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いつかは森に
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病院前の玄関にはもうみんな来ていた。
「あれ? アラレちゃんとシノ様もいる」
アラレちゃんはカメラマンとして、シノ様は読書家の広海には良い友達になると思って僕が誘った。友達の友達はみんな友達になれる。
美国の姿を見て,みんなは目を見張り口々に褒めた。美国は照れて恥ずかしがっていたが、僕は妙に誇らしい気分だった。
得意げな顔をしていたつもりはなかったのだが、
「お姉さんたちのおかげでしょ。偉そうにしてるんじゃないわよ」
旭に後ろからこっそり背中を抓られた。
「でも、美国が嬉しそうで,私も嬉しい。ありがとう、優人」
僕の背後で旭はため息をついた。
「……悔しいな。こんなにいい男なのに、私は本当の恋人にはなれないなんて」
それは聞きようによっては、旭が僕への恋心を断念したように聞こえるが、僕の自意識過剰には前科がある。
自惚れるな、僕。落ち着いてよく考えろ。
そして、ハッと気づき、僕は笑って振り向いた。
「いいですよ、そんなリップサービスしなくても」
持ち上げ上手な旭特有の言い回しのお世辞を真に受けてしまうところだった。
「でもさすがにドキッとしました。人の心のツボを見事に突きますよね」
僕としては感心して素直に賞賛したつもりだったのだが、
「――お褒めにあずかりまして、どうも」
旭は僕の足を思い切り蹴って、美国たちの方へ歩いて行ってしまった。
失敗した。お世辞をお世辞だと指摘してはいけなかった。社交辞令って受けるのも返すのも、本当に難しい。これから要修行だ。
みんなで広海の病室のある階に上がると、ナースステーションの前で広海のお母さんが待っていた。アラレちゃんとシノ様には少し離れた所で待っていてもらい、僕たちはお母さんに頭を下げて謝った。
お母さんは僕たちの謝罪を受け入れ、自分も感情的になって大人げない対応をしたと美国に謝ってくれた。でもそれは広海が無事だったからこそで、広海が死んでいたら僕たちは永遠に広海の両親から許してはもらえなかっただろう。僕のやったことは、みんなの人生をも狂わせる危険があった重大な誤りだったと改めて実感した。
瞬がアラレちゃんとシノ様を広海のお母さんに紹介すると、是非みんなと広海を見舞ってやって欲しいと笑顔を見せた。助けてくれた漁師の親父さんがべっぴんだと言ったが、こうしてみると確かにきれいな人だった。初対面の時のぎすぎすした雰囲気はすっかりなくなっていて、どれだけ広海の病気に心を痛めていたのかが見えるようだった。
病室でベッドに起き上がって待っていた広海を見て僕たちは一瞬言葉をなくし、破顔した。広海は相変わらず痩せてはいるものの、顔色が劇的によくなっていた。どこにも病の陰りがない。点滴すらしていない状態だった。
僕たちはお互いに謝り合い、笑い合った。アラレちゃんとシノ様を紹介し、今の身体の状態を聞くと、広海は納得しきれない表情で首を傾げながら答えた。
「それがさ、蘇生した直後から何故か腎臓が二つとも平常に機能し始めて、今はもうほぼ健康体に戻ってるんだって」
医学的に絶対あり得ないと医者は頭を抱えているらしい。
「寝てばかりだったから体力と筋力が落ちてるんで、これからリハビリして、ある程度戻れば退院して良いって」
「ふうん、じゃあ、次に見舞いに来る機会はないかな」
シノ様は広海のベッドに何冊かの本が入ったペイパーバッグを置いた。
「私の好きな作家、本郷雅彦氏の本だ。布教しようと持ってきたので読んで、是非感想を聞かせて欲しい。君からなら相当ひねくれた感想を聞けると期待してる」
「……ねえ、誰が僕をどんな人間だって紹介したのか,聞いて良いかな」
軽い勘気に目を細めた広海に、アラレちゃんが「その顔、写真撮って良い?」とにこにこ笑って話しかけた。
「あたしのお見舞いは今日撮る写真にしようと思ったんだけど、退院祝いにするのだ」
アラレちゃんの笑顔の毒気を抜かれたのか広海は失笑し、「良いよ」と頷くとアラレちゃんはみんなの後ろに下がってカメラを構えた。
「オレ達の見舞いの品は,優人が用意するって言ったんだけど、何だ?」
「うん、広海にみんなで星を贈ろうと思うんです」
広海は目を見開いて僕を見返した。
「星って、どうやって」
「こうやって」
首を傾げた広海に、僕はピースサインをして手の甲を上にして差し出して見せた。
「あ、分かった。誰かのCDジャケットで見た気がする」
旭が同じように手を出して、自分の中指の先を僕の人差し指の先にくっつけた。
「ああ、そういうことか」
今度は瞬がピースサインを作り、旭の人差し指に自分の中指をつけた。それを見て理解した大樹と美国が同じくそれぞれの指先をつけて繋ぐと、指の内側に歪な星形ができた。
「おお、なーるほど、星だねえ」
僕の脇から暢気な声とシャッター音が聞こえた。
「いいね。宇宙に数多の星はあれど,この星は確かに上野君だけの星だ」
広海は頷き、僕たちが作った星の上にそっと手を置いた。
「確かにもらったよ。ありがとう」
広海は微笑み、そして不意に美国の方を向いた。
「美国、今日はとても可愛い服着てるね。制服以外でスカート姿なんて、久しぶりに見た」
よく似合うと言われて美国は頬を染めて俯き、はにかんだ笑みを浮かべた。
僕は目的を果たしたはずなのに、心から喜べていない自分に気づいた。
――他の男に取られて悔しがると良いわ
姉ちゃんたちが言った言葉が僕の頭の中を過ぎる。
僕の姉ちゃんたちは時々悪魔で、たまに女神で、弟をよく理解している人たちだった。
アラレちゃんが持ってきた美国の部屋の模様替えの時の写真を見ながら楽しげに広海と話すみんなから少し離れ、僕は思う。
春から今日まで、まるで映画のような日々だった。これがフィクションなら広海の病気が完治したことで一応のハッピーエンドとして終わるのだろう。けれど現実の僕たちの人生はこれからも続く。辛いことも悲しいこともまた必ずやってくる。喜怒哀楽を繰り返す。
問題だってまだまだある。美国の男性恐怖症はまだ完全には直っていないし、旭の男性に対する偏見も正せていない。瞬の片思いも今のところ成就は困難だ。僕にしても大樹に頼まれた話を未だに美国に話せてはいないし、同性愛者なんて誤解をいつどうやって解けば良いのやら、頭が痛い。
アラレちゃんの言う通り、この世は誰にとっても戦場だ。
それでも僕は一つ将来の夢を得た。その夢のために、僕は見舞いの帰りに看護師さんに尋ねるつもりだ。どうすれば看護師になれるのかと。
僕は『看護師は患者の一番の味方でありたい』と言った看護師さんたちに感動した。そして父さんは、僕なら人の心に寄り添えると言ってくれた。
だから看護師を目指してみようと決心したのだ。
僕は森のような人間になりたい。
疲れた人が、傷ついた人が、僕の傍では安らげると言ってくれるような人に。
何もかもに未熟な僕は、今はまだ土壌も痩せた荒れ地だ。けれど、いつかきっと森にする。
これから僕はあの荒野に木を植える。例え根付かず途中で枯れても、木を植え続ける。森になるまで、ひたすら。
僕はいつか森になる荒野だ。
旭たちには『いつか』なんて日は人生にはないじゃなかったのかと揶揄されそうだが、許して欲しい。
だって僕の植樹は始まったばかりで、自己欺瞞の言葉に縋ってでもやり遂げたい目標なのだから。
「優人、みんなで記念写真取ろう」
僕の荒野に植えられたばかりの若木たちが僕を呼ぶ。
僕は彼らの笑顔の眩しさに目を細めて、その輪の中へと足を踏み出した。
(完)
「あれ? アラレちゃんとシノ様もいる」
アラレちゃんはカメラマンとして、シノ様は読書家の広海には良い友達になると思って僕が誘った。友達の友達はみんな友達になれる。
美国の姿を見て,みんなは目を見張り口々に褒めた。美国は照れて恥ずかしがっていたが、僕は妙に誇らしい気分だった。
得意げな顔をしていたつもりはなかったのだが、
「お姉さんたちのおかげでしょ。偉そうにしてるんじゃないわよ」
旭に後ろからこっそり背中を抓られた。
「でも、美国が嬉しそうで,私も嬉しい。ありがとう、優人」
僕の背後で旭はため息をついた。
「……悔しいな。こんなにいい男なのに、私は本当の恋人にはなれないなんて」
それは聞きようによっては、旭が僕への恋心を断念したように聞こえるが、僕の自意識過剰には前科がある。
自惚れるな、僕。落ち着いてよく考えろ。
そして、ハッと気づき、僕は笑って振り向いた。
「いいですよ、そんなリップサービスしなくても」
持ち上げ上手な旭特有の言い回しのお世辞を真に受けてしまうところだった。
「でもさすがにドキッとしました。人の心のツボを見事に突きますよね」
僕としては感心して素直に賞賛したつもりだったのだが、
「――お褒めにあずかりまして、どうも」
旭は僕の足を思い切り蹴って、美国たちの方へ歩いて行ってしまった。
失敗した。お世辞をお世辞だと指摘してはいけなかった。社交辞令って受けるのも返すのも、本当に難しい。これから要修行だ。
みんなで広海の病室のある階に上がると、ナースステーションの前で広海のお母さんが待っていた。アラレちゃんとシノ様には少し離れた所で待っていてもらい、僕たちはお母さんに頭を下げて謝った。
お母さんは僕たちの謝罪を受け入れ、自分も感情的になって大人げない対応をしたと美国に謝ってくれた。でもそれは広海が無事だったからこそで、広海が死んでいたら僕たちは永遠に広海の両親から許してはもらえなかっただろう。僕のやったことは、みんなの人生をも狂わせる危険があった重大な誤りだったと改めて実感した。
瞬がアラレちゃんとシノ様を広海のお母さんに紹介すると、是非みんなと広海を見舞ってやって欲しいと笑顔を見せた。助けてくれた漁師の親父さんがべっぴんだと言ったが、こうしてみると確かにきれいな人だった。初対面の時のぎすぎすした雰囲気はすっかりなくなっていて、どれだけ広海の病気に心を痛めていたのかが見えるようだった。
病室でベッドに起き上がって待っていた広海を見て僕たちは一瞬言葉をなくし、破顔した。広海は相変わらず痩せてはいるものの、顔色が劇的によくなっていた。どこにも病の陰りがない。点滴すらしていない状態だった。
僕たちはお互いに謝り合い、笑い合った。アラレちゃんとシノ様を紹介し、今の身体の状態を聞くと、広海は納得しきれない表情で首を傾げながら答えた。
「それがさ、蘇生した直後から何故か腎臓が二つとも平常に機能し始めて、今はもうほぼ健康体に戻ってるんだって」
医学的に絶対あり得ないと医者は頭を抱えているらしい。
「寝てばかりだったから体力と筋力が落ちてるんで、これからリハビリして、ある程度戻れば退院して良いって」
「ふうん、じゃあ、次に見舞いに来る機会はないかな」
シノ様は広海のベッドに何冊かの本が入ったペイパーバッグを置いた。
「私の好きな作家、本郷雅彦氏の本だ。布教しようと持ってきたので読んで、是非感想を聞かせて欲しい。君からなら相当ひねくれた感想を聞けると期待してる」
「……ねえ、誰が僕をどんな人間だって紹介したのか,聞いて良いかな」
軽い勘気に目を細めた広海に、アラレちゃんが「その顔、写真撮って良い?」とにこにこ笑って話しかけた。
「あたしのお見舞いは今日撮る写真にしようと思ったんだけど、退院祝いにするのだ」
アラレちゃんの笑顔の毒気を抜かれたのか広海は失笑し、「良いよ」と頷くとアラレちゃんはみんなの後ろに下がってカメラを構えた。
「オレ達の見舞いの品は,優人が用意するって言ったんだけど、何だ?」
「うん、広海にみんなで星を贈ろうと思うんです」
広海は目を見開いて僕を見返した。
「星って、どうやって」
「こうやって」
首を傾げた広海に、僕はピースサインをして手の甲を上にして差し出して見せた。
「あ、分かった。誰かのCDジャケットで見た気がする」
旭が同じように手を出して、自分の中指の先を僕の人差し指の先にくっつけた。
「ああ、そういうことか」
今度は瞬がピースサインを作り、旭の人差し指に自分の中指をつけた。それを見て理解した大樹と美国が同じくそれぞれの指先をつけて繋ぐと、指の内側に歪な星形ができた。
「おお、なーるほど、星だねえ」
僕の脇から暢気な声とシャッター音が聞こえた。
「いいね。宇宙に数多の星はあれど,この星は確かに上野君だけの星だ」
広海は頷き、僕たちが作った星の上にそっと手を置いた。
「確かにもらったよ。ありがとう」
広海は微笑み、そして不意に美国の方を向いた。
「美国、今日はとても可愛い服着てるね。制服以外でスカート姿なんて、久しぶりに見た」
よく似合うと言われて美国は頬を染めて俯き、はにかんだ笑みを浮かべた。
僕は目的を果たしたはずなのに、心から喜べていない自分に気づいた。
――他の男に取られて悔しがると良いわ
姉ちゃんたちが言った言葉が僕の頭の中を過ぎる。
僕の姉ちゃんたちは時々悪魔で、たまに女神で、弟をよく理解している人たちだった。
アラレちゃんが持ってきた美国の部屋の模様替えの時の写真を見ながら楽しげに広海と話すみんなから少し離れ、僕は思う。
春から今日まで、まるで映画のような日々だった。これがフィクションなら広海の病気が完治したことで一応のハッピーエンドとして終わるのだろう。けれど現実の僕たちの人生はこれからも続く。辛いことも悲しいこともまた必ずやってくる。喜怒哀楽を繰り返す。
問題だってまだまだある。美国の男性恐怖症はまだ完全には直っていないし、旭の男性に対する偏見も正せていない。瞬の片思いも今のところ成就は困難だ。僕にしても大樹に頼まれた話を未だに美国に話せてはいないし、同性愛者なんて誤解をいつどうやって解けば良いのやら、頭が痛い。
アラレちゃんの言う通り、この世は誰にとっても戦場だ。
それでも僕は一つ将来の夢を得た。その夢のために、僕は見舞いの帰りに看護師さんに尋ねるつもりだ。どうすれば看護師になれるのかと。
僕は『看護師は患者の一番の味方でありたい』と言った看護師さんたちに感動した。そして父さんは、僕なら人の心に寄り添えると言ってくれた。
だから看護師を目指してみようと決心したのだ。
僕は森のような人間になりたい。
疲れた人が、傷ついた人が、僕の傍では安らげると言ってくれるような人に。
何もかもに未熟な僕は、今はまだ土壌も痩せた荒れ地だ。けれど、いつかきっと森にする。
これから僕はあの荒野に木を植える。例え根付かず途中で枯れても、木を植え続ける。森になるまで、ひたすら。
僕はいつか森になる荒野だ。
旭たちには『いつか』なんて日は人生にはないじゃなかったのかと揶揄されそうだが、許して欲しい。
だって僕の植樹は始まったばかりで、自己欺瞞の言葉に縋ってでもやり遂げたい目標なのだから。
「優人、みんなで記念写真取ろう」
僕の荒野に植えられたばかりの若木たちが僕を呼ぶ。
僕は彼らの笑顔の眩しさに目を細めて、その輪の中へと足を踏み出した。
(完)
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