悪女の自白 私が子供達を殺しました

第５話 クルーシェ夫人の訪問

　しばらくして男爵家からクルーシェ夫人が、アンリエッタの妊娠を祝う名目で侯爵家を訪ねてきた。

「旦那様、何の前触れもなく男爵夫人が妊娠の祝いだと訪ねて来られました」

執事長のアンドレは、常識が無さすぎると暗に仄めかしていた。

「ふんっ、媚薬を盛るような家系だ。要件はろくな事じゃないだろう。夫人を同席させろ」

いつもアンリエッタに向ける気遣いを感じさせない冷たい言葉に、アンドレは不安を感じずにはいられなかった。

そもそもブルークがアンリエッタに見せる気遣いが、本物かどうかも怪しい。

「差し出がましいのですが、奥様は妊娠されておりますし、万が一の事があっては」

「実家から来た家族と会うのに、どんな万が一があると言うのだ」

アンドレは内心溜め息をつきながら、アンリエッタを呼びにブルークの執務室を後にした。

客をもてなす応接室には、既に我が物顔でクルーシェ夫人が座り込みお茶を飲んでいた。

「お待たせしました」

貴族の世界は階級世界とは言え対面を重んじるブルークは、嫁の義母に無礼な対応をするつもりはなかった。

「まあまあ、お久しぶりですね。結婚して間もないのに子供が授かったと聞いて、お祝いに駆け付けたんですよ」

ニコニコ笑うクルーシェ夫人の顔は、どう見ても孫の妊娠を喜んでいるようには見えなかった。

「ありがとうございます。今、夫人を呼んでおりますので、お待ち下さい」

ブルークはアンリエッタが来てから話せと、押し黙ってしまった。

「あっあの侯爵様、男爵家からお祝いの品をお持ちしたんですよ」

クルーシェ夫人は、侯爵の様子が少しおかしい事に気付いたが、引き下がるつもりなどなかった。

「失礼致します」

アンリエッタが、扉を開けて入ってきた。

「お義母様、お久しぶりです」

クルーシェ夫人が来た理由など、分かりきっていた。

だが、ブルークがいるのは、アンリエッタとしても想定外だった。

「あの侯爵様は領内のお仕事で忙しいと存じますので、ここは私にお任せ下さい」

「何を言うのだ。クルーシェ夫人と言えば、義理とはいえそなたの母。私が接待するのが道理であろう」

ブルークは、この義理の親子に何か企みがあるのではないかと、疑っていた。

勿論、ワインボトルに媚薬を盛られた事が原因だ。

「ええ勿論、侯爵様にもてなして頂けるなら大歓迎です。オホホホホっ」

クルーシェ夫人の機嫌の良さそうな笑い声が、応接室に響き渡った。

「はあっ」

アンリエッタは溜め息のような相槌をうった。

「そう言えば侯爵様には側室がおりませんよね。私の姪が」

ブルークを男爵家から切り離せなくするつもりなのか？

「ドンッ、側室とは聞き捨てなりませんね。義理とは言えあなたの娘婿ですよ」

「ヒィッ」

温和で丸め込みやすいと思っていたブルーク侯爵がテーブルを強く叩き大きな声を出した事で、クルーシェ夫人は縮み上がってしまった。

「いえっ、私はそんなつもりでは。あのこの子が子供が生まれたら、実家へのお祝い返しに侯爵様から贈り物があると言うので」

しどろもどろで、それでも自分の要件だけはしっかりと果たすつもりのようだ。

アンリエッタはうつむいて、ドレスを握り締めて震えている。

「そうですか。では親子２人でご相談下さい。相当の物であればお返し致します。仕事が残っているので失礼します」

ブルークは素早く席を立つと、アンリエッタに目もくれずに応接室から出ていってしまった。

「どうしてあんな事をおっしゃるんですか。あれではまるで娼館の主人じゃないですか」

バシッ

「何言ってるんだい。あんたがいつまで経っても、何の便りも寄越さないから、私がこうしてやってきたんじゃないか」

アンリエッタが初めて自分に口答えした事で、ここが侯爵家だと言う事も忘れてクルーシェは手を出してしまった。

「奥様に何をなさるんですか」

側に使えていたモリーは、慌ててアンリエッタに駆け寄った。

「まあ、顔が赤く腫れ上がっている。どういうおつもりですか」

モリーは自分の仕える女主人が、意味もなく叩かれた事で憤っていた。

「たかだか侍女の分際で、生意気言うんじゃない」

バシッ

モリーは叩かれる瞬間目をつぶり、痛みに備えようとした。

けれど、痛みはいつまで経ってもやってこない。

そっと目を開けるとアンリエッタが目の前に立ちはだかり、叩こうとするクルーシェの手首を掴んでいた。

「私には何をしても構いません。でも侯爵家の者に手を出す事は許しません」

アンリエッタの目は、今までに見たことがないくらい暗く恐ろしいものだった。

「まあ、いいさ。ケチれば侯爵家の家門に傷が付くだけだ。これは手付けに貰っていくよ」

「あっ、何を」

クルーシェはアンリエッタの首もとに輝く琥珀色の宝石をもぎ取って、カッカッしながら応接室を出ていった。

「モリー、大丈夫」

アンリエッタは振り返って、侍女のモリーを気遣った。

「私の事なんてどうでもいいんです。アンリエッタ様、あの人は一体何なんですか」

クルーシェ夫人のあまりの傍若無人さにモリーは怒り心頭のようだ。

「はあっ、あなたを巻き込みたくなかったけど、話さなくちゃいけないみたいね」

アンリエッタは、モリーに腰掛けるように促した。

「実は」

アンリエッタは今までの経緯を話して聞かせた。

そして男爵家が徐々に侯爵家の財産を奪おうと狙っている事も。

「そんな大変じゃないですか。侯爵様にご相談したんですか」

モリーは真っ青になって、両手で頭を抱えてしまった。

「何の対策もこうじないで、助けを求めるなんて出来ないわ。だって、私の実家が原因なんだもの」

アンリエッタの悲痛な声に、モリーは何も言い返せなかった。

「ねぇ、モリー。私が魔岩石や綿花の勉強をしてるのは知っているわよね」

「はい。いつも遅くまで勉強されておりましたから」

「もしもあなたが私の味方なら、少しでも協力してもらえないかしら」

アンリエッタは祈る気持ちで、モリーを見つめた。

「侍女が叩かれるからって、間に入って下さる主人なんて聞いたことがありません。私はどんなことがあっても奥様の味方です」

アンリエッタはモリーの手を取ると、ありがとうと呟いた。

モリーがいてくれるだけで、どれほど動き易くなるだろう。