ」

「でも戸籍がもらえるって聞いたぜ? 俺だって売っちまったけどよ。売れるってことは買えるってこった。人手が足りねえとただでもくれるらしいぞ?」

 この言葉に気色ばんだ。耳をそばだてる。犯罪者に身を落とすことと決闘代理人を行うこと。天秤に乗せた。席から立ち上がり男たちの前に立つ。男たちは二人とも白髪も髭も伸ばし放題。その顔は日焼けしてくつものしわが深く刻まれていた。細い手足をシートから投げ出している。率直に尋ねた。

「あの。決闘代理人について聞きたいんですけど」

 男たちは大きく口を開けて笑う。歯がほとんど見当たらなかった。男たちから話を聞いた。決闘には時間切れがあり、時間いっぱい逃げ回り生き残る者もいるとのことだった。智人は決闘代理人をやってみることにした。家がないことには耐えられても歯を失うほどの虫歯に自分が耐えられるとは思えなかった。

 仕事を休んで男たちに教わった通りに朝の早い時間にターミナル駅のロータリーに行ってみた。『急募! 決闘代理人』 そう書かれたプラカードを持つ男がいる。恰幅のいい禿頭の口髭を蓄えた中年だった。声をかけると身分証を提示するように言われた。

 戸惑っていると野良犬でも追い払うかのように手を振られた。止むを得ず引き下がる。戸籍と大金が手に入るかもしれないという淡い期待が壊された。うなだれて引き返し始めると後ろから声をかけられた。先ほどの男が事務用の封筒を振っている。身に覚えがないこと伝えるために首を横に振る。気づかないのか男は封筒の中身を取り出した。

「おい、青年。住民票と保険証が入ってるぞ。駄目だよ。こんな大事なもの落としちゃ。これがあればできるよ。もう出発するから車に乗っちゃって」

 男に言われるままにマイクロバスに乗り込む。智人と男の他には誰もいない。しばらくすると何の報せもなく発車した。数十分もすると車は都心の清潔な高層ビルの前に止まる。車を降りると男に紙袋を渡された。男はロビーにある受付カウンターに紙袋をもっていけばいい、と言うとあっさりと車に乗り込みどこかへ行ってしまった。

 ロビーでは数多くのスーツ姿の男女が鞄やスマートホンを手に歩き回っていた。その中の一角、案内カウンターの中で椅子に座っている女に声をかける。薄い桃色の制服の茶色く髪を染めた厚化粧の若い女だった。不自然に長いまつ毛と違和感を覚える二重、自棄に朱が映える唇、眉毛の辺りで妙に行儀よくカーブを描く前髪が目を引いた。逆に言うとそれしか印象に残らない。

「くっさ!」

 女の第一声。鼻と口元を手で隠しながらそう言った。眉間には皺が寄っている。移動中に車内の窓が全て開け放たれたことを思い出す。どうしていいかわからずカウンターの上に紙袋を置いた。女は智人を見ることもなく紙袋から封筒を取り出し住民票と保険証を取り出した。タブレット型の通信端末で取り出したものを撮影すると住民票の名前を読み上げる。返事をすると女はカウンターの中からクリアファイルを取り出して説明を始める。

「バスがあるからそれに乗って。地図もここにあるから。あと持ってきた紙袋に入っている服に着替えて。そこにトイレあるから」

 紙袋の中にはタオルと小袋に入ったシャンプーと黒いジャージが入っていた。説明を続けている間女は鼻をつまんでいたことを思い出す。


 着替えてみるとジャージは大きすぎた。サイズのあわないだらしない黒色のジャージ姿。タオルを巻いた頭。すれ違うものがみな振り替える。顔には半笑いを浮かべていた。


 逃げるようにロビーを横切り外に出てバスを見つけて乗り込んだ。茶封筒から資料を取り出し確認する。

 決闘代理人になるにあたってのスケジュールが書かれていた。一通り資料に目を通すと窓の外に目を移す。梅雨のしとしとと降り続ける雨滴を見ている内に眠気に襲われ寝てしまった。研修場所に到着するまで他の者と話すことはなかった。二時間ほどの移動時間であったが熟睡できた気がした。

 受付の女のことなどすっかり忘れていたことに気がつき、勝利した気になった。だがその味にわずかばかりの苦味が混じった。

 メディアに作られた流行りの美を臆面もなく追求する姿勢、隠しきれていない煙草の臭いとミント系の口臭消しの混じり合った臭い、そして、己の肉体の反応と苛立ちを遠慮会釈なしに電光石火で他人にぶつける思考を経ない行動。それらを思い出し智人は思った。

『なんだよ、あの量産型。弱い者はさらに弱い者を叩くって言うのは本当なんだな』

 ☆★☆

「えっ? 篠塚さん、どうしてこんなところで」

「誰? 知らないんだけど。あんま気安く話しかけないで」

 今春から決闘に参加必須とされた集合研修。その参加者の宿泊場所として用意された海岸沿いのリゾートホテルのロビーで智人と篠塚は再会した。智人は喜びのあまり勢いづいて声をかけたが篠塚は連れない返事でその場を立ち去ってしまった。

 呆然と立ち尽くしていると篠塚に話しかける者がいた。派手なスーツを着た男でビデオカメラを構えて話しかけている。篠塚は虫を払うように手を振ると男は智人のところにやってきた。お互い自己紹介をした。男は梅内といい広告代理店で働いていると言った。会社のプロジェクトの一環として素人ながらに参加したとのことだった。

「見てたよ。さっきの娘(こ)、篠塚さんだろ? 知りあいなら紹介してよ。俺は梅内。広告代理店で働いてるんだ」

 梅内が見せた名刺には智人でも聞いたことがある大手広告代理店の名前があった。受け取ろうと手を出すとその名刺は引っ込められた。梅内は続けた。

「彼女、立会人たちの間でもファンが多いんだよ? まあ、立会人できるようなセレブたちの話題なんて現場の人間は知らないだろうけどさ。紹介してくれたら謝礼もあるんだけど」

 智人の反応を確認せずに一方的にまくしたてる梅内に辟易しながらも答えた。

「いや、人違いでした」

「本当に?」

「見てたならわかるんじゃないですか?」

 ただでさえ、篠塚の対応に少なからず心に傷を受けているところに無神経に質問を重ねる梅内に対していらだちが募り始めた。感情を隠さずに声に含めた。すると梅内は目つきを変えた。

「は? 何言ってんの? 決闘の代理人風情が。外国の傭兵の精鋭も参加するんだけどウチの会社、彼らと契約してるから」

「え、ええ」

 梅内の話の方向が見えずに戸惑いが声に出る。

「俺は彼らに護ってもらえるんだ。お前もどうかと思ったけど協力してくれないならそんな義務ないね。自己責任でがんばって」

 眼だけは笑っていない笑顔を見せつけて梅内は去っていった。すぐさま目に付いた別の参加者に声をかけている。女だった。受付カウンターにいた女と同じような身だしなみを施していたが、その目には憂いがたたえられ体全体を小さくまとめるかのように手足を揃えていた。

 梅内は女が座っているソファの前で型のビデオカメラを向けてなにやらは話しかけている。女は一つ会釈をするとさっと立ち上がる。その手をとって梅内が何か行っている様子が見て取れる。あきらめたようにうなだれて力なく手近なソファに座る女。

『見ている場合じゃないだろ。嫌がってるじゃないか』

 意を決して立ち上がり女の席に近づいた。何と声をかけるか頭を巡らし、大股で鼻息荒く。練習のために口を動かす。こわばっている。情けなかった。いやがる女にカメラを向ける若い軽薄そうな暴力とは無縁そうな男。その相手に文句を付けるだけで緊張している。梅内の側にまで来ると声が聞こえてきた。粘つくような声だった。

「本当に私の話を世界中に広めてくれるんですか? っていうか、なんで梅内さんがあのこと知ってるんですか?」

「質問は一回につき一つにしてほしいな。ま、その二つの質問の答えをひとつの言葉で教えてあげるよ。エフィシェントリーに」

「はい」

「もちろん俺の会社は広告代理店だよ。しかも世界でトップクラスの。負け犬(ルーザー)どもとは違うのさ」

「あ、そうでしたね。すごいんですね。でも、まだ自分でも気持ちの整理がつかなくって」

 それを意図せず立ち聞きしする羽目となった智人は思った。

『この女の人、もしかしてこいつに、はいはいすごいすごい、って言って煽ってるのか? ああ、でも本気でいやがってるのかわかんねぇよ。俺の好きな小説なら奴隷商人とかもっとわかりやすい悪者にいじめられてるのに!』

 身悶えしたい想いを押さえてスマホを見ている振りをしながら話を聞いている智人を余所に二人は会話を進めていった。

「大丈夫。落ち着いてからでいいよ。高城さん、っていうか、あずさでいいよね、君はまだ学生だし。休学中らしいけどさ。とりあえず信頼関係を築くために食事でもどう? 一週間ホテルに缶詰だからさ。食事くらいしか楽しみがないでしょ」

「あ、でも、節約のために食料買い込んでますから」

「ダメだよ。あずさ。ちゃんと栄養とらなきゃ。 大丈夫、遠慮はいらないよ。社会人だから経費で落とせるから」

「ごめんなさい、あたし男の人としゃべるの苦手なんで」

「いいんだ、君は黙って僕の話を聞けばいい。二人で一緒にコラボすることに意義があるんだから。それに君だってクライアントがあの森本一族だからこんな高級ホテルに格安で泊まれるんだから。この機会を逃したら一生君はこんなホテルを利用できないでしょ?」

「でも・・・・・・」

「それに君さあ、斬られて、あ、いやなにかバールのようなものとかで殴られたりしてさ、死ぬかもしれないんだよ、あ、まあ女の子はできるだけ生かされて飽きるまでオモチャにされちゃうんだよ? まあ、決闘代理人になった時点で、っていうか君の家みたいな家庭に生まれた時点で自己責任だとは思うけどさ」

「すいません。あたし、もう行きますから」

 立ち上がる高城の手首を梅内がつかんだ。そのときだった。

「ああ、もう、さっきからうるさいなぁ? ナンパならどっか他でやってよ」

「これはこれは篠塚さんじゃないか。君は忙しいんじゃなかったのかい?」

「忙しいよ。あんたの相手をする時間がないくらいにね」

 梅内はなにやら口にしたが篠塚が目線を強めるとその場を立ち去っていった。高城は立ち上がり篠塚を見上げて礼を言う。繰り返し頭を下げた。その頬は紅潮していた。だが篠塚は追い打ちをかけるように厳しい口調で言った。

「ところで、あんたさぁ、高城さんっていうの」

「は、はい」

「そうやってウジウジしてると決闘ですぐ殺されちゃうよ? あたし、あんたみたいなタイプと解り合えないから。同じ女同士だからって絡んでこないでね」

「すいません」

「あと、あいつとも絡まない方がいいよ。さっき声かけてきたんだけどさ」

 篠塚は智人を指さし言った。

「変なとこと勃てててる、メンへラで、エロの、負け犬(ルーザー)だから」

 智人と高城は眼を見開いて驚きを露わに篠塚を見た。

「あ、あの、ちょっと言い過ぎじゃぁ」

 うつむく智人と見下す篠塚。その間を取り持つように高城は言ってみたが篠塚はさらに続けた。

「いいんだって。人間誰でもはっきり言わなきゃわかんないんだから。もう一回言おうか。この、メンへラ、エロ、ルーザー」

 一言一言区切りながら、その度に篠塚は智人を小突いた。

「何か言い返したら? 男でしょ」

 智人は何も言えずに逃げるようにその場をあとにした。

 ☆☆★

 チェックインをすませキーを受け取り荷物を部屋におくと広間に集合させられビデオを見させられた。そこで決闘に関する法令と武器類の取り扱いに関する注意事項を学んだ。

 決闘は同じ人数同士の二陣営の対決によって行われる。定められた場所、制限時間の中で相手の決闘の代表者を殺害するか制限時間内によりの多く敵陣営の人員を殺害したほうの勝利となる。また、殺害された人員が同一であれば代表者同士の一騎打ちとなり決着が付くまで続けられる。この場合の代表者は紛争の当事者である必要はない。

 今回の場所と時間と人数は次の通りであった。場所は地方の廃校となった小学校。この建物から自ら出ても他者から追い出されても逃亡と見なされる。時間は二十四時間、人数は当事者含めて八名となっていた。

 武器に関しては銃や火炎放射器、クロスボウなどの射出に何らかの構造物が使用されてい飛び道具、薬物などは武器として使用することを禁じられている。しかし飛び道具ではない日本刀など一般には所持さえ禁じられている武器が使用することができ、投石などの人力による飛び道具なども認められていた。また、一般的な製造物でも殺傷のために使用することが許されていた。

 それに加え決闘場から逃げ出した場合は殺人の手助けと国家に反逆したとされるほどの重罪として扱われることの説明と死亡時は活かせる臓器があれば提供する義務があることが説明され、同意の署名を求められた。決闘中に死亡、あるいは死を逃れ得ない大けがと立会人が判断したら救急隊員が現場に駆けつけその遺体を近隣の病院に運びそこで内蔵が摘出されるとのことだった。救急隊員が遺体を搬送する間はその場で待機が義務づけられており、その時間はロスタイムとして扱われることが説明された。鈍器による頭部への攻撃が推奨された。

 さらに決闘代理人は決闘の当事者である雇い主と直接契約する個人、あるいは法人と人材派遣会社から派遣される者がおり、報酬はそれぞれで異なる旨、さらにホテルの滞在費はその報酬に含まれる旨の説明があった。人材派遣会社から派遣される者は基本的に決闘のどちらに着くかは派遣会社任せとなるため、意に添わない相手と共に決闘に参加することがある。たとえそうであったとしても決闘中に決闘の当事者に物理的な攻撃を加えた場合、これもまた殺人の手助けと国家への反逆として犯罪となる。

 また、何らかの判断が必要な場合は備え付けのカメラで撮られた映像を見ている十三名の立会人が協議する。

 そのようなことを説明される座学が終わると実技とされ訓練の方法は自主性に任された。智人は部屋で無気力にベッドの上で天井を見ながら篠塚の言葉を反芻していた。自慰に逃げ込もうと考えた。妄想に入り込む気力も失っていた智人は部屋に備え付けのパソコンからアダルト動画を見てみようと思い立ち検索を始めた。ふと思いつくことがあった。

『メンへラ エロ ルーザー 勃つ、で検索してみようか。どんなエロ動画なんだよって。だけど、篠塚さんも変なとこ勃てるなんて。よくあんな大人しそうな女の人の前でで・・・・・・』

「うんっ? まさかっ! 」 

 智人はペンをとりメモ用紙に書き付けた。

 メンヘラ エロ ルーザー

『もしかして縦読みかっ?  ちょっとビミョーだけど』

 メンへラ

 エロ

 ルーザー

 メエルをメールと読み替えてみた。

 智人は部屋の案内でフリーワイファイが使えることを確認するとスマホをコンセントにつなぎ電源を供給した。そして、祈るような気持ちで篠塚のSNSアプリのアドレスにメッセージを送信した。すると篠塚からすぐさま返信があった。

 やりとりをしていくうちに智人は篠塚があのような態度をとらなくてはならなかった事情を理解した。篠塚の話では、篠塚が智人や高城に優しくするところを見ると篠塚自身を支配するために二人が人質にとられかねない恐れがあるとのことだった。

 法改正により篠塚の会社を含め既存の決闘代行会社は全て解体させられた。決闘代理人の中にはこれを期に転職する者もいたが多くの者は決闘代理人を続けた。自ら依頼を獲得する営業能力や事務処理を行う能力のある者は個人事業主として、篠塚のように戦闘の腕は長けても営業や事務の能力などを持たない者はやむなく新規参入した人材派遣会社に登録をし、そこから派遣されるようになった。

 派遣先は派遣会社が決めるため、かつて敵同士であったものが同じ陣営に組み込まれたり、より多くの仕事を得るために、互いに競合相手である決闘代理人を陣営関係なく殺し合いが発生することもたびたび起きた。
 
 そのような背景から、業界でそれなりに名の知れた篠塚を倒すために篠塚が護ろうとする者たちを人質に取る可能性も含めて行動しなければならないということだった。

 そのため、智人や高城のような素人であっても表だって支援することはできないこと。その代わりに教えられることはメッセージアプリを通して教えるから生き残るために身につけてほしいとのことだった。

 智人は少し考えてからこのようなメッセージを送った。

「あの、篠塚さんに教えてもらったことを高城さんにも教えてあげてもいいですか?」

「いいけど、他の奴らにバレないようにね。あと訓練のコツはね、師匠の受け売りなんだけど、まず、五感を使ってありのままの現実を識(し)ること。視る、聴く、嗅ぐ、味わう、触れる。どうしても頭の中の自分のイメージにに囚われるから何も考えられなくなるほど疲れるところを目指して」

 許可はとったものの高城自身を信用してもいいものか決めかね、また篠塚に提案された食事や訓練メニューを自分自身でさえこなせるかも不安がつきまとい、教えるかどうかの結論を出すことを先に延ばした。とりあえずホテル備え付けのスポーツジムに行き、マシンを使ったジョギングや筋トレ、なわとび、そして水泳を行った。また特別に設置された打撃練習用の古タイヤを太刀や小太刀、斧など様々な武器に見立てた木剣で打ち込みを繰り返した。

 もちろん、同じくジムで体を鍛える篠塚の汗にまみれた姿をチラ見しつつ、他人のふりをしながらもすれ違いざまに匂いを嗅ぎ。篠塚のうなじや露出度の高いスポーツウエアの篠塚の肌を流れる汗の味を想像し、篠塚が泳いだ後を追うように泳ぎ、プールの水を飲みもした。篠塚が使用した後のマシンを使い篠塚の温もりに触れた。

 そう、智人は訓練という名の変態行為を続けてた。だからこそ初日から激しい訓練を始められた、とも言える。訓練を終え、一人で食堂に出た。食堂には決闘代理人とは関係のない客もいる。食堂には浴衣を着て石鹸の香りを漂わせている者やアルコールを摂取して大声で談笑する者たちがいた。

 その者たちの食事からは湯気が立っている。自分の食事を見る。節制のための低脂肪高蛋白の食事。食事代はあとで報酬から引かれると聞いていたため死ぬかも知れないなら好きなだけ喰ってやろうと思っていた。だが、篠塚の指示した、納豆や豆腐に漬け物類と鶏肉という質素な食事に舌打ちが出る。口に含んだ梅漬けが口からこぼれ転がる。

 カウンターのトレーにおかれている割り箸を取りに行った。左手で箸を使いつまみあげようとする。体を鍛える一環としてできるだけ左手を使うようにしていた。苛立ちながら左手で箸を使った。そのまま、湯飲みの無料サービスの茶の中に入れてすすぐ。口に運んだ。生ぬるさと酸味が入り交じった、まるで屈辱を味にしたような梅漬けを、あえて舌の上で転がす。惨めさを体に染み込ませようと思った。

 怒りをわきおこさせ攻撃的な気分になりたかった。だが不安や恐れが心から消えることはない。ため息をついて首を回す。一人の女に目を引かれた。食堂の喧騒の中、一人でうつむき弁当を見つめている女。決闘代理人の一人して研修に参加していた。高城あずさ。大学生とのことだったが中学生と言われても納得できる外見。色白で華奢で小柄な体形だった。風呂上がりなのか白のスウェット生地の服をきて艶のあるまっすぐな黒髪を首の後ろで束ねている。見ていると高城が顔を上げた。視線が合う。微笑まれた。会釈を返す。決めた。

『よし。このカリカリ梅はあのロリッ娘(こ)乳首。生き残れば彼女とヤレる』

 智人が妄想に気持ちを奪われかけていると呼び止めるような男の声が食堂に響いた。決闘代理人を会議室に集合するように知らせていた。返事をして席に戻り食事を続ける。梅漬けを口の中で転がしながら歩き出す。目に付いたゴミ箱に吐き出した。

『酸っぺ。あのこの乳首も酸っぱいのかな? 汗とかで。いや、しょっぱいのかな? なんでだろう?無性に知りたくなってきた』

 智人は高城に訓練をさせることに決めた。恐怖心は消え、なにやら積極的な気分が胸の内をもたげていた。とりあえず、今夜の自慰のためのオカズは高城に決まった。

 ☆★☆

 会議室では照明が消されノートパソコンと接続された映写機がスクリーンに映像を映し出している。その明かりが会議室全体を薄暗く照らしている。整然と並べられた長机とパイプ椅子を見渡す。どこに座ろうかと考えた。決闘代理人たちはそれぞれある程度の距離を置いての場所に座っていた。スクリーンの前に立つ男に声をかけられた。

「どこでもいいから座ってくれ。これで八名全員揃ったな」

「はい」

 座っている者の中に篠塚の姿を発見したが面識がない降りをしつつ、高城に近づくために高城の隣に座る。ちらりと見られた。するりと言葉が出てくる。

「あ、俺、資料忘れちゃったんで隣で見せてもらっていいですか?」

「スクリーンで見せてくれるみたいですよ?」

「あ、スクリーンですか? そっか、スクリーンか。なるほどスクリーンっていう発想はなかったな」

 そのまま隣に腰を下ろした。
 男が言った。男は日本語で言ったことをコンピューターに英語に訳させて外国人の参加者にも聞かせていた。

「よし。始めよう。一応私が年長者ということで僭越ながら仕切らせてもらう。自己紹介しておこう。私は小沼(こぬま)。傭兵として世界の紛争地帯を渡り歩いてきた。決闘ビジネスに金の匂いを嗅ぎつけてやってきたってわけだ」

 外国人の参加者たちから笑いが起きた。篠塚は眉をしかめ、高城は口を手で押さえ、智人は高城に話しかける機会をうかがっていた。小沼は満足そうにうなずくとさらに続けたに

「むしろわたしは被告人の森本君に同情するよ。私なりに調べたが冤罪だろうね。罪状は違法薬物の所持と使用だが国や地域によっては合法の代物だ。私も戦地では愛用しているよ」

 聞いていた者たちから軽い笑いが起きた。笑顔を強めさらに小沼は続けた。

「それに彼は首謀者としてサークル仲間と集団レイプを繰り返したとか人をさらってクルーザーに軟禁して殺しあいをさせていたなんてことが言われているが、さすがにありえないだろ? 財界の大物のご子息だ。女はよりどりみどりだし殺しあいが見たければどこかの国で内戦でもおこさせればいい。いや、財界の大物の血筋とは言っても所詮敗戦国の大物だ。そこまでの力はないのかな?」

 大爆笑が起きた。外国の者たちだった。

「まあ、今回のミッションを成功させて恩を売って今後とも長くビジネスをしたいものだ」

 英語での説明が終わると参加者の一部から歓声や口笛が起きた。

 その隙に智人は高城にたずねることにした

「知ってた?」

 高城はただ頷いた。智人はさらに続けた。

「本当だと思う?」

 高城は首を横に振り言った。

「どうせ、あたしなんかにホントのことなんてわかんないですから」

「そっか」

 智人は小沼に顔を向けた高城の横顔を見続けることにした。小沼は続ける。

「ではここで篠塚さんから提案のあった我々全員がワンチームとして組織だって動くか各自の自主性に任せるかを決めたいと思う。どちらがいいか挙手で意思表示をしてくれ」

 智人、高城、篠塚を除く全員が自主性を選んだ。結果を受けて篠塚が声をあげた。

「私はいいとしても子供や女の子がたかだか一週間の研修で生き残れるわけないじゃん? それにあなたたちは銃での戦闘は馴れているんだろうけど、ここでは使えないの知ってるでしょ? ここは経験者である私と仲間になってもらったほうがいいって。絶対に。それに向こうには市村がいるんだって。剣豪だよ?」

 智人は立ち上がった。何か言いたかった。篠塚を援護したかった。言葉が出てこなかった。注目だけ集めて薄暗い会議室の中、瞳がやけに輝く篠塚の瞳を見つめながら、口だけを小さく開いてただのどが渇いていくのを感じていた。見かねた高城が智人の服の裾を引っ張った。緊張でこわばった智人の体は過剰に反応した。

 高城の方に向けて頭を下げる。彼女の腰にタックルするような格好になる。頭の上で彼女の吐息を感じる。左耳に彼女の服の感触。動くたび擦れる。匂いが鼻に拡がる。目を閉じて集中する。柑橘系の匂いのなかにほんのわずかに酸味と苦味。そして勃起が始まった。

『俺、最低だ。』

 小沼の声が聞こえるとはなしに聞こえた。

「剣豪ねぇ・・・負け犬(ルーザー)の間違いじゃないのかな?」

 追従するように他の参加者たちから失笑が溢れた。

「なにがおかしいの!」

 篠塚の言葉に参加者たちから次々と笑いと嘲りの言葉があがる。

「ファッキンジャップ!」
「ヒャッハー! イエローキャブ! レッツファック!」
「コノブタヤロウ! チンピラ! バカ! クソ!」
「ヘイ! ゲイシャガール! キスマイアス!」

 小沼がそれを受けて続けた。

「いくら決闘は日本人らしさの一環だなんて言ったってこれが世界の本音だ。殺しあいを楽しむ蛮族の中の蛮族。それに宗教による性に対する規律も無く欲望の限りを尽くす民族。侮辱されてしかるべきだな」

「別に好きに言えばいい。そんな風に思われるのなんてとっくに受け入れてるわよ。でも舐めてると死ぬわよ?」

「楽しみだね。こうやって外資や人材派遣会社の参入の解禁が決闘業界の勢力図を変える。棒っきれ振り回して浮かれてる君のような猿山の大将たちにお灸を据えてやるさ。その剣豪市村とやらも研究済みだよ。森本一族は上級国民なんだよ。立会人として動画に保存してくれていた。対策は万全だ。もちろん他のプロの代理人たちのもね」

「だからぁ。その情報とあたしの経験をあわせればって言ってるでしょ?」

 さらに小沼は続けた。

「経験、だと? 小娘が何を言ってる。いいか。これは儀式だ。仲間を集めようと我々にまとわりつく幼稚な日本の小娘に世界の現実を理解させるための儀式にすぎない」

「そんなにあたしが相手にしなかったのが悔しかったの? あんたら全員、みんなエロい眼であたしを視て声かけてきたけどさ。」

 言い返す篠塚に梅内が言った。

「女と見れば抱こうとするのは我々が優れた雄である証さ。女を抱くどころか声をかけることすらできない不抜けた日本男児どもに飽きたらいつでも可愛がってあげるよ。僕は広告代理店として世界を回って世界中のセックスも体験しているんだ。世界のヤり方ってのを教えてあげよう。どうせ、処女だろ? 君。高校を退学してしばらくしたら決闘代理人になったんだ。恋なんかしている場合じゃなかったもんねえ」

 にらみつける篠塚に梅内が追い打ちをかけるように言った。

「篠塚さん。僕はね、広告代理店なんだよ? 調べは着いてるのさ。君、高校時代に暴力事件起こしてるでしょ? 男子生徒を階段から突き落とした。彼、その怪我が元でプロの選手になるのをあきらめたんでしょ? いい選手だったらしいじゃない? ええ? しかも君がいた学校の全ての部活動が大会の出場辞退してるでしょ? 連帯責任で。僕は君の失敗に巻き込まれるのはいやだなあ。 この決闘も自己責任でお願いしますよ?」

「そんなつもりじゃ・・・・・・」

 小さくつぶやき唇を噛みしめにらみつける篠塚に梅内は続けた。

「どうせ、高校時代は不良だったんでしょう。そんなんだから社会に出ても6K仕事しかできないんだよ。自己責任だよ。ちなみに僕は広告代理店としてルポのために参加しているだけだから。小沼さんたちとも契約して僕の護衛を引き受けてもらっているからね。僕になにかしたら彼らが黙ってないよ」

 篠塚が何も言わないでいるのを見て梅内はさらに続けた。

「いいか、僕は広告代理店なんですよ? 貧困を原因に決闘代理人に落ちた女性の姿や国家権力が冤罪で森本さんを陥れたことを世間に公表する使命があるんだ。おとなしく取材を受けていればいいものを。ま、当日は一人で彼らをまもってやればいいんじゃないか? 本当は仲がいいんだろ? そこのガキとブスとさ」

「勝手にすれば?」

 そう言い遺すと篠塚は部屋を出ていった。室内で智人の耳に高城の囁き声が聞こえる。

「もういいですよ。顔を上げてください」

 顔を上げるのを躊躇った。智人の顔は自分でもわかるほど怒りに満ち満ちていた。それは小沼や梅内の言動そのものよりも恩人である篠塚が侮辱を受けながらも援護もできず、出て行った篠塚をおいかけることもできずに、俯いていた自分自身へのものなのか。智人自身にもわかりかねた。

「あ、あのっ? いいんですか?」

 高城と目があう。迷った。知らない降りを続けるべきか。ただ高城のひとことで決めた。頷いた。小沼の呼び止める声を振り切って駆けだした。会議室からは笑い声が追いかけてきた。

 ☆☆★

 高城はホテルのガラス張りの喫煙スペースから昼下がりの梅雨の雨に沈む荒れた海を見下ろしていた。たとえ人影があったとしても見つけることはできないほどに暗く沈んだ海だった。

『こんな日に海に落ちたら死ねるな』

 好んでやっていたビデオゲームを思い出した。鳥になって自由に世界の都市や島を飛び回るという内容だった。現実逃避とはわかっていたがやめられなかった。そのゲームではプレイヤーが地面に落ちることはまずなかった。

 ぞっとするような寒気を感じた。足下から恐怖に囚われ身動きできなくなる予感が這い上がってくる。断ち切りたくてパーカーのポケットに手を突っ込む。ぺたりと指をなめる煙草のパッケージの感触。一息つく。煙草の箱を取出す。一本引き抜こうとして思い知る。煙草を臭いと感じている自分自身に。アルコールよりも意識を変えることなくストレスを軽減できるであろうという想いで煙草を買ってみたが無駄に終わりそうだ。とてもじゃないが火を点ける気になれない。

『どうせ、死ぬ気なんてないくせに・・・・・・・そっか。わざわざ危ないことして生き残れば許されるってことを信じたいだけなんだ、あたし』

 小柄のために男の庇護欲を掻き立てるのか交際を申し込まれたり街で声をかけられることはたびたびあった。だが興味は惹かれる物の実際に行動するまでにはいたらなかった。今にして思えば早い段階から経験を積み手練手管を手に入れておけばよかったのかもしれない。そう思う。

 まじめだけがとりえだが入学できた大学は望み通りの就職は期待できなかった。そして家庭は父の失業により経済的に厳しい。都内で一人暮らしをさせてもらっていたが仕送りを頼れない状況になりアルバイトを増やしていった。

 そのような折りに、学友から夏休みにクルーザーで行われる財界の青年の誕生パーティでウェイトレスとして給仕をするというアルバイトを紹介された。もしかしたらお金持ちの青年に見初められ結婚できればそこから少しでも家に援助をしてもらえれかもしれない、と今にして思えば甘すぎる期待もあった。

『あんなことになるなんて・・・・・』

 口にくわえていた煙草のフィルターは平たく潰れている。やけくそな気分で煙草に火を点けた。むせる。

 高城は森本が主催するクルーザーでの誕生パーティで狂気にまみれた殺し合いの生き残りだった。死んだ者たちは全て海に捨てられていた。危機に際し救命道具を見つけると自ら海に飛び込んだ。陸を目指して漂っているところを奇跡的に漁船に救われた。

 後にニュースなどで調べても高城が体験した事件はなかったことにされていた。ただ、目の当たりで興奮に包まれながら喜きとして銃を撃ち合い凶器で殴り合う者たちと混乱して逃げまどう者たちの恐怖の顔。襲われていたのは給仕の制服を着させられた者たちだった。襲う側に着飾った学友がいたことに気がついた。

 家族には言えなかった。生き残っていると知られたら口封じに殺されるかもしれない、そんな恐怖から実家に帰省し外出できなかった。大学に休学届けを出した。SNSでアルバイトに誘った彼女が海難事故で死んだと知った。

 そして親に経済的な負担を強いている心苦しさと自分だけで生き残った自分は罰を受けるべきだと考えた。そして決闘代理人に応募し選ばれた。森本側に配置された時点で自分はここで殺されると確信した。楽になれるならそれで構わないと思っていた。

 篠塚と小沼たちのやりとりを見てその確信がゆらいだ。殺される覚悟を決めていたつもりだったのに迷いが 生まれた。吐きだした紫煙の立ち上る姿にクルーザーで見た銃から吐き出されていた煙が重なる。空気清浄器のモーター音が高なった。我に返る。肺を煙で満たすように吸い込んだ。ガラスに反射する煙草の灯が蛍が放つ光のように膨らんだ。

「生き残っちゃってすいません」

 誰に言うでもなくつぶやいた。煙草を咥える。吸い込んだ。息を止める。ちくちくとした刺激とのどの奥が強引に開かれていくような圧力を感じ、その痛みにテーブルに手をつき片膝を落とす。しばらく耐えて顔を上げるとガラスに反射する自分の姿が浮かんでいた。肺にため込んだ煙を吐きかける。煙が消えるとガラスの向こうに歩いている篠塚の姿が見えた。泣いていたのか手の甲で頬を何度も擦っている。篠塚が向かっている方向には先ほどの会議室があった。まっすぐに前を見る篠塚の横顔に胸がうずいた。

「どうして生き残るために必死なの? 」

 ★☆★

 智人は自分を避けるように歩き回る篠塚を追いかけていた。思い切って急ぎ足で回り込んで顔をのぞき込む。頬に涙の後が見えた。動けなくなった。言葉が消えた。救いを求めてあたりを見回した。自販機を見つけた。

「とりあえず飲み物買ってきますから落ち着きましょ?」

 目に付いた自販機に飛びついて躊躇い無く小銭を入れていく。体を動かさずにはいられなかった。そして、気がつく。篠塚の好きな飲み物も知らないことに。

「あ、あの、なに飲みます?」

「いいよ。お金ないんでしょ?」

「あ、じゃあ、食堂から水もらってきます!」

「いいよ。もう。私も行く」

「は、はいっ! い、いっしょにイキましょう!」

 食堂で二人でテーブルに腰掛け落ち着いてきたころあいに高城が話しかけてきた。

「すいません、あんな風に考えてくれたんですね。だからあたしにも冷たく」

「別に、そんないい人ってわけじゃなくて。あたしだって不安だった、ってだけ。まバレちゃしょうがないけど」

 三人は顔を合わせて笑いあい、梅内たちに絡まれないように後ほど飲み物や食べ物をを持ちよって智人の部屋でこれからの行動について話し合うことになった。智人の部屋で篠塚は種類を取りそろえたソフトドリンクのペットボトルをデスクに並べていく。高城を見る。高城はお茶の缶を持っていた。照れた様に笑う高城に親近感を覚えた。智人は篠塚が選んだものと同じミネラルヲーターを選んだ。

「ところでさっき、あの男に言おうとしてたことってあたしたちに話せる?」

「はい、むしろ聞いてほしくって。でもどうせ信じてもらえないかもですけど・・・・・・・・」

 高城の話に耳を傾ける。智人と篠塚はつっかえながらの、思い出した順に話し出す、要領を得ない説明を辛抱強く、時に質問を交えながら聞ききった。聞き終えると篠塚は高城にたずねた

「もしかして決闘なら楽に死ねると思った?」

 高城は答えなかった。

「正直それなら手を組めないんだけど?。それにできることなら他のやる気ある人に変わってあげてほしい。だって一回の決闘代行で手取りで三百万もらえるってさ、異常だよ? あたし決闘代理人だったから知ってるんだけど」」

「はい。知ってます。前金の百五十万は親にわたしました」」

「え? じゃあさ、生き残って残りの百五十万は自分で使おうって気にならない?」

「やっぱりお金、大事ですよね?」

「あー、あずさちゃん、あたしがお金で決闘してるって思ってたんだ? ま、そう思われてもいいけど。ま、実際、最初はそうだったし」

「じゃあ、なんでなんですか? 女の人って結構多いんですか?」

「うーん、まあ、いなくはないけど少ないよね。あたしは、合ったことはない。いるってことは聞いたことあるけど。まあ、自分にあってたってことだろうね」

「殺されるかもしれないのに? っていうか、殺してるんですよね? 生き残ってるってことは」

「そだよ? あたしは人殺し。キショイ? 逆に聞くけどどう? 実際に仕事で人殺しを見て。」ま

「あ、いやふつうだなって」

「どんなサイコ野郎想像してたんだよって、話だけどね。

「すいません」

「あ、いい、いい。実際サイコだし。あたし。やりたくって、できるんだったららやっちゃえば?って。そう思って実際やれちゃう。他の人にはそういうときに働くブレーキがあるんだろうなぁって思うよ。でも、あなたもそうでしょ? 一緒にされるのイヤかもだけど、ここにいるって、ブレーキ働かなかったんじゃないの?」

 言いよどむ高城を篠塚は首を傾げ瞳を見つめることで促した。

「あ、いや。なんか自然と。まあ今さら気づいても遅いですけど、えらばれたのもクルーザーで生き残ったから口封じだろうなって。それに、どうせ、あたし生きる資格なんてないですから。逃げるとき救命道具を使って逃げました。他の誰かのことなんて考えないで。そういう人間ですから。あたし」

「そっか。まあ、目の前で苦しむ人を見ないから気がつかないだけで世の中のたいていの人はたまーにしか他人のことなんて考えないんじゃない? あたしもそうだし。他人の不幸が密の味とまでは言わないけどさ」

「ですね」

 高城がうつむきしばらく考えている様子だったが篠塚構わず飲み物を飲んだ。高城は飲み物を入れたペットボトルをテーブルに置き両手で包んでいる。ペットボトルの中の液体を視ながら言った。

「篠塚さんはとても強いですよね。あんな男の人たちに立ち向かってるし」

「そうだね。ねえ、やっぱり高城さんみたいな人って、人を傷つけても平気でいられるようになるのがいやなの? 人から優しい人間と思われていたい?」

「・・・・・・・正直、両方、ですね」

「ふーん。師匠の受け売りなんだけどさ。他人を受け入れるには自分が満足してないと無理なんだって。で、どうせ満足なんて人間にはできないんだから、まあせいぜい自分の体を大切にしてやれって。他人殺して生き残ってきたうちらが今さら人に優しくとか言うか? って話なんだけどさ。どう?」

「なるほどですね。まあ、わたしは直接殺したわけじゃないけど」

「言うねえ、あずさちゃん。まあ、元気出たみたいでよかった」

 二人の間の緊張感が取れ、高城の瞳に知的な光が宿った。

「かもしれないですね。ちょっと頑張ってみます」

 二人の顔に笑顔が戻ると智人は言った。

「あ、あのー、俺の話も聞いてもらって大丈夫ですか?」

「うん、どうしたの?」

「俺、生き帰れたら百万って聞いてるんですけど。っていうか、前金なんてもらってないし、そもそも金が振り込まれる予定の銀行の通帳もカードももらってないんですけど」

 篠塚と高城は眼を見開いた。そして篠塚は智人の肩に手を乗せ言った。

「せいぜい自分の体を大切にしてあげて」

 笑いをかみ殺している篠塚の表情を見て智人はイスから崩れ落ち床に突っ伏した。

「うわっ! マジかっ? だまされた。絶対三百万あのちょびひげハゲや妖怪歯ぬけじじいどもで分け合うんだ、くっそ」

 しばらく打ちひしがれていた智人だが篠塚と高城の慰めをうけ続けた。生き残ることができれば二人から無利子、無担保で当座の生活費を貸し出すという申し出があり徐々に気持ちを切り替え始めた。

『あとからだって奴らから取り返せばいいんだ。いや、絶対に奴らから取り返す。俺だって他人を犠牲にしてでも自分のやりたいようにやるんだっ。それに俺は二人の女の人から金を貸してくれるような男なんだ。ヒモとかジゴロとかホストとか全裸の監督的な才能があるんだ。絶対に。やっべ、なんだか力がわいてきてどうしようもないっ!』

 それから三人は非常に士気高く打ち合わせた。三人でできるだけ戦闘を避け二十四時間逃げ切るという方針が決まった。そしていざとなったら人を殺す覚悟があるかを問われた。智人も高城も言葉に詰まった。そんな二人に篠塚は宣告した。

「最悪、あたし一人で逃げるよ? それから一週間、きっちり訓練してもらうし。とりあえず考える時間あったほうがいいから一回解散しよ?」

 智人と高城は頷いた。数時間後に再び智人の部屋に集まり二人とも決意を固めていた。篠塚が再度、命を落とす可能性が高いであろうこと、決闘場から逃げ出すことは犯罪であり殺人を手助けするほどの重罪として扱われることを確認したが智人と高城の決意は揺るがなかった。智人と高城は他人を犠牲にしてでも、それぞれ戸籍と金が必要であることを訴えた。

 そして作戦会議が始まった。篠塚は今回の決闘の舞台として選ばれた廃校の校舎の見取り図を用いて説明した。

「じゃあざっくり説明するから。細かいところはあとで聞いて。今回の決闘場はら見たらカタカナのコの字型の校舎。たぶん、立会人用のカメラがいっぱい取り付けてあると思う。これは気にしないで。いじるとこれも罪になるから」

 智人と高城は頷いた。

「で、ここから渡り廊下を通って体育館までが範囲。あと、地面に足をつかなければ逃亡扱いにはならないから。空中はオッケー。だからベランダとか壁づたいに移動するのはあり。もちろん渡り廊下の上も。うちらは渡り廊下とその屋根に鉄のウニみたいな奴と油を引いて侵入しづらくすしてから体育館に立てこもる。」

 そこで区切って篠塚は智人と高城の眼を見た。真剣な眼差しを確認すると説明を続けた。

「で、ざっくり説明するから向こうは学校の中は通らないでヘリで屋上まで運ばれて待機。うちらは普通に昇降口に待機。スタートまでお互いに校舎の中に仕掛けができないようにね? で、うちらは昇降口から入って重たいものもって速攻で体育館まで駆け抜ける。二人は体育館の観客席的なところから窓から外を見張る。で、入ってきたら智人君には降りてきてもらって戦う。高城さんには観客席から援護してもらう、って形」

 智人が得心を得た顔で行った。

「そっかそれであのムカつく親父たちは攻撃に行って返り討ちに合う、俺たちは攻めていくと思わせておいて二十四時間隠れてればいいってことか」

「まあ、理想通りにいけばね」

 それからも篠塚は説明を続け智人と高城は真剣に話を聞き続けた。はぐれたときの連絡のためヘッドセット付きのトランシーバーを使うこととそれが使えない状況での連絡の取り方。食事や休憩の取り方、二人に持たせる武器などの説明があった。武器類は篠塚がかつての仲間たちに連絡をしてホテルに送ってもらえることになった。訓練を通じて使い方を身につけてほしいとのことだった。

「それじゃ明日から大変だし早く寝てね」

 篠塚は説明を終えると高城から受け取った噴霧器を軽く振り、笑顔を見せてのまま部屋から出て行った。 部屋に残された智人と高城と目が合った。智人はこれをチャンスととらえた。

「俺たち…… 一週間後に死ぬかもしれないんだよね……」

「大丈夫ですよ。立原君なら」

「え、なんで?」

「え? ただなんとなくですけど。それじゃ明日早いんで」

 そう言って小さく軽く手を振ると高城は去っていった。扉が閉まる音。篠塚と高城が座っていたあたりに交互に全身を投げ出した。漂う匂いをかぎ比べている自分に嫌気がさしながらも、その後めちゃめくちゃ自慰をした。

 自慰を終え我に返った智人は千尋に連絡を取ることを思いついた。篠塚のときと同じように契約が解約されて今まで使用していた電話番号やメールアドレス、SNSアプリのアカウントなどが使えない旨を伝える文章も含めてフリーメールで送ってみた。返信があった。なりすましであることを疑われたため、ホテル名や電話番号を教え電話をかけてみるように提案した。するとこんな返信があった。

「セコっ! 電話代節約する気なんでしょ? あんたがかけてくれば。智人なら電話番号知ってるでしょ?」

「ばーか。俺の携帯契約解除されてんだよ? おまえが知らない番号からかかってきても電話に出ないの知ってるんだよ。とっととネットでホテルの番号調べてかけてこい。俺、フロントに行くから。そうすれば少なくとも俺がそのホテルにいるってことははっきりするだろ? あ、あと俺、別の名前でチェックインしてるからそれで呼び出せ」

「文章長っ! 長文は読みにくいんだから読む相手の都合も考えなよ」

 そうして、しばらくしてからホテルから呼び出されたく直接会話することだできた。智人と確認がとれた瞬間電話口で千尋が泣き出した。胸が痛んだ。そして、智人が死んだことになっており葬儀まで行われたこと。立原家には新たな養子がもらわれたことなどを教えてもらった。

「本当に生きてたんだね? 大丈夫? ご飯食べてる? ちゃんと寝れてる?」

 千尋の鳴き声に、質問の内容に、つい先ほどまでめちゃくちゃ自慰をしていた自分を恥じた。

「ごめんな。自分のことに必死で考えたこともなかった。俺はなんとか生きていくからさ。おまえも元気でな」

「生きていくってどうやって? 仕事はどうすんの?」

「大丈夫だよ。バイトしてるから。」

「智人の生活が落ち着いたら会おうよ。電話して。公衆電話からでも出るようにするからさ」

「わかった。必ず生きて会いに行くよ」

 電話を切り、スマートホンで卒業式に撮影した千尋や決闘に巻き込まれた日に撮影した篠塚の写真を見た。どちらも舞い散る桜の中、美しくほほえんでいた。そして、しばし考え智人は重大な決意をした。

 オナ禁である。

 決闘が終わるまで自慰を我慢し訓練に全精力を傾けることに決めた。さきほどむちゃくちゃ自慰をしたのですっきりしていたからこそ安易にできた決意であることを自覚できていなかった。厳しい訓練の中、智人は己の性欲の深さに戸惑い、恐れを感じながらも押さえきれない衝動により変態行為は繰り返された。最初のものよりも恐ろしい形相で。篠塚や高城が逆に頼もしさを感じるほどに。

 篠塚はその若さ故の経験不足から男の性欲について把握し切れていなかった。全てが敵に見える状況で智人の性欲まで考える余裕はなかった。そのため、自分の姿が見られているとは知らずに、折りを視ては無防備にトレーニング中の姿をさらし続けた。高城も同様である。智人の訓練という名の変態行為に力が入り、その性欲モンスターとしてのエネルギーを訓練で発散した。

 特に木剣による古タイヤへの打ち込みに没頭した。篠塚の指導により頭の上まで木剣を振り上げ古タイヤ二向けて全力で振り下ろす。反動でひっくり返りそうになる。そこを耐える。次の打ち込みを続ける。何度も何度も打ち込んだ。篠塚が指示した千回を軽く超えて回数をこなした。

 打ち込むときは篠塚に教わった猿叫(えんきょう)と呼ばれる雄叫びをあげた。雄叫びで相手を怯ませ一撃で戦闘不能に追い込む打撃を加える。シンプル故に反復の回数次第で素人の智人でさえも段々と様になっていく。そして智人はできるだけ反復できるように一つ工夫を加えた。

『このタイヤは篠塚さんのお尻、このタイヤは高城さんのお尻、このタイヤは千尋のお尻。寺井のお尻は叩かない・・・・・・』

 自慰を自ら禁じた性欲モンスターは人を殺す訓練の中でスパンキングの夢を見ていた。

 ☆☆★

 筋肉痛がつらかったがホームレスだったこころと比較してよく眠れた。みるみる心身の健康を取り戻していった。訓練のハードさと忙しさの中で会話らしい会話などないまま研修期間は瞬く間に過ぎた。智人たちの筋トレや訓練、さらにはダンススタジオで行われた篠塚の指導による実践的な練習も繰り返し行われた。

 また、高城も援護として遠距離からウォーターガンや投石、スリングショットなどの腕を磨いた。その過程で智人は高城の練習のため、また智人の回避の練習のためにやわらかいボールやウォーターガンの生きた的として動き回ることもあった。それはホテルの近場の防砂林の中や砂浜などで行われた。足場や視野が悪い状況でも高城が撃てるようにあえて雨の中でも行われた。

 そのときには蒸し暑さと雨を防ぐために、動きがたい状況でも動けるようにという目的で、それぞれが水着のうえにポンチョを羽織る形で行われた。ホテルからレンタルしたその水着は流行にのったビキニの露出度の高いものであった。ウォーターガンには海水が充填されていた。当然智人は偶然を装い全力で己が股間を篠塚と高城の吹き出した潮に当てに行く。また、隙あらばポンチョの裾が捲れるように篠塚と高城の動きを誘導した。

「ねえ、智仁君。ボールとかは避けられるのにどうして水鉄砲は避けられないの?」

「あ、いや、海という生命の源のそばにいるとついつい水に引き寄せられちゃうっていうか」

「ふーん。なんかまた分けわかんないこと言ってるけどさぁ、本番じゃ、あっつい油とか真剣が振り回されるんだからね。ちゃんと周りを見て! トンボの目を身につけなきゃだめだよ! 教えたでしょ?」

「はいっ! もう一丁お願いしますっ!」

 まるで運動部員のように答えた智人であったがとんぼの眼はすでに身につけていた。 

 蜻蛉の目とはあらゆる方向を視る極意の例えとして教えられていた。元々写真を撮ることを趣味としている智人。目配りには自信があった。そこへうら若き美しいビキニ姿の乙女たちのポンチョの裾から、脇からのチラリズム。そこへオナ禁の効果である。そう、一時的ではあるが智人は飛んでいる蠅が雄か雌か判断できるほどであった。もちろん箸で捕まえるような真似はできない。

 むしろ、篠塚が叱るべきは股間に刺激を与えて射精してしまい、極限の戦闘モードから賢者モードに切り替わってしまうリスクを冒していることであったかもしれない。

 時折現れては訓練の様子を見て侮蔑の言葉を投げつけてくる小沼たちの連れている女たちも智人は全力でチラ見をすると妄想の世界でスパンキングしたった。と、言うわけである。

 こうして毎日疲れ切るまでに訓練を繰り返した結果、オナ禁は守られた。

 そのような厳しい訓練あっというまに研修最後の夜となった。智人は明日から始まる決闘に緊張を憶え寝付けない夜を過ごしていた。かつて篠塚と高城の二人が座っていたあたりに擦っているうちにいたたまれなくなり毛布を抱きしめながら右に左にとのたうちまわる。高城の少し見開かれた瞳、乾いた声が脳裏に浮かぶ。そのたびに赤面し舌打ちし溜息を吐いてのたうち回る。自慰の禁断症状が現れていた。

『一発ヌいてすっきりしたほうがよく眠れていい結果が出せるよ。いやだめだ。いざとなったら人を殺すかも知れないんだ。殺すKAKUGOを作るためにも凶暴なままでいたほうがいい』

 己の中で悪魔と悪魔が囁き続ける。それに耐えていた。そんなときだった。控えめなノックの音がした。時刻を見てみるとすでに二十三時を回っている。

『誰だろ? こんな時間に。もしかして女子が俺の部屋に』

 跳ね起きた。心臓が高なっている。呼吸を整えた。ドアを開ける。篠塚が立っていた。黒のフード付きのスウェット姿だった。ぎこちない笑顔にとまどう。

「ごめんね。お願いがあるの?」

「あ、はい。なんですか?」

「今日、この部屋に泊めてくれるかな」

 この童貞男子が期待しつつも絶対に言われることのないであろう言葉に智人の局部は復活の勃起完全体となった。角度で言えば百七十九。腹にめり込む一度前である。

「え、え、ええ、もちろんいいですけど」

「ごめんね。あたしの部屋。どうやら曲者が忍び込んできてさ。撃退はしたけど、ちょっとパニクっちゃって。とりあえず君のところにも曲者が来るかもしれないから一緒にいたほうがいいかなって」

「あっ。はい」

「眠れそう? シャワーだけじゃなくてぬるめのお風呂に入ると眠れるよ」

「あっ、そうですね。じゃあ、俺風呂はいるんでベッドで待っててください」

 期待に胸と股間を破裂しそうなほど膨らませている智人。飛び込むように浴室に駆け込んだ。それを見た篠塚は少し首を傾げたがベッドに体を横たえた。智人はまず自分を落ち着かせたかった。なにをなすべきか考えた。

 自制心を押さえきれなくて篠塚さんを襲っちゃったらどうしよう? あるいはエッチできたとしてすぐにイってしまったらどうしよう? シミュレーションしてみる。

『やれやれ僕は射精した』

 射精後の賢者気分で言ってみる。ダメだ。とりあえずセックスはできる前提で考えてしまう。智人は読書で得た知識を現実に転載することの困難さを知りおとなしくオナ禁をあきらめ一本抜こう。包皮を剥き、低刺激のボディソープを亀頭に塗り込みはじめた時だった。浴室の外から声がかかった。

「智人くーん。ちょっと聞いてくれるー?」

 ビクゥっ! と、なりながらも呼吸を整えつつ答える。

「はーい。なんですか。」

「顔見ると恥ずかしいからここで言うけどー」

「えっ?」

「信じてくれてありがとー。それだけー。じゃーお休みー」

 それに応えるかのように智人の陰茎は脈動した。それを見ていた智人。ゆっくりと刺激を与えないように時間をかけて亀頭のボディソープを洗い流した。流し終わる頃には汗も引いていた。備え付けのガウンを着込んで浴室から出る。もうどれほどの勃起にも負ける気はしなかった。

 浴室から出てきた智人を迎えると篠塚は手を後ろに回してベッドについた。無防備に胸部が智人の目の前にさらされる。智人は自分の鼻から細く長く空気を吸い込み太く短く吐く音が自棄に大きく感じらていたた。篠塚はペットボトルの水で喉を鳴らすと、言った。

「ねえ、今夜は眠れそう?」

「まあ。でも寝れきゃ寝れないで平気です。テント暮らしの時も眠れなくても次の日仕事はこなしてたから」

「そっか。初めては怖いし緊張するよね。大丈夫。私に任せて」

「いえ、別に怖くは・・・・・・」

「そっか。あたしは怖いよ。辞めればいいと想うけど辞められない。どっかで楽しんでるの。殺し合いを。生きてる感じがして。病んでるよね。あの、いやな男が言ってたでしょ? あたしが元々人殺しだって』

「あんな奴の言うことなんか信じないっすから。俺」

「うーん、ある意味事実なんだよね。事故なんだけどさ。憶えてないのね。あたし。見てた人たちが色々言ってさ。あたしはただ窓から雨に見てただけなんだよね。廊下を駆けてくる人にぶつかっちゃってさ。野球部が雨の日は廊下で練習するから一般の生徒はいちゃいけない場所ではあったんだよね」

「・・・・」

「で、聞いてもらっていい? 自分語りだけど」

「はい。」

「あたしね、そこから記憶障害っていうの? そういうのになっちゃってさ。ときどきいろんな記憶が抜けるっていうか、憶えていられないって言うかそうなちゃって、高校中退だしそんなんじゃ仕事できないじゃん? 親とは離れたし」

 智人は何も言えなかった。篠塚の話がシリアスな方に向かっていることを感じた。股間でだだをこねまくる息子を抱えつつも真剣に聞くことにする。

「ま、それで色々あって決闘業界で働くことになったってわけ。そうしたらさ、ちゃんと憶えていられるの。ふつうに。ま、インパクトつよい仕事だしね」

「ですね」

「そ。悪いことばかりじゃないんだよね。クライアントが女の人のときは女同士じゃなきゃわかりあえないこともあるからさ。それより智人君の方が大変でしょ? なんか親に捨てられちゃった感じで」

「いや、俺なんてちょっと頭がおかしいだけなんで」

「ホントに頭がおかしい人は自分のことを疑わないよ」

「え?」

 言葉を探したが見つからない。篠塚の穏やかな声が聞こえる。

「ねえ、生きて帰ってまたドライブ行こうよ。君の好きなところに二人で行こう」

「はい。一緒にイキましょう」

 見つめると篠塚は穏やかに微笑んだ。

「じゃ、いいの? ベッド使って」

「はい。俺も寝袋持ってるんでそれ使いますから」

「よかったら半分ベッド使って。体が固くなっちゃうからベッドで身体を休めた方がいいよ」

「えっ?」

「大丈夫。襲ったりしないから。なんてね。じゃ、あたし先に寝るから準備ができたらどうぞ」

 そう言って布団をかぶり瞼を閉じた篠塚。智人は部屋の照明を薄暗い物に変えた。

『優しさなの? 誘ってんの? はっきり言ってっての!』

 智人の眠れない夜が始まった。

 ★☆★

『あ、あの人についてきてもらえれば部屋に入れるかな? さすがにあの代理店男ももう待ち伏せしてないだろうけど』

 智人が悶々としていることロビーの喫煙所にいた高城は従業員の女がカウンターから出てくるところを見かけた。

 女は少し明るめの色をしたショートヘアを揺らし、台車で背嚢と呼べるようなリュックを運びながら小走りに歩いていた。タイトミニと蝶ネクタイにベストという制服が返って女の体が豊満であることを伝えていた。慣れた化粧が女の若さを隠しているのに気がつく。

『ちっ』

 思わず出てきた舌打ちで自分がいかにストレスを抱えているか感じる。煙草を備え付けの水を蓄えた吸い殻入れにつっこむとあわてて女を追った。だが、同じエレベーターには間に合わなかった。部屋のあるフロアで降りると智人の部屋の前に立つ女を見つけた。

『え? こんな時間になにやってるの? 智人君の彼女? いや、まさか。じゃあなに?』

 女はカードキーを用いて智人の部屋のドアを開けた。慌てて女の後ろに駆け寄る。扉の奥の光景が眼に飛び込んできた。薄暗いオレンジ色の照明の中に月光のような色をしたドアからの光が射し込み細くて短い通路を扇形に照らす。

 女はゆっくりと歩を進めた。高城も息を潜めて後に続く。やがてベッドが見えてきた。

 視界に飛び込んできたのはベッドの上で仁王立ちの智人の姿。全裸でギターをかき鳴らしているように見えなくもない。リズムを刻むかのように時折、尻のよこ側がへこむ。たじろぐ高城。踏み込んでいく女。高城は女が尻を引っ叩いた。智人が跳びはねる。

「勝手に入ってくんじゃねえよっ!」

 絶叫だった。 

 篠塚の寝顔を見ている内に耐えきれなくなった。オナ禁開けの自慰中に尻を叩かれた。皮肉なことにかつて自慰中に母親に邪魔されたときの記憶が蘇った。当時言えなかったことが口をついて怒鳴ってしまった。

 固まる高城と女の二人。その瞬間だった。ベッドから飛び出した篠塚。足をかけ女をベッドのうえに転がした。手首をひねりあげる。背中に馬乗りで言い放つ。

「こんの曲者がぁ! 智人君、なにか縛るもの持ってきて」

 呆然としている智人を見上げ激を飛ばす。

「とっとと縛るものを持ってきて! ガウンのひもでいいからっ。口と腕と足で全部で三本分!」

「はいっ!」

 篠塚は女の両腕を慎重に引っ張り背中側で手首を交差させた。想像していた抵抗はなく、声を出さずにいることに女の不気味さが増す。智人が篠塚に浴衣やバスローブの紐が差し出す。

「口と腕と足。どこから縛りますか?」

「腕、足、口。その前に明かりをつけて落ちついて正確にね」

 女の手足を縛り上げた。その要領のよさに篠塚は感心した

「器用なんだね」

「いやあ、たまたまですよ。ところでこいつをこのまま運びやすくする縛り方があるんですけどもうちょっと長いひもがあればできるんですけど。」 

 当然智人はエロ動画も視ている。智人の脳の映像記憶フォルダにはSM動画も網羅されいるのだ。

「ごめんね。持ってきてないや」

 篠塚は女に告げた。

「いい? 下手に大声だしたら女だからって容赦しないわよ?」

 女は声を荒げた。

「うるっさいなあ。ちょっと離してよ、なんなのこれ」

 智人に言う。

「智人君、ちょっとさるぐつわもしちゃって!」

「はいっ!」

 篠塚が指で示すとおりに顔を横に向けている女の後頭部の方に回りこんだ。両手で紐の端を持ち前後に大きく動かしながら女の顔とベッドの間を這わしていく。丁寧に撫でつけられまとめられた髪をまとめてある位置と己の両手の位置からガウンの紐が女の口に届いたと見た。ひもを縛りあげながら篠塚の言葉を聞く。

「いい? おとなしく話をする気になったら猿ぐつわははずしてあげる。それまではイエスなら頷く、ノーなら顔を横に振る。それで意志表示して。まずわたしの言うこと聞いてくれる?」

 イエスの返事だった。智人は女の顔をのぞき込んだ。そして思わず噴き出して笑ってしまった。

「笑ってんじゃねえよ。サド野郎。フガ」

 女の鼻声。ガウンの紐は口ではなく鼻を絞めつけていた。もともとの人相がわからなくなるほど鼻の穴が強調されている。さらに女は続けていった。

「笑っていられるのも今の内だからね。この人たちにあんたお得意のエアギターしてる映像見せちゃうんだからっ!」

「え?」

 智人はあわてて女のさるぐつわをはずしてやった。現れたのは智人の幼なじみの千尋であった。
 
 高城はにらみつけてくる千尋から視線をそらし、視線の先にあった全裸の智人を見るとはなく見ていた。篠塚はいまさらながら智人が全裸であることに気がついた。千尋は二人が智人の全裸になにも言わないことに疑問を感じながら智人に言いつけた。

「とりあえず、出すもん出しちゃいなさいよ。待っててあげるから」

「出すもんってなんだよ。俺がやってたのはエアギターだって言ってんだろ?」

「はん、明日は命がけで戦うっていうのにまた変なことししてて頭おかしいんじゃないの?」

「っていうか、お前こそなんでここにいんだよ? ここは俺んちじゃないんだぞ? どうやって入ったんだよ」

「マスターキーに決まってんでしょ。あんたからメールもらってから予定変えて、ツテを頼ってこのホテルで働かせてもらったの。心配で様子を見に来てあげたんだからねっ」

「はい、でましたでました。心配してあげた、ってなんですか。大きなお世話なんですぅ。俺はお前と違って世間を知りましたからなそんな無神経なことは言えませーん」

「何よっ! 寝てるこの女の人にまたがって裸でおちんちんいじってたくせに頭おかしいんじゃないの?」

「だ、だか、だから、それはエアギターだって小五んときから言ってんだろ? ロックの魂を俺に降ろす儀式だっつぅの!」

 繰り返される罵り合いに篠塚と高城は怒ればいいのか笑えばいいのかわからずしばらく二人を見ることしかできなかった。

 ☆☆★


「あたし謝らないからね。智人がいうこと聞かないのが悪いんでしょ? お二人とも気にしなくていいですよ。智人が泣き虫なだけですから。昔っから、そう!」

 千尋は拘束を解かれ智人のとなりでベッドに腰かけさせられていた。篠塚はデスクに腰を起き、高城はイスに腰掛けていた。智人の鼻を啜る音が、篠塚の咳払いが、時折、部屋に響く。

 高城は耳元で囁く。

「ちょっと二人で話せませんか?」

 連れだって二人は智人の部屋を出た。

「篠塚さん、どうします? これじゃなにか智人君がいじめられてるみたいに見えますけどタオルで隠してましたけどあそこが膨らんでるみたいだし、むしろ楽しんでるじゃないでしょうか? そういうのが好きな男の人もいるって何かで読みましたし、それにあの千尋ちゃんが見せてくれた動画」

 千尋が切り札とばかりに二人に見せたスマホの中の動画。小学五年生の頃からの智人の自慰行為が多数記録されていた。見られていることに気がつきぶち切れるところまでさっき目撃した様子と一緒だった。

『この人、そんなとこばっかり見てんの? っていうか、今そんな話ししてる場合じゃないでしょ? あれ?でも何話しに来たんだっけ?』

 驚きはしたが篠塚は気を取り直して答える。

「いや、私も何がなんだか・・・・・・とりあえず、話してみるけど」

「あ、じゃなくて、このまま二人にしてあげて、あたしたち部屋に戻りません? 二人の喧嘩に巻き込まれてる感じだし放っておけばよくありません?」

「あ、まあ気持ちはわかるけど」

「っていうか、どうして篠塚さんは智人君の部屋にいたんです?」

「あ、それはね、あたしの部屋、誰かが侵入しやがってさ。彼のところにもくるかと思って捕まえてやろうと思ったのよ。」

「なるほどですね。でも、それ、あの千尋って子にたのめば防犯カメラとか見せてもらえるんじゃありません? っていうかカードキーの部屋に忍び込めるなんてもしかしたらあの子かもしれませんけど」

「まさか」

「でも、あの子、ほんとは何しに来たんでしょうね? 普通。幼なじみでも来なくないですか?」

「え? そーお? あ、そっか。高城さん、智人君の事情知らないんだ? ま、本人に聞けばいいんじゃん?」

「いや、待ってくださいよ、そんなの正直に答えるかわかんないじゃないですか」

「でも、考えてもしょうがないからさ。高城さんは戻っていいよ。あとはあたしが話してくるから」

「あ、でも、あたし、あの梅内って人が待ち伏せしてたんで部屋に戻るのいやなんですよね。できれば、あたしが篠塚さんと同じ部屋で寝たいっていうか」

「そっか。じゃあ、あの子このホテルの関係者らしいし部屋変えてもらえるか頼んでみようか」

「はい」

「で、明日はできることを確実にやっていく、ってことで」

「はい」

 二人は笑顔を見せ合うと再び智人の部屋に入った。よく聞き取れないが声が聞こえてくる。声音から智人が深刻な様子が伝わってくる。声をかけるか戸惑いつつ二人は顔を見合わせてた。高城が唇の前に人差し指を裁てた。篠塚も従うことにした。

「おい、早く帰れよ。篠塚さんをここに泊めなきゃいけなんだよ。いろいろあって」

「え? なんで」

「篠塚さんの部屋に曲者が入ってきたからだよ? っていうか、ここのセキュリティどうなってんだよ?」

「マジで? ちょっと、確認する。あと、別の部屋であいてるところあったからそこに移動してもらうよ」

「大丈夫だよ。俺が守るから」

「エアギターで? っていうか、もっと面白い動画あるから見せちゃおっかな」

「なんだよ、やめろよ、このストーカー」

「ちょ、止めてよ。どこさわってんのよ」

「おまえが胸ポケットなんかにスマホしまうからだろ? 寄越せよ」

 智人は千尋をベッドに押し倒し胸元をまさぐっていた。篠塚との訓練の成果か人と対峙しふれあっている中でも不思議と千尋の様子がよく見えた。千尋うなじの送毛、耳たぶにピアスの穴。千尋の黒いストッキングを薄く伸ばしている太股辺り。身を捩る千尋の頬が桃色なのは化粧のためだけではない。

 勃起した。腹にめり込む一度前で硬直している。所謂「角度は百七十九度」である。

「あ、あたし、高城さんのところに二人で泊まるから。明日もあるからほどほどに。あ、あと武器のリストもメールしとくね」

 篠塚の声に硬直した。心臓を捕まれたように体全体が硬直した。

「こ、こ、これ誤解ですからっ!」

「うん、別に気にしてないって。っていうか、鵜の目鷹の目よりもトンボの目、って教えたでしょ? ひとつのことに集中すてると横や後ろからやられちゃうからね?」

「いや、後ろからヤっちゃうとか、ホンとそういうんじゃなくて」

「まあ、別に二人がそういう関係ならいいって」

「あ、いや、そんなんじゃ」

「あと、生き残っても打ち上げドライブは止めとこうね。車、車検に出してるの忘れちゃってたんだ。あ、あたし、記憶障害再発したかも? 明日になったら君のこと忘れてたらごめんね。それじゃ」

「え、そんなぁ」

 篠塚と高城の姿が消えると智人は見張るにくってかかった。

「さっきのあれ、何だったんだよっ? つーか、おまえ絶対気がついてただろ? おいっ。くっそ訓練したのになんでおまえのこと気づけなかったのかぁ、くそ」

「やーめーて、大きな声を出さないでー。他のお客様にご迷惑かけないでよね。じゃ、エアギターで孤独な智人リサイタル、どうぞ」

 千尋はその言葉を置きみやげにドアを閉じた。一人薄暗い部屋に取り残された智人はそのあとめちゃくちゃ筋トレした。

 ☆☆★

 朝日がカーテンの隙間から差し込んでいる。梅雨の貧しい日差しが外気の肌寒さとうっとうしい湿り気を想像させて気を滅入らせる。タオルケットを被り腕だけ伸ばしてエアコンのリモコンを探した。見つからない。

『考えてみればテント暮らししてる頃はエアコンもベッドもないのが当たり前だったんだよな…… 家にいた頃は自分でエアコンの操作をすることなんかなかった。誰かがやってくれてたんだな。そのときそのときで当たり前になっちゃうもんなんだな』

「よっ、と」

 一声発し、勢いをつけてタオルケットを足で蹴り飛ばす。ベッドから飛び降り弾き飛ばすようにカーテンを開く。勢いよくTシャツを脱いだ。トランクスを履いていないことに気が付く。朝勃ち、半端ない。

 昨晩は高城も騙されて決闘代理人をやるのかもしれないという疑念が浮かび、解決方法を考えるうちに寝つけなくなった。 そのうちに高城に慕われるという空想が浮かび始めた。気が付くと股間を左手で握っていた。自慰にふけりたくなる。 高城と篠塚を想う。手が動き出す。寺井を頭に浮かべる。手の動きは止まり、寺井が今頃何をしているか想像した。

 だがどうしても拓也と寺井の性交の場面が頭に浮かぶ。寺井の笑顔、泣き顔、そして夏服を着た寺井の胸元や背中、脇が目に入ると必死で視線を外していたことを思い出す。そして、まなじりに涙の滴を感じている内に眠りに落ちた。

 智人は昨夜の寝入りばなことを思い出すと頭を軽く降り視線を落とした。床に落ちたエアコンのリモコンが目に付く。拾いあげ除湿を始めてから浴室にはいりシャワーを浴びた。シャワーをおえるとTシャツとサイクル用パンツを履きタオルで頭を巻いた。ベッドメイキングを行い、荷物を全てバックパックにまとめる。ベッドに腰かけ来るべきノックを待った。

 決闘代理人になることに実感を持てぬまま改めて資料に目を通しているうちに理性的なノックの音が響いた。ドアを開けると白衣を着た医者と制服を着た刑務官が立っている。二人とも三十代半ばと思われる女だった。刑務官は長い黒髪を首の後ろで束ねていた。両手を背中の後ろに廻している。医者は首のあたりで切りそろえられた髪を耳にかけていた。白衣のポケットに両手を入れて髪を耳にかけていない方にわずかに首を傾げていた。

 女たちは事務的だった。

 女医の指示通りにTシャツを脱ぎ、ベッドの端に座ると、胸、腹、背に聴診器をあてがわれた。瞼袋を指で押し下げられる。舌を出せと言われる。出した舌はガーゼで包まれゆっくりと引っ張られる。

「目を閉じて。『えー』と言い続けてください」

 言われたとおりにする。口の端から唾が溢れてきても続けさせられた。そのうち咳き込むと舌は解放された。咳き込み終わると同時に言われる。

「全裸になってベッドに横たわってください。膝を抱えて丸まって」

「え? 全部脱ぐんですか?」

 尋ねると女医は無表情に言った。

「はい。全部です」

 刑務官の方を見るとバックパックの中身を全て取出し並べていた。視線に気が付いたのかこちらを振り向き刑務官は言った。無表情だった。

「体の中で何か隠せそうなところは全て見させてもらいます。女性はもっと恥ずかしい想いをするんですよ?」

 刑務官に頷いて見せると黙って服を脱ぐ。脱いでいる最中に後ろから声をかけられた。

「人に包皮を剥かれたくなかったら自分で剥いておいてください」

 言われる前に剥いていた。ただ勃起しないことを祈りながらベッドに横たわる。肛門に触れる冷たい何か。勃起した。女たちの顔を窺った。女医も刑務官も特に反応しない。間抜けな笑顔を引っ込めた。

 医者と刑務官が部屋を出て行くと荷物を持って食堂に向かった。食堂に入ると高城と篠塚が向き合って座っているのが目に入った。他の客が来るには早い時間で他の決闘代理人は身体検査を受けている。食堂に二人きりだった。配布される弁当を取りに行きながら二人の様子を窺う。

 高城は砂色のポンチョ姿で篠塚はいつものセパレートのスポーツウェアではなく凛とした袴姿であった。二人は食事よりも会話を優先しているように見えた。目の前の食事からは湯気が立っているがまだ手をつけられていない。支給される弁当ではなく別料金を支払わないと食べられないものだった。

 カウンターに並んでいる弁当を手に取ると二人に会釈する。高城の隣に座った。二人は会話を再び始めた。

「ねえ、智人くんよく眠れた?」

「まあ、お二人は?」

「あれからすぐに寝れたよ。でも、よく眠れてないでしょ? そろそろ移動するけど、バスの中で少しでも寝ておきなね?」

「はい」

「ね? いざってときに護ってあげる、なんて正直言えないからさ。最後は自分で生き残るしかないんだからね。高城さんも」

「はい。ありがとうございます」

 三人の間に沈黙が流れた。智人は空気を変えるつもりだった。

「ところで二人ともなんでメシ食ってないんですか?」

「高城さん、教えてあげたら?」

 高城の瞳を見つめた。

「あのね。わたししばらく人とゴハンたべてなくってね」

「はい」

「これが最期のゴハンかもって思ったら誰かと一緒に食べたくなっちゃって」

「そう・・・・・・・ですか?」

 篠塚が割り込んだ。

「そ。だから待ってたんだよ。君を」

「え? まじで?」

「うん。もちろん。篠塚さんも付き合ってくれたんですよ?」

「うん、こういうことって結構大事だからさ」

 言葉が出なかった。横腹をつつかれる。横を見ると高城が微笑んでいた。

「これあげるね」

 弁当の上に唐揚げが乗せられた。

「ありがとうございます」

 弁当の横に缶コーヒーが添えらえた。

「あとで眠気覚ましに」

 目頭が熱い。下唇を噛んだ。言葉を弾き飛ばした。

「か、か、か帰ってきたら三人で食事に行きましょう。俺がおごります」

 三人で頷き合った。視界が滲んでいる。腕で瞼をこすって弁当を頬張る。箸を持つ手が右手であることにきがついた。構わず食事を続けた。少しでも二人とわかりあうことに力を注いだ。

 そこへ、腰と尻の曲線が優雅に露わすタイとミニのスーツ姿で髪をなびかせた熟れた女が情報端末を胸元に携えやってきた。女は智人の脇で片膝をつくように屈み込むと、丁寧かつ事務的な態度で名を告げた。決闘を滞りなく進行させるための管理官であった。

「原告側の決闘代理人に変更がありました。予定の代理人一名が急死のため他の代理人が参加します。昨日プールで泳いでいたときに心臓麻痺だったそうです。決闘申請者の森本氏には、こちらから一名代理人を減じて数を合わせるか原告側に補欠の代理人を加入させ人数を合わせるかが選択でき、森本氏は先方に補欠の参加を認めることを選択されました」

 女の丁寧でありながら話を遮らせない迫力に押され高城はただうなずくしかなかった。篠塚は高城と智人の様子を見て取り場の空気を和ませようと言った。

「まあ、ここで君たちのうちどっちかだけが帰されるよりはよかったんじゃない? どっちになっても相手のことが心配でしょ? それに生意気なあたしが帰されたかも知れないし」

「そっか。あたし、ちょっと考えちゃいました。急病なら帰れたのかって」

 高城の言葉に智人は答えた。

「すごいな。俺なんてそんなこと考えつきもしなかった。ただ、」

「ただ、なんなの? ぼーっとしてたけど」

「あ、いや、ただ、プールで泳いでいた人は何泳ぎだったんだろうって」

「え? 興味持つとこ、そこ?」

「ええ、まあ、なんとなく」

 嘘だった。ただ、若い篠塚や高城のような弾力を感じさせる肉体ではなく、少し弛緩した、それでいて柔肌が濃縮されたような熟した女管理官の開襟のブラウスから覗く白い胸元をチラ見しながら、揺れる谷間を全裸の全力バタフライで波立たせる妄想に耽っていただけだった。

 女は眼鏡の位置を直すと告げた。

「急病とは申しましたが、医師の診断も受けてます。お腹や頭が痛いというレベルではありませんし、まして生理休暇なんてのも決闘代理人にはありません」

 和んだ空気が引き締まる。

「では、頭に叩き込んでくださいね。」

 そして女は補欠の女の資料として情報端末に映る画像を見せた。

「うそだろ?・・・・・・」

 三人が見せられた情報端末に映っているのは、髪を艶やかにまっすぐに固めて、意志の力で目尻を下げて、口角をあげて、自棄に白い歯を唇の隙間からこぼす不自然だが求めに応じる笑顔は、智人が焦がれて、自慰で汚すことさえ自戒している寺井紗織の作り笑顔であった。

 「準備は済まされましたか? あと十分ほどで出発ですよ? 大丈夫ですか? 顔色悪いですよ?」

「あ、はい。」

 寺井が決闘代理人になったという事実に智人の心奪われていた。係りの女はひざまづき智人の膝の上の手に手を重ねた。女は智人はたずねた。

「こわいですよね?」

「ええ」

「私からは何も言えませんがご武運を」

「は、はい」

 智人の意識は女に触れられている手に寄せられた。立ち上がるそぶりを見せた女に慌てて訪ねる。引き延ばしたい、この時間。と体言止めで思うほど女の手の温もりに包まれていたかった。

「あ、あの、実際俺が守る森本さんはどの人なんですか?」

「森本氏とは現場で集合です。到着してから開始時間3分前までバス内で待機となりますので、あいさつは校舎に入ってからお願いします。では。改めてご武運を」

「あ、はい。」

 智人はひざまづき頭を下げる女の胸元をガン見。そしてすっと立ち上がり去りゆくタイトミニの女の揺れる尻をチラ見。そうしつつも他の者たちの様子を感じていた。

『もしかしてこれが蜻蛉の眼、ってやつか? 少し試しすか』

 智人は楽にソファに座り直し、正面に顔を向けながら周囲を観察してみた。それぞれ思い思いの格好をしている。剣道で用いられる濃紺の袴姿に髪をポニーテールにまとめた篠塚のりりしい横顔。濃緑のポンチョでその小柄な体をすっぽりと多い膝から先だけを露わにしている高城の緊張で青ざめている横顔。己の視野の広さに満足すると智人は篠塚に尋ねた。

「ところで俺、ほんとにこの格好ですか? ちょっと重いんですけど?」

「大丈夫。筋肉ついたでしょ? それに、何気に全部意味あるんだよ? あたし必死で考えたんだかんね」

 智人は戦国時代に足軽と呼ばれた兵士の格好をしていた。頭に革製の陣笠 ,腕には籠手、足に脛当て、体には鎧、足にはブーツ。武器は技術が未熟な智人は真剣を使いこなせないという理由で木剣。予備の武器として鉈を腰に挿している。

  そして、連絡用に耳にはヘッドセット、着物の内側に付けられた内ポケットに入れられるだけの荷物を入れた。腰に携帯食料と小型の水筒、ヘッドセットの予備の電池などを個別に入れた袋が取り付けられている。

「あ、いやわかっちゃいるんですけど」

 智人にとって足軽は歴史の教科書や資料で見かけた下っ端という印象だった。どうせ戦国時代の格好をするなら武将のような豪華なものがよかった。

 こうやって、別のことで考えが紛らわせてもやはり寺井のことが頭に浮かんできた。篠塚に相談しようとして智人が口を開いた瞬間、踏みならされる足音が聞こえてきた。振り向いてみるとエレベーターから小沼が率いる男たちが降りてきていた。

 それぞれ紺色の戦闘服に胴に防塵ベスト、手足にプロテクターを身につけている。その後を梅内は迷彩服に身を包みついてきている。男たちは智人たちに向かって侮辱の言葉を口々に吐き出している。

「ハッハッハ、ココハブタゴヤデモ、サルゴヤデモナイゾ」

「ヘイ、ナデシコ、ファックユー ディープスロート マイ ディック」

「ハイ、ヘンタイロリガール、アヘガオプリーズ! 」

「バカ、チンピラ、コノクソドモ、シネ、サノバビッチ」

「サノバビッチだと? この野郎!」 

 智人は激怒した。オナ禁と訓練の成果か十分に攻撃的になっている。体格差など関係なく食ってかかる。そこへ梅内が立ちふさがった。。ビデオカメラで撮影をしている。駆け寄ってきた篠塚が梅内に言った。

「ちょっと勝手に撮らないでよ」

「ふん、俺が何をしようが勝手だろ? それにどうせお前たちは死ぬんだから」

「あ、俺、こいつ撮ります」

 智人は懐からスマートホンを撮りだし梅内を撮影した。

「やめろ! 偏差値四十程度のお前等じゃ知らないだろうが俺には肖像権ってものがあるんだよ」

 梅内は智人のスマートホンを取り上げようとした。お互いに片手で相手の胸ぐらをつかみながらレンズを向け合い罵り合う。

「俺らにだってあるに決まってるだろ! それにこれから大事な話をするんだから邪魔するなよ」

「ふん、お前ら愚民は私たちが踊らせてやらなきゃ何もできないくせに。一人前に自分の意見なんて言ってないで、喰ったピザが無かったことになるとでも信じてダイエットコーラ飲んでろ! この童貞が! おい、ちょっと小沼、こいつ何とかしろよ」

「もういいって、智人君」

 篠塚の声で智人は梅内から手を離した。しばらくにらみ合っていたが席に戻り口を開いた。

「すいません、ちょっと困ったことがあって、いらついちゃって」

「もしかして知ってる人なんですか? 補欠の人の写真見てから顔が怖いですよ?」

 高城が心を寄せるように訪ねてくる。

「ええ、ちょっと」

 そう言うと智人は考えた。殺し合いどころか取っ組み合うような喧嘩でさえしたことがないであろう寺井を戦力として期待するわけがない。篠塚から決闘を外国の会社にいいようにされないために検事側には腕利きの代理人が格安で集まったと聞いている。

 そのようなプロが、急遽参加させられた小娘にかき回されるくらいなら人数が減る不利を考慮しても寺井には余計なことをさせないとと判断するであろう。

『たぶん、検事の人とここから一番遠い教室で一緒に守られてるはず。小沼たちがすぐにやられてくれればいいんだけどこいつらが勝ったら絶対寺井になにかするはずだし、向こうの代理人にも決闘中に女の人とヤっちゃうような奴がいるし。でもなあ、何もしないでいたら意外とあっさり終わるかもしれないしなぁ』

 堂々巡りの智人に篠塚は催促した。

「なに? 考えまとまってなくてもいいからとりあえずなんか言って」

「はい。寺井って言って俺の知り合いです。たぶん彼女も金に困って・・・・・・」

 篠塚は智人の話を遮って身を乗り出して訪ねた。

「ねえ? もしかしてその寺井さんて子のこと助けようとか思ってる?」

「はい、できれば」

 間髪を入れずに篠塚は言った。

「今すぐこの場で選んで、その子かあたしたち」

「え?」

 思わず高城を見た。高城も身を乗り出して真剣な眼差しで智人を見ていた。

「当たり前でしょ? 敵なんだよ? その子。その子を無事を祈るくらいなら許してあげる。でも、彼女を守ろうとするんなら一緒に行動できない」

 うつむいてしまった。篠塚の言うことはもっともだった。お互いに命を預け合っている。そして、智人がいる前提で三人の役割分担を決め、訓練をしてきたのだ。敵と知り合いだけならまだしも、敵を助けたいという智人と信頼関係が築けるわけがない。篠塚の瞳を見つめ返しながら高校の入学式で久方ぶりに寺井を見かけた時のことを思いだす。

 校門をくぐり校舎までグラウンドを歩く。風が強く、グラウンドの端に植えられた桜が砂ぼこりの中、舞い散っていた。緊張した面持ちで不安げに一人で歩く寺井。大抵の生徒が母親が同伴しているなかで一人で歩く寺井はその美しく清潔で品を漂わせる容姿もあいまって目を引いた。

「運命の女(ファムファタール)」

 見惚れていた。目の前を通り過ぎても背中を見ていた。声をかけることはできない。母親に学生服の裾を掴まれていた。隣には、まだ自分よりも背の高かった千尋とその母親が並んで歩いている。

 ただ見ていた。拓也が寺井に声をかけるのを。頬を染め、拓也に微笑む寺井の横顔を。ただ見ていた。思い出して腹の底から湧き上がるエネルギーを持て余す。

 篠塚は寺井の無事を祈る程度なら一緒にいててもいい、とまで言った。少しでも不安な要素をは無くしたいはずなのに。智人も誠意を見せるべきだと、否せめて誠意を見せたいと願った時点で答えは決まった。

「すいません、俺、一緒にはいられません」

 出てきた言葉に自分でも納得した。寺井を想って十年ほどが過ぎた。すっかり心を囚われている自分に呆れもするがいたしかたない。

「わかった。ヘッドセット返して。あとこれから決闘が終わるまで君の言うこと全部信じない。高城さんもいい?」

 高城はしばらく篠塚と智人の眼を交互に見ていたがやがてうなずいた。それを見て智人も言った。

「わかりました。ご武運を」

 せめてもの誠意として篠塚と高城の眼を見て言った。そして、自分のリュックを担ぐと二人から離れていった。

 ☆☆☆

「みなさん。あちらが森本氏です」

 係りの女が決闘代理人たちの点呼を取り終えたころ、智人たちの前で黒塗りの高級車が止まった。運転手がドアを明けると森本は現れた。高級スーツに身を包んだ細身で長身の青年だった。

 決闘場の舞台となる廃校に到着してあとは開始時刻を待つばかりとなっていた。廃校とは言っても現代的な鉄筋コンクリートの立派な校舎の昇降口の前である。

 寄り添う高城と篠塚、口をたたき合う小沼たち屈強な男たち。そしてカメラを回す梅内。一人離れたところでたたずむ智人。梅内は決闘が開始されたら撮影が禁じられる旨を告げられたが、意に介さずそれまでなら取材の自由があるだろう? と撮影を続けていたそのカメラをポケットにしまい、森本に手もみしながら駆け寄っていく。

「ちっす。森本さん。今回はあざーず」

「おう、で、あの女たちかお前の仕込みか? 顔見させろよ。女はビジュアルファーストだっていつも言ってるだろ?」

 梅内はうなずくと篠塚に近寄り声をかけた。

「ほら聞こえてただろ。顔を見せなさいよ。一般人の君たちは知らないだろうけど森本さんのお父様は国政に多大な影響力があるんだよ?」

 篠塚と高城、男たちも顔からすっぽりとフェイスマスクで顔を覆っている。そのまま無視を続けていた。

「おい、なんだよ? ウメ。お前仕込み出来ないのかよ? だからお前はいつまでも竹や松になれねえんだよ」

 梅内は森本の手を引き他の者たちから少し離れた。口元を隠し小声でなにやら耳打ちをしている。智人は何気ない風を装って近づいてみたが全く会話は聞こえてこなかった。

『仕込みって何だ? 話の流れから二人になにかエロいことさせるみたいなことだけど 』

 そう思って見てみると心なしか篠塚と高城の瞳は潤み呼吸も荒いように見える。特に篠塚の方はその反応が顕著だった。

『なにか薬を盛られた?』

 声をかけようと近づくと篠塚と目があった。即座に逸らされる。気まずく思わず空を見る。敵方のヘリコプターはすでに到着しているようで空には灰色の梅雨空が広がっているだけだった。ついでに後者の外壁を確認する。窓にはきっちりとガラスがはめ込まれていた。

『俺が二人を気にしたって何も出来ないんだ。寺井のところへ行く。そして、寺井を連れて体育館に行く。直接寺井と篠塚さんを会わせる。それでも仲間に入れてもらえなければ逃げ回る。それしかない。でも廃校っていうからもっと荒れてるかにフツーの学校だな。階段で敵と鉢合わせもイヤだけどこっちの壁は登れないから、ベランダからよじ登るか。できるかな?』

 智人が寺井の元へたどり着く段取りを考えながら校舎を観察をしていると係りの女が手をたたいて注目を集めた。ぞろぞろと決闘代理人たちは女の周りに集まり輪を作る。智人もその輪に加わる。女は決闘代理人たちに情報端末を配りながら言った。

「座学でもお伝えしたことですが最終確認です。三分ほどですがこちらのビデオ映像をご覧ください。外国語圏のかた立ちはそれぞれの母国語で字幕表示をお願いします。最後に署名をする画面に切り替わりますので指で結構ですのでサインをしてから端末を私までご返却ください」

 それぞれ思い思いの全員が端末の視聴を始めた。内容は以下のような物だった。

 ・決闘は双方いずれかの全滅、あるいは代表者の死亡もしくは代表者が降参をした時点で決着とする。

 ・決着しなかった場合も二十四時間後には終了となる。その場合、二十四時間後の怪我の程度に関わらず生存者の多い方の勝利とする。

 ・生存者が同数だった場合は双方一名の代表者による決闘で必ず決着をつける。場所と代表者はその時に各場所に設置されたカメラで監視している立会人たちの投票で決定される。

 ・逃亡した場合は指名手配され、逮捕後、裁判を経てその罰が定められる。

 ・護るべき逃亡者を裏切り自ら傷つけた場合は、裁判を経ずに即銃殺される。

 全員が端末を返却すると女は満足げに頷き説明を続けた。

「正午十二時、あと、三分ほどでこちらのすべての扉の鍵が自動で開きます。その時点で決闘開始となります。また、屋上は決闘場として認められているため、公平を期すためこの昇降口周辺の白線内も決闘場として認められています。よろしいですか?」

 智人たちの顔を見渡すと女は続けた。

「死亡、あるいはそれに類する状態と判断された場合はご登録の情報端末に死者名と場所の情報が届きます設置された赤色灯が光ります。特にしていただくことはありませんが遺体の回収の妨害も罪に問われます。以上ですが質問あるかたいらっしゃいますか?」

「森本さんに何かあったらお前ら終わりだぞ? 忘れんなよ?」

 梅内が大声を出した。女は一礼して去っていく。代理人たちはぞろぞろとそれぞれのグループごとにドアの前に集まり並んだ。中央の扉に篠塚と高城。隣乃扉に森本と梅内。その背後に小沼たち。智人は残りの扉の前に一人で立つ。気が気ではない。早く寺井と接触し一緒に生き残らねば。そう思い詰めていた。校舎の見取り図を確認する。

『でも実際どうしよう? いろいろ考えては見たけど』

「プレイボール」

 考え事をしていて気配に気がつかなかった。やたらと発音いいな。そんなことを考えていたら男たちに担がれ放り投げられた。コンクリーとに投げ出されもんどりうっている。呼吸ができない。視界が滲む。瞼をこする。ふと気配を感じた。何かか地下図いてきている。目を凝らす。

「え? 忍者?」

 灰色の装束で身を包んだ男たちがいた。その手には刀をぶら下げている。忍者の装束、しかも、外壁にあわせた灰色のものが。

『やばっ! 首斬られるっ!』

 立ち上がろうとするが思うように体が動かない。思わず体を丸める。

「うっ」

 男はうめき声とともに動きを止めて振り返った。その視線の先を追う。昇降口の扉の向こう側に小沼と四人の傭兵たちが立っていた。傍らには円筒形のリュックがありそこから石つぶてを取り出してはあめあられと投げつけてくる。声や口笛が聞こえてきた。

「ヘイ モンキー! ジス イズ ベースボール」

「シネ、クソ、カス、チンピラ、コノブタヤロウ!」

「ファッキンジャップ!」

「ヘイ! ニンジャマン、ヤキュウヤロウゼ!」

 忍者姿の者たちは刀を構え傭兵たちに向け駆けだした。服からも血がにじみ始めている。容赦なく石つぶての打撃が加えられている。そのうち投石は一人に集中しだした。倒れる。別の者に石つぶては集中が始まる。止まらない。

『嘘だろ? たかが石なのに?』

 男の周辺に転がっている石の大きさに気がつく。どれもが智人の拳よりも大きいことに気がつく。

『やばい、巻き添え食らったら死ぬ。つーか、あんなもんがつまったリュック担いでたのかよ? あいつらのガタイなんて、もうチートだろ!』

 恐怖から力がわく。四つん這いになりながらも昇降口に向かう。そのとき視界の端に壁を上る何かを見た。屋上からロープが伝わっておりそれを伝うように細長い蛇のようなものが登っている。

『なんだろう? 違う。やばい、見てる場合じゃない』

 力を振り絞り立ち上がり扉の中に駆け込む。振り返て見る。男たちが昇降口から飛び出していく。一人の忍者を二名が取り囲む。腰、背中、さすまたで押さえつけ動きを封じた。

 残りの二名はスクラムを組むように透明な長方形の盾をかまえ、もう一人の忍者装束の男のまえで立ちふさがった。じわりじわりと盾の二人組は近づいている。忍者装束の男はまっすぐな剣を片手に載せ腰を落とし左右にじわじわと移動しながら突きを撃つ隙を窺っている。

 「退避っ!」

 さすまたで動きを封じられた者が叫んだ。すると片割れはすぐさま後ろへ駆けだした。壁にそって垂らされたロープにとりついた。器用に身軽にロープを伝って壁を駆け上がっていく。森本と梅内と小沼が昇降口から出てきて額に手でひさしを作って壁を見上げる。忍者装束の男はそろそろ三階に到達する頃合いだった。

「はい、ポチッとな」

 梅内が言った。直後、ロープは切れ、男は悲鳴とともに落下した。そして、地震かと思うほどの衝撃とともに植え込みよりも高く跳ねた。再度、地面に叩きつけられる体。足の関節があらぬ方に曲がっており男は虫の息だった。だが脳を駆けめぐる分泌物が痛みを一時的に忘れさせていた。生存への一縷の望みをかけ逃亡扱いとなる白線の外を目指して、腕を伸ばしていた。じわじわとだが這いはじめる。

「よし、じゃあ俺はそっちのほう片づけるから。あっちはあんたら好きにしろ」

「わかった」

森本が小沼に応えると森本と梅内は挨拶もそこそこに這いずる男の元へ駆けよった。

「クラブはどうします」

「そんなもんドライバー一択だろ?」

「了解っす」

 梅内は担いでいたゴルフバックを降ろすと中からドライバーを取り出す。そしてキャディーよろしく森本に手渡した。森本がドライバーを軽く素振りしてみせると鋭く風を切る音が起きた。納得がいかないのか数回繰り返した。

 梅内は調理に使うミートハンマーを男の手の甲に振り下ろしていた。加減をし、一度に粉砕してしまわないように気を使った。男の苦悶の声が打たれる度にあがった。頃合いを見て梅内は男の体を足でひっくり返す。ゴルフバックから金属バットを取り出す。意識を朦朧とさせている男の鳩尾に突き立てた。

「ぶぐぅっ!」

 腹の中のものを全部吐き出すような勢いで男はむせた。意識が戻る。

「や、やめて」

 梅内は笑顔で首を横に振る。そして言った。

「ゴルフのティーにぴったりだな。お前の祖チン」

 男は理解した。感覚はもうない。だが股間にゴルフボールが載せられているはずだ

「ひっ、や、やめろ」

「あ、じゃあナイスショットお願いしゃーす」

 森本は黙って会心のフルスィング。ゴルフボールはグランドの方に消えていった。そして男は意識を失った。

「ちっ、パトランプ回ってんな」

「ええ、もうそいつイジんないほうが良さげですね」

「ち」

 舌打ち一つ残して森本は昇降口から校舎の中に戻っていく。そのころ小沼は危なげなくさすまたで動きを封じられた男の命を奪っていた。バトルアックスで頭をかち割った。それから男たちはたばこを吸いながら談笑を始めた。篠塚と高城の姿は見えない。そして、石で打たれた男も完全に動かなくなっていた。全身が血で赤く染まり頭部からは血が流れ続けている。

これだけの凶行がほんの数分の間に行われていた。智人は恐ろしくなり力が抜けた。だがどこに行くべきかわからない。必死に考え思いついた。

『あ、そうか。あいつらも戦闘のプロなんだから真似ればいいのか。つーか、俺のこと囮に使いやがったんだな』

 物陰に隠れて様子をうかがうことにした。積極的に智人を殺すつもりはないが巻き添えにしても構わない、と小沼たちに視られていることに気がついた。このままおめおめ説引き下がるのも口惜しく、安易に寺井の元へ駆けつけることがどれほど危険なこともかも身を持って感じた。

 耳を澄ましていると話し声が聞こえてくる。森本の声だった。

「おい、まだかよ? 死体漁り」

「ええ、意外と時間かかるんすね」

「じゃあ、この間にさ、あの石で打たれた間抜けの首を落としちゃおうぜ」

「あ、いいすね。あ、でも小沼たちがドローンセットしてからにしません?」

「ドローンでなに見るんだよ。さっきからうるせえし」

「まあ、上から糞とか油とか落としてくるかもなんで。スーツは名刺ですからね。汚したくないっすよ」

「なんだか、マジで戦国時代のノリだな」

「ですね」
 
 けたたましい風を斬る音が聞こえてきた。その音はやがて小さくなっていく。しばらくして傭兵の声が聞こえた。

「クリア! 自動操縦(オートパイロット)オーケー」

 その声を聞くと男たちはゴーグルをかけだした。ドローンは二機あった。一機は廊下側から三階を、もう一機はベランダ側から検事側の動きを監視するために使われる。その映像はゴーグル内に映し出される。リアルタイムで敵方の動きをさながらテレビゲームのように把握できる。

 傭兵たちは口々にドローンからの画像が届いていることを報告していく。興味深げに見ていた森本が誰にでもなく尋ねた。

「おい、あの忍者を助けに来る奴いないのか?」

 森本の疑問に小沼が答える。

「どうやらそのようだな。カーテンが閉まっているのは三階中央の教室だけなんだが他に人気(ひとけ)はない。」

「城に籠もったか? 奴ら」

 森本の問いに小沼が答えた。

「ああ、奇襲するなら階段側からも来て挟み撃ちするはずだ。ま、奴らも一枚岩じゃないってことさ。特に市村は癖が強いらしいからな」

「そんなもんかね」

「そんなもんさ。あんたのお父様たちのご尽力で法改正。そして奴らの組織はみんなバラバラだ。いいのかい? 国を売るようなマネをして。おかげで我が社はビジネスチャンスを得たがね」

「グローバルな時代だからな。それに元々、国なんて権力者の財産分与でいくらでも作られてきただろうが」

「ま、歴史を見れば、な。ところで急に加わったあの女は何者なんだ?」

「ああ、それはな。実力があれば貧乏人でも成り上がれると信じた奴がいてな、ちょっと、ここらで絞めとこうってだけだ」

「そのために、向こうの代理人暗殺か? 怖いね。権力者は」

「うまくやれば俺がお前を飼ってやってもいい」

「考えておく」

「ふん。俺がただのお坊ちゃんじゃないことを見せてやるさ」

 森本は真剣を抜くとゆっくりと歩いていった。その周りを傭兵が囲んで警戒している。そして傭兵たちは倒れてうめいている男の手足を縛り正座をさせた。見せつけるかのように校舎の方に男の顔を向けさせている。
 
 曇天の下、森本の振り上げた日本刀が静かに輝く。刹那の沈黙。男の首は落ちた。どこからから赤色灯が点き彼らを照らすと。歓声、そして拍手と指笛が沸き起こった。

「お見事! ナイススィング!」

「いやあ、だめだな。やっぱ首の皮一枚残すってほんと難しいな」

「いや、首落とせるってだけですごいですよ。ぜひ秘訣を教えてくださいよ」

「しょうがねえなぁ。あと残り七人だっけ?」

「はい」

「全部俺が首刈ってやるからそれ見てろよ。」

「あざーす」

「あ、あとあの補欠の女は一から俺が遊ぶからな。あの検事のババアの前でつっこみながら首締めて殺すから間違っても傭兵たちに殺す順番間違えさせんなよ?」

「ああ、ついでに検事もヤっちゃいません? ババァ言うても三十三ですよ? 全然ありっすよ。」

「まじかよ。お前よく勃つな。女は二十五過ぎたらババァだろ? ま、いいよ、で、どうなんだよ? 拓也の女は殺させないんだろうな」

「ええ、朝のブリーフィングでアジェンダに加えてアグリーとってますから。あ、あと、あの女。拓也の人生バックアップしてやるつったら二つ返事で墜ちましたよ。動画撮って拓也に見せつけてやりましょう。拓也のメンタルもスクラップしちゃってくださいよ」

「ああ。あのガキ、優秀すぎるからな。大人しく尻尾ふって頭なでられてりゃいいのに直であちらさんと取引始めようってんだからなあ。最近のガキは生意気だぜ。あ。あの女、てことは拓也のお下がりか」

「大丈夫です」

「おいおい、もしかして、あの女、初物なのか? なんであんな上玉、拓也は抱いてねえんだ?」

「ああ、なんか幼なじみが惚れてるから手を出せなかったとかなんとか。って」

「え? マジか?」

「まあ、あいつから聞いたとき、パーティで乳のデカイ金髪(ぱつきん)女にしゃぶらせながらだったんでどこまで本気かわかんないっすけど」

「そうか。決闘終わったら、その幼なじみってのも抑えとけ」

「うぃっす。あ、でも、あの女、処女なのは間違いないっすよ。向こうの検診のドクター情報なんで」

「マジか? テンションあがってきたわ」

 談笑する森本と梅内の顔を赤色灯が照らす。獣じみた笑みを浮かべ、離れた上下の歯の間には唾液が糸を引いている。智人はわずかばかりの放心の間を置くと、改めて寺井を護ると誓い見つからぬうちにと物陰に隠れた。

 しかし、声がかけられる

「陣笠が丸見えだよ。覗き魔君」

 小沼の声。慌てて逃げようとしても遅かった。傭兵たちに回り込まれていた。見上げるような巨体に首根っこを捕まれ梅内の前に放り出された。

「森本さん、こいつどうします?」

「任せるわ。とりあえず、テンションあがってきたから、ちょっぱやでカタをつけようぜ? そんで野郎全部ぶっ殺したら女狩りだ。これがほんとのガールハントってな」

「あはは。さすが森本さん。ギャグもキレッキレっすね」

「おう、キマってきてるぜ。つーか、景気付けにこいつの首もイッとくか? 試したいポン刀あるんだけどよ」

 森本は梅内が担いでいるゴルフバックから刀を取り出そうとする。

「そっすね。まあ、いちおう小沼に聞いてみます。なんか、向こうにかなりヤバいのいるらしくって、できるだけこいつ囮に使いたいらしいんすよ」

 小沼が会話に入ってきた。

「ああ、先陣をきってくれ。期待してるぞ? 新人君」

 智人は小沼をにらみつけてみた。平手で顔を張られる。二発、三発と止まることなく続けられた。何発か数えることもできないほどの回数が重ねられた智人は頷いてしまったが声は発しなかった。そのことにわずかな誇りを賭け耐えている。耳元で小沼が囁いた。

「今ここでお前を殺して、森本を先にあの女たちのところへ連れて行ってもいいんだぞ?」

「おお、『なるはや』でな」

 智人は屈した。

 小沼の指示した階段を登り始める。特に何もなく階段を登りきったが防火扉により廊下への進入路を塞がれていた。

「どうしましょうか?」

「いや、これでいい」

 小沼が合図をすると傭兵たちはなにやら工具のような物を使い防火扉と壁の隙間を粘つく液体を埋め始めた。それが済むと男たちは防火扉に備え付けられた人が出入りする小さな扉の前も同様のことを行った。それが終わると小沼の指示で二階まで降り、廊下を通って先ほどとは反対側の階段を駆け上がった。そして、同じように作業を繰り返した。ただし、こちらは人が出入りするドアには何も施されなかった。

 その前でしばらく待たされた。やがて防火扉をノックする音が聞こえた。男たちが集まった。それぞれがさすまたや透明な盾、戦闘用の斧などを手にしている。やがて、小沼がドアをノックする。変則的なリズムで叩かれた。応えるように同じノックがドアの向こうから聞こえてきた。小沼が頷くと傭兵の一人が扉を開けた。傭兵たちと同じ装備を身につけた男たちが一人現れた。小沼と日本語で小声で素早くやりとりを始めた。

「中には市村含めて剣士が三人、二人はこっちについてる。あと検事一人と女一人。市村が女を力付くで抱こうとして俺たちと揉めた。裏で手を回さなかったとしてももみんな市村に反目してたな。あいつ本当にどうかしてるな」

「飛び道具は?」

「それがないんだな。俺らと違って人間国宝が約束された市村さまはプライドあるのか知らんが、剣や打撃で迎え撃つことに相当の自信があるらしい。ただ俺らが検事さんの信頼得るために机で窓側にバリケード作った。あと仕掛けとしてゴルフボールを床にぶちまけている。ガイジンさんは摺り足できるか?」

「いいや。だが元々斬り合うつもりはない、所詮、こいつらにとって今日はベースボールの練習だからな」

 小沼がそう言うと傭兵たちは指先で石を弾ませた。

「なるほどね。くれぐれも狙うのは市村だけにしてくれよ。市村は袴姿でスキンヘッドの大男だ。外人さんにもわかりやすいだろ。デッドボールは洒落にならないからな。ま、できるだけ早いところ、さすまたで奴を拘束するよ」

「ああ。任せた。段取りを説明する。シンプルだ。壁を工作し教室の内側へ倒す。そして全員横一列、ピッチング練習だ。そして、倒れた市村をお前等が好きにすればいい」

「ああ、でも壁を倒すって言うが実際時間は?」

「長くて三秒だ。あんな木製の細い支柱二本で支えられた石膏ボードなんてそんなもんだ。念のため時間稼ぎにあのガキを最初に突っ込ませる」

 智人は思わず眼を見開いた。逃げるか迷う間もなく両肩を傭兵に捕まれていた。小沼の視線の先では他の傭兵たちはこれ見よがしにハンマーを掲げいてる。

「なるほど。あいつは力も速さもあるぞ」

「なに。ドローンで監視もしてるからな。奴がベランダ側から回り込んで他の教室から出てくる前に把握できるさ」

「なるほど。それで俺たちとあんたたちで挟み撃ちにする。それでいいいな」

「ああ。剣豪スレイヤーの称号はあんたたちのものさ」

「いらんよ。そんなもの。だが頼むぞ?」

「ああ」

「あと万が一があるかもしれないが言っておく。日本刀といえどもは四人も斬ったら血と脂で斬れなくなる。さすがの市村でも、だ。もし、あんたらの想定通りにいかなかったら奴が刀を代える間を狙え」

「ありがとう。だが、その心配はない」

「まあ聞け。あとな、袴は膝の動きを読ませないために履いている。侮ると全滅するぞ。俺は奴が一度に七人斬ったのをこの耳で聞いている」

「お前はなぜ斬られなかった?」

 男は少し間を空けた。伏し目がちに答えた。

「傷が浅くて死んだふりをしていたからさ」

「そうか。グッドラック」

 そして男は戻っていった。小沼が腕時計で時間を計る。そして、ハンドサインすると男たちは速やかにそれでいて静かに廊下に乗り込んでいく。智人は後を追う機会を窺っていたが結局連れて行かれた。そして、小沼の指示で目的の教室の扉の前で立たさた。

『くそっ。この扉の向こうに寺井いるってのに。しかも市村とかいう野郎も寺井とヤろうとしやがって。ああ、もう混乱してる中で寺井を連れ去るしかないっ』

 決意を新たに扉をの前で木剣を構えていると扉が開いた。たたき込まれる。

『うわ、やっべ、どうする? どうする? どうする? とにかく寺井だっ!』

 刹那の瞬間に寺井を見つける。駆け出す。足を取られた。寺井の驚く声が耳に入る。痛みを忘れて立ち上がる。気が付いた。教室には机はベランダ側にバリケードのように積み上げられており、大量のゴルフボールが転がっていた。鮮血にまみれている。気が付くと壁にも天井にもそここかしこに血が飛び散っていた。そして、もの言わぬ三人分の男の亡骸。全て顔や手足ががつぶされていた。

「うわぁっ!」

 喚きつつも視界の端に寺井と捉えた。机で作られたバリケードの山の麓で床に座り体を丸めながら背を向けけている。そのとなりには古くさいデザインのジャージに身を包みながらも知性と意志の強さを漂わせる高齢の女が寄り添っていた。

「退(ひ)きなさいっ!」 

 女の恫喝を無視し、篠塚の側に駆けよる。寺井は袴姿であったようだ。しかし上着だけを羽織るように着ており袴は履いていない。胸の先端こそ開かれた上着の襟元に隠れているが、白い谷間から臍までが見えている。そこには眼を奪うほどの鮮やかな赤の飛沫。下腹部にはかろうじて下着であったであろう薄い桃色の布地が漂っていた。淡い繁みが行儀よく肌に並んでいるのが見える。

「逃げよう寺井」

 惚けたように智人をみる寺井。肩を揺すってみると瞳に生気が宿り始めた。

「あ、朝田君。ほ、ほんとに朝田君? お葬式もやったって聞いてたけど」

「訳はあとで。君を助けに来たんだ」

 智人が自分に酔いかけたところに廊下から怒号が聞こえてくる。

「今のうちに行こう」

「え、どこへ」

「と、とにかく、ここではないどこかへ」

 バリケードの机にとりついて崩していく。とにかく必死でベランダへの道を作っていく。すがる女検事を無視する。女検事は威厳はあるが筋力は足りなかった。ためらいなく振り払う。検事が短い悲鳴をあげて倒れ込む。

「あ、すいませんっ! でも危ないから近づかないでっ!」

 寺井に腕を引っ張られる。

「あっちから通れるよ」

 見てみると人一人が通れるスペースが出来ていた。寺井の手を取り駆けだした。そして窓枠からベランダに躍り出る。寺井を振り返る。道着の上だけを羽織っているだけの寺井。窓枠に手をかけ、勢いつけて片足をかける。

 道着の合わせは緞帳のように寺井の胸の前で開かれ、乳房も、その先端の、可憐さの余りに意地悪く甘く軽く噛みつきたいほどの桜色で淡く染めたかのような真珠の粒。直視することに罪を感じた。眼を伏せさらに下を向く。

 結果、智人の眼は股間に奪われる。梅雨の柔らかな日差しの中で、行儀よく、牧草をはむ羊のごとく牧歌的に間をあけつつも、規則性に乗っ取り整然と並ぶ、柔らかく細く控えめな書の艶に、生命(いのち)を感じた。勃起のその先、鼻血が垂れた。

「あ、やべっ。っていうか、ごめん」

「あ」

 寺井は自分の姿にやっと想い至ったのかあわてて襟の前を合わせる。内股気味にうつむき、片手で胸元を片手で股間を隠し動けなくなってしまった。

「ごめん、おんぶするよっ。これなら君を見ないで運べるから」

「運ぶってどこへ?」

「家庭科室。なにか布地があるかも知れないから」

「わかった。ありがとう」

 寺井が頭を背に埋める感触。寺井のポニーテールの髪が肩口から垂れてくる。蜻蛉の目で把握する。そして、肉肉しい腿の弾力。

 智人は思った。

『クソっ! 鎧なんて着てなきゃ、おっぱいとかあそこの感触を背中で味わえたのに』
 
 智人は味わえるものだけでも味わえばよいのに、否、手に入れた瞬間に次の欲がもたげてくる。智人の性欲は満足というものを知らない

 多少拗ねながらも家庭科室に向かってからの段取りを確認する。

『お願いです。エプロン、エプロン、できればフリルの付いた白いエプロン。あってください。家庭科室に』

 短歌を気取って心の中で呪文を詠唱。効果は裸エプロンだ。

 唱えながら寺井の裸エプロン姿を思い浮かべる。そして、欲望の達成のためににひた走る智人の脳と肉体はさらに活発に動き始めていた。そこへ耳を突き刺すほどの、それでいて長く響きわたる獣の鳴き声のようなものが聞こえた。

「な、なに今の?」

 寺井の声に答える。

「あ、あれ? 猿叫(えんきょう)って言ってね。剣の流派の中にはがああやって大声だして相手をビビらせたり、自分のテンションあげたりするんだって。あ、いや俺もね、血のにじみような訓練で・・・・・・」

 篠塚の受け売りを伝える智人の顔はドヤ顔だった。しかも、足を止めて寺井を降ろして顔を見せながら語りだした。寺井は言った。

「ごめんね。とりあえず逃げてからのほうがよくない?」

「あ、う、うん。ごめん」

「でもよかった。信じられなかったけど、今のでわかった。ホントに朝田君だ。お葬式にも行ったんだよ? でも生きててくれてよかった」

「うん」
 
 智人は、服の下で陰茎をぶるんとひとつ揺らすとと今まで以上の速度で駆けだした。無限に力がわくような気がしていた。

☆☆☆

 市村の猿叫が廊下に響き始める前に小沼は部下に指示を出していた。市村がベランダに出たのは把握していた。作業を中断させ小沼を中心に傭兵たちに盾を構えさせ亀のようにまとまらさせていた。

 挟撃を警戒している。市村が出てきた方とは反対側の扉から寝返らなかった者たちが出てくるはずと読んだ。バトルアクスを振り上げ英語で指示を出す。

「この天井の高さで槍を振り下ろされても効果がない。剣にしろバトルアクスにしろ近づいてきたら全員で圧をかけて各個撃破だ」

 待ちかまえていた。だが誰も近づいてこない。市村は距離を保ったまま持ち手が自分の右耳の横に来るほどに、先端に鋭くとがった棘を無数に生やした金棒を高く掲げている。筋骨隆々の大男である。そこにはどっしりとした安定感があった。

『おかしい。剣じゃない? それに挟撃がない? くそ、ドローンの画像では二人が外に出たはず。どこから来る? 他の奴はこちらが仕掛けてから背後を突くつもりか。ならば、背後の守りを固めて市村を叩いておくか』

 小沼が見たのは智人と寺井であった。だが、智人の叫び声を攻撃された故の者だと考えすでに死んだと判断していた。さらに、寺井が智人のあとをついて出て行ったのも二人が仲間同士だからであると判断した。指示を出す。

「プレイボール」

 隊形を代え小沼を中心にそれぞれ二名が投石の体勢をとる。それを見た市村は金棒をバットに見立てて先端を小沼たちの頭上を指し示す。

「ハッハッハ、ジス イズ ビーンボール」

「ファッキンジャップ」

「コノ、クソ、ションベン、チンカスヤロウ」

「スケベボウズ、オマエノアタマデボウリングシテヤルゼ」

 互いのリュックから石を取り出し投げる動作を始める傭兵。片足に重心をかけ片足を踏み込んでいく。だが踏み込んだ足が止まらない。

「ホーリッシット」

「ファック」

 叫びながらバランスを崩す。小沼は異変に気づき傭兵を支えようと手を出した。そのとき足も踏み込んだ。ズルっと足先を持って行かれる。気がついた。

「ワックスだ! 壁の下からワックスが溢れてきている。盾で守りを固めろ! 市村を油地獄に引きずり込め!」

 叫んだときには遅かった。ガラスの割れる音。ふり注ぐ蛍光灯の破片。もみ合う男たちの熱。そして、滴り始める鮮血。傭兵の一人はすでに首が無い。

「ナーイスバッチィング、いい気持ち♪」

 鼻歌交じりで無造作に倒れた男たちの頭を金棒でフルスィングしていく。首がもげると日本刀を抜き斬り落とす。そして、その首をトスバッティング。首は窓ガラスをわり、雲に届かんと遙か彼方に飛んでいく。

「や、やめろ!」

 小沼や傭兵たちの言葉にいっさい耳を貸さない。死体を踏みつけワックスに足下が濡れるのを避けながら盾を。次いで頭を粉砕していく。最後一人生き残った男に市村は言った。流ちょうな英語であった。

「そんなに震えてどうした?」

 男は仰向けで両手をふりながら涙と鼻水で濡れそぼった顔を左右に降り続け、日本語で言った。

「イ、イノチバカリハオタスケヲ」

 市村は快活に笑うと言った。

「顔色が青いな。これを飲むと元気になるぞ」

 そういって、墜ちた首を逆さまにし、その鮮血が泉のように溢れる生首の切り口を男の口元に近づけた。 

「ノー!」

「いいねえぇ。ジンガイもいい声で鳴くんじゃあ、ねえか。ちいとばかり楽しませてもらうか。勃っちまってしょうがねえ」

 市村は震える男の両手、両足を袖からだした結束バンドで固定した。服を切り裂き全裸にするとワックスの付いてない場所まで引き吊る。仰向けにさせる。両膝あたりを抱え上げ肛門を露出させると袖からペットボトルを取り出した。

「安心しろよ、このローション、植物性でメイドインジャパンだ」

「ノー!」

「さては前。ケツ、使ったことねえな? 気持ちよくしてやるから、思いっきり鳴けよ? こんだけ肌をださせるとAIがカメラ切り替えて立会人にも見られない。恥ずかしがることはないぜ」
 
「ノー!」

「なあ、俺の頭のこと嗤ったのお前だったよな。イマジンしてみろ。俺の頭がテメエのケツから入って口から出てくるところ。そんじゃ、うつ伏せになれ。いくぞ」

「ノー!」

「ノー、ノー、うるせえ、このノータリン」

 市村は静かに恫喝すると後ろから何度も何度も男を突く。むせび泣く男の顔に使用後の避妊具から精液をたらしていくと言った。

「生きて帰ったらお前の飼い主に伝えろ。ジンガイ共が俺たちの縄張りにしゃしゃりでてくんじゃねえってな」

 市村は男の足の結束バンドを解くと両足を抱え上げその場で回転を始めた。頃合いを見て手を離す。男は窓をぶち破り放物線を描き地面に叩きつけられた。窓枠から身を乗り出して様子を確認した市村。

「お、生きてるか? さすがジンガイは体が丈夫だなあ」

 そう言うと金棒を持ち寺井を犯す段取りを想像しながら教室に戻っっていった。

「おい、ババァ、女逃がしやがったな?」

「違います、敵にさわられました」

「なに?」

「あなたが外に出て行ってから狙い澄ましたかのように一人入ってきたのです。」

「ドローン見てたってわけか。まさか一人で入ってくるとはな。 なんてな、おい、そいつはお前を殺さずに逃げたってわけか。そんなわきゃねーだろ? うそ付くな」

「最初から彼女が狙いだったようです。悪い人には見えませんでした。きっと彼女を不憫に思ってまずは助けようとしたのだと思います。他の人たちがそうしたようにね。時間はまだありますから」

「うそつけ、ババァ。決闘代理人やるやつがそんなことするわけねえだろ。家(うち)みたいに、代々、代理人の家系で人間国宝も出してる剣豪エリートとちがってだな、九十九%(パー)の奴は貧乏な家に生まれた奴なんだよ」

「人は生まれで決まりません」

「決まるんだよ。そんな家に生まれるってことは前世で極悪人だったんだろうよ。そんな自己責任も忘れて、一発逆転夢見て殺し合おうっていう生まれも育ちも卑しいやつらなんだよ。世間知らずもいい加減にしろ。騙されねえぞ。お前が逃がしたんだろ?」

「そう思うならそれで結構です。だからと言って、どうします? 怒りを私にぶつけて殺しますか。でもわかってますね。そんなことしたら・・・・・・」

 市村は剣を抜いた。刹那の後、検事の服はバラバラになりひらひらと体から舞い降りた。下着姿の検事は言う。

「これはもう代表者への裏切り行為ですね」

「証拠は?」

「は?」

「はは、俺の剣は速くてカメラじゃ捉えられないんだよ。お前、自分で脱いで俺を誘惑したとか言われるぜ?そして、知ってるだろ? 肌が多く露出したら・・・・・・」

「なるほど、計算してるのですね。ただ、この程度の辱め、なんともありません。それより早いところ森本を討ってください。今ならまだ許しますよ」

「いやあ、ババァ、ババァ、言ってたけど、まだ三十路だもんな。十分いけるわ、俺。あんた」

「な、なにを」

「いや、さっきジンガイのケツの穴に突っ込んでたからよ、キンタマ糞まみれだから消毒しろ。そのよく回る舌ならすぐに終わるだろ?」

 検事は何も要わず胸元と股間を手で押さえ身を引いた。眼だけは市村をにらみつけている。市村はさらに続けた。

「結婚もしないで仕事一筋で世の女のために悪い男を懲らしめてきたんだろ? 今度は俺が生意気なお前を懲らしめてやるからよ。痛い思いする前にひざまづいてチンポなめろよ。ぺろぺろって。そしたら森本討ってやるよ。政治家の息子だからな。大変だったんだろ? 決闘にまで持ち込むの。みんなの苦労を無駄にするなよ?」

「あなたの力はもう借りません。私は一人で森本を討ちます。どきなさい」

「ふん、さすがだね、これだけの死体を目の前にしても動じてないもんな。だが、どくわけがねえ。そうだろ?」

 にらむ検事。にやけた顔で嗤う市村。

「あのー、お話し中すいませんが、検事さん。降参してもらえればこのピンチ。乗り切れますよ?」

 カーテンの向こう側から聞こえるその声は篠塚の物だった。

☆☆☆

「あーあ、やっぱりないよ。エプロンどころかタオルの一枚もないなんて」

「うん、しょうがないよね。元々廃校だし。いいよ、あたしこのままで」

「あ、いや、でも」

「ううん、いいの。朝田君なら変なことしないでしょ?」

「まあ」

 寺井は先ほどから道着の上だけを羽織り、必死で胸元で襟をあわせていえる。かがむと股間が見えることに気が付いたのか、智人がいくら言っても座ろうとしない。信頼されているのかどうか判断はつきかねた。

「ね、ところでさ、通知来てない? スマホに。あたしスマホも持ってこれなくて」

「え? あるけど」

「ほら、誰が生き残ってるか確認しないと」

今更ながらに篠塚と高城の存在を思い出した。あわててスマートホンを取り出し確認する。

「あ、すごい、まだ一時間もたってないのに」

 生き残っているのは智人側は智人、篠塚、高城、森本、梅内、検事側は寺井と検事と市村、あと、市村に説き飛ばされ逃亡扱いになった傭兵の一人である。

「うん、あの市村って人がさ、みんなのこと斬っちゃった。あっという間だった」

「でも、どうして仲間を斬ったんだろ」

「あたしが原因。あの人があたしを、ちょっと・・・・・・ね。で、助けてくれようとした人を」

「そっか。大変だったね」

「あたしがこれに参加したの自己責任だからしょうがないけどさ。でも助けてくれようとした人たちには本当にひどいことしちゃった。あたしのせいだ」

「君のせいじゃない。だって、実際あの市村ってやつが変なことしようとしなければ」

「ねえ、朝田君もさぁ。あたしにしたい? 変なこと」

言葉に詰まった。

「だよね。あたし、男の人はみんなそうだと思ってるから。ただ、ごめんね。拓也じゃなきゃ無理なんだ」

「わかるよ。俺は絶対にしないよ。変なこと」

「でもさ、あたしが大人しく市村の言いなりになってたらあの人たちも死ななくて済んだんだろうなって思うと、ね。ごめん」

 寺井は溢れた涙を指先ではじく。追いつかなくなり両手で顔を覆いしゃがみ込んだ。

『おおっ! またアソコがみられるっ!』

 智人は目線を送ってしまう。寺井の鼻をすする音が耳を、汗の酸味と苦みが入り交じる匂いが鼻を、そして、かつて憧れた寺井の姿が脳裏に映る。自責の念にかられた。

『くそ。俺、本当に最低だ。そうだ、きっとオナ禁のせいだ。とにかく気持ちを賢者モードに持ってかないと。トイレ行ってオナニーして来ちゃうか。いや違うっ! そうじゃないだろ? とにかく寺井の気持ちをなんとかしてあげなきゃっ!』

 「こ、これ、よかったら食べて。甘くて旨いんだ。飲み物もあるよ」

 眼を閉じながら差し出された携行食糧と水筒を見た。そしてそれを差し出す、全力で瞼を閉じてい智人の目尻の皺。思わず笑ってしまった。

「ふふふ。別にいいんだよ? そんなに気をつかわないでも」

「あ、いや、でも」

「それにね。死ぬとき汚れたくないから食べ物控えてるし。飲み物だけもらっとくね」

「うん、どうぞ、あ、あと俺まだ口付けてないから。っていうか死ぬとか言わないでよ」

「ごめんね。でもどうして? 朝田君、ぶっちゃけ私のこと何も知らないでしょ?」

「いや、俺、す、す、好きだから。寺井のこと。知らないことも多いけどでも好きなんだ。だから」

「死んでほしくない?」

「うん」

「ありがとう。でもごめんね」

「いや、いいんだ。俺の気持ち知ってもらえただけで。むしろごめんね。こんな時に」

「ううん。いいよ。でも、そっかぁ。なんとなくそうかもなしれないかなって位には思ってたけど」

「あ、態度に出てたかな。俺、キョドってたもんね」

「うん、ちょっとね。でもそれが朝田君なのかなとも思って。それにあんまり話さなくなっちゃたし。朝田家に行っちゃってから。どう、大変だった? 朝田家の子供になるって」

「まあ、ちょっとね。しかも俺、死んだことにされてるし」

「ね。お金持ちは怖いね」

 二人は微笑み合った。そして、張りつめた空気がゆるんでくると智人は言った。

「あ、そうだ。俺の鎧。あ、あとズボンも。俺が付けてた奴できもいかもだけど。とにかく、これ着てよ。」

「でも、それじゃあ、智人君が・・・・・・」

「大丈夫。俺は君を助けにきたんだから。」

「ありがとう。ごめんね。こんなことになっちゃって」

「全然。君が悪い訳じゃないよ。付け方わかる?」

「うん、でもね。いいの」

「いいって?」

「私をこのまま森本のところに連れて行って。さらってきたとかなんとか言って」

「え? どうして?」

「あたしね。森本と梅内って男を殺しにきたの」

「え? お金が必要だったんでしょ? だって、君がそんなことする理由なんかないだろ? このまま逃げ切ろうよっ」

 寺井は問いには答えずただ広角をあげ微笑もうとしていることを智人に伝えた。悟った。

「もしかして。拓也のため・・・・・・なの?」

「うん。ねえ、本当に何も聞かされてないの?」

「う、うん。何がなんだか意味わかんないよ」

「そっか、じゃあ、私は朝田君を説得しなきゃなんだね。もしかしたら君は君で森本を討とうとしてるのかと思ったよ」

「な、なんなの? 教えてよ」

「どこから言えばいいかわからないけど、驚かないで聞いてね」

「うん」

「拓也と君は腹違いの兄弟なんだよ?」

 智人は絶句した。

☆☆☆

「おいおい、飛んで日にいる夏の虫とはお前のことだな。篠塚って言ったっけ。出てこいよ」

「言われなくても」

 教室内から見ているとカーテンをひらりと大きく開かれた。市村はすばやく机にとびのり振り上げた金棒でカーテンの膨らみを叩きつけた。なにかやけに堅い物を打ち付けた感触。机すらも粉砕されていた。

「なに? いない?」

「ほんと、バカじゃん? あんた」

 すでに篠塚の刃は首筋に届いていた。そのまま動脈を断ち切る。吹き出す血しぶき。両手で傷を抑える。振り上げた刀を返して、市村の肘の内側めがけて振り下ろす。両手が墜ちた。血が吹き出す。ごぽごぽと液体を空気が押し出す音を漏らしながら市村は倒れる。

「どーお? まだ意識あるぅ?」

 まだ足先が動く。

「はい、じゃあ、これから自分の死に様よく見てね」

 篠塚は市村の着物を脱がし性器を露わにする。刀の切っ先がヒュン、と風を斬った。墜ちた陰茎を汚物を拾い上げるよううに、スーパーのレジ袋を手袋代わりに拾い上げ市村の額に載せた。

「すごいね。ねえ、それって、出ちゃったってこと? 殺されるってときにあんたなに考えてんの?」

 市村のしなびた性器からは精液が溢れていた。それが市村の端正な顔を白と赤とにまだらに塗っていく。

「できれば智人君に撮ってほしかったんだけどな。ま、いっか。ハイチーズ」

 篠塚はスマートホンのカメラ機能を自撮りモードに切り替えて市村に向けた。額にしなびた陰茎を生やし、白と赤が大河のように流れる己の顔。それが市村が最期に見た光景だった。

「はい、高城さん。入ってきて大丈夫だよ」

 カーテンが開かれると高城が入ってきていた。高城は傭兵たちが使っていたゴーグルをかけて手にはコントローラを持っている。

「よかったです。ゲームと同じ感じで動かせました。」

 カーテンの膨らみはドローンであった。傭兵たちの死体からゴーグルとコントローラーを手に入れた。そして、あらかじめ高城のスマートホンに篠塚の声を吹き込みベランダ側に市村の注意を逸らさせた。そこへ上昇させたドローンのプロペラを空中で停止させ物理法則を利用しカーテンに突っ込ませた。あとは篠塚が教室へ入り背後から市村を討った。

 体育館に潜んでいた二人であったが通知により生存者の状況を確認した。篠塚は決断した。隠れているよりも検事に降参をさせて時間的に早く決着を付けることにしたのであった。市村と寺井、検事の女の三人が行動を共にすれば何が起こるか察しがつく。市村の人を人とも思わない行動は以前から聞いていた。

 二人は検事に降参を勧めたが検事は条件を出した。

「女の子がいるの一人。その子が生きていたらします。もし、亡くなっていたのならどうぞ私をお斬りなさい」

 篠塚と高城は顔を見合わせた。

☆☆☆

 寺井の話を聞き終えた智人は絶句した。何を言えばいいのか、事実を飲み込むのに時間がかかっていた。全く寺井の話に現実味を感じられない。そこに死亡者の通知がスマートホンに届いた。寺井と二人で確認した。

「信じられない、あの人殺されたんだ・・・・・・」

 市村の死亡を報せるものだった。

さらにそこへ。

「おーい、浪人野郎、女をどこにつれていった? 早くしないとぶっ殺すぞ?」

 梅内の大声だった。声の聞こえたのは廊下側。まだ、遠い。わずかに扉を開き手鏡を束って廊下の様子を見る。誰も見えない。この家庭科室は三階にある。しばらくは時間がありそうだ。

 だが寺井の様子が変わっていく。焦りを滲ませながら早口で語り始めた。

 智人と拓也は父がそれぞれ妾に産ませた子であった。幼い頃から学業、運動ともに見込みのある拓也はあえて一般家庭で育ててハングリー精神を養わせた。見込みのない智人が朝田家の跡取りとして引き取られたのは自分より劣る者が経済的に恵まれた生活をしていることを間近に感じさせるためであったこと。そして拓也以外にも見込みのある婚外子たちは存在することを寺井は伝えた。

 さらに、続ける。

「でね。本当は君が死んだってことになったから拓也を養子になりそうだったんだけど、森本たちの横やりで別の人になっちゃってね」

「う、うん、それで?」

「拓也があいつら邪魔で困ってるって言うから、私、決めたの」

「何を?」

「ああ、この決闘制度を使えば殺せるんじゃないかなって。ほら、他の人だと忖度してさ。あいつら殺さないかもと思って。それで梅内に参加できるように手を回してもらったらあいつらの敵チームなんだもん、参ったよ。一応会ったこともあるんだよ? 二人とも拓也の紹介で」

「き、危険なの、わかってる?」

「うん、それは分かってる。でもね。拓也が言ってくれたの。これが終わったら結婚しようって」

「え?・・・・・・」

「私ね。あ、これ朝田君だから言っちゃうんだけど、ほら、誰にも言うわけにはいかないからさ。いつか朝田家を次ぐ拓也のお嫁さんが私みたいな貧乏人の娘だなんてさ。他の人に知られるわけにはいかないじゃない? だから黙っててね」

「黙ってはいるけどそんなに気にしなくても・・・・・・」

「そういうものなの。上流社会は。なんだ朝田家にいたのにほんとに全然わかってないんだね」

「ゴメン」

「あ、いいの。別に君に興味ないし。でもね、私は全部拓也に捧げてきたの。身も心も時間もお金も。それなのに朝田家はあんな訳わかんないやつ養子にしちゃうしさ」

 智人はかつて見た自宅から現れた青年の顔を思い出そうとしたが無理だった。ショックで観察などする余裕などなかった。思い出すのをあきらめ寺井に話の先を促す。胸が痛い。寺井の言葉一つ一つに心を抉られる。それでも話を聞いた。寺井お落ち着かせるためには全て気持ちを吐き出させるしかない、そう判断した。

「うん、ごめんね、話が逸れて。結論はね。私を死なせたくないなら君の手であいつらを殺してくれる?」

「え?」

「ほら、なんだかんだであの市村って人なら二人とも殺しちゃうかなって思ってたんだけどね。殺されちゃったじゃない? 君のチームの人に」

「で、でも」

「いいでしょ? 君は私を捕まえて差し出す振りをしてさ。油断したところを、えいって。ね? 人を殺すために訓練してたんでしょ」

「あ、いや、ちょっと考えさせて。俺もまだ銃殺されたくないし」

「うん? まあ、別にいいけど、なるはやでお願い。こうしてる間にも検事さんが殺されちゃうかもなんだからさ」
 
『ど、どうしよう? 絶対賢者モードで考えたい奴だよ、これ』

 智人決めた。

「ごめん、ちょっとだけ窓の方を見張っててくれる? 一分、いや三十秒でいいから時間をが欲しいんだ」

「いいけど、あいつらが窓から来たらどうするの?」

「大丈夫だよ。きっと」

「どうして」

「スーツが汚れるような真似しないよ、あいつら。じゃ、いいね」

 切羽詰まっていた。説明もそこそこに智人は寺井を背にした。しかし、警戒は忘れない。外の様子を知るために扉に耳をあて警戒をしながら陰茎をしごきはじめた。空想の中で寺井を思い描いた。新婚でお互いに食事を口に運びあう空想。それだけで腹にめり込むほど勃起した。多少てこずったが軌道に乗ってからはあっというまだった。

 そして、扉は開かれた。

「何をしてるんだ? お前は」

 やれやれ智人(ちいと)は射精した。オナ禁の果て、初めて惚れた女を空想で汚そうとした。その結果、惚れた女を汚そうとした男の顔を見ながら射精した。

「うわっ、なんだこれっ!苦(にげ)ぇっ」

「うぅううらあああっ! 人がシコッてるときに邪魔すんじゃぁねえっ!」

 手で顔を覆う梅内。その脳天に向けて思いっきり木剣を振り下ろした。だが腕で防がれた。致命傷にはならない。だが梅内は腕を抱え込んで膝をついた。片手に刀を持っている。智人は下から刀を振るわれることを警戒して一歩下がり様子を見た。やがて梅内は笑みを作り言った。

「おい。俺が生きていて助かったな。俺のバックは国だからな? 俺を殺したら業界自体どうなるかわからんぞ?」

『なにこいつ田舎のヤンキーみたいなこと言い出してんだ?』

 梅内を打ち据えたときは殺意も手加減もなかった。ただ、体が動いた。できるからやった、という感覚が一番近かった。だがそれだけで気力も体力も消耗した。寺井を守れる公算が一番高そうな手段を探していた。しかし、この一言で梅内に対する気後れが完全に払拭された。自分は散々好き放題していたくせに、身の危険が迫るととたんに虎の威を借りる狐となる。

 梅内に対する恐れは消えた。智人は再度木剣を振り上げる。

「や、やめろ。俺には国がついてるんだぞ? いいから聞け」

 興味はなかった。ただ寺井の前で暴力を振るうのにためらいがあった。木剣を降ろした。

「よし、いいか。よく聞けよ。今後決闘に広告付けて外国から国に大量に金が流れるようにするためのプロジェクトのリーダーなんだよ、俺は。決闘する両陣営にドラマを作って演出する。それを見ている立会人たちは楽しむ。広告が売れる。国に金が入る。な? 俺を殺すってことは国益を損なうことなんだぞ。あ、いや、ちょっと待て。浪人のお前にもわかるように言う。俺はみんなを幸せにするし、うちの会社にはその力がある。な?」

「なんで、お前、俺が浪人だって」

「え? そ、そんなこと言ったか? 俺」

 梅内が自分を浪人生と知っていたことが梅内と寺井の話を裏付けた。誰が言ったかまではわからない。だが篠塚が言うとは思えない。それなら智人が大学受験に失敗したと知っているのは同じ高校に通っていた寺井か拓也であろう。胸にどす黒い物が拡がっていく。だが、それでもし本当に寺井が幸せになるのだとしたら? 試したくなった。

「金なんかで幸せが買えるか? 金があっても子供を捨てる親だっているんだぞ?」

「でも飯や家は買えるだろ。幸せの基本だ。俺が生きて帰ったらあとでいくらでもやる。お前が貧乏人に配ってやればいい。だから、な?」

「いい話だな」

「わかってくれたか」

「だが断る」

「なに?」

「そんなの誰かに任せるよ。俺はただお前の泣き顔が見たくなった」

「なんでだよ? 俺がお前に何かしたか? 恨みを買う覚えはないぞ」

「寺井を騙してエロいことしようとしてただろ?」

「なんだよ? そんなことか。悪かった。お前が先でいい。森本さんには俺から言っておくから。な。俺も手伝ってやるから。な? みんなで飼おうぜ、あの奴隷女。拓也の話じゃ、結構無茶も受け入れるらしいぞ? あの女。同時に三人で入れてみないか? 兄弟」

 智人は木剣を投げ捨てた。

「わかってくれたか?」

 智人は静かに鉈を抜く。笑顔を見せる梅内のその首筋にめがけて振り下ろす。返り血を散らせた頬を上気させている。何度も何度も振り下ろす。遠慮会釈も反撃される警戒もなくただただ怒りをぶつけた。やがて首は皮一枚で胸元に留まり、やがて梅内の股ぐらに墜ちた。その顔には苦悶の表情が張り付いている。

 梅内の体が動かなくなると両手を後ろに回させ、市村の両手の親指、中指、小指をそれぞれ結束バンドでくくりつけた。殺した実感もなく。梅内がもう動かないでいてくれる保証もないと感じていた。振り返ると怯えて震える寺井。尻餅をつきながらあとずさっている。失禁の航跡が床に続いている。

「やめて、こないで! なんでもするから。やめてぇょおぉぉ」

「何もしないから。俺の話を聞いて。助けたいんだ。森本が来ちゃうから。静かにしてよ」

 四つん這いになり、寺井の尿に膝が冷えるのも構わず、顔の目線を合わせた。それでも混乱し髪を振り回し両手、両足をばたつかせる寺井。

「拓也ぁ、拓也、拓也、助けて、拓也ぁあっ!」

 悲痛な叫びが耳を突き刺す。

 智人は認めた。

『ああ、俺の気持ちは寺井に届かない。いや、寺井が俺の気持ちを知ろうとしないのか。つーか、もう、どっちでもいいか。下らねえ』

 思いつくことがあった。懐からスマートホンを取り出す。卒業式の日、千尋と並んで撮ったツーショット画像を見せる。

「見てっ! 俺、彼女いるから君に変なことなんかしない。だから落ち着いて。森本は殺せないよ? 俺だって銃殺刑にはなりたくないっ!」

 スマートホンをのぞき込む。そして寺井は言った。

「こんな、コラで騙されないっ! あんたみたいにキショイ奴に彼女なんているわけないっ!」

 智人の中で千尋の顔が浮かぶと同時に何かが弾けた。瞳を見つめる。言葉を探した。唇が蠢くだけだった。ふとスマートホンのfuckの文字を写した画像を見せることを思いついた。まごつきながらスマートホンを操作しその画像を見せた。

「ふっ。で?」

 寺井が目と鼻で嗤う。口を開きかけた。そこから発せられる言葉を聞くのはもう沢山だった。寺井の胸ぐらを掴んだ。そして、吠えた。

 だが、息が漏れ出てくるだけで言葉どころか音すら現れてくれない。それでも己が想いを届けんと吠えた。吠えた。何度も、何度も。のどが張り裂けても構わない、そう思い定めて何度も吠えた。

 静かに吠える獣の牙をガラスのような瞳が映す。

 ☆☆☆

「すごいじゃん、まさかこんなことになってるなんて」

「いや、全然ですよ。でも無事そうでよかったです。なんか様子がおかしかったから大丈夫かなって。薬でも盛られてかのかなって」

「ああ、高城さんにも言われた。ただテンションあがってただけ。全然平気」

「あ、それならよかったです。でもよく来てくれましたね」」

「ああ、スマホで討伐情報チェックしてさ。だいぶ死んだっぽいっから一度偵察にね。そしたらすごい声が聞こえてきたから。結局森本だけじゃん、生き残ってるの」

「そうなんですよ、あいつら寺井を狙ってるっぽいんで焦りました」

「あっ、森本のやつ、保健室でなんか変な薬やってたっぽいからしばらく来ないと思う。それに高城さんが廊下を見張ってくれてるから」

「そっすか」

 教室のベランダに移動していた。寺井は結束バンドで手足を拘束されている。言うことを聞かないからと言って放っておくわけにもいかず、寺井をかつぎあげ教室をとおりぬけベランダの端に座らせた。

「ねえ、ところでその子。すごい縛り方されてるね」

 亀甲しばりだ。

「あ、ちょっと言うこと聞いてくれなくって。でも、とにかく運ばなきゃって思ったら」

「え? 運びやすいの? こんなんで?」

「ええ。これ、昔の人がお米を運ぶときの縛り方ですから」

「よく知ってたね」

「ええ、テント暮らしが長いんで」

 しれっと嘘をつく智人。エロ動画から学んだ。だが、臆することなく話を誤魔化す自分を不思議な想いで感じていた。

「どう? 今度は自分で戦ったんでしょ? あたしも森本倒せてチョー気持ちよかったんだけど」

 そういう中村は手に持ったスーパーのレジ袋を揺らした。初めて気がついた。血が散りばめられ袋の口からは黒く濡れた髪が覗いている。だが、何の感慨もわかない。ただの物としてしか感じられない。

「正直あんまり覚えてないです。むかついたからやった。でも後悔はしていないって感じです」

「そっか、まいっか。あとで動画見れば。打ち上げしながら一緒に見ようよ」

「あ、はい。あれっ? 動画なんて観れるんですか?」

「うん、立会人とうちら参加者は見られるよ。ま、キレイごと言ったって、コレ、権力者とか金持ちの見せ物だからね。どこの誰が見てるかわかんないけど」

 二人の間に沈黙が流れた。風を感じ始めた。

『やっべ。寺井でヌいてるところ、全世界の権力者とか金持ちとかに見られてたんだ』

 そう想いながらただ眩しそうに目をしかめ何も言わないでいた。やがて寺井がさるぐつわを通してわめき始める。智人が駆けよりさるぐつわをはずそうとした。篠塚が止めた。

「なんでさるぐつわしたの? この子が騒ぎ出したら森本がやってくるかもしれないからでしょ?」

「そうなんですけど」

「あたし、この子を守るためになんか戦いたくないからね。舐めてるもん。決闘を」

「まあ、そうなんすけど」

「ね、これからその子連れて検事さんに降参すすめなきゃだから。ホントはねぇ。君がこんなにやってくれたんだから森本たちもついでに斬っちゃいたいところだけど、それが悔しいかな」

「ですね。っつーか寺井に森本やらせちゃいますか? 寺井、さっきまで森本殺したいって言ってたんですけど」

「本気?」

智人は首を横に降った。

「いえ、こいつに人殺しはさせたくないです。自分が人殺しておいてなんですけど」

「わかるよ。人には向き不向きもあるしね。じゃあ、今日のとこは早いとこ終わらせちゃお? 疲れたでしょ?」

「ですね。それに・・・・・・」

智人は振り返り寺井を見た。 

「隙ありっ!」

篠塚は振り向いて無防備に露わになった智人の首筋を軽くつついた。

「あひゃ、くすぐったいですよ」

「油断大敵。ってことでさ、悪いけどその女、かついできてくれる? 会わせないと検事さん信じてくれないと思うんだよね」

「あ、はい」

 考える前に答えていた。

「ま、その子の猿ぐつわだけどはずしてあげたら? あいつらがヒスってる女の声を聞きつけてやってくるかもしれないし。それで自分で手を汚して戦うってこと思い知らせてやったらいいんじゃない?」

「あ、いや。さすがにそこまでは思わないですけど」

「ふーん。うちらがばったりあいつと会うかもしれないけどね。一応教えておくけどドラッグ決めてる奴を相手すんの大変だよ? 痛み感じないから」

「あ。じゃあ、『こいつ』このままでいいっすよ」

「はい、よくできました。あたしの訓練もこれで卒業ってことにしてあげる」

「あ、なんかそう言われるとちょっと寂しいですね。高校の卒業式なんてどうでもよかったんですけど」 

「ま、別れるときに寂しくならない関係だった、ただそれだけでしょ。それも悪いことばかりじゃないよ。きっと」
 
 篠塚は智人の肩越しに寺井の顔をのぞき込みスーパーのレジ袋を掲げ手を振り告げた。

「じゃあみんなで一緒に行こっか」

 そして四人は検事の元へ向かった。寺井のうめき声は耳に入っているはずだったが相手をするものは誰一人いなかった。検事が待つ教室野の前まで来ると高城が言った。

「あ、少なくともこの縛りは外しません? 誤解されますよ?」

 智人は一瞬で縄を解いてやった。寺井の肌に触れても、見ても、酸味が臭味に感じるように変化した体臭が鼻を付き、鼻孔を通って舌の上で溶けだしても、うめき声が漏れ聞こえてきても、ぴくりとも陰茎は反応しなかった。

 ☆☆☆

「ほんとすごいよね、智人くん」

「生きててほんとよかった、智人」

「ありがとうございます。智人さんのおかげで早く終わったし生きて帰ってこれました」

 智人たちは宿泊していたホテルにもどりシャワーと着替えを済ませると待っていた千尋と合流し三人でホテルのオープンカフェにいた。曇天だからか客は他にいない。だが、それぞれが思い思いに収まらない生き残った喜びを弾けさせ明るい空気を醸成していた。そして、会話も落ち着いた頃に千尋が篠塚に尋ねた。

「あ、そうだ、防犯カメラ確認しましたけど篠塚さんの部屋に誰も入ってませんでしたよ?」

「あ、そうなんだ、あ、じゃあ、気のせいかな。ごめんね」

 二人の話を聞きつつ、曇天でなければ夕日が沈み行くであろう灰色の海を見ていた。水平線の向こう、空と海の境界が曖昧だった。思わず景色に手を伸ばす。爪の先が見えた。シャワーを浴びたのに爪の間にわずかな血が残っていた。智人は思う。

『不思議だ。今までの人生全てが夢みたいに感じる。今俺がここにいるっていうのも現実じゃなくて誰かの夢なのかもしれないな』

「ちょっと、どうしたの? ボーっとして。」

 円卓の隣に座る千尋に腿の上を軽くはたかれた。千尋はそのまま腿に手を乗せている。紅潮した顔で満面の笑みを浮かべている。訓練で身につけた技術、蜻蛉の目で自分を取り囲む女たちを見る。

 正面に座る高城は上目遣いにこちらを見ている。サンダルの足の甲を小鳥が餌をついばむようにやさしくくすぐるものがある。高城の足だ。

 隣の篠塚は海を見ている。腰といすの背もたれの間に滑り込ませてきた手は篠塚のものだ。

 智人は触れあう女たちの温もりと香りと笑みと嬌声を味わった。そして勃起した。

 妄想ではなく現実にこの女たちを抱くための段取りを考え始めた。それを未来の自分が叶わなかった妄想と呼ぶか、体験した過去の思い出と呼ぶかはこれからの行動で決まる。そして、行動を決めるのは自分だ。

 少し考え、智人は海を見つめがら静かに、だがはっきりと声に出した。

「俺、想うんですよ」

 女たちは何も言わずに、風に髪を遊ばせるままに、ただ智人を見た。そして、しばし、産みの苦しみにもだえあえぐように蠢く口唇。そこから産まれたのは言葉。

「チンポに振り回されるのもチンポを振り回すのも同じことだって」

「「「はぁ?!」」」

 女たちの声が揃う。それに応える。

「我が輩はチンコである。名前はまだない。あるいは、俺がチンコでチンコが俺で。ってことです。って、全然届くわけないっすよね。女の人に。まあ俺も女心なんてわかんないんで、おあいこ様ですね」

 女たちはかける言葉を失い海を見る。それでもそれぞれの身体は触れあう箇所の温もりを伝え合い、溶け合い、どれが誰の温もりかなどどうでもよくなっていった。

 ふと、千尋が智人に尋ねた。

「ねえ、寺井さんとも会えたんでしょ? 見せた? あの写真」

 答えるまでに少し間があった。

「ああ、流れで見せたけど、別に・・・・・・ うん、俺は何にも知らないんだってわかっただけだよ。ま、知ってても知らなくってもどっちでもいいんだってわかったよ。俺が智人(ともひと)だろうが(ちいと)だろうが、どっちも俺でどっちも俺じゃないんだし」

 智人の笑顔に屈託は無かった。

 それを見た千尋の脳裏に、かつて朝田家で見かけた小鳥の剥製のことが思い起こされた。

 完
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