翼も持たず生まれたから

千年砂漠

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信じがたい事実

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 私は携帯を手にしたまま寝ていた。
 あれは夢? 着信記録には四時過ぎに掛かってきた電話なんてない。
 でも、夢ならこの不安な胸騒ぎは何だろう。
 私はリビングに下りた。キッチンでは母が朝食に用意をしていた。
「おはよう。コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
 母の声に紅茶と答えながら、私は吸いよせられるようにテレビの前に立つ。
 自分の目を、疑った。
 何故──星志の名前がテレビに出ているの?
 画面に映し出された市営住宅。灰色の狭い古びた階段。死亡、の文字。
 明け方、星志が胸と腹を刺されて死んだとニュースが告げている。
 私はリモコンを取って、次々とチャンネルを変えた。
 何かの見間違いよ。そうに決まってる。
 だって、昨日会ったのに。今日会う約束をしたのに。夜明けに電話で話したはずなのに。
 なのに、どの局のニュースにも星志の名前が。
「……嫌だ……星志」

──僕、遠くへ行くことになった

 嘘よ……そんなの嘘。
「嘘だって言って──嘘だって言ってよお!」
 叫んで私は家を飛び出した。背中で母の声がしたような気したけれど、振り返る余裕なんてなかった。
 これも、夢? 夢に決まってる。
 誰か──私を悪夢から目覚めさせて。


 星志が住んでいる市営住宅の前には、パトカーとマスコミのカメラ。
 遠巻きに見守る人達の話し声が、私に認めたくない事実を突きつける。
──小学生の男の子らしいよ
──廊下に倒れてたのを新聞配達の人が見つけたんだって
 あそこの部屋の子、と誰か指さした先に私も視線を移す。
 一番奥の棟の四階、端の部屋。
──シラキって家の子
 灰色の古い建物が歪んで、揺れて見えるのは。
──母親に刺されたんだってさ
 私が壊れていくからだ。


 それからしばらく記憶がない。
 気がつけば私は、星志と飛び降りようとしたあのビルの屋上にいた。
 低い段差にうつ伏せるように凭れ、自分でも起きているのか寝ているのか分からないほど虚ろな気分で。
 星志が、死んだ。
 私は光を失った。
 太陽は頭上にあるけれど、私は闇の中にいる。
 もう、歩けないよ、星志。どこへも行けない。星志とならどこまででも歩けたけれど、一人ではどこにも行けないよ。
 誰か、今ここへ核兵器を降らせて。星志のいないこの世界を、一瞬で終わらせて。
 でも──願っても、核兵器なんて飛んでこない。
 願っても、呪っても、この世は滅ばない。

 音が……どこかで鳴っている。
 ガンガンと規則正しい、荒い音が。
 遠く響いていた音が、だんだん近づいてくる。大きく、はっきり聞こえてくる。
 私は段差に凭れたまま、音の鳴る方へ顔を向けた。非常階段を誰かが登ってきているのだとぼんやり思った瞬間、人影が現れた。
 星志? ううん、そんなはずがない。
 私の視線は焦点が合わなくて、朧な形しか捕らえられない。
 影がよろけながら走って来て、呆然とする私の腕を掴んだ。
「──見……つけ……た」
 喘ぎながら──柚木君が。
 大きな体を折り曲げて、ゼエゼエと息を吐く。あの長い階段を一気に駆け上がってきたのだろうか。
「帰ろう」
 肩で息をしながら柚木君が私を促す。
 どうして柚木君がここへ? ……もうどうでもいい。何も考えられない。考えたくない。
 腕を引っ張られたけれど、立てなかった。歩く気力が、なかった。
「……立てよ」
「──ほっといて!」
 腕を掴んだ手を振りほどく。いらない。星志の手以外、誰の手も欲しくない。
「ほっといてよ! 一人にしておいてよ!」
 八つ当たりのように叫んで俯いた私に、彼は不自然なほど静かに言った。
「約束したんだ。星志と」
 私は顔を上げた。
「お前を家に連れて帰ってくれって、星志が言ったんだ。俺は、無事に連れて帰るってあいつと約束した」
 惚けて見つめる私に、
「お前がここにいるって教えてくれたのも、星志だ」
 彼は呟くように言って、俯いた。
「嘘……よ」
 涙が、こぼれた。
「だって……星志は……」
 死んだのに。もうこの世のどこにもいないのに。
「知ってる……」
 彼の声は静かな悲しみに濡れていた。
「……帰るぞ」
 立ち上がれない私を彼は強引に背負って、長い非常階段を下りはじめた。
 私ももう抗わなかった。
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