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三章 閃きジーニアス

第90話 胡蝶エスケープ

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 ジルニアス学術院にSランクは存在しない。
 
 しかし、それでもこの学院が四大校と言われるその所以は、偏にその技術力にある。
 ダンジョンという既存の常識が通用しない世界を解析、分解し、文明の糧とするその叡智が、この学園を僅か十年足らずで四大校まで押し上げたのだ。

 叡智が全てを決める学院において真の強者の肩書きは生徒会長ではない。
 
 そしてその肩書きを得る事は、ジルニアス学術院において最も素晴らしい栄誉とされていた。

「この博士である私相手に、どこまで食らいつけるかな?」

 博士、それ即ち全知の称号。

 学会と通称される知識の集積場。多重提唱空間イネイン・ダイアログに接続する事を許された唯一の存在である博士の知識に欠損などある訳がない。

 ――同質の存在を除いては。

「退屈なダンス。銀の黄昏ってこういうのが趣味なの?」

 研究室の中を銀の流星が駆ける。

 突然の戦闘にも関わらず、両者は行動のゴールを明確に持ち合わせていた。

 大鎌が蝶を裂くが、新たな蝶が湧き出てソルシエラを拘束しようと向かう。
 決してカノン本人には近づくことはできないように動き回る小型の蝶は、ソルシエラには随分と相性が悪い相手のようだ。

「陰鬱な色の蝶ね。もっと華やかにしたらどうかしら」
「それがお好みなら、そうするよ?」

 等分された死マストダイが、目の前の少女を囲む。
 が、少女はまるで踊り舞うかのように華麗なステップでその包囲網を突破した。

(流石はソルシエラ。学会でも議論が盛んなわけだ)

 ソルシエラ、それは星詠みの女王であり全てのデモンズギアの祖である。
 六つのデモンズギアを監視する裁定者としての彼女は、本来こうして表舞台に姿を現すことは無い。

 ならば何故、彼女は戦うのだろうか。
 考えるだけで、気分が高揚した。

「等分された死、Bシフト」

 蝶の色が変化する。
 赤熱するように赤くなった蝶の群れは、その速度を弾丸へと昇華させてソルシエラへと突撃した。

「当たっても死にはしないから安心して。等分された死は相手の魔力を吸い取ることで無力化を図る不殺の武器。貴女は銀の黄昏でしっかり研究してあげる」
「私相手に随分とくだらない事を言うのね」

 数にして千はくだらない蝶の群れは、マシンガンのように向かっていく。

 が、ソルシエラはその全てを回避し、大鎌で弾き、捌ききった。

(障壁を食い破るって、見破られてるねー。私相手に物理のみで挑むのは流石に的確な行動だ)

 カノンは、ソルシエラを見て評価を一つ上げた。
 今まで学会により下されてきたソルシエラの評価は、有り余るスペックによる無理矢理の勝利を勝ち取るいわば、子供である。

 全てが星詠みの女王としての力で、相手の能力や行動など意味をなさない。
 まさに、女王の名を関するに相応しい圧倒的な力。

(うーん、プロフェッサーとの戦いがこの子をさらに強くしちゃったかな。アイツ、本当に余計な事しかしないねー。教授も適当な名前をアイツにあげて銀の黄昏にいれてしまえば良かったのに)

 人格に難ありな天才を思い浮かべながら、カノンは苦笑いする。
 その眼前には既に、ソルシエラが迫っていた。

「そろそろ、貴女本人が踊ってくれてもいいのよ?」
「あははっ、私ってば踊りが苦手でさ」

 カノンの白衣の内側から、さらに等分された死が飛び出す。
 特殊な拡張領域に収納された予備の等分された死だ。

「っ」
「あ、やっと驚いてくれたね」

 ソルシエラは、すぐに距離を取ろうとした。
 が、背後は既に等分された死によって隙間なく覆われている。

「チェックメイト」

 カノンは指をぱちんと鳴らす。
 蝶による赤い箱が完成し、段々とソルシエラを収める様に小さくなっていった。

 触れれば魔力を吸収する探索者にとっては天敵ともいえるこの特殊な武装は、ソルシエラという魔力ありきの少女にとっては有効だった。

 蝶の箱は少女一人を収めるだけの形になると魔力の吸収を開始。
 箱の中から苦しむような少女の声だけが響いてくる。

「さてさて、ゆっくりと観察させてもらおうかな。あの大鎌とか、気になってたんだよねー。まだ機能があるっぽいし」

 蝶の色が次第に紫へと戻っていく。
 それは、魔力を完全に吸い取った証であった。

 パッと蝶が飛び去り、残されたソルシエラは膝から崩れ落ちる。
 気を失っているのか、そのまま地面に倒れ込もうとしていた所を、カノンは抱き留めた。

「おっと、女の子が顔から倒れちゃ危ないよ。せっかく傷つけないようにしたのにさ」

 カノンは笑ってソルシエラの髪を撫でる。

(魔力の枯渇により、完全に意識を失ってるね。いやぁ、相性が良くて助かった。教授だったら、もしかしたら負けちゃうかも? ……いや、決着が付かないか)

 戦利品としてソルシエラそのものを手に入れたカノンは笑う。
 
「後は、彼女の生体データを学会にアップロードして皆で解析して終わりだね」

 博士である彼女は、ソルシエラの頭に触れればデータが採取できる。
 カノンが学会へと接続し、ソルシエラへと手を伸ばしたその時だった。

「――ふふっ、それを待っていたのよ」

 抱きかかえられたソルシエラが、眼を開き此方を見ていた。
 早期の覚醒、気絶のフリ、いくつかの答えが頭をよぎるが、何よりも彼女から離れる様にと全てが警鐘を鳴らしている。

 カノンは即座にソルシエラを投げ出そうとして、その目を見てしまった。

(魔眼……!)

 右目に刻まれた正体不明の魔法式。
 その一部に魔力の収束があることまでは彼女の魔法の解析から理解できた。

 が、そこから先。その収束した魔力がなにへと転換されるのか。
 果たして、ソルシエラの魔眼が何をもたらすのかがわからない。

(魔眼を持っているなんて、そんなデータはまだ学会にはなかった。どこで手に入れた魔眼? いや、そもそもそれは聖遺物なのか、それとも星詠みには私の知らない何かが――)

 多岐にわたる推測が同時に展開されていき、カノンは魔眼の正体を突き止めようとする。
 魔眼の怖ろしさは、よく知っていた。

 天才故の思考。
 博士であるがための、僅か0.01秒にも満たない推測。

 しかし、その刹那の時間はソルシエラが動くには十分すぎる。

「それ、壊しちゃうわね」

 気が付いた時には、ソルシエラの手がカノンの首に触れていた。

(マズイ、ソルシエラの能力は干渉――)

 プロフェッサーがどうなったのか。
 なぜ、不死身ともいえるあの存在が死んだのか。

 その答えを博士であるカノンは知っていた。

 が、もう遅い。

「が、あぁっ」

 脳が、スパークするような感覚と同時に何かが剥がされていく。
 全能感ともいえるそれは、腕の中の少女によって跡形もなく消し去られてしまった。

 脳が突然の喪失に耐えられずに激しい頭痛と眩暈を引き起こす。
 苦しむカノンの腕の中から悠々と立ち上がったソルシエラは、そのまま大鎌を構えてカノンを見下ろした。

「気分はどうかしら」
「最悪だね……うん」

 ソルシエラの目的が博士の剥奪であった事をカノンは理解した。
 最初から、カノンではなくその中の博士を狙っていたのだ。

 故にこの戦いは両者ともに殺し合いではなく、目的を果たすための戦いでしかない。

 で、あるならば。

「最悪だけどさぁ……」

 ソルシエラがカノンを殺す気がないのであれば。

「最高だよねぇ!」

 博士であるカノンの敗北は消えた。








 おい、カノンちゃんの様子がおかしいぞ。

 プロフェッサーと同じで博士を殺せばオッケー!
 だと思ってたんですけど……なんか、おかしくないですか?

『私は確かに彼女の中の異物を消し去ったぞ』
 
 だよね、きちんと触れて消したよね。
 魔力を使えないのによく頑張ったよ、マジで。

『転移魔法の構築と、その隠蔽に使用しているからねぇ。君の身体能力のみに頼るのは些か不安だったが』

 途中、詰んだもんね。
 美少女に抱きかかえられなきゃ復活出来なかったもん。

『普通は出来ないんだよ』

 プロフェッサーと同様に、俺はカノンちゃんの中の博士を消し去ったはずだった。
 カノンちゃんの美少女の輝きが消えるのは、博士が出てきているからだ。

 なら、その瞬間に触れて殺してしまおうと思ったのである。
 つまり、美少女もぐらたたきだね。

 チャンスを待って、ようやく0.01秒の隙が出来たから殺したのに……。

「もっと遊ぼうか!」
「ふふっ……」

 この様ですよ。
 博士を倒せば解決じゃねえの?
 ヒカリちゃんと同じじゃないの?
 
「ねえ、私から博士を取り除けばお終いだと思った? 思ったよね? だから、こうして博士だけを狙って干渉したんだから」

 依然として等分された死は俺を追いかけてくる。
 美少女の輝きマシマシの今のカノンちゃん相手に俺が取れる手段はもうなくなっていた。

 これ、さらに詰みでした。
 負けイベでした。

『よし、構築を完了した。隙を作りたまえ、転移するから。簡易的な収束砲撃くらいはもう使っても構わないよ』

 よっしゃ、蝶々撃ち落としてやるわ!

 俺は魔法陣を展開して収束砲撃を放つ。
 が、蝶々はそれを受けると、むしろ輝きを増したようだった。

「無駄だって、それは魔力を吸収するんだから。君の本気の収束砲撃でもない限りはエネルギーになるだけだよ」

 相性が最悪すぎる……!
 ねえ、この蝶々めっちゃヤバいよ?
 
 さっき捕まった時も、みるみる魔力を吸収されたからね?
 なんなら今も俺の魔力を吸って、蝶々さらに元気いっぱいだからね?

「君に博士がなんたるかを教えて上げる」

 そう言って、カノンちゃんは悠々と椅子に腰を下ろした。
 あ! そういうのはソルシエラのムーブだろうが!

「博士とは無数に存在する叡智……まあ、ウイルスだと思えばいいよ。彼は既に人としての実体を消して、全てをデータに変えた。そして、その能力や知識を適性のある者に与えるんだ。それが博士。君が殺したのは博士のほんの一欠けらにすぎないんだよ」

 それ先に言ってぇ?
 わざわざ近づいて、消したのが馬鹿みたいじゃん。

 まだ博士を残して、美少女の輝きが消えた時にぶん殴った方が勝機あったじゃん。

「仮に私本体を殺しても、別の博士が引き継ぐ。情報は命だ。いずれ、必ず君を倒せるだろうね。……ああ、もう私で倒せちゃうか。多重提唱空間――つまりは学会にアクセスすることは出来ないから、情報のアップデートが不可能なのは不便だけどねー」

 なんかまた変なワードが出てきたんだけど。
 もう対処しきれません!
 だって、原作でそんなの出て来てないから!

「ねえねえ、君さ私が博士だから天才だと思ったでしょ。戦えていると思っていたでしょ?」

 カノンちゃんはニコニコと笑って手をすり合わせる。

「違うよ、天才だから、戦えるから博士になれたんだ。資格があったんだよ」
「あら、己惚れているの?」
「事実を羅列しているだけだよ」

 蝶が、波となって向かってくる。

 意識を奪うにしても、干渉はもうさせてくれないだろう。
 ルトラのように遠隔で意識を奪う手段が存在していない以上、俺が負けるのは時間の問題だった。

 なんか、最近全然いいところなくね?
 ネームレスにはミステリアス美少女として負けるし、博士にも負けるし、ソルシエラってもしかして環境外になった?
 
『は? 環境トップだが? 人権キャラだが?』

 じゃあその意地を見せてみろよ!

『君が攻撃すればいいだけだろ、やり方は色々あるはずだ』

 美少女に本気の攻撃なんてできるわけねえだろ。
 それだけは駄目だ。
 
 ミステリアス美少女としてではなく、勝利を収めるための攻撃は俺の魂が拒否している。
 なぜかは知らないが、それだけはやってはいけないと本能が言っている気がするんだ。

『また訳の分からない事を……。じゃあ幻覚だ。魔法陣を広げて、彼女を効果範囲に巻き込め。もう魔力を抑える必要はない。いつでも転移は可能だからさっさと隙を作ってしまえ』

 それなら出来るわ、ありがとうね星詠みの杖君。

『私が戦えれば、美少女とも渡り合えるんだけれどねぇ』

 星詠みの杖君のボヤキを受けながら、俺は蝶を自慢の動体視力で避ける。
 そして、大鎌を放り投げて蝶を切り裂き、カノンちゃんへの一本道を作り上げた。

「わあ、危ないよ」

 鎌がすぐそばに突き刺さっても、カノンちゃんは笑っている。
 当たらないと分かっていたのだろう。

 ともかく、道は出来た。
 後は、幻覚を見せる魔法陣の効果範囲まで近づいてしまえば――。

「幻覚魔法、使う気でしょ」
「っ」

 もうやだこの人。

「そのデータは既に学会でダウンロードしていたからさ」

 椅子に座っていた筈のカノンちゃんの姿が蝶へと変化して辺りに散らばっていく。
 クソ、無駄に洒落た回避しやがって……!

「どうかな、私の作った分身は。等分された死のオリジナルカスタムなんだー」

 俺は美少女の輝きを頼りにカノンちゃん本人を見つけた。
 壁に寄り掛かって、ウィンドウを操作しながらこちらを見ている。

 まるで俺が見つけることを分かっていたかのように片手を振っていた。

「君、私を魂の観測で本人と断定してるでしょ? 駄目だよ、同レベルの存在を相手にするならその眼に頼っちゃ。こうして、偽者を作り出せるんだからさ」

 美少女の輝きを見誤った……!?
 この俺が……!?

「初めて会った時から君がソルシエラだと気が付いていたよ。君の探求の輝きは、激しく煌々と燃え盛っていたからね。だから、わざと博士を出して君を誘ってみたんだ」

 なんの話をしているか全く分からない俺は、蝶から逃げるので精一杯である。
 やっぱ無策で相手するもんじゃないわ、博士って。

「君は、全てを支配しようとする癖があるね。だから、イレギュラーには弱い。目の前に突然博士が現れると、動揺してしまう」

 くっそぉ、さぞ気持ちいだろうよあんなに朗々と語りやがって。
 俺はソルシエラだぞォ!
 ミステリアス美少女がこんな手のひらでコロコロされていいはずがないだろうが!

『幻覚を一か八か発動しても、あれが分身では意味がない。転移魔法の発動には時間が掛かる。……うーん、どうしようねぇ。いっそのこと、第二形態で研究室ごとぶっ壊すかい? 君があの蝶に吸いきれないだけの魔力を生み出せるならそれも可能だが』

 星詠みの杖君の提案に、俺は内心で首を横に振る。
 それは不可能だ。

 何故なら、今の俺はミステリアス美少女として負けてモチベーションも下がっているし、美少女同士の絡みがないからエネルギーも供給できないのである。

 くそ、ミステリアス美少女で散歩したかっただけなのになんでこうなるんだよ!
 
「ほら、もう詰みだよ」
「あら、随分とエスコートが上手なのね」

 気が付けば、俺は部屋の角に追い込まれていた。
 こーれは詰みです。
 声も心なしか震えちゃってる。

「可愛く許しを乞うなら、虐めないであげる」
「……ふふっ、許しを乞うのは貴女でしょう?」

 俺は精一杯のミステリアス美少女で返した。
 が、もう俺の運命は風前の灯火である。

「本当に可愛くなーい。それじゃ、私の勝ちって事で――」
「……っ」

 蝶が迫ってくる。
 もう、俺にはやけくそ転移しかなかった。

 星詠みの杖君! 今こそ限界を超えて爆速転移魔法を!

『やっているがこれは間に合わないぞ。というか、私の転移魔法はそもそも既存の転移魔法の中でも最速だよ』

 駄目そう……。

 少しでも隙があれば逃げられるが、そんなものを与える相手ではない。
 迫る蝶を前に、俺が『囚われのミステリアス美少女~捕まってもミステリアスさは健在~』のプランを構築し始めたその時だった。

 天井の通気口から、何かが堕ちてきた。
 俺はそれを眼で追う。
 強化された動体視力は、その姿をしっかりと捉えた。

 雨の日によく見る愛嬌のあるフォルムである。

 機械で作られたそれは、俺の方を見て一度跳ねると「げこっ」と鳴いた。

 え、なんでこれがというかこれ爆弾じゃな――

 蛙が体を一気に膨らませて爆発する。
 一匹とは思えない爆炎は、無数の蝶を焼き払うと同時に俺の視界をめいっぱいに覆った。

『今だ、相棒!』

 なんか知らねえがラッキー!

 あははは、あばよカノンちゃん!

 次会ったらミステリアス美少女してやるからなぁ!

「――あら、時間みたいね」

 俺はさも予定通りといった風な台詞を吐いて魔法陣を展開。
 そして、すぐに転移した。

 これ、どこ行くの?

『構築に必死で具体的な場所は決めていない。が、せっかくあの少女が助けてくれたのだ。彼女の魔力反応がある場所を目印にさせて貰ったよ』

 転移した先は、どうやらどこかのビルの屋上のようだった。
 街の景観からジルニアス学術院であることはわかる。

 吹く風に髪を抑えながら、俺は背後に人の気配を感じて振り返った。

 足元で戯れるように跳ねる蛙。
 風に揺れる紫のメッシュ。

「やあ、ソルシエラ」

 彼女は俺のよく知る美少女だった。


 

 

 
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