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一章 星詠みの目覚め

第32話 自由の先にはいつも美少女がいる

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 吾切あぎり リンカは、親の顔を知らない。
 それは彼女が生まれた時から施設で育てられたからだ。

 学園都市に存在する数多の組織の一つ『銀の黄昏』は、彼女に取っては家であり唯一の居場所であった。

 親は研究員で、子守唄は電子音。
 全てが作り出されたもので、それでも彼女にとってはそれが全てだ。

 ――その全てをリンカは裏切った。

「はぁっ、はぁっ」

 追手を撒いて、リンカは身を潜める。
 咄嗟に入った場所は、どうやら表向きの関係者の施設だったようで薄暗い廊下にはいくつかの扉がある。

 そんな中を息を殺して進む。
 と、その時リンカは掃除用具入れの前に置かれた段ボールを見つけた。

 中には、廃棄予定の着ぐるみが一着入っている。

「……丁度いいね」

 リンカはそれを迷わず身に纏った。
 顔はすでにバレている。
 少しでも見つかるリスクが減らせるなら、その方が良いだろう。

「よし、これで」

 大丈夫だ、と考えたリンカの脳裏を一つの疑問が過った。

(私は、どこに行けばいいんだろう)

 リンカは組織を裏切った。
 それは、彼女に与えられた任務の遂行を放棄したからだ。

 リンカの任務、それはデモンズギアの契約者である牙塔トウラクの殺害と、ルトラの奪取である。

(最初は順調だったのになー)

 友人として近づくのは容易い事だった。
 彼の人柄については事前に調査済みだ。

 根っからの善人で、真っすぐな心を持つ青年。

 だからこそ、魅せられてしまった。

 彼と、彼の周りの人々の姿に。

「あんなに幸せな人たち、殺せるわけないじゃん……」

 リンカはまだ人を殺したことがない。
 この任務こそが、リンカを一人前の完成品にする為の試験であった筈だ。

 であれば、それを途中で放棄した彼女は失敗作以外の何ものでもないだろう。

(トウラク達にもバレたし、組織にも切り捨てられて……あーあ。もう行くところなんてないじゃん)

 そう思った途端、脚から力が抜けた。
 地下の実験施設での懲罰から逃げ出して、走りっぱなしだった脚は既に限界を迎えていたようだ。

 気力で保っていたのだが、ついにそれも底をついた。
 彼女はもう、立つ理由を失っていた。

(いっそ、どこぞの無名な学園でやり直すかな。……いや、すぐに組織が来る)

 銀の黄昏は学園都市でも強大な力を持つ組織である。
 エイピス理事会からも黙認されており、その力があれば逃げ出した少女を一人始末するくらいは容易いだろう。

「はぁ。私の人生なんだったんだろ」

 目的が常に提示された人生だったと、客観的にリンカは評価した。
 全てが組織の為で、自分は道具。

 トウラクと共にいた時も、明るい少女というマニュアルがあったからそれに従った。

 彼女は、自由というものを知らなかった。

「――交代の時間ですよ」

 不意に、背後から声を掛けられた。
 追手かと身構えるが、同じように着ぐるみを着ている。

「……あ、貴女は?」

 一瞬、この遊園地のアルバイトかと疑ったがすぐにその考えは否定した。
 リンカは幼少期より鍛えられた人間である。

 だからこそ、その立ち姿で理解した。

(強い。ここで私が全力を出しても、絶対に勝てない)

 自然体ではあるが、確かな威圧感を感じた。
 であれば、こちら側の人間であることは確実だろう。 

「驚き過ぎじゃないですか。ただ声を掛けただけですよ私は」

 目の前の少女は呆れた様子でそう言った。
 どうやら、リンカを追ってきたわけではないらしい。

「……はぁ、驚かさないでよ」

 この実験施設は裏の世界では有名である。
 故に、こうして他の組織から工作員が送られてくることは少なくない。

 リンカは初め、この着ぐるみを着た少女が工作員なのだと考えた。
 しかし、それは彼女の次の言葉で否定される事となる。

「怖いんですよね」
「っ」
「わかりますよ、その気持ち」

 明らかに、リンカの事情を察した言葉。
 彼女はただの工作員などではない。

「貴女……もしかして」
「はい。私も最初はそうでしたから」

 それが全ての答えだった。

(銀の黄昏は裏切者を許さない。それでも、確かに過去に数人組織から逃げ切ってみせた人たちがいた)

 非人道的な実験に嫌気がさして、あるいはより輝かしい未来を求めて。
 理由は様々だが、銀の黄昏から離脱者が出たのは事実だ。
 そして、そんな彼女らが集まって新たな組織を作り上げたことも知っている。

(この人が、新たに結成された反『銀の黄昏』の組織所属だとするなら、ここにいるのも納得だね。ここは、銀の黄昏にとって重要な実験施設だ)

 強者としての所作と、銀の黄昏を知る言葉。
 間違いない。
 彼女は、過去に銀の黄昏から逃げ出した探索者だ。

 であればこそ、彼女ほどの強さが無ければ組織から逃げることなど出来ないという証拠でもある。
 リンカにそれほどの強さは無かった。

「……なら、わかるでしょ。今更、無理。今だって、何もかも放って逃げ出しちゃいたい」

 どこに逃げるのだろう。
 そう考えて、リンカは自嘲的に笑った。
 しかし、目の前の少女は笑わなかった。

「それで貴女は救われるの?」

 リンカの心を見透かしたような問い。
 心の奥を覗き見られたような気がして、無性に腹が立った。

「救われる? さんざん皆を騙してきたのに!? こんな私が救われる方法なんてないじゃん!」

 トウラクの善意を利用した。
 ミハヤの思いやりを踏みにじった。
 ルトラをただの道具として扱った。

 彼女に暖かい場所を与えてくれた彼等を、リンカは裏切ったのだ。
 本物であった筈の居場所を、自らが偽物に変えたのだ。

「貴女だって、私と同じならどうしてここにいるの! 結局は怖くてここに来るしかなかったんじゃんか!」

 的外れだ、頭ではそう理解していた。
 彼女は銀の黄昏の実験施設を破壊、あるいは情報を盗みに来たのだと。

 それでも、リンカの心の薄暗い部分は、彼女が銀の黄昏に屈服し、降伏しに来たのだと思い込もうとしている。
 自分と同じように、組織に敗北する人間が欲しかった。
 自分だけがみじめではないと思いたかったのだ。
 
 目の前の少女は、そんなリンカの心情を理解しているのか、諭すように言った。

「……私が来たのはそれが役目だからです」

 詰め寄るリンカを手で制する少女は至って冷静だ。

 こんなやり取りですら、自分との大きな差を見せつけられているかのようで嫌になる。

「少しは落ち着きましたか」
「……ごめんなさい。貴女に当たっても何も解決しないのに」
「そうですね。私じゃ解決できないです」

 少女はリンカの言葉を肯定する。
 そして、続けて言った。

「貴女の決める事ですから」

 それは、リンカという人間の自主性。その根本であった。
 機械のように組織の命令を聞いてきたリンカにとっては、突然目の前に現れた自由である。

「私の決める事……」
「そうですよ」

 少女は頷き、言葉を紡ぐ。
 まるで、リンカを導く様に。

「貴女がやるべき事ではなく、貴女がやりたい事。信じる事に従ったらいいんじゃないですかね」
「……そんな単純でいいのかな」

 リンカのこれまでには必ず理屈が存在した。 
 全ての行動に、組織の利益となるための絶対の理由があった。

 しかし、今は違う。

「いいんですよ。ほら、後は貴方の心に従うだけです」
 
 少女はそう言って、リンカの手を引く。
 着ぐるみで表情はわからない。

 だが、声色から微笑んでいるように聞こえる。

「大丈夫。貴女が想像しているよりも、世界はずっと優しく美しいものです」

 その言葉は、一体どれだけの犠牲と苦難の上に成り立っている言葉なのだろう。
 未だ、組織に縛られているリンカにはわからない。

 けれど、ほんの少しだけ答えが見えた気がした。

「……ありがとう。少しだけ、私のやりたいことが分かったかもしれない」
「そうですか。良かったです」

 扉の前に立ったリンカは振り返る。
 
「名前、聞いてもいいかな」

 あと一歩、前に進めない自分の背中を押してくれた。
 偶然会っただけの自分のためにリスクを負ってまで付き合ってくれたのだ。

 しかし、着ぐるみの少女は答えない。
 ただ、その場に立ち尽くしている。まるで、自分の役目はもう終わったのだと言っているかのようだ。

「……ごめんなさい。そうだよね。うん、私、頑張るから!」
「はい。頑張ってくださいね」

 リンカは、一礼をする。
 今の彼女に出来る事はこれくらいだ。

 そうして、リンカは外へと踏み出した。

(追ってきた組織の奴らが、客に紛れて探している。けど、こっちには気付いてない。これなら――)

 リンカは自分が逃げてきた道を戻り始める。
 目指すは地下実験施設。

 その最奥の部屋。

 今度は、銀の黄昏のリンカとしてではない。
 
 降伏も、従属もしない。

 御景学園のリンカとして、戦いに行くのだ。

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