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五章 白の神官の輪廻
90. もう一人のハイエルフ
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「ダメよ! いや! 置いてかないで! 居なくならないで!! 兄さん!!」
白金の美しい髪を乱し、彼女は泣いていた。
白亜の神殿に、焔と煤の雨が降り注いだあの日。
――――神命の刻が来た――――
女神が捨てざるを得なかった世界。
だけど諦めきれなくて、エルフェーラは肉体を捨てた。
それでも足りなかったから、私も。
怖くも寂しくも無かった。
生きて欲しかった人達がいたから。
私やエルフェーラ姉上が、幾多の同胞が、溶けた世界を、君は、彼は、美しく思ってくれるだろうから。
「君は生きて。ニレルに見せてあげて。君が生き抜く姿を。ディオンヌ」
「助けて……助けて、女神様……」
「スーリヤ様……これは……?」
スーリヤの着替えを持って来た少年は、足元の水溜りと彼女の真っ青な顔色に、驚く。
「すぐに治癒師を呼んで来ます!」
「ダメ!!」
スーリヤは石でできた部屋の窓枠に手を掛けて、身を乗り出そうとする。
「危ない!!!」
少年は何処を触るか悩んで、それからスーリヤの足に縋り付いた。
「お願い、行かせて!!!」
淡く淡い金の美しい髪を乱し、彼女は泣いていた。
「……それが貴女の望みなら……」
少年は壁に手を付いた。
「せめて俺の背中を踏台代わりに」
「いやよ!」
「いいえ、そうしないと、この窓を乗り越えるのは無理です」
「……ごめんね。今までありがとう」
少年は背中にかかる重みに、必死に耐えた。
――――背が軽くなった後も、顔を上げることは出来ず、ただ声を殺して泣き続けていた……
ルシンの中で、二つの記憶の中の泣き顔が重なる。
ディオンヌ、という女性は知らない。
奇妙な夢だった。
◇◇◇
「さあ、終わりましたわ」
「ルシン様ったら、すっかり眠っていらっしゃったけど、体調は大丈夫ですの?」
フェリックスとルシンの散髪を終えたマーシャとメルシャは、テキパキと後片付けをしていく。
「ああ……大丈夫だ」
うたた寝していたルシンと違って、フェリックスはずっと緊張していて、ぎこちなく、切った髪を柔らかなブラシで払うメルシャに声をかける。
「す、すまない」
「フェリックス様は、随分と汗をかいて緊張なさってましたけど、もしかしてハサミが苦手でした?」
メルシャがハンカチを、フェリックスに渡す。
「い、いや、そうではない」
フェリックスは真っ赤になって、ハンカチを受けとった。
フェリックスの代わりに、ルシンが説明する。
「俺たちハーフ奴隷の殆どは、女性と接する機会がないまま、一生を終えるものの方が多い。フェリックスはどうすればいいのかわからず、緊張しているだけだ」
他国から拐った女性の奴隷も、貴族間で消費される。
「あら、あらあらあら」
「まーあ、まあまあ」
双子は面白いオモチャを見つけたような顔をした。
「女性には優しく接して下さいませ」
「大声で怒鳴ったり、乱暴なことはダメですわよ」
「わ、わかっている。……つもりだ」
マーシャとメルシャに揶揄われてるフェリックスを、不思議な気持ちでルシンは見る。
ルシンは元々、リーン王国で死ぬつもりで今回の暗殺に志願した。つまり任務を失敗させるつもりでいたのだ。
生まれた場所は選べなくても、死に場所は選びたかった。
少年時代に、唯一人彼を人として扱って、優しさと温もりを教えてくれたスーリヤ。彼女は名前の無かった彼を「リーン」と呼んだ。いつか行ってみたい国の名だと。
だから何としてもワイバーンを乗りこなし、この任務に付きたかった。何故かあのワイバーン(ではなかったが)は、ルシン以外の者が乗ると酷く暴れてくれたので、好都合だった。
つまり、そう。
フェリックスのことは、最悪道連れにするつもりでいた。
それなのに。
ルシンが視線に気づいて、部屋の入り口を見ると、三色のスライムがじっと中を覗いている。目が合った。
「なに?」
ルシンは言葉少なく声をかける。
喋ったり、色艶が珍しいだけでなく、何故か気になる、おかしなスライム達だった。
「皆んなのいるお部屋までのぉ、道わかるぅ? ヒラとハラが案内するよぉ。ちょうどモモにも案内してたとこだからねぇ。マーとメーはお仕事あるでしょぉ?」
「あら、助かりますわ」
「流石エステラ様のスライム、気配りが素敵ですわ」
マーシャとメルシャに褒められて、ヒラとハラはぷりんと上機嫌に身を膨らませた。同時に光の粒……イケスラパウダーが弾ける。
ぽよんぽよんと前を進むスライム達の後について、ルシンとフェリックスはサロンに向かう。
ボソリとフェリックスが呟く。
「夢じゃないんだよな……いや、あんな宝石みたいなスライム見たことない。やっぱり夢なのか、これは」
ちらりとフェリックスの顔を見て、ルシンは答えた。
「安心しろ。夢じゃない」
「昨夜俺たちを取り囲んでいた純血たち……この国に、あんなにエルフが居るなんて情報は無かった。完全に上部の調査不足だな」
「ああ」
エステラがスーリヤの娘ならば、何があってもあの国から守らねばならない。
一緒にいるエルフ達も、彼女に危害を与える存在ではないのか見極めないと。
――ルシンは気を引き締めた。
◇◇◇
サロンに入ると、彼らの暗殺のターゲットだった二人以外、昨夜のメンバーが揃っている。
二人は促されて、ソファに座る。
「えっと、ルシン?」
「はい、エステラ様」
呼ばれてルシンは答える。
「鑑定魔法の結果、貴方は私の異母兄とあったのだけど、貴方の言葉で知りたい。私の母さんとのこと、それから貴方のお母さんのこと……もし差し支えなければ、父さんのこと……」
ルシンは目を閉じた。何から話せば良いのか。
「俺が産まれた時に、母は亡くなったそうだ。産まれて直ぐの俺の耳を切り、額を抉ったのも母だと聞いた。噂では母は拐われてきた時酷く抵抗していたので、エルフ族への反抗の印に俺を傷物にして、処分されたと」
「母親の遺体はどうした?」
フェリックスを陥落させた、黒髪のエルフが鋭く聞く。
「さあ? 俺にわかるものか。あそこでは遺体は『死の狼』に食べさせるのが通例だ。俺は運良く魔力が多かったのと、父親の身分が高かったこと、そして傷が無ければ純血だったかも知れない僅かな可能性で、父の館の地下牢で治癒を受けながら育てられた。まあご覧の通り治癒しなかったが。そして数年後、父は性懲りも無く母と出会った小国に出向き、またしても花嫁を拐って来た。それがスーリヤ様だった」
ぴくりとエステラの肩が揺れる。
「俺は奴隷として、彼女の世話をさせられた。だが彼女は俺を人として扱ってくれた、ただ一人の人だった……」
ルシンは唇を噛み締め、俯いた。
苦しみに踠くような呼気を吐き出し、言葉を続ける。
「それなのに俺は。あの月の夜に、彼女が窓を乗り越えるのを、手伝ってしまった」
エステラは俯くルシンの手を取る。
「母さんを助けてくれてありがとう。貴方は母さんが世を儚んで飛び降りたと思ったのね……? でも違うの。スーリヤ母さんは妖精のいたずらを見つけて、飛び込んだのよ。そしてこの国で、私を産んでくれたの」
ルシンは目を見開き、エステラを見た。
エステラは優しくルシンの涙を拭う。
「貴方のおかげよ。決して一人で越えるのは無理だったって云ってたもの。あと父親の話はもう良いわ。良い話しが無さそうだもの」
「それは……否定できない」
「多分エデンの方がマシかも知れないと思う時点で、ダメよね。という訳で、これからそこのエデンが私達の父親だから、そのつもりで」
「こらこら、エステラはともかく、ディオンヌと一欠片も関係無いやつを息子になんぞしないぞ」
「関係なくないわよ。ルシンの名前はお師匠のお兄さんからもらったんだから」
「エステラ、今はまずルシンの傷を癒そう。皆んな心配で気が気じゃ無い顔をしてるからね」
ニレルに言われて、エステラはハッとして杖を取り出した。
「俺の傷? エルフの回復魔法の使い手も匙を投げたのに?」
「ああそれは、貴方のお母さんが、エルフの前では決して治らないよう、強い魔法をかけたからね。きっと産後に魔力を使い過ぎて、無理をしすぎたのが死因じゃないかしら。エルロンドから逃げられなかったと云うことは、何かしら理由があって転移魔法を使えなかったのだろうし、心身が弱っていた可能性も考えられる。だからあの国で、ハイエルフだとバレない為に、苦渋の決断でこうしたのよ……」
「ハイ……エルフ……?」
「エルフが最も憎み、畏れ、そして焦がれる種族よ。ここにいる彼等がそう。そして私はハイエルフ一の魔法の使い手だった人の弟子。治療は任せて!」
白金の美しい髪を乱し、彼女は泣いていた。
白亜の神殿に、焔と煤の雨が降り注いだあの日。
――――神命の刻が来た――――
女神が捨てざるを得なかった世界。
だけど諦めきれなくて、エルフェーラは肉体を捨てた。
それでも足りなかったから、私も。
怖くも寂しくも無かった。
生きて欲しかった人達がいたから。
私やエルフェーラ姉上が、幾多の同胞が、溶けた世界を、君は、彼は、美しく思ってくれるだろうから。
「君は生きて。ニレルに見せてあげて。君が生き抜く姿を。ディオンヌ」
「助けて……助けて、女神様……」
「スーリヤ様……これは……?」
スーリヤの着替えを持って来た少年は、足元の水溜りと彼女の真っ青な顔色に、驚く。
「すぐに治癒師を呼んで来ます!」
「ダメ!!」
スーリヤは石でできた部屋の窓枠に手を掛けて、身を乗り出そうとする。
「危ない!!!」
少年は何処を触るか悩んで、それからスーリヤの足に縋り付いた。
「お願い、行かせて!!!」
淡く淡い金の美しい髪を乱し、彼女は泣いていた。
「……それが貴女の望みなら……」
少年は壁に手を付いた。
「せめて俺の背中を踏台代わりに」
「いやよ!」
「いいえ、そうしないと、この窓を乗り越えるのは無理です」
「……ごめんね。今までありがとう」
少年は背中にかかる重みに、必死に耐えた。
――――背が軽くなった後も、顔を上げることは出来ず、ただ声を殺して泣き続けていた……
ルシンの中で、二つの記憶の中の泣き顔が重なる。
ディオンヌ、という女性は知らない。
奇妙な夢だった。
◇◇◇
「さあ、終わりましたわ」
「ルシン様ったら、すっかり眠っていらっしゃったけど、体調は大丈夫ですの?」
フェリックスとルシンの散髪を終えたマーシャとメルシャは、テキパキと後片付けをしていく。
「ああ……大丈夫だ」
うたた寝していたルシンと違って、フェリックスはずっと緊張していて、ぎこちなく、切った髪を柔らかなブラシで払うメルシャに声をかける。
「す、すまない」
「フェリックス様は、随分と汗をかいて緊張なさってましたけど、もしかしてハサミが苦手でした?」
メルシャがハンカチを、フェリックスに渡す。
「い、いや、そうではない」
フェリックスは真っ赤になって、ハンカチを受けとった。
フェリックスの代わりに、ルシンが説明する。
「俺たちハーフ奴隷の殆どは、女性と接する機会がないまま、一生を終えるものの方が多い。フェリックスはどうすればいいのかわからず、緊張しているだけだ」
他国から拐った女性の奴隷も、貴族間で消費される。
「あら、あらあらあら」
「まーあ、まあまあ」
双子は面白いオモチャを見つけたような顔をした。
「女性には優しく接して下さいませ」
「大声で怒鳴ったり、乱暴なことはダメですわよ」
「わ、わかっている。……つもりだ」
マーシャとメルシャに揶揄われてるフェリックスを、不思議な気持ちでルシンは見る。
ルシンは元々、リーン王国で死ぬつもりで今回の暗殺に志願した。つまり任務を失敗させるつもりでいたのだ。
生まれた場所は選べなくても、死に場所は選びたかった。
少年時代に、唯一人彼を人として扱って、優しさと温もりを教えてくれたスーリヤ。彼女は名前の無かった彼を「リーン」と呼んだ。いつか行ってみたい国の名だと。
だから何としてもワイバーンを乗りこなし、この任務に付きたかった。何故かあのワイバーン(ではなかったが)は、ルシン以外の者が乗ると酷く暴れてくれたので、好都合だった。
つまり、そう。
フェリックスのことは、最悪道連れにするつもりでいた。
それなのに。
ルシンが視線に気づいて、部屋の入り口を見ると、三色のスライムがじっと中を覗いている。目が合った。
「なに?」
ルシンは言葉少なく声をかける。
喋ったり、色艶が珍しいだけでなく、何故か気になる、おかしなスライム達だった。
「皆んなのいるお部屋までのぉ、道わかるぅ? ヒラとハラが案内するよぉ。ちょうどモモにも案内してたとこだからねぇ。マーとメーはお仕事あるでしょぉ?」
「あら、助かりますわ」
「流石エステラ様のスライム、気配りが素敵ですわ」
マーシャとメルシャに褒められて、ヒラとハラはぷりんと上機嫌に身を膨らませた。同時に光の粒……イケスラパウダーが弾ける。
ぽよんぽよんと前を進むスライム達の後について、ルシンとフェリックスはサロンに向かう。
ボソリとフェリックスが呟く。
「夢じゃないんだよな……いや、あんな宝石みたいなスライム見たことない。やっぱり夢なのか、これは」
ちらりとフェリックスの顔を見て、ルシンは答えた。
「安心しろ。夢じゃない」
「昨夜俺たちを取り囲んでいた純血たち……この国に、あんなにエルフが居るなんて情報は無かった。完全に上部の調査不足だな」
「ああ」
エステラがスーリヤの娘ならば、何があってもあの国から守らねばならない。
一緒にいるエルフ達も、彼女に危害を与える存在ではないのか見極めないと。
――ルシンは気を引き締めた。
◇◇◇
サロンに入ると、彼らの暗殺のターゲットだった二人以外、昨夜のメンバーが揃っている。
二人は促されて、ソファに座る。
「えっと、ルシン?」
「はい、エステラ様」
呼ばれてルシンは答える。
「鑑定魔法の結果、貴方は私の異母兄とあったのだけど、貴方の言葉で知りたい。私の母さんとのこと、それから貴方のお母さんのこと……もし差し支えなければ、父さんのこと……」
ルシンは目を閉じた。何から話せば良いのか。
「俺が産まれた時に、母は亡くなったそうだ。産まれて直ぐの俺の耳を切り、額を抉ったのも母だと聞いた。噂では母は拐われてきた時酷く抵抗していたので、エルフ族への反抗の印に俺を傷物にして、処分されたと」
「母親の遺体はどうした?」
フェリックスを陥落させた、黒髪のエルフが鋭く聞く。
「さあ? 俺にわかるものか。あそこでは遺体は『死の狼』に食べさせるのが通例だ。俺は運良く魔力が多かったのと、父親の身分が高かったこと、そして傷が無ければ純血だったかも知れない僅かな可能性で、父の館の地下牢で治癒を受けながら育てられた。まあご覧の通り治癒しなかったが。そして数年後、父は性懲りも無く母と出会った小国に出向き、またしても花嫁を拐って来た。それがスーリヤ様だった」
ぴくりとエステラの肩が揺れる。
「俺は奴隷として、彼女の世話をさせられた。だが彼女は俺を人として扱ってくれた、ただ一人の人だった……」
ルシンは唇を噛み締め、俯いた。
苦しみに踠くような呼気を吐き出し、言葉を続ける。
「それなのに俺は。あの月の夜に、彼女が窓を乗り越えるのを、手伝ってしまった」
エステラは俯くルシンの手を取る。
「母さんを助けてくれてありがとう。貴方は母さんが世を儚んで飛び降りたと思ったのね……? でも違うの。スーリヤ母さんは妖精のいたずらを見つけて、飛び込んだのよ。そしてこの国で、私を産んでくれたの」
ルシンは目を見開き、エステラを見た。
エステラは優しくルシンの涙を拭う。
「貴方のおかげよ。決して一人で越えるのは無理だったって云ってたもの。あと父親の話はもう良いわ。良い話しが無さそうだもの」
「それは……否定できない」
「多分エデンの方がマシかも知れないと思う時点で、ダメよね。という訳で、これからそこのエデンが私達の父親だから、そのつもりで」
「こらこら、エステラはともかく、ディオンヌと一欠片も関係無いやつを息子になんぞしないぞ」
「関係なくないわよ。ルシンの名前はお師匠のお兄さんからもらったんだから」
「エステラ、今はまずルシンの傷を癒そう。皆んな心配で気が気じゃ無い顔をしてるからね」
ニレルに言われて、エステラはハッとして杖を取り出した。
「俺の傷? エルフの回復魔法の使い手も匙を投げたのに?」
「ああそれは、貴方のお母さんが、エルフの前では決して治らないよう、強い魔法をかけたからね。きっと産後に魔力を使い過ぎて、無理をしすぎたのが死因じゃないかしら。エルロンドから逃げられなかったと云うことは、何かしら理由があって転移魔法を使えなかったのだろうし、心身が弱っていた可能性も考えられる。だからあの国で、ハイエルフだとバレない為に、苦渋の決断でこうしたのよ……」
「ハイ……エルフ……?」
「エルフが最も憎み、畏れ、そして焦がれる種族よ。ここにいる彼等がそう。そして私はハイエルフ一の魔法の使い手だった人の弟子。治療は任せて!」
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