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翼も持たず生まれたから
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深夜二時を過ぎた頃、私はこっそり家を出た。
あの歩道橋の上から星を見たかったから。
いつもの場所で星志の温もりを思い出したかったのかもしれない。
車庫にある自転車を取りに行けば人感センサーのライトが点いて両親に気づかれる恐れがあったので、徒歩で行くことにした。
人通りの絶えた深夜の街を歩道橋へと歩く。不思議と何も恐くなかった。
階段を上がった私は、自分の目を疑った。
いつもの場所にいつもの影。
細い見慣れた影が私を見て立ち上がった。
「……奈緒」
静かに微笑む星志。
これは夢?
本当は家で眠っていて、心から望む夢を見ているの?
夢でもいい。星志に会えたのだから。
「星志……」
たった一つの私の星。闇の中の光。
その光が私の方へ歩いてきた。闇に惑う私へ。
星志は何故ともどうしたのとも問わなかった。何も言わず、ただ微笑んで私の両手を握った。
温かな手。確かに星志がここにいる証拠の。
この手を二度と離したくなかった。
なのに私を遠ざけようとする。両親が、柚木君が──この世の良識というものが。
「……星志……どこかへ行きたいよ」
うん、と微かな声がした。
「誰も知らない所へ……行きたい」
父も母も、教師も友人も、いない所へ。
「僕も……行きたいよ」
穏やかな微笑を浮かべる星志に、私は微笑み返した。
「行こう……二人で、どこかへ」
私達は手をつなぎ、深夜の街を歩いた。
一人として歩く者のいない街。
今は望み通り私達二人きりの世界だけれど、朝になれば人が溢れ、つまらない常識が席巻する世界に変わってしまう。朝日を浴びれば死んでしまうような気さえする焦燥感は、この逃避行の先の無さを物語っているようだった。
行く先に当てなどなかった。目的地があったとしてもこの時間では電車もバスも止まっている。交通機関が動いていたって、私達はほとんどお金を持っていなかった。
冷ややかな現実の前に、無力な子供でしかない私たち。
星志と手をつないだまま、私は道に座り込んだ。
「奈緒……疲れたの? 大丈夫?」
気遣う星志の声もまた、疲れていた。
「星志……行く所なんてどこにもない。この世の、どこにもないよ。──どこにも行けないよ」
グッド・バーを探して飛び続ける、両足のない鳥の悲しみ。今ならよく分かるよ。止まり木もなく彷徨うのは、とても辛い。
泣きたくはないのに、ぽろぽろと涙がこぼれた。
「……僕らは翼も持たず生まれたから」
星志の呟きに、私は顔を上げた。
「それ……星志も読んだの?」
「本のタイトルになった詩が一番好きだった」
私もその詩が一番心に残った。
『 僕らは翼も持たず生まれたから
運命と出会えば
永住の地が約束されるのか
ビル群の谷間で
肩書きを持つ人々の流れに逆らう僕に
行き先を聞かないでくれ
どこかへたどり着きたいと願っても
この足で行ける距離は
たかが知れてる
何者でもない僕は
どこへも行けず
今日もただ空を見上げる
僕と同じように
何者でもない誰かが
どこかで空を見上げている
永遠に飛べない空を
僕らは翼も持たず生まれたから 』
そう、私達の背中に羽はない。
飛んで行くことはできない。この世の、どこへも──それなら。
「星志……他の世界へ……行こうか……」
呟いた私を、星志は静かに見ていた。そして微笑んだ。
「……僕はいいよ。奈緒と一緒なら」
私を見返す星志の瞳は澄んで柔らかかった。
「奈緒と一緒に……死んであげる」
なんて──優しい言葉。今までこんなに優しい言葉を聞いたことない。
私に人であることを求めず、人でなかったことを許してくれた星志。
「行こう……奈緒。ずっと二人でいられる世界に」
私達の短い旅は終わろうとしていた。
あの歩道橋の上から星を見たかったから。
いつもの場所で星志の温もりを思い出したかったのかもしれない。
車庫にある自転車を取りに行けば人感センサーのライトが点いて両親に気づかれる恐れがあったので、徒歩で行くことにした。
人通りの絶えた深夜の街を歩道橋へと歩く。不思議と何も恐くなかった。
階段を上がった私は、自分の目を疑った。
いつもの場所にいつもの影。
細い見慣れた影が私を見て立ち上がった。
「……奈緒」
静かに微笑む星志。
これは夢?
本当は家で眠っていて、心から望む夢を見ているの?
夢でもいい。星志に会えたのだから。
「星志……」
たった一つの私の星。闇の中の光。
その光が私の方へ歩いてきた。闇に惑う私へ。
星志は何故ともどうしたのとも問わなかった。何も言わず、ただ微笑んで私の両手を握った。
温かな手。確かに星志がここにいる証拠の。
この手を二度と離したくなかった。
なのに私を遠ざけようとする。両親が、柚木君が──この世の良識というものが。
「……星志……どこかへ行きたいよ」
うん、と微かな声がした。
「誰も知らない所へ……行きたい」
父も母も、教師も友人も、いない所へ。
「僕も……行きたいよ」
穏やかな微笑を浮かべる星志に、私は微笑み返した。
「行こう……二人で、どこかへ」
私達は手をつなぎ、深夜の街を歩いた。
一人として歩く者のいない街。
今は望み通り私達二人きりの世界だけれど、朝になれば人が溢れ、つまらない常識が席巻する世界に変わってしまう。朝日を浴びれば死んでしまうような気さえする焦燥感は、この逃避行の先の無さを物語っているようだった。
行く先に当てなどなかった。目的地があったとしてもこの時間では電車もバスも止まっている。交通機関が動いていたって、私達はほとんどお金を持っていなかった。
冷ややかな現実の前に、無力な子供でしかない私たち。
星志と手をつないだまま、私は道に座り込んだ。
「奈緒……疲れたの? 大丈夫?」
気遣う星志の声もまた、疲れていた。
「星志……行く所なんてどこにもない。この世の、どこにもないよ。──どこにも行けないよ」
グッド・バーを探して飛び続ける、両足のない鳥の悲しみ。今ならよく分かるよ。止まり木もなく彷徨うのは、とても辛い。
泣きたくはないのに、ぽろぽろと涙がこぼれた。
「……僕らは翼も持たず生まれたから」
星志の呟きに、私は顔を上げた。
「それ……星志も読んだの?」
「本のタイトルになった詩が一番好きだった」
私もその詩が一番心に残った。
『 僕らは翼も持たず生まれたから
運命と出会えば
永住の地が約束されるのか
ビル群の谷間で
肩書きを持つ人々の流れに逆らう僕に
行き先を聞かないでくれ
どこかへたどり着きたいと願っても
この足で行ける距離は
たかが知れてる
何者でもない僕は
どこへも行けず
今日もただ空を見上げる
僕と同じように
何者でもない誰かが
どこかで空を見上げている
永遠に飛べない空を
僕らは翼も持たず生まれたから 』
そう、私達の背中に羽はない。
飛んで行くことはできない。この世の、どこへも──それなら。
「星志……他の世界へ……行こうか……」
呟いた私を、星志は静かに見ていた。そして微笑んだ。
「……僕はいいよ。奈緒と一緒なら」
私を見返す星志の瞳は澄んで柔らかかった。
「奈緒と一緒に……死んであげる」
なんて──優しい言葉。今までこんなに優しい言葉を聞いたことない。
私に人であることを求めず、人でなかったことを許してくれた星志。
「行こう……奈緒。ずっと二人でいられる世界に」
私達の短い旅は終わろうとしていた。
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