早春の向日葵

千年砂漠

文字の大きさ
上 下
22 / 22

エピローグ

しおりを挟む
 梅雨が明けて一気に夏らしくなった土曜日の午後。
 私は朝七時から開店するパン屋の早朝シフトの仕事を終えて帰路についた。
 いつものバス停でバスを下り、橋の坂を歩く。
 昨日母は就職を希望する店へ面接に行った。店の敷地内で育成した花の苗を直接販売する仕事で、花の苗の世話などガーデニングの好きな母には合っているように思う。一日四時間から六時間のパートから始めて、一年以上勤めれば正社員への登用制度もある。日曜祝日は休みではないが仕事場は自転車で通える距離にあり、悪い条件ではない。見学させてもらった仕事場では、働いている人の中に母と同じ年代の人が何人かいて、好意的な声をかけてもらったらしい。早ければ今日にも返事をもらえるはずだった。
 離婚協議もあらかた話はまとまったようだった。すでに離婚届にはサインをして弁護士に預けてある。母は憑き物が落ちたように明るい顔を見せるようになり、夏休みに入れば太陽が勧めてくれたひまわり畑を見に行く約束をしていた。
 父は約束通り私の口座に毎月学費を振りこんでくれていた。が、伯父は当てにはするなと言った。話し合いをしている間は自分の条件が少しでも有利に進むように誠意に見せかけて金を払うが、離婚が成立した途端、金を振り込まなくなる親も多いらしく、今の内に少しでも金を貯めておけと、バイト代から私と母の食事代くらいを出そうと差し出した金を伯父は頑として受け取らなかった。
「飯や寝床なんか、ガキと病人は家族に甘えときゃいいんだ」
 伯父は口悪くそう言うが、居候二人抱えて大変じゃない訳がない。だから今は借りておく。大人になったら返すつもりで。
 私は将来建築デザイナーになろうと思っている。伯父の仕事現場を何度か見る機会があって、建築の面白さに気付いたからだ。私も太陽と同じで何かを作るのが好きな人間のようだ。幸い理系の勉強は好きだし美術も得意だから、大学への進路を選ぶ時に伯父に相談しようと思う。もし私が建築デザイナーになれたら、伯父の会社に雇ってもらえるかどうか聞いてみる。それまでは秘密にして、伯父を驚かせたい。
 庭には相変わらず猫達が来る。他の猫には申し訳ないけれど、私は神社の白猫を見かけたら絶対特別に美味しいおやつをあげるようにしている。伯母が命を助けたから、血縁の私を助けてくれるよう神社の神様に頼んでくれたのだと思っているので。勿論神社の神様にもきちんとお礼を言いに行った。


 見上げた空は雲ひとつなく澄んでいた。夏空がまぶしくて空に向けた視線を下げると、坂の上に人影を見つけた。
 私は立ち止まって、その人影に見入った。
 手を大きく振りながらゆっくり歩いて来るその人物が誰なのか分かって、私は傾斜も考えず走り出した。
 名前を呼ぼうとして、私は寸での所で声を飲み込んだ。
 彼は自分で名乗ると言ったのだ。
 私も彼の声で彼の名が聞きたい。
 そして私も名のろう。私の声で。
 彼の本当の気持ちが聞けたなら、私も本当の気持ちを打ち明ける。
 ふと、自分が着た服の模様に気付き、思わず笑みがもれた。私のスカートにはマーガレットの花が描かれていた。
 弥生がくれた予言がここにある。
 後わずかになった彼との距離。
 物語の結末はもうすぐそこだった。
                                   (完)
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

僕《わたし》は誰でしょう

紫音
青春
※第7回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。 「自分はもともと男ではなかったか?」  事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。  見知らぬ思い出をめぐる青春SF。 ※表紙イラスト=ミカスケ様

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

青春リフレクション

羽月咲羅
青春
16歳までしか生きられない――。 命の期限がある一条蒼月は未来も希望もなく、生きることを諦め、死ぬことを受け入れるしかできずにいた。 そんなある日、一人の少女に出会う。 彼女はいつも当たり前のように側にいて、次第に蒼月の心にも変化が現れる。 でも、その出会いは偶然じゃなく、必然だった…!? 胸きゅんありの切ない恋愛作品、の予定です!

タカラジェンヌへの軌跡

赤井ちひろ
青春
私立桜城下高校に通う高校一年生、南條さくら 夢はでっかく宝塚! 中学時代は演劇コンクールで助演女優賞もとるほどの力を持っている。 でも彼女には決定的な欠陥が 受験期間高校三年までの残ります三年。必死にレッスンに励むさくらに運命の女神は微笑むのか。 限られた時間の中で夢を追う少女たちを書いた青春小説。 脇を囲む教師たちと高校生の物語。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

水曜日は図書室で

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
青春
綾織 美久(あやおり みく)、高校二年生。 見た目も地味で引っ込み思案な性格の美久は目立つことが苦手でクラスでも静かに過ごしていた。好きなのは図書室で本を見たり読んだりすること、それともうひとつ。 あるとき美久は図書室で一人の男子・久保田 快(くぼた かい)に出会う。彼はカッコよかったがどこか不思議を秘めていた。偶然から美久は彼と仲良くなっていき『水曜日は図書室で会おう』と約束をすることに……。 第12回ドリーム小説大賞にて奨励賞をいただきました! 本当にありがとうございます!

わかばの恋 〜First of May〜

佐倉 蘭
青春
抱えられない気持ちに耐えられなくなったとき、 あたしはいつもこの橋にやってくる。 そして、この橋の欄干に身体を預けて、 川の向こうに広がる山の稜線を目指し 刻々と沈んでいく夕陽を、ひとり眺める。 王子様ってほんとにいるんだ、って思っていたあの頃を、ひとり思い出しながら…… ※ 「政略結婚はせつない恋の予感⁉︎」のネタバレを含みます。

処理中です...