アポリアの林

千年砂漠

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64  それぞれの結末  その2

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 消防車五台が出動し懸命な消火活動が行なわれたが、羽崎の家は全焼した。
 出火の原因は配電盤の劣化で、運悪く強い海風が吹いていたため、通常より火の回りが早かったそうだ。

 山口は救急車で運ばれた病院で目を覚ましたが、羽崎邸でのことを全て忘れていた。誰に何を聞かれても「覚えていない」と答えた後はぼんやりと空を見つめるだけで、火事に遭ったショックだろうと推測され、暫く入院することになった。
 後に山口の携帯電話がなくなっている事が分かり、焼けた羽崎の家の敷地内を捜してもらったが見つからなかった。
 井川や小宮、原田が羽崎の家に置いてきたままだったはずの鞄やバッグは、何故か井川の車の中にあったというのに。
 山口が羽崎についての記憶をなくし、彼の写真を撮った携帯をなくしたのは何故か。
 真実を知っているのはこの世では三人のみだった。

 警察官は事件や事故の対応で緊急呼び出しの可能性のために、所在を明らかにしておかなければならない。それは休日も同様で、特に管轄地から離れる時にはどこへ行くか届け出ておく必要がある。
 井川と小宮は予め県外へ出る届けを署に提出していたのでそれについては問題はなかったが、地元警察と消防への事情説明の際に職を明かした事で、その後の捜査の協力に何度か駆り出され、課長に小言を食らった。


 羽崎薫は行方不明から後に死亡認定となりそうだ。
 地元警察から井川達四人と羽崎の関係を問われ、ミステリー小説の謎解き考察サイトで羽崎と自分達四人が知り合いになり、色々見識の広い羽崎に好感を持って親しくなったと井川が答えた。
「個人的な話もするようになって、皆の家が比較的近いと分かって羽崎さんが家に招待してくれての食事会だったんですよ」
 羽崎が晴彦の事件関係者ということを秘匿し、羽崎と井川達との関係とこの家にいた理由を説明するには、これくらいしか咄嗟に思いつかなかったのだ。
 実は最近テレビニュースで見た某趣味サイトのオフ会で発生した暴力事件からの発想だったのだが、それで疑われることもなく問題も起きなかったのは、もしかしたらあの千代子の加護があったのかもしれない。
 その後の捜査で、帰路につく井川達をフェンスの所まで見送りに出ていた羽崎は家の火事に気がつき、火の手を見てパニックになった山口と具合が悪くなった原田に井川と小宮が対応している間に自宅に戻り、煙に巻かれて避難する方向を見失い、海側の脆くなっていたフェンスに寄りかかってしまい海へ転落した――事になった。
 井川が地元警察にした説明に合わせて、海側のフェンスの一部が押し倒したように海に落ちていたそうなので。


 遺体の捜索が行なわれたが見つからず、いくつかの出版社が合同で羽崎の行方不明をネット上で発表した。
 発表当時は羽崎が実在の人物だったのに驚かれ、この期に及んでもなお羽崎の顔写真やプロフィールを出さない出版社を避難する声もあったが、元々そう有名な作家ではなかったため、すぐに騒動は収まった。

 しかし彼の本は売れたようだ。
 行方不明の発表があった後に出版された羽崎の遺作は、四週続けての売り上げランキング一位となった。
 その本の原稿をメールで出版社に送ってきたのが丁度火事のあった最中の時刻だったと後に分かり、火事の煙に巻かれたのは原稿を出版社へ送っていたからだと推測されて、それが「作家の執念」と世間で話題になり、売り上げにつながった。
 羽崎の信念とは異なる売れ方だが、もうこの世界にいないのだから文句のつけようもないだろう。

 羽崎がかたくなに自分の顔や本名を世間の出さなかったのは、彼の小説家としての矜持の他に、もうひとつ理由があったのではないかと井川は思う。
 彼の本名は『鷹谷桜紫たかやおうし』という。
 晴彦について聞くために初めて家を訪ねた時、井川たちはすでに彼の本名は知っていた。殺人事件の犯人の関係者を訪ねていくのに最低限の身元調査をして行くのは、警察官として当然のことだ。
 「本名の方がペンネームみたいですよね」と小宮は笑っていたが、この少し変わった名前だったからこそ、彼は隠したかったのかもしれない。
 自分を捨てた母親に気づかれないように。
 息子が作家として成功していると知れば、多分母は金をせびりに現われる――そう予想したから、羽崎は自分の個人情報を出さなかったのではないだろうか。
 ……いや、そうじゃない。
 井川は胸の内で首を振る。
 仮に本名で作家になり母親が金目的で近寄ってくれば、千代子が『自分の領域』を守るため無慈悲に強制排除するだろう。そんな悲劇を避けるために顔と名を隠したのだ。
 井川は羽崎の善良性を信じたかった。


 四月初旬の朝、地球温暖化のせいで四季がなくなるかもしれないという新聞記事を井川が読んでいると、早瀬が出勤してくるなり仕入れてきたばかりの情報を開示した。
「事件のあった久住氏の家に由紀子さんの御両親が住むそうですよ」
 特殊清掃を頼んで掃除し、家具類を全て処分した後リフォームして、引っ越してくるそうだ。
「あの家はまだローンが残ってるんだろう? それに特殊清掃とリフォームを頼むなんてよくそんな金があったな」
 どこにも行く所がないと寂しく背を丸めた老夫婦の姿を思い出しながら、井川が首を捻ると、
「保険金ですよ」
 早瀬が笑って答えた。
「夫婦と子供の三人分の保険の受け取りが由紀子さんの両親になってたんだそうです」
 本来は久住氏の保険金の受取人は妻の由紀子で、由紀子と晴彦の保険金の受取人は久住氏だったが、三人とも死亡の場合の受取人は由紀子の両親になっていたそうだ。
 久住氏の実家と不仲だった由紀子夫人の意地のようなものだろうが、家のことは妻に任せきりだった久住氏は多分知らなかっただろう。
「そりゃ揉めるんじゃないか、久住の実家と」
「いえ、それが、久住氏の大学時代の友人で弁護士になっている人物二人が、由紀子さんの両親へできるだけ多く金が渡るように無償で働いたそうです」
「は? 久住氏の友人なら逆じゃないのか? 久住の実家の方へ金が行くようにするなら分かるが」
「久住家の葬儀で、久住氏の実家の対応に友人皆がぶち切れたらしいです」
 葬儀には久住の父親しか参加せず、しかも葬儀後、自分の息子の遺骨のみを勝手に持ち帰った。
 由紀子と晴彦を汚らわしい血筋と蔑み、「息子と同じ墓に入れたくない」と言って。
 妻の両親への余りにも酷い言葉と態度に、葬儀に参加した久住氏のかつての仲間達は憤慨した。
「久住氏は仲間内では愛妻家と思われていたようです」
 よく惚気を聞かされたと言う友人もいたが、実際はどうだったのかは分からない。
 本当に心から妻を愛していたのかもしれないし、自分を『妻を大事にしている良い夫』に見せたかっただけかもしれない。
 その真偽はもう確かめようがないし、仲間達は久住氏の言動を信じていたので、
「愛妻家の久住氏なら、自分の実家が妻の実家をあんな風に侮辱したら怒り狂うだろう、と」
 結託して由紀子夫人の実家の方に味方する事を決めたそうだ。
「特殊清掃代とリフォーム代の一部は、ラグビー部の仲間とOB有志が出し合ったそうです。久住の家の残っているローンは保険金で賄えるようで、そういった手続きも税理士になっている仲間が無償でやるようですよ」
 秀雄はスポーツで培われた絆と男らしさを盲信する少し考えが偏った男だったが、そんな思考になるくらいには競技の仲間に恵まれていた人間だったのかもしれない。
「久住氏は良くも悪くも男の好かれる男だったんでしょうね。ラグビー部の仲間内じゃ全然悪口が出て来ませんでしたから」
「お前は何でそんなに詳しいんだ?」
「父の会社の重役の一人が、久住氏と同じ大学のラグビー部のOBなんですよ。この件で寄付依頼が来たそうで、その人から話を聞きました」
 そういえば小宮も、高校時代の剣道部の活動支援のためのOB会に、年に一度支援金を出していると言っていた。体育会系の縦社会は一生もののところもあるらしい。
「井川さん、嬉しいでしょう」
 早瀬が満面の笑みを浮かべる。
「何でだ」
「井川さんは善人が報われる話、好きですもんね」
「そんなもん、誰でも好きだろうが」
 わざと仏頂面を作って、井川は軽く早瀬の足を蹴った。
「小宮にも教えてやれよ」
 早瀬は頷いてパソコンを立ち上げる。Eメールで送るのだろう。

 小宮は一週間前に定期の人事異動で転勤した。今度はここより大きな署だ。忙しいだろうが、彼ならきっとそつなくやる。
 原田は私立の高校に合格した。確か今日が入学式だったはずだ。
 夏には手術が待っているが、あのタフさなら心配ない。手術が無事成功すれば、地球儀が組み上げられる立体パズルをプレゼントする約束をしているので、早瀬に少しでも安く売っている所を捜すのを手伝ってもらおうと企んでいる。

 さっきまで読んでいた新聞のページをめくると、最近出版された海洋生物の写真集の宣伝記事が目に入った。
 表紙に写った鯨を見て、ふと晴彦のことを思い出した。
 この世界での何もかもと引き替えに、鯨になることを望んだ少年。
 本当に鯨に生まれ変われたなら、今は望んだ海で自由に泳げていることを願う。

 罪を憎んで人を憎まず、だ。

 定年退職したら北の海の鯨を見に行くツアーに参加しようか、と考えながら、井川は新聞を閉じた。
                                 (了)
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