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六章 星詠みの杖の優美なる日常

第173話 タタリの純情な感情

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 アリアンロッドの最上階。
 最奥の部屋へと続く薄暗い廊下の途中で、理事長は足を止めた。

 動きを止めた彼を見て、ソルフィは首を傾げる。

「如何なさいましたか?」
「……ああ、どうやら一仕事終えた彼女が来たようでね」

 そう言って、理事長は自分の影へと視線を落とした。
 僅かなライトに照らされた廊下に、一際濃い影が存在している。

 それは、まるで水面のように一度うねると一人の少女の姿となった。

「あらー、どっきり失敗ですねー」
「ははは、こう見えて結構驚いているよ。任務、ご苦労さまタタリ君」

 白無垢のような制服を着た、黒い長髪の少女。
 タタリと呼ばれた彼女こそが、学園都市の最強の称号であるSランクを持つ一人であった。

「お腹空いちゃいましたー。ソルフィちゃんを食べてもいいですかー?」
「ははは、それは困るな。すぐに食べ物を用意するから少しだけ我慢してくれ」

 理事長は穏やかな表情でそう言うと、ソルフィへとありったけの食べ物を持ってくるようにと命じた。
 そして、タタリを手招きして再び歩き出す。

「行こうか。少し早めの朝ご飯を食べながら次の仕事の話をしよう」
「えー、またお仕事ですかー? 私、そろそろリュウコちゃんとスイーツバイキング行きたいんですけどー」
「後で私名義で沢山食べさせてあげるから。もう少しだけ我慢してくれよ」
「なら仕方ないですねー」

 タタリはお淑やかに笑う。
 その姿は、まるで大和撫子のようである。
 
 が、彼女の足元から伸びる影は、違った。
 およそ少女のものとは思えない巨大な異形の影。
 辺りを探るように自由に動き回るそれは、まるで大蛇のようであった。

「君達は食べっぷりが良くて奢るこっちも気分が良いよ」

 理事長はそんな彼女たちの事を見て、好意的に笑った。





 プラネタリウムのようなその部屋に、大量の食料が運ばれてくる。
 タタリはそれを前にニコニコとしながら、背後の蛇は床から飛び出して舌をチロチロと見せていた。

「報告は、そのデータにある通りですー。質問などがあればどうぞー」

 そう言って、一番手前にあった最高級寿司を口に放る。
 そんな彼女の背後では、食料を器ごと丸呑みにしている影。

「ふむ、やはり君に受け継いで正解だったようだねこの仕事は。まさか、銀の黄昏が既に第一の天使を殺していたとは」
「死体の奪取は無理でしたー。私と教授じゃ相性が悪くてー。ああいう、我の強い能力は苦手なんですよねー」

 空になった寿司桶を影に放り投げ、新しくピザを手に取りタタリは言う。
 その所作は気品があふれる物であったが、食事の量と速度は常軌を逸していた。

「別に問題ないよ。君に依頼していたのは、あくまで銀の黄昏の動向を探ることだ。それに、トリムが目覚めたという情報を得られただけでも十分すぎる」

 理事長は少しだけ眉をしかめる。
 普段、ニコニコとしている彼にしては珍しい表情に、タタリは興味を持った。

「私にはただの美味しそうな子供に見えましたが、あれは理事長が警戒するほどの代物なのですか?」
「ああ。あれはデモンズギアの成功体最終号。理論上は、単騎で六体の天使と渡り合い、厄災にも対抗できる存在だ。星詠みの杖とは違った形での、兵器の完成系と言って良い」
「成程……すみませんやっぱり興味ないですねー」

 タタリはそう言うと、ソルフィの差し出してきたラーメンを受け取った。

「あ、それと諜報部から報告があった通り銀の黄昏にレイちゃんがいた痕跡がありましたよー。派手にやらかしてましたねー」
「トリムを凍結処分していたのは彼女の能力だからね。狙われるのは当然と言えば当然だ。だから、気をつける様にと常に言っておいたのだが……」

 攫われたのではなく、自ら乗り込んだのだろうという事は想像に難くない。
 レイとはそう言う少女であった。

「レイちゃんでも負ける相手を探るなんて怖かったですよー。特に、持参したお弁当が無くなった時が一番震えが止まりませんでしたー」

 タタリは笑う。
 それから、おはぎをヒョイと口に運んだ。

「これだけ大変な思いをした私に、まだ仕事をさせるんですかー?」
「申し訳ないが、君しか今は動けないんだよ」

 そう言うと、理事長はコーヒーを手に取る。
 そして一口飲んでから、息を吐いた。

「いつも通り六波羅に頼めばいいじゃないですか。金次第でなんでもやる人でしょう?」
「彼は今、他のデモンズギア使いを育成していてね」
「はあ、そうですか。大変ですねー、色々と肩書きがある人は」

 そう言ってタタリはピザをぺろりと平らげた。

「という訳で、君にはこれから第三の天使を殺してほしい」
「……第三? 第二の間違いではないですかー?」

 理事長は静かに首を振る。

「第二の天使が出現した際の魔力深度は記録してある。が、どうにも今回の天使とは一致しないみたいなんだ。まったく、天使のくせに隠れる能力が高くて困るよ。第二の天使を殺せていない状況で第三の天使まで現れるとは」

 その言葉は、いつもの余裕そうな笑みとは裏腹に少しだけ疲れているように聞こえた。

「それで、その第三の天使とやらの詳細はー?」
「……ああ、次の天使は中々に狡猾な手を使って来る相手らしい」

 理事長はそう言って、仮想ウィンドウを展開しタタリの前にスライドさせた。
 そこには、亀のような形の怪物が映りこんでいる。
 純白の甲羅に、人の手を模したヒレ。
 
 ある種の芸術品のようなウミガメ型の天使であった。

 タタリはそれを見て、表情を硬くして呟く。

「……すっぽん鍋」
「これはうちの諜報員がたまたま入手した写真でね、どうにもこの天使は人から人へと移動して病魔を広めている様なんだ。感染者は突然発狂して、周囲の人間を傷つけて回る。まるでB級のゾンビ映画だよ」
「なら手洗いうがいとマスクが必要ですねー」
「そう単純な事なら良かったんだけれどね」

 理事長は首を横に振る。

「この天使は電子の中に潜む。ダイブギアや、携帯端末の間を移動し逃げ回っているんだ。意思を持って移動しているバグのようなものだよ。そして、対象が摂取した情報の中に独自のウイルスを流し込み、感染させる。前代未聞だ」

 拡張領域から一つのタブレット端末を取り出すと、理事長はタタリへと手渡した。
 それを見て、首を傾げるタタリへと告げる。

「それは数日前に天使が見つかった端末だ。今は既に処理が為されている。……が、君なら匂いから追えるだろう?」
「……成程、確かに探しものなら私が適任ですねー。まるでワンちゃんにでもなった気分です」

 タタリはタブレットを影へと近付ける。
 すると、彼女と影、両方から空腹を訴える音が響いた。

「あらー」
「どうやらお気に召してくれたようだね」

 理事長の言葉に、タタリは微笑む。
 そして、タブレットを影へと食べさせた。

「食欲をそそる匂いでしたー。天使、美味しそうですねー。教授の所にあったやつは食べ損ねましたから、今回はラッキーですー」
「この依頼受けてくれるね?」
「勿論ー。けれど、こういうのはリュウコちゃんやユキヒラでも良いのでは? 失せ物を探す伝承を使えばすぐに見つけることが出来るでしょうし、ユキヒラなら、たまたま目の前のタブレットに天使が居たという未来を選べるのでは?」

 タタリは探し物が得意な方である。
 が、最適解ではなかった。

 何かを探す事においては、自分よりも優秀なSランクが二人もいるのだ。

「ユキヒラは騎双学園解体の責任者だからね。今、仕事を押し付けるわけにはいかない」
「じゃあ、リュウコちゃんはどうなんですかー? あ、一緒に行ってもいいですかー?」
「それが出来ないんだよ。今、彼女はレイのクローンと一緒に暮らしているからね。随分と忙しいようで、とてもじゃないが天使を追う事は出来ないだろう」
「レイのクローン……? 確かに、リュウコちゃんがそんな事をほざいて助けを求めて来てたような……」

 タタリは思い出しかけたそれを、「あ、肉まんですねー」と目の前の食事を優先して忘れることにした。

「それにキリカ君は補習だし、レイ君もまだ本調子ではない。六波羅君はさっき言った通りだ。君しかいないんだよ」
「一人、自業自得の子が混ざってませんかー? まあ、あの子がいたところで一面焼け野原でお終いでしょうから、いらないですけどー」

 そう言って納得しかけたタタリはふと思い出した。

「あ、そう言えばSランクってもう一人追加されてませんでしたかー? その子はどうなんですー?」
「ああ、ミズヒ君かな? 彼女なら――」

 言いかけた理事長は、何かに気が付いたのか虚空を指さした。
 そちらをタタリが見てみれば、転移魔法陣が展開されており、中から一人の少女が姿を現した所である。

 赤い髪に、整った顔だち。
 可愛いという言葉よりも、美しいという賛辞の方が似合う彼女を見て、理事長は口を開いた。

「おかえりミズヒ君、上手くいったかな?」
「ああ、問題はない。……それにしても、この転移魔法陣は凄いな。便利だ。使い捨てでなければ、もっと良いのだが」
「ははは、転移魔法陣は複雑だからね。またすぐに新しいのを支給するよ。タタリ君、紹介しよう、彼女が新たなSランクの照上ミズヒ君だ。今まで、Sランククローン計画の後片付けを頼んでいたんだよ」

 そう言って、理事長はタタリの方を見る。
 が、一向に反応を示さない彼女を見て、理事長は首を傾げた。

「タタリ君、どうしたのかな?」
「すっ」
「「す?」」

 理事長とミズヒは首を傾げる。
 2人を前に、タタリはカッと目を見開いて言った。

「すごく美味しそう……!」

 言葉と同時に、タタリは動き出していた。
 彼女の足元から延びた影は、今までよりも巨大な蛇となり大口を開き飛び出す。

 ソルフィがそれに気が付き止めようとしたその時には既に、ミズヒの目の前に影はいた。

「いただきまーす」

 満面の笑みでそう答えたタタリは、自身の影を操作しミズヒを食らう。
 が、次の瞬間彼女の口の中に飛び込んできたのは、とてつもない熱量の焔であった。

「――成程、これがSランクの洗礼というものか」
「……ッ!? あっつー! なんなんれふかー!」

 口元を抑えながら、タタリが数歩下がる。
 その背後では影が口から煙を上げジタバタと暴れていた。

「む、大丈夫か?」
「らいじょうぶじゃないれふー! 」

 眼に涙を浮かべて口を押えるタタリを見て、ミズヒはオロオロと理事長を見た。
 彼は、笑いながらコーヒーを飲んでいる。

「タタリ君は、背後の影と感覚を共有することができるんだ。特に、味覚など食事に関わることをね。きっと、口の中を火傷してしまったのではないかな?」

 理事長の言葉にタタリは何度もうなずく。
 影は、ソルフィからアイスを貰い必死に容器ごと食べていた。

「そ、そうだったのか……すまない。というか、そんなにお腹が空いているのならば――」

 ミズヒは拡張領域から、弁当箱を取り出す。
 彼女の容姿から想像できない、可愛らしい花柄の弁当箱だ。

「朝ご飯用にもたされたお弁当がある。これを食べるか?」
「……ありがとうございまふ」

 至極真面目な顔で差し出された弁当を、タタリはぺこりと頭を下げて受け取り席に戻る。
 そして、凄まじい速度で食べ始めた。

「すまないね、驚かせてしまったかな?」
「構わない。むしろ一瞬とは言え、Sランクと手合わせできて良かった」
「そうかい。……なら、せっかくだしタタリ君とこれから一仕事して貰えるかな。報酬は出す。丁度、人手が欲しかったところなんだ」
「断る理由はない。是非とも仕事をさせてくれ」

 そう言って、ミズヒはタタリを見る。
 彼女は既に弁当を食べ終えて、山盛りの牛丼へと手を付けていた。

 タタリの横には、空の弁当箱がちょこんと置かれている。
 流石の彼女と言えども、貰った弁当箱まで食べることはしないようだ。

「ふむ……」
「おや何か考え事かな?」
「いや、何でもない」

 ミズヒはそう言いつつ、タタリを見て思った。

(トアに負けず劣らずか……)

 本人が聞いたら顔を真っ赤にして否定しそうな事を、彼女は真面目な顔で考えていた。


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