首筋に咬痕

あお

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俺が目覚まし時計の音に起こされた時には、既に音梨君は起きており身支度を全て終えた後だった。おはようと挨拶を交わした音梨君の目の下には昨日程の隈は無く、顔色も良好だった。



ホテルをチェックアウト後、来た時と同様にタクシーで駅へ向かった。土砂崩れの被害はそこまで大きくなかったらしく、駅に着く頃には電車は問題なく運行していた。



「すみません、あの、ホテル代出していただいて……今度お返しします」

「大丈夫。気持ちだけ受け取っておくよ」



ホテルの会計は音梨君が見ていない時に勝手済ませた。お金を渡してこようとするのを断り続け、気にしなくていいと言ったがやはり気になるらしい。そこまで金額も高くなかったからと伝えても、まだ納得してないのか終始声のトーンが低い。


「それじゃあせめて、改めてお礼させてください」


駄目ですか、なんて子犬のような目で聞かれたら簡単には断れなくて。俺はその律儀さに根負けして早々に白旗を上げた。


「わかった。君の気が済むようにするといい」


というと、俯き気味だった音梨君が勢いよく顔を上げた。目を輝かせる姿に一瞬犬耳と尻尾のようなものが見えた気がして何度か瞬きをする。


「じゃあ、今度俺の奢りでご飯食べに行きましょう。日にちは榊さんの都合に合わせます」

「そうだな……それでも構わないが、音梨君さえよければ君の描いた絵を見せてくれないか」

「絵、ですか」

「ああ。昨日話を聞いていて少し興味がわいたんだ。ご飯よりそちらの方が嬉しいかな」



正直絵に興味があるというよりは、大学生、しかもバイトも中々出来ないであろう美大生に奢らせるのは気が引けるという気持ちだった。普段から絵を描いているのであれば、恐らくデッサンなどでスケッチブックを使用している筈だ。



「スケッチブックか何か見せてもらえないか。まあ、難しければ断ってもらってもーー」

「い、いいえっ!絵に興味を持ってもらえるなんて嬉しいですっ……是非見に来てくださいっ」



音梨君は一度大きく目を見開いた後、意気揚々とした表情で声を弾ませた。



「見に……ってどこへ?」

「俺の家に幾つかあるんです。あっ、連絡先聞いてもいいですか」



連絡先を交換し、程なくしてやって来た折り返し電車に乗り込む。音梨君の最寄駅は俺の最寄り駅の一つ手前で、また連絡しますと言って先に電車を降りていった。

小さくなる背中を見送り、携帯電話の画面に視線を落とす。開きっぱなしになっていたアドレス帳にある見慣れない名前を見て、少しだけ口角を上げた。



「台風みたいだったな」



音梨君から連絡が来たのは、その3日後の事だ。













人が行き交う駅前のベンチに腰を落とす。時計の針は待ち合わせ時刻の15分前を指していた。今日は一月にしては暖かく、風もない。手袋はいらなかったなと人知れず苦笑を漏らした。



「あれ、榊さんお早いですね」



不意に、優しい声音が俺の名前を呼んだ。

自分を覆い隠すようにして出来た影。顔を上げると、爽やかな笑顔が眼前に飛び込んできた。



「久しぶり」

「お久しぶりです」



待ち人である音梨君は会うなりファーの付いた灰色のダウンを脱いで、今日は暖かいですねと笑った。



「前に会った時と、少し雰囲気が違うね」

「髪型ですかね?今日はちゃんと髪の毛セットしてきたんで」



ふわりと遊んだ毛先が一段と明るい印象を与える。髪型だけでなく、洋服もいつも学校に着ていく汚れていい服ではなくお出掛け用なんだとか。

目的地へ向かって歩き出す音梨君の後を追う最中、すれ違った女性が音梨君の方を振り返る姿を何度か見掛けた。













賑やかな駅前から一転、閑静な住宅街を歩く。



音梨君は、家の敷地内にある離れをアトリエとして使用しているらしい。

最初はアトリエと聞いてかなり驚いた。離れのある家に住んでいるというのも。

音梨君曰く、父親が名のある画家で、そのアトリエは元々父親が使っていたものだという。

父親が今の家より更に広い家をアトリエにするべく買ってしまったので、自宅の空いたアトリエをそのまま貰い受けたのだと。



駅から徒歩数分で音梨君の家に着いたのだが、予想していたよりも遥かに立派な外観だった。



「どうぞ」

「お邪魔します」



自宅とは比べ物にならない広さの玄関に物怖じして足を踏み入れるのも緊張した。

長い廊下を抜け、最初にリビングへと案内された。室内はとても静かで、他に人が居る気配はない。



「他に人は?」

「今日は俺だけなんです」



だから気兼ねしないでくださいと、音梨君が言葉を続けた。それを聞いて、そっと、強張っていた肩から力を抜く。



「今飲み物持って来ますね。そこに座っててください」

「ありがとう」



促されるままソファーに腰を下ろし室内を見回すと、洋風のお洒落な家具や小物が綺麗に飾られており、まるで別の国にでも来たみたいでどうにも現実感が無かった。


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