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エール
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大橋から家まで、私たちは歩いて帰った。
太陽は私の帰宅時間が遅くなるのを気にして自転車で送ると言ってくれたが、正直にもう少し太陽と話したいと私が言うとすんなり頷いてくれた。
「え、高野さんってクリスチャンじゃないの?」
自転車を押す太陽と並んで歩きながら私がエリ女を志望した理由を話すと、太陽は唖然とした。
「確かにエリ女はミッション系の高校だけど、生徒全員がクリスチャンじゃないわよ」
「うん、それは知ってるけど。高野さんの成績なら、他の私立だって行けるでしょ。明倫高校の特進クラスとか、応永高校の選抜クラスとか。三田浜から通学するならどっちも近いのに何でエリ女なのかなって考えたら、クリスチャンだからかって思うじゃない」
「前の学校の先生にも勧められたけどね、どっちも嫌だったの――制服が」
制服? と太陽は目を見開く。
「え? 制服が嫌? それだけ? っていうか、どこが嫌なの? 二校とも何年か前に制服変わったよね。女子の制服、どっちもかわいいと思うけど」
どちらの高校も生徒数獲得のため、都会で人気の有名デザイナーによる制服に変更した。地方都市の学校にしては垢抜けたデザインの制服は学校の狙い通り女子に人気で、生徒獲得の効果はあったらしいが、
「私は好きじゃないの。あんな統一性のない制服」
どちらの高校も基本ブレザーにプリーツスカートだが、学校指定のカーディガンやベスト、パーカなら自分の好みの組み合わせで着られる自由さが人気の一つだった。
「明倫も応永も私服みたいで好きじゃない。それにどっちの学校もスカート短くしたり変形させて着てる人多いじゃない。あれ、何だか自分を安く見せてるようで嫌。私、古臭いデザインでもきっちりした制服らしい制服を着たいの。その学校の生徒じゃなきゃ着れない制服がいいの」
「……高野さんって」
呆れた声で太陽がしみじみと呟いた。
「変な所こだわる人だったんだ」
「ポリシーを持ってるって言って。学校に行く限り毎日着る服なんだから、好きで気に入った物の方がいいに決まってるじゃない」
「じゃ、そのお気に入りを着るために、明日は頑張らなくちゃね」
「……うん」
「僕、応援してるから」
「……ありがとう」
角を曲がれば伯母の家が見える所まで帰って来ていた。
あの角を曲がればすぐ家だ。太陽は笑ってさよならを言い、帰ってしまう。そして、また今までのように話せる時間も持てず卒業し、別れてしまう。
告白するなら、これが最後のチャンスではないかと思った。
今、好きだと言わなければ、二度と伝えられる時は来ないかもしれない。もしかしたら太陽だって片思いの彼女より、自分を好きだと言う私を選んでくれるかもしれない。
太陽はまだ誰のものでもない。誰かから横取りする訳じゃない。だから――
『取られる方が間抜けなのよ』
不意に、あの女の歪んだ笑みが浮かんだ。
あの女は母から父を奪い勝ち誇っていたが、幸せには見えなかった。
それは何故なのか。彼女が手にしたものが愛ではなく自己満足だったからだ。欲しいものが手に入って嬉しいという、欲望が満たされた喜びだけだったからだ。
着たい服を着るように、食べたい物を食べるように、他人の庭に咲いている花でも欲しいからと黙って持って行き、花を守れない方が悪いと言う。
私も彼女と同じなのではないか。
私が太陽に告白して得たいものも、本当は彼の心ではなく自分の思いを伝えた満足感ではないのだろうか。
自己満足と幸福は似て非なるものだ。友情と恋情が異なるように。
私の中を強烈で透明な風が吹き抜け、一人よがりな思いをかき消して行った。
代わりに残る、温かな思い。
私は太陽にこの世で最も美しいものをもらった。
人の幸せを祈る言葉だ。
明日もあなたにいいことがありますように。
太陽が私に友達としての精一杯示してくれた誠意に応えるために、私は最後まで『友』でいると決めた。
私と太陽の縁はきっとそう定められていたものだったのだと何故か素直にそう思えた。
角を曲がると、会社の事務所に灯りが点っているのが見えた。あそこが家だと言うと、玄関に回る道を知らない太陽は当然のように事務所前の駐車場に向かった。
事務所の灯りが届く所まで来ると、中から伯母が飛び出してきた。
「美咲ちゃん! 今までどこに」
悲痛な声で叫んだ伯母は太陽の存在に言葉を止めた。
太陽は伯母の表情も悲壮な空気も一切無視して、
「こんばんは。高野さんのクラスメートの篠原太陽です」
いつもの笑顔で場違いなほど元気に挨拶した。
「そこの通りで偶然会ったら、家に帰るところだって言うんで、女の子の夜道の一人歩きは危ないから送ってきました」
満面笑顔の太陽を伯母は呆気にとられたように見返していたが、
「あ、ああ、それはどうもありがとう。迷惑かけてごめんなさいね」
我に返ると辛うじて愛想笑いを返した。
「じゃ、高野さん、明日の入試頑張ってね」
私に礼を言う暇も与えず、太陽は未練もなく踵を返そうとした。が、ふと足を止めて振り返った。
「そうだ。応援してるって言ったからには、ちゃんと応援して帰るね」
太陽は自転車を止めると姿勢正しく起立し、二、三度咳払いした。
「それでは、高野美咲嬢私設応援団団長、篠原太陽が、高野美咲嬢の、明日の入試の健闘を祈って、エールを送ります!」
一礼した太陽は、
「フレー!」
右手を掲げ、
「フレー!」
次いで左手も掲げ、
「み! さ! き!」
夜空を仰いで声を張り上げた。
「頑張れ、頑張れ、美咲! 頑張れ、頑張れ、美咲!」
力強い太陽の声が、夜空を駆け上って行く。
「ファイト、ファイト、美咲! ファイト、ファイト、美咲!」
頭上で手を叩きながら大声で叫ぶ太陽のリズムに合わせて、遥かかなたの星が瞬いているように見えた。
体育祭で見たようなきれいな型にはまった応援ではなく、応援団と言っても太陽一人が声を張り上げただけのものだけれど。
私には『太陽』と星の、宇宙が味方の大応援団に思えた。
「失礼しました!」
再び太陽は一礼し、くもりのない無敵の笑顔を私に向けた。
「――ありがとう! 私、頑張る」
入試も、これからの人生も。
どんな辛い事も、きっと乗り越えられる。乗り越えて行く。
「うん、頑張ってね」
笑って頷いた太陽は自転車に飛び乗ると、茫然としている伯母に会釈してあっという間に走り去った。
「……な、何だか、すごく元気な友達ね」
「うん、クラスで一番元気な子なの」
太陽が去った方を見ながら返事を返した私に、
「美咲ちゃん、ごめんね」
伯母が萎れた声で謝ってきた。
何を謝られたのか分からず私が首を傾げると、父に金を出せと言ったことだと言う。
「多分誤解したんじゃないかと思うんだけど、あれは伯母さん達が経済的に迷惑をかけられてるって怒ったんじゃないの。家族なのにお父さんが喜美子のことも美咲ちゃんのことも無視してるのを怒ったのよ。しおらしいことを言っても口先だけだったりして信用がないから」
金を出させるのが誠意の証拠にもなるし、多少の罪滅ぼしにもなる。だから金を出せと怒ったのだと言う。
「……ごめんなさい、伯母さん。私、お父さんがお母さんの病院代も私の生活費も全然出してないなんて知らなくて」
何も気づかなかったことを恥じて俯いた私に、伯母は慌てて首を振った。
「だから誤解しないでって言ったでしょう。それは美咲ちゃんが気にすることじゃないのよ。大丈夫。お父さんがお金を出さなくても、浮気相手の女に請求するつもりだから」
家庭を壊した事に対しての慰謝料請求の裁判を母に起こさせるため、準備しているのだそうだ。それは離婚問題とはまた別の話らしい。
私の知らないところで事態は色々動いていた。それは仕方のないことだと思う。私は社会的にまだ保護されるべき弱者なのだ。義務を負わない代わりに権利も少ない。大人に任せなければならない事の方が多いのだ。
「さあ、家に入りましょう。こんな寒い所にいて風邪を引いたら大変」
伯母が私の背中を柔らかに押した時、車が一台駐車場に入って来た。
「戻ってたのか!」
車から降りて来たのは父と伯父だった。父たちは家を飛び出した私を車でずっと捜し回ってくれていたようだった。
私はまず三人に心配をかけた事を謝った。そして、悄然と立っている父に向き合った。
「お父さん。お父さんにも事情はあるんだろうけど、私は明日入試なの。だから、話があるなら入試が終わってからにしてくれる?」
父は弱弱しく頷いた。
「……じゃあ、こんどの土曜日、いいか」
私が了解すると、父は伯父たちに頭を下げて帰って行った。
「……大丈夫なのか?」
事情を聞いたらしい伯父がぶっきらぼうに私に訊ねた。あえて何がと問わない伯父に、
「大丈夫です」
私は全てにおいて頷いた。
伯父は私の目を見て、珍しく笑った。
「お前は強いな」
「美咲ちゃんにはすごい応援団がついてるからね」
伯母が笑い、私も笑った。笑えるのは全部太陽のおかげだった。
「とにかく、家に入ってご飯にしましょう」
伯母に促されて事務所に入ると、机の上に薄緑色の封筒が置いてあるのが目に入った。
「あ、そうだ。それね、夕方美咲ちゃんのクラスメートだっていう女の子が来て」
私に渡してくれと置いて行ったそうだ。
「何て名前だったかしら。背の高い、ショートカットの子だったわ」
思い当たる人間は一人しかいなかった。
私は着替えて来ると伯母たちに言い置いて、自室に行き封筒を開けた。
中には短い手紙と、学業成就のお守りが入っていた。
裏側には白猫の刺繍がある。あの神社の物だった。
『 高野さんへ
うちの近くにある神社のお守りです
怠け者には厳しいけれど努力する者には力を貸してくれる神様です
お母さんが病気になって転校したりして大変だったのに
弱音を吐かずに頑張った高野さんにならきっと力をくれると思います
高野さんと一緒に合格祈願に行くつもりだったけれど
本人が来ないと願いを聞いてくれないような懐の狭い神様ではないようなので
代わりに祈願してきました
試験 平常心で頑張って
川辺弥生 』
私の良き未来を祈ってくれる手紙とその心の現れであるお守り。
思わぬ贈り物に涙がこぼれた。
太陽、人の幸せを祈る言葉は本当に美しいね。
私は今日、そんな至高の美しさを二人もの人からもらったのだ。
今日は泣いてばかりいると泣きながら笑った。
どこへ行くのか一言聞いていれば、多分私は彼女と神社へ行った。そして父とはすれ違いになり、聞きたくなかった真実を知る事もなかった。同時に、あの橋で太陽に会う事もなかった。
全ては偶然なのだろう。けれど、何かに導かれたような、不思議な流れだった。
階下から私を呼ぶ伯母の声が聞こえ、俄かに空腹を感じた。
大丈夫。どんな時でも食べられるのが私の強みだ。
食べて、眠って、明日の戦いに備える。
それが素晴らしい友達二人に対して私が返せる精一杯の誠意だった。
太陽は私の帰宅時間が遅くなるのを気にして自転車で送ると言ってくれたが、正直にもう少し太陽と話したいと私が言うとすんなり頷いてくれた。
「え、高野さんってクリスチャンじゃないの?」
自転車を押す太陽と並んで歩きながら私がエリ女を志望した理由を話すと、太陽は唖然とした。
「確かにエリ女はミッション系の高校だけど、生徒全員がクリスチャンじゃないわよ」
「うん、それは知ってるけど。高野さんの成績なら、他の私立だって行けるでしょ。明倫高校の特進クラスとか、応永高校の選抜クラスとか。三田浜から通学するならどっちも近いのに何でエリ女なのかなって考えたら、クリスチャンだからかって思うじゃない」
「前の学校の先生にも勧められたけどね、どっちも嫌だったの――制服が」
制服? と太陽は目を見開く。
「え? 制服が嫌? それだけ? っていうか、どこが嫌なの? 二校とも何年か前に制服変わったよね。女子の制服、どっちもかわいいと思うけど」
どちらの高校も生徒数獲得のため、都会で人気の有名デザイナーによる制服に変更した。地方都市の学校にしては垢抜けたデザインの制服は学校の狙い通り女子に人気で、生徒獲得の効果はあったらしいが、
「私は好きじゃないの。あんな統一性のない制服」
どちらの高校も基本ブレザーにプリーツスカートだが、学校指定のカーディガンやベスト、パーカなら自分の好みの組み合わせで着られる自由さが人気の一つだった。
「明倫も応永も私服みたいで好きじゃない。それにどっちの学校もスカート短くしたり変形させて着てる人多いじゃない。あれ、何だか自分を安く見せてるようで嫌。私、古臭いデザインでもきっちりした制服らしい制服を着たいの。その学校の生徒じゃなきゃ着れない制服がいいの」
「……高野さんって」
呆れた声で太陽がしみじみと呟いた。
「変な所こだわる人だったんだ」
「ポリシーを持ってるって言って。学校に行く限り毎日着る服なんだから、好きで気に入った物の方がいいに決まってるじゃない」
「じゃ、そのお気に入りを着るために、明日は頑張らなくちゃね」
「……うん」
「僕、応援してるから」
「……ありがとう」
角を曲がれば伯母の家が見える所まで帰って来ていた。
あの角を曲がればすぐ家だ。太陽は笑ってさよならを言い、帰ってしまう。そして、また今までのように話せる時間も持てず卒業し、別れてしまう。
告白するなら、これが最後のチャンスではないかと思った。
今、好きだと言わなければ、二度と伝えられる時は来ないかもしれない。もしかしたら太陽だって片思いの彼女より、自分を好きだと言う私を選んでくれるかもしれない。
太陽はまだ誰のものでもない。誰かから横取りする訳じゃない。だから――
『取られる方が間抜けなのよ』
不意に、あの女の歪んだ笑みが浮かんだ。
あの女は母から父を奪い勝ち誇っていたが、幸せには見えなかった。
それは何故なのか。彼女が手にしたものが愛ではなく自己満足だったからだ。欲しいものが手に入って嬉しいという、欲望が満たされた喜びだけだったからだ。
着たい服を着るように、食べたい物を食べるように、他人の庭に咲いている花でも欲しいからと黙って持って行き、花を守れない方が悪いと言う。
私も彼女と同じなのではないか。
私が太陽に告白して得たいものも、本当は彼の心ではなく自分の思いを伝えた満足感ではないのだろうか。
自己満足と幸福は似て非なるものだ。友情と恋情が異なるように。
私の中を強烈で透明な風が吹き抜け、一人よがりな思いをかき消して行った。
代わりに残る、温かな思い。
私は太陽にこの世で最も美しいものをもらった。
人の幸せを祈る言葉だ。
明日もあなたにいいことがありますように。
太陽が私に友達としての精一杯示してくれた誠意に応えるために、私は最後まで『友』でいると決めた。
私と太陽の縁はきっとそう定められていたものだったのだと何故か素直にそう思えた。
角を曲がると、会社の事務所に灯りが点っているのが見えた。あそこが家だと言うと、玄関に回る道を知らない太陽は当然のように事務所前の駐車場に向かった。
事務所の灯りが届く所まで来ると、中から伯母が飛び出してきた。
「美咲ちゃん! 今までどこに」
悲痛な声で叫んだ伯母は太陽の存在に言葉を止めた。
太陽は伯母の表情も悲壮な空気も一切無視して、
「こんばんは。高野さんのクラスメートの篠原太陽です」
いつもの笑顔で場違いなほど元気に挨拶した。
「そこの通りで偶然会ったら、家に帰るところだって言うんで、女の子の夜道の一人歩きは危ないから送ってきました」
満面笑顔の太陽を伯母は呆気にとられたように見返していたが、
「あ、ああ、それはどうもありがとう。迷惑かけてごめんなさいね」
我に返ると辛うじて愛想笑いを返した。
「じゃ、高野さん、明日の入試頑張ってね」
私に礼を言う暇も与えず、太陽は未練もなく踵を返そうとした。が、ふと足を止めて振り返った。
「そうだ。応援してるって言ったからには、ちゃんと応援して帰るね」
太陽は自転車を止めると姿勢正しく起立し、二、三度咳払いした。
「それでは、高野美咲嬢私設応援団団長、篠原太陽が、高野美咲嬢の、明日の入試の健闘を祈って、エールを送ります!」
一礼した太陽は、
「フレー!」
右手を掲げ、
「フレー!」
次いで左手も掲げ、
「み! さ! き!」
夜空を仰いで声を張り上げた。
「頑張れ、頑張れ、美咲! 頑張れ、頑張れ、美咲!」
力強い太陽の声が、夜空を駆け上って行く。
「ファイト、ファイト、美咲! ファイト、ファイト、美咲!」
頭上で手を叩きながら大声で叫ぶ太陽のリズムに合わせて、遥かかなたの星が瞬いているように見えた。
体育祭で見たようなきれいな型にはまった応援ではなく、応援団と言っても太陽一人が声を張り上げただけのものだけれど。
私には『太陽』と星の、宇宙が味方の大応援団に思えた。
「失礼しました!」
再び太陽は一礼し、くもりのない無敵の笑顔を私に向けた。
「――ありがとう! 私、頑張る」
入試も、これからの人生も。
どんな辛い事も、きっと乗り越えられる。乗り越えて行く。
「うん、頑張ってね」
笑って頷いた太陽は自転車に飛び乗ると、茫然としている伯母に会釈してあっという間に走り去った。
「……な、何だか、すごく元気な友達ね」
「うん、クラスで一番元気な子なの」
太陽が去った方を見ながら返事を返した私に、
「美咲ちゃん、ごめんね」
伯母が萎れた声で謝ってきた。
何を謝られたのか分からず私が首を傾げると、父に金を出せと言ったことだと言う。
「多分誤解したんじゃないかと思うんだけど、あれは伯母さん達が経済的に迷惑をかけられてるって怒ったんじゃないの。家族なのにお父さんが喜美子のことも美咲ちゃんのことも無視してるのを怒ったのよ。しおらしいことを言っても口先だけだったりして信用がないから」
金を出させるのが誠意の証拠にもなるし、多少の罪滅ぼしにもなる。だから金を出せと怒ったのだと言う。
「……ごめんなさい、伯母さん。私、お父さんがお母さんの病院代も私の生活費も全然出してないなんて知らなくて」
何も気づかなかったことを恥じて俯いた私に、伯母は慌てて首を振った。
「だから誤解しないでって言ったでしょう。それは美咲ちゃんが気にすることじゃないのよ。大丈夫。お父さんがお金を出さなくても、浮気相手の女に請求するつもりだから」
家庭を壊した事に対しての慰謝料請求の裁判を母に起こさせるため、準備しているのだそうだ。それは離婚問題とはまた別の話らしい。
私の知らないところで事態は色々動いていた。それは仕方のないことだと思う。私は社会的にまだ保護されるべき弱者なのだ。義務を負わない代わりに権利も少ない。大人に任せなければならない事の方が多いのだ。
「さあ、家に入りましょう。こんな寒い所にいて風邪を引いたら大変」
伯母が私の背中を柔らかに押した時、車が一台駐車場に入って来た。
「戻ってたのか!」
車から降りて来たのは父と伯父だった。父たちは家を飛び出した私を車でずっと捜し回ってくれていたようだった。
私はまず三人に心配をかけた事を謝った。そして、悄然と立っている父に向き合った。
「お父さん。お父さんにも事情はあるんだろうけど、私は明日入試なの。だから、話があるなら入試が終わってからにしてくれる?」
父は弱弱しく頷いた。
「……じゃあ、こんどの土曜日、いいか」
私が了解すると、父は伯父たちに頭を下げて帰って行った。
「……大丈夫なのか?」
事情を聞いたらしい伯父がぶっきらぼうに私に訊ねた。あえて何がと問わない伯父に、
「大丈夫です」
私は全てにおいて頷いた。
伯父は私の目を見て、珍しく笑った。
「お前は強いな」
「美咲ちゃんにはすごい応援団がついてるからね」
伯母が笑い、私も笑った。笑えるのは全部太陽のおかげだった。
「とにかく、家に入ってご飯にしましょう」
伯母に促されて事務所に入ると、机の上に薄緑色の封筒が置いてあるのが目に入った。
「あ、そうだ。それね、夕方美咲ちゃんのクラスメートだっていう女の子が来て」
私に渡してくれと置いて行ったそうだ。
「何て名前だったかしら。背の高い、ショートカットの子だったわ」
思い当たる人間は一人しかいなかった。
私は着替えて来ると伯母たちに言い置いて、自室に行き封筒を開けた。
中には短い手紙と、学業成就のお守りが入っていた。
裏側には白猫の刺繍がある。あの神社の物だった。
『 高野さんへ
うちの近くにある神社のお守りです
怠け者には厳しいけれど努力する者には力を貸してくれる神様です
お母さんが病気になって転校したりして大変だったのに
弱音を吐かずに頑張った高野さんにならきっと力をくれると思います
高野さんと一緒に合格祈願に行くつもりだったけれど
本人が来ないと願いを聞いてくれないような懐の狭い神様ではないようなので
代わりに祈願してきました
試験 平常心で頑張って
川辺弥生 』
私の良き未来を祈ってくれる手紙とその心の現れであるお守り。
思わぬ贈り物に涙がこぼれた。
太陽、人の幸せを祈る言葉は本当に美しいね。
私は今日、そんな至高の美しさを二人もの人からもらったのだ。
今日は泣いてばかりいると泣きながら笑った。
どこへ行くのか一言聞いていれば、多分私は彼女と神社へ行った。そして父とはすれ違いになり、聞きたくなかった真実を知る事もなかった。同時に、あの橋で太陽に会う事もなかった。
全ては偶然なのだろう。けれど、何かに導かれたような、不思議な流れだった。
階下から私を呼ぶ伯母の声が聞こえ、俄かに空腹を感じた。
大丈夫。どんな時でも食べられるのが私の強みだ。
食べて、眠って、明日の戦いに備える。
それが素晴らしい友達二人に対して私が返せる精一杯の誠意だった。
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