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1章 佐藤和心(さとうなごみ)
5.母の日
しおりを挟むそれから四人で歩いた。恵琉ちゃんは「これから、家に行くんですけど、いいですか?」と聞くと、母は即答で「ウン、いいよ」と答える。
母と恵琉ちゃんは楽しそうに話していたが、私と佑月ちゃんは家に着くまで黙っていた。でも、佑月ちゃんはいつもどおりなのだろう。
家に着くと、母は「ちょっと買い物行ってくる」と言った。私はそれが不思議で仕方がなかった。だって昨日、この家に着く前にスーパーに行って日常品と食べ物をたくさん買っていたからだ。いまさら、何を買う必要があるのだろう。
けれど、私はそれに口を挟まず、まずふたりを自分の部屋へと上がらせた。ほとんどが引っ越しの際の箱で占められていたので、できるだけそれを積んでスペースをつくる。机を用意し、二人を座らせようとしたが、山田さんは慌てたように「トイレどこ?」と言ってくるので「階段降りて左」と教えた。学校で行っておけばいいのに。
新しい家と言っても前とあまり変わらない。明らかに変わっていることと言えば、ユニットバスかどうかというくらいだ。
恵琉ちゃんが勢いよく部屋を出ていくと、部屋の中は突然静かになる。佑月ちゃんはなにか本を読んでいる。正直、気まずかった。なにを話していいのかわからず黙っていた。
佑月ちゃんは何を考えているか分からない。
「ねぇ、佐藤」
佑月ちゃんの声は低く、くぐもっていた。私は返事が出来ず、ただ、佑月ちゃんを見つめていた。
「母親のこと、どう思ってるの?」
佑月ちゃんのことが少し恐ろしかった。まるで頭の中を透かされているようだったからだ。
昨日から私の頭はシーソーのように右に傾いたり、左に傾いたりしていた。私は母のことをどう思っているのだろう。けれど、帰り際、職員室で見た担任と母との会話。私の学校生活を心配してくれていたのだ。もし、これが前の学校でも行っていたのなら。
そう考えると、自分を責めたくなる。私は心から母に謝りたいと思った。けれど、今の自分にはそんな勇気がない。
「はー、すっきりした。ん?」
静かな部屋に扉の開く音と、恵琉ちゃんの声が入ってくる。私は助けを求めるように恵琉ちゃんのことを見つめた。私はどうしたらいい?
恵琉ちゃんは少しの沈黙の後、佑月ちゃんへと詰め寄った。
「佑月、和心ちゃんに何言ったの?」
恵琉ちゃんは佑月ちゃんを責めるように言う。待って、佑月ちゃんはなにもしてない。だけど、言葉が喉を通らなかった。
「なにもしてない」
佑月ちゃんはそう言ってそっぽを向く。ふたりがいがみ合いをしている間に私は目を閉じて考えた。
ごめん、お母さん。そう心の中でつぶやいても母に届くはずもないのに。
あぁ、私の心は冷たいのだ。誰かから悪口を言われたとか、励ましてくれる人がいないから心が冷たくなるのだと思っていた。けれど、私はもともとそうなのだ。母のことを近くで見ていたはずなのに、知ろうとしなかったのだ。
私の視界は暗かった。目を閉じているから当然か。だけど、黒一色の中に小さな光の点があった。それは少しずつ、黒を塗り替え広がっていく。
身体が暖かかった。いや、身体だけではなく、心も暖かいなにかに包まれていた。
目を開けると、恵琉ちゃんの顔が近くにあった。柔らかく、暖かい感触。その時、初めて気がついた。恵琉ちゃんが私を抱きしめていたのだ。
恵琉ちゃんは目を閉じて、私を精一杯に抱きしめてくれていた。しばらくして、恵琉ちゃんの目が開く。恵琉ちゃんと目が合った。
「ご、ごめん。突然で、びっくりしたよね」
恵琉ちゃんはあわてた様子で私から手を放し、申し訳なさそうな声で謝った。けれど、視界がかすんでいるため、どんな顔をしているのかわからない。でも、「大丈夫?」という声は何度も聞こえてくる。
どうして、そんな心配しているの。
膝にひとつ雫が落ちる。またひとつ、ひとつと次々に落ちていく。恵琉ちゃんが私に寄ってきて、背中をさすってくれる。
泣いているのに、心は暖かかった。きっと、恵琉ちゃんがあたためてくれたからだろ。私はこれまで愛情を真正面で受け止めたことがなかった。恥ずかしいだけだと思っていたからだ。けれど、恵琉ちゃんに抱きしめられて初めて分かった。誰かからの愛情はこんなに暖かいものなのだと。
少しずつ心から暖かさが消えていく。私はそれを忘れないように、今度は自分から恵琉ちゃんを抱きしめた。これが愛情なのか。
これまで、私は母からの愛情を受け流していた。母が私に愛情を注いでくれているなんて知りもしなかったし、知ろうともしなかった。けれど、母はそんな薄情な私にでも、大切に思ってくれていたのだ。
そんな母を私は強い人だと思う。
私は母と一緒に恵琉ちゃんたちを見送った。私が覚えていないほど長い時間抱きしめられた恵琉ちゃんは頭の整理が追い付いていないのかずっと上の空だった。明日、ちゃんと説明してあげないと。
恵琉ちゃんたちの姿が見えなくなると、母は家に戻ろうとした。私はそんな母を引き留める。
「ねぇ、お母さん」
私から声をかけるなんて珍しいのに母は驚きもせず振り返る。
「あ、あのさ、今まで、さ」
いまだに心が暖かい。恵琉ちゃんのおかげだ。だけれど、私はうまく言葉を紡ぐことができない。そんな私に歯を食いしばって情けなく感じていると、母が口を開いた。
「チョット、プレゼントがあるよ」
母はそれだけ言い、家の中へ入っていく。誕生日もクリスマスもまだだというのにプレゼント?
私は疑問を抱きながら、母についていくように家に入る。
キッチンへ行き、母からプレゼントというものを渡される。最近、テレビでよく報道されているものだ。胸が高鳴る。手に取ってそれを見ると、自分の顔が映る。右側のボタンのようなものを押すと、食べかけのリンゴのようなものが映る。間違いない、最新型のスマホだ。
「これ、いいの?」
「ウン、友達とたくさん連絡出来たらって、思い切って買った」
やっぱり母は私のことを考えてくれている。さっき、たくさん流したはずなのに涙が出てきそうだ。
「お母さん、ごめん。今まで」
つらかったよね。どれだけ私に尽くしても、感謝の一言もかえって来ないなんて。ごめん、今まで。そして、ありがとう。
「大好きだよ」
今までの思いを伝えるかのように私は母を抱きしめた。たくましい引き締まった身体だった。母はそんな私の背中を優しくゆすってくれた。
「アリガトウ」
ふたりでしばらくの間、そうしていると、玄関の扉が開き、スーツ姿のお父さんがキッチンに現れた。お父さんは私たちを見て一瞬戸惑っていたが、すぐに状況を把握したようでハンドバックを置いて両手を広げる。
「ほら、和心。お父さんも」
嫌悪感を抱いた私は母をより強く抱きしめた。
「お父さんはなんか匂うから、ヤーダ」
「えー、そりゃないだろー」
子どもっぽい口調を冗談と捉えたのか、父は演技のようにがっくりと膝から崩れ落ちた。まぁ、半分本気なんだけどね♪
父は「娘に嫌われた、これからどうやって生きていけばいいんだ」と嘆いていた。それを見た母は「タシカに臭いかも」という言葉を真顔で投げかけた。父の服を毎日洗濯している母に言われたら私よりもダメージが大きいかも。
私の予想通り、今まで芝居をしていた父は本当に落ち込んだように床に頭をつけた。それを見て母は口元を隠しながら笑った。次に私がアハハハハ、と大笑いをした。つられて父も笑っていたけれど、多分、苦笑いだ。
父が臭いか臭くないかのくだらない議題だったけれど、私の家の中に明るさが戻っていた。ほんとう、久しぶりに。
私はプレゼントでもらったスマホを深夜まで使っていた。カメラが高画質だったり、様々なアプリや機能があったりで手が止まらなかった。明日、みんなに連絡先を教えてもらおう。そして、自慢しよう。そう思うと、うまく眠れなかった。
けれど、明日学校へ行って、連絡先を交換しようとしたけれど、恵琉ちゃんも、佑月ちゃんも、鳴ちゃんもスマホを持っていなかったというのは私だけのはなし。
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© 2023 Asatsuki Sato
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