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星志
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あの子に会った翌日、塾を終えて私はまた昨夜の歩道橋に向かった。
あの子が今日もいるような気がして。
予感は当たりだった。
「お母さんと仲直りした?」
歩道橋の中央に座り込んでいた彼に問い掛けると、弾かれたように飛び上がりこちらを向いた。
「お姉さん」
素直な笑顔に私も笑い返し、彼の隣に座った。
「もしかして、今日もまた喧嘩したの?」
「違うよ。僕はいつもこの時間、ここにいるんだよ。ここで、空を見てるの」
住んでいる市営住宅は高層マンションに囲まれて空が狭いから、と彼は空を見上げた。
「空を眺めるの、好きなの?」
「好きだよ。特に夜の空が。僕、自分の星を持っているから」
「自分の星?」
「そう。僕の名前がついてる星があるんだ。すっごく遠くてすっごく小さい星だけど」
生まれた時、父親が記念に買ってくれたのだそうだ。
そういえば公式に名前のついていない小さな星に名前をつける権利を売る商売があるといつかテレビで見た気がする。
たしか名前をつけるといってもあだ名みたいなもので学界では正式には通用せず、星の所有権も法律上認められないものだった。けれど、一つの星に名前は絶対に一つで、重複はないらしい。
夜空を見上げれば遥か彼方に自分の名の付いた星があるなんて、一生の宝になる。
ロマンチックな、いいお父さんだったんだろう。
「君、名前、何ていうの?」
「あれ、僕言ってなかったっけ。せいし。星に志すと書いて星志。白木星志。星志って呼んでよ。この名前気に入ってるから、名前で呼ばれるの好きなんだ」
「私は、久保田奈緒。……私も、奈緒って名前で呼んで」
なんとなく星志には名前で呼んでもらいたかった。年上の人を名前で呼ぶなんて、と星志は抵抗してみせたけれど、私は無理にも承知させた。
星志は天体に詳しく、星にまつわる色々な話をしてくれた。
「いつかおっきい天体望遠鏡買って、自分の星を見るんだ」
笑った星志は十一歳の少年そのものだった。
星志の星を抱える宇宙。気の遠くなるような無限。その中でほんの一点にも満たない矮小な私。
私を起点として、意識の輪を広げていく。歩道橋から街全体へ、街から日本へ、日本から地球へ、太陽系へ、銀河系へ──果てがない。どこへも行き着けない。
漂流する私の意識は永遠に宇宙の迷子に──。
「人は、星と星の間の距離は測れるが自分と他人の距離は測れない」
星志が本の冒頭の一節を呟く。私が後を続けた。
「星々の距離より、人の心の距離の方が遥かに遠いからなのか──エドワード・ストーンズの『遠距離感』でしょう? 読んだの?」
図書館の本を借りまくって読んでいると言う星志の選ぶ本は、小学生には少し難しいのではないかと思うようなものばかりだった。
「読書って慣れじゃない? 活字慣れしたら一般向けの本なんてそれほど難解じゃないと思うよ」
少し生意気な物言いが微笑ましかった。年上の私に合わそうと背伸びしている訳ではなく、精神年齢が高いのだろう。
九時にセットしておいたスマホのアラームが鳴った。普段通りの時間に帰らないと、母が色々詮索してくるかもしれない。
「……もう帰る時間なんだね」
大人びた物言いをしたかと思えば年齢より幼い顔もしてみせる。
「明日もここにいるなら、来るよ」
私がそう言うと星志は目を見開いた。
「ホント? 絶対だよ」
頷いた私の右手を取り、小指を絡ませる。
「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます」
一気に早口に呪文のように唱えると、星志は、指切ったと勢い良く振り切った。
じゃあね、と別れを告げて歩き出す。
絡めた指に星志の熱が残っていた。
私の熱も星志に残っていればいいのに。
私は空を見上げ、肉眼では見えない星志の星を探した。
あの子が今日もいるような気がして。
予感は当たりだった。
「お母さんと仲直りした?」
歩道橋の中央に座り込んでいた彼に問い掛けると、弾かれたように飛び上がりこちらを向いた。
「お姉さん」
素直な笑顔に私も笑い返し、彼の隣に座った。
「もしかして、今日もまた喧嘩したの?」
「違うよ。僕はいつもこの時間、ここにいるんだよ。ここで、空を見てるの」
住んでいる市営住宅は高層マンションに囲まれて空が狭いから、と彼は空を見上げた。
「空を眺めるの、好きなの?」
「好きだよ。特に夜の空が。僕、自分の星を持っているから」
「自分の星?」
「そう。僕の名前がついてる星があるんだ。すっごく遠くてすっごく小さい星だけど」
生まれた時、父親が記念に買ってくれたのだそうだ。
そういえば公式に名前のついていない小さな星に名前をつける権利を売る商売があるといつかテレビで見た気がする。
たしか名前をつけるといってもあだ名みたいなもので学界では正式には通用せず、星の所有権も法律上認められないものだった。けれど、一つの星に名前は絶対に一つで、重複はないらしい。
夜空を見上げれば遥か彼方に自分の名の付いた星があるなんて、一生の宝になる。
ロマンチックな、いいお父さんだったんだろう。
「君、名前、何ていうの?」
「あれ、僕言ってなかったっけ。せいし。星に志すと書いて星志。白木星志。星志って呼んでよ。この名前気に入ってるから、名前で呼ばれるの好きなんだ」
「私は、久保田奈緒。……私も、奈緒って名前で呼んで」
なんとなく星志には名前で呼んでもらいたかった。年上の人を名前で呼ぶなんて、と星志は抵抗してみせたけれど、私は無理にも承知させた。
星志は天体に詳しく、星にまつわる色々な話をしてくれた。
「いつかおっきい天体望遠鏡買って、自分の星を見るんだ」
笑った星志は十一歳の少年そのものだった。
星志の星を抱える宇宙。気の遠くなるような無限。その中でほんの一点にも満たない矮小な私。
私を起点として、意識の輪を広げていく。歩道橋から街全体へ、街から日本へ、日本から地球へ、太陽系へ、銀河系へ──果てがない。どこへも行き着けない。
漂流する私の意識は永遠に宇宙の迷子に──。
「人は、星と星の間の距離は測れるが自分と他人の距離は測れない」
星志が本の冒頭の一節を呟く。私が後を続けた。
「星々の距離より、人の心の距離の方が遥かに遠いからなのか──エドワード・ストーンズの『遠距離感』でしょう? 読んだの?」
図書館の本を借りまくって読んでいると言う星志の選ぶ本は、小学生には少し難しいのではないかと思うようなものばかりだった。
「読書って慣れじゃない? 活字慣れしたら一般向けの本なんてそれほど難解じゃないと思うよ」
少し生意気な物言いが微笑ましかった。年上の私に合わそうと背伸びしている訳ではなく、精神年齢が高いのだろう。
九時にセットしておいたスマホのアラームが鳴った。普段通りの時間に帰らないと、母が色々詮索してくるかもしれない。
「……もう帰る時間なんだね」
大人びた物言いをしたかと思えば年齢より幼い顔もしてみせる。
「明日もここにいるなら、来るよ」
私がそう言うと星志は目を見開いた。
「ホント? 絶対だよ」
頷いた私の右手を取り、小指を絡ませる。
「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます」
一気に早口に呪文のように唱えると、星志は、指切ったと勢い良く振り切った。
じゃあね、と別れを告げて歩き出す。
絡めた指に星志の熱が残っていた。
私の熱も星志に残っていればいいのに。
私は空を見上げ、肉眼では見えない星志の星を探した。
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