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三章 閃きジーニアス

第95話 矜持インストール

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 学園都市の限定されたルートからのみ入ることが可能なダンジョンゲートを潜る事三度。
 そこから魔力を視覚的に捉えることで浮かび上がる道しるべの先に、その庭園は存在した。

 いや、正確には庭園であったものだろうか。
 現代文明を超えた多くの機材や、不定形ながらもそこに在る闇、割れた空を背景に存在するその場所こそ、銀の黄昏の最奥。

 エデンと称される場所である。

「……ふぁ、おはよー!」

 エデンに設置された特殊なポッドから抜け出したカノンは、目覚めてすぐに空に向かって大きな声で叫んだ。

「博士の再インストールよし! 学会接続よーし! 等分された死も……うん! 今日も真っ黒に輝いているねー!」

 蝶を指先に乗せて、カノンは満足げに笑う。
 その姿を見て、パッとしない風貌の男子生徒は顔を顰めた。

「うるさい。終わったなら僕は帰るぞ」
「もーせっかく久しぶりに現実で出会ったんだからさー、話題に花を咲かせようよ、01」
「黙れ。僕はお前と違って今この瞬間も仕事の最中なんだ」

 首元から伸びたコードを掴んで見せた01はそう言った。
 コードは、背後の巨大な機械に接続されて今も稼働しているようである。

「えー、ほらほら、こんな素敵な庭園なんだからさお茶でもしない? 議題はソルシエラについて」
「そのソルシエラが魔眼を持っているとお前が言ったから、今学会で議論しているんだろうが! クソ、まんまと博士を削除されやがって。お前が真面目にやっていたらデータとして正確な物を上げられたというのに」
「私の言葉じゃ足りないって?」
「お前は主観的なんだよ。それで02になっているのが今も信じられないね」

 ソルシエラの干渉によるカノンの博士の削除は、一時的とは言え多重提唱空間の機能を事実上停止させた。
 魔眼という新たな変数を組み込んだ演算により、今までの前提が崩れたのである。
 おかげで、学会は今大忙しであった。

「魔眼は今までもいくつか確認されている。能力も、聖遺物も。だが、該当しそうな魔眼がないんだ」
「大変そうだね」
「誰のせいだと思ってる……いや、感謝するべきか。そうだね、学会では一部君に感謝をしている博士もいる。魔眼を彼女が持っていることを知らずに例の計画を進めれば間違いなくとん挫していた」

 01は、エデンの一番大きな機械的玉座を見る。
 霜で覆われたその玉座に眠るように座る少女は、全てを氷の結晶で包まれていた。

「トリムの起動を邪魔される訳にはいかないからね」
「そっかー、大変だねぇ」

 カノンはトリムを一瞥すると、興味なさげにすぐに視線を外した。
 その光景を見て、01は口を開く。 

「……02、一つ同志として忠告をしておこう。君は、その輝きを失おうとしている」
「輝き? 大変だね。豆電球でも買ってこなくちゃ!」
「はぁ……博士に選ばれる条件は分かっているだろう?」
「うん。果てなき探求心。その魂の輝きだよ」

 博士に選ばれる条件は頭脳以上に、その生き方にあった。
 何よりも知識を優先し、決して尽き果てる事のない人類の知識の研鑽。

 それこそが、博士を博士たらしめるものだ。

「けれど、今の02はその探求心がない。かつては博士の中でも抜きん出た輝きを放っていた君が、だ」

 01は、カノンを観察するように眺めて確信を持って言った。

「君の身勝手な計画が、成功しそうなんだろう?」
「……身勝手?」
「そうだ。元々、君に与えられたことわりの魔眼はトリムの新たな肉体を作るためのものだろう。多くの博士が様々なアプローチであのデモンズギアに耐えうる体を作るための研究を続けていた。理の魔眼は中でも良い結果が出ていたじゃないか」

 カノンが適当な言動ながらも02として名を連ねるのは、その成果によるものだった。
 彼女の底知れない探求心から打ち出される結果の数々はトリムの復活を現実的な物としている。

「君がついでに何をしようが勝手だ。それは私達の特権でもある。が、見誤るなよ? お前のそれは命題ではない。ただの個人的な趣味だ」
「……うーん、でも実際それで結果を出しているし。モチベーション維持ってやつ?」
「本当にそうだろうか? 君の接続が切れた僅かな時間で、私達は君について話し合った。議題は、空無カノンは今後使い物になるのか、だ」

 空気が切り替わった。
 あるいは、最初から殺気で溢れており今この瞬間に第三者にもわかるほど表層に出てきたのだろうか。

 お互いの周囲に、色の違う蝶が大量に生み出されていく。

「ハッキリ言いなよ。勿体ぶるのは悪い癖だね」
「このまま行けば学会から追放されるだろう。故に、僕達から最初で最後の警告と要求だ。魔眼の実験を他の博士に引き継がせろ。ここからは他の博士が行う」
「えー、君たちに出来るの?」
「何のための学会だ、別に君でなくても可能だよ。そして君には別の研究をしてもらう事になるだろう」

 それは、カノンという天才をまだ博士として学会に所属させるための唯一の提案だった。

「君は、逸脱している。ふざけた物にあまり気を回すな。博士としての矜持を取り戻せ」

 カノンは今まで笑っていた。
 いつものようなニコニコと陽気な笑顔は、自分が追放される可能性が浮上してもなお変わらなかった。

 しかし。
 ソレを「ふざけた物」と01が言った瞬間に表情が変わった。
 それは怒りというには余りにも静かで、悲しんでいるというには激しい。

 純粋な、殺意であった。

「「等分された死」」

 同時に、第一波がぶつかる。
 互いに魔力を吸収しあった蝶たちは、空中で絡まり合いながら堕ちていく。

「ふざけた物って、言ったな? 私の……私のに対する愛をッ! お前はそんな言葉で形容したなッ!」
「事実だ。いつまで死人に縋っている。人形遊びも程々にして、博士の務めを果たせ」

 01の周囲に、さらに多くの蒼い蝶が生み出される。
 01の名を冠する者にのみ与えられるより強力な等分された死だ。

 しかし、カノンはそれを見て、逃げることもせず睨みつけたまま自身も等分された死を生み出した。
 赤く燃えるような蝶は、彼女の心を表しているようにも見える。

「どっちが上か、わからせてあげるよ」
「無益な争いは好きじゃないんだがね」

 銀の黄昏の中でも屈指の実力者による衝突。
 博士の矜持と、自身の使命による殺し合いは避けらないものに思えた。

「まあ待て、二人とも」

 何時からそこにいたのか。
 あるいは最初からいたのか。

 エデンの端で、椅子に座りティーカップを片手にした壮年の男がそこにはいた。

「博士同士で争う事は、私の前では許されないぞ?」

 英国紳士の恰好をした男は、そう言ってカップに口をつけた。
 同時に、01とカノンの等分された死が機能を停止して地に落ちる。

「……教授」
「01、まだ輝きがあるのなら信じてもいいだろう? 02も、許してやってくれ。彼はこれでも心配しているんだ」
「別に私はいいよ。うん、気にしてないから」

 明らかに目は笑っていないが、カノンは取り繕う事に決めたようだ。

「さあ、もう行くといい。君の大切な妹が待っているだろう」
「うん、そうだね。ソルシエラがちょっかい掛けてきているし、こっちも忙しいんだ」

 カノンはそう言うと、01を一睨みしてその場を去った。
 01はその背を見ていたが、やがて興味を失ったように手元の本に視線を落とす。
 そして、本を見ながら言った。

「やはり、君の言った通りだったよ――ネームレス」

 彼の背後、転移魔法陣が生成され中から黒い外套が姿を表す。

「でしょ? カノンはもう駄目だよ。アレは使い物にならないから殺すべきだ」

 ネームレスは、そう言うと教授の前にもう一つ椅子を生み出して座る。
 そして、持参したカップに勝手に紅茶を注いだ。

「どう、教授。その茶葉。一応、私の学園にあるやつで一番高いのなんだけど」
「美味しいよ。保管方法が良いのだろうね。まめな性格の生徒が管理していたようだ」
「そうだね。凄く真面目な人だよ」

 教授とは真逆に、子供のような仕草でネームレスは紅茶を一気に飲み干した。
 
「これでわかってくれたかな? 私が銀の黄昏の敵ではないと」
「どうかな? まだ、油断は出来ないね」

 穏やかな口調で、教授はそう言った。
 ネームレスは、オーバーに肩をすくめる。

「僕は賛成だ。ネームレスは素晴らしいよ。秘密が多いが、それは暴ける機会が増えたという事だ。学会は既にネームレスに好意的だ」
「だってさ、どうかな。教授」
「ははは、急かすね。もう一度、君が銀の黄昏に入りたい理由を聞いても良いかな?」

 教授は柔和な笑みと共に問い掛ける。

「また? 変わらないよ。私は、世界を救いたいんだ」
「大層な夢だね。うん、銀の黄昏に相応しい子だ」
「なら入れてよー」
「一応は暗部のトップみたいな所もあるし、はいそうですかとはいかないんだよ。ごめんね、ネームレス。だからそうだな、もう少しだけ私達に証明してくれないかな。君を入れる事によるメリットを」

 ネームレスはその言葉を聞くと、考える間もなく素直に頷く。

「わかった。それじゃあもう少しだけ、世界に対する私の優位性を見せちゃおうかな」
「それは楽しみだね。……あ、どうだい、クッキーを焼いてきたんだが」

 教授はそう言ってクッキーを指さす。
 すると、ネームレスはじっと見つめた後に首を横に振った。

「のんびりしてる暇はないんだよねー。一応、無遅刻無欠席だからさ。一枚だけ貰うよ」

 そう言って、クッキーを一つだけ摘まむとネームレスは転移魔法を起動。
 01と教授に手をヒラヒラと振ってその中へと消えていった。

 教授は紅茶を一口飲んでから、そっと告げる。

「どうだ、彼女は」
「さっきも言った通りだ。僕は賛成だよ」
「そうか」
「何か不安の種でもあるのか? 仮にあっても、教授なら殺せるだろう。友としても、道具としても価値はあるはずだ」

 博士はネームレスの事をどちらに転んでも利益をもたらす存在として認識していた。
 そしてそれは、教授も同じである。

 情報だけで見れば、怪しさを加味しても組織に入れる価値が十分にある。
 が、それでも。

(救世の輝きが、一片たりとも見えなかったんだよ、君は)

 教授をもってしても正体不明のネームレスという少女。
 その魂は、光を一切放っていなかった。
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