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しおりを挟む恐らく、かなり疲れていたんだと思う。
いつもだったら、絶対にしないであろう事をしてしまうくらいには。
「……きてください、起きてくださいっ」
焦った声が鼓膜を揺らす。
若い、男性の声だ。
その声音は優しく、透き通る声質は聞いていてとても心地がよかった。
「あのっ、起きてくださいっ……」
もう一度、今度は俺の肩も揺さぶって、その声の主は必死に俺を起こそうとしていた。
揺さぶられた振動に、俺の意識は次第に現実へ引き戻されていく。
重たい瞼を押し上げると、目の前には安堵の表情を浮かべる青年。視界の端には、苦笑の表情を浮かべた駅員らしき人物も映った。
しまった、と思った時にはもう遅い。
ホームの看板を見やれば、そこには終点の駅名が刻まれていて。
瞬間的に、目が冴えた。
ああ、降りる駅を過ぎてここまで寝過ごしてしまったのかと、状況を理解すると同時に深い溜息を漏らす。
いつもの自分では、考えられない失態だった。
ここ最近、仕事で根を詰めていた自覚はあった。
小売業、所謂スーパーを経営する会社に勤めている俺は今、年末という繁忙期の荒波に飲まれていた。
本社勤務の俺は店舗勤務よりも肉体的にはまだマシだろうが、ろくに休んでいない身体はいつだって悲鳴を上げていた。
「起こしてくれてありがとう。助かったよ」
「い、いえ。俺も同じだったんで」
電車を降り、ホームに立つ。
俺より先に降りていた青年に礼を言えば、自分も駅員に起こされた身なのだと言った。
「君も寝過ごしてしまったのか。災難だったな、こんな遠くまで」
「……はい。あ、あの、ちなみにどちらに向かわれてるんですか?」
階段の方へと向かう為に歩を進めていた俺は、青年からの質問に一旦足を止める。
「見ての通り、反対路線のホームだが」
そこまで遅い時間でもないから、こんな田舎町でも一時間に一本くらいは家の方向へ向かう電車がある筈だ。
青年も俺と同じく寝過ごしてしまったという事であれば、帰る為に反対のホームへ行くべきではないだろうか。
青年の質問の意図が、俺にはわからなかった。
「どうしてその質問を?君も帰るつもりなら、このままここに居ても仕方ないだろう」
「その、それがですね……」
その場から動こうとはしない青年が、何か言いたげに言い淀む。そして、チラリとホームの外側を見た。
先程からずっと、天候は大雨に見舞われていた。天井を今にも突き破ってしまいそうな程に響く雨音が、この雨の激しいさを物語る。
確かに、俺が電車に乗り込んだ時も雨は降っていた。しかしここまでではなかったのに。
自宅近くの駅から、ここはかなり離れている。そして山も近い。
天井があるので雨こそかからないが、ホームに居るこの短い間にもゴロゴロと音を立てて雷が数回落ちた。
嫌な予感が、胸を過る。
「まさか……」
「……はい。その、まさかです」
「電車、止まっているのか」
「反対路線の電車だけ、止まってるそうです」
青年の言葉に、一度大きく天を仰ぐ。
いや、この悪天候であれば、考えられない話ではなかった。
話を聞くと、反対路線の途中で土砂崩れが起きていつ復旧出来るかわからない状況だと駅員から言われたそうだ。
どうやら今日は、家には帰れないらしい。
寝過ごした自分のせいとはいえ、明日は年内最後のお休みだと言うのに、ついてない。
いや、明日がお休みだというのは、この状況ではむしろ良かったと言えるのか。
「俺は明日休みだけど、君は大丈夫なのか? 見た所、学生のようだが」
「あ、大丈夫です。明日は4限からなんで」
明日は平日だが、運良く青年も午後からの授業のようだ。
互いに寝過ごしたせいでこうなった事もあり、何となく親近感のようなものを感じる。
俺から離れて行こうとしない辺り、それは彼も同じようだった。
「俺は榊と言います。榊 祐介(さかき ゆうすけ)。君は……」
「あ、俺は音梨 敬太(おとなし けいた)って言います。えっと、宜しくお願いします」
「ああ、宜しく。俺は近くのホテルを探すつもりだが、君はどうする?」
「俺もそのつもりです。でも、こんな所にホテルなんてありますかね」
「せめてネットカフェがあればいいが……」
正直、山にも近い辺境の地で、そう簡単にホテルが見付かるとは思えなかった。
とりあえず、僅かな希望に賭け携帯電話を取り出す。
検索結果は、案の定といったところだった。
「良かったですね。えっと、男同士でも入れて」
「……喜んでいいのか疑問なのだが」
「俺、ラブホテル初めて入りました」
「…………」
ここは、初めてが俺で申し訳ないと言うべきだろうか。
この辺りでホテルを探したが見つからず、ネットカフェすらなかったから正直ここがあって助かった。
フロントを通らないシステムだったのも、こちらとしては有難い事だった。
ベッドと風呂があるんだ。これ以上贅沢を言うべきではないだろう。
「結構濡れてしまったな」
「榊さんが折りたたみ傘持ってなかったら、もっと濡れてましたよ」
ずぶ濡れとまではいかなかったが、これ程の雨だ。服は濡れ、靴の中も洪水状態。冬空の下雨に打たれた身体は、驚く程冷え切っていた。
部屋に入り、タオルで身体を拭く。エアコンのスイッチを押して今か今かと室温が上がるのを待った。
「先に風呂に入るといい。風邪を引くといけないから」
「いや、俺より榊さんの方がお疲れでしょうし、先にどうぞ」
どうぞ、と言って風呂を勧めてくる音梨君は見るからに青ざめていて、よく見ると目の下には大きな隈が出来ていた。
この隈、一体何をしたらここまで深くなるのだろう。
俺はそっと音梨君の頬に手を添えた。ゆっくりと目の下の隈をなぞり、出来るだけ優しく聞こえるように言葉を紡ぐ。
「俺には、君の方がよっぽど疲れてるように見えるよ。ここは大人に甘えて、入って来なさい」
俺より少しだけ高い位置にある目が、大きく揺らぐ。
少し考える素振りを見せた後、音梨君がじゃあお先に失礼しますと言って風呂場に消えて行った。
俺はやっと上がってきた室内の温度を肌で感じ、濡れて肌に張り付くカッターシャツを脱ぎ捨てる。
寝室を見て、やっぱりベッドは一つだなと、わかりきっていた現実に溜息を漏らしたのは言うまでもない。
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