ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ

文字の大きさ
上 下
1 / 246
一章 ナイナイづくしの異世界転生

1. お金がナイ 母がいナイ 食事もナイ 税収もナイ

しおりを挟む
 もうダメだと思った。


「リーナお嬢様、意識が戻られたのですね!」

 老齢の女性が部屋に入ってくる。
 彼女が手にしているのは、現代の日本では一般的とはいえない平織りのタオルと、蝋燭一本灯した燭台。

「マハラ…」

 自然と彼女の名前が、唇からこぼれた。
 目の前の優しげな老女は、私が知らない人なのに、私の知っている人だと確信があった。不思議な感覚……

「よろしゅうございました。お身体を拭かせていただきますね」

 汗を拭ってくれる老女の、どこか古めかしい、雰囲気のある洋服に前掛け。
 私の肩から緑がかった水色が流れておちる。

 それは不思議な薄荷色。
 ミント……色……?

(これなに? え? 髪?! 私の髪????!)

 不思議な薄荷色を認識した途端に、別の人生の記憶が頭に流れ込む。
 そして今まで生きてきた記憶。

 それらが、珈琲にミルクを注いでカフェ・オ・レになるように混ざり合ってゆく。

 日本の地方で平凡な事務職員をしていた三十二歳。女性。名前は松田理奈。独身。
 その日は歩いていける距離にあるスーパーで買い物をし、両手に重い買い物袋を持って歩いていた。
 途中から雨が降り出し、慌てて横断歩道橋を渡る。濡れた階段でずるりと足を滑らせ「これはやばい」と確信。

 頭の奥がじぃんと痛む。
 ぶつけたわ、頭。目の前に無数の銀の星がしゅわしゅわ走って、それから――

 それから――

 今こうして目覚めれば、この状態だった。

 漫画や小説でよく読んだ異世界転生というやつなのだろう。

 いや、ひょっとすると転移とか憑依とかなのかもしれない。
 どう違うのか正直わからない。
 転生と違って、転移や憑依とかは元の身体の持ち主の魂が死んで、代わりにその身体に入っている状態であるパターンが多かった気がする。

 申し訳なさが半端ないので、是非転生であってほしい。


 そして不思議な薄荷色の髪をした、この身体の少女の名前は、マグダリーナ・ショウネシー。
 落ち葉が舞い散るこの秋に、十歳になったばかり。

 この世界のディメル大陸にある国家の一つ、リーン王国の貴族……ショウネシー子爵家の……なるほど、長女らしい。

 父はダーモット・ショウネシー。
 二歳下の弟がいて、名前はアンソニー。
 母はクレメンティーン、故人だ。マグダリーナの髪の色は母親譲りだった。すごく美人のお母さん……いや美女の前に『絶世の』と付けていいレベルだわ。

 どうせなら顔も似て欲しかったけど、マグダリーナも弟のアンソニーも父親似のよう。残念。

 待って、待って、貴族の家なのここ?
 貴族令嬢なの? 私。
 本当に?

 マハラさんに介抱されながら、私はさっきから気になっている所をじっと見た。

(あれ……蜘蛛の巣よね?)

 この部屋の隅……薄暗い天井の隅には蜘蛛の巣からホコリを吸いつけた糸が垂れていてた。


 違いはあれど、ここの環境は古いヨーロッパ辺りに似た文化じゃないかな?
 大きく違うのは、魔獣という魔力を持ったモンスターや魔法、エルフやドワーフという他種族が存在することだろう。

 だけど今直面している問題はそこじゃナイ。
 
 マグダリーナの記憶では、この子爵家、お金が無いのだ。
 貴族の家なのに。

 マグダリーナの母、クレメンティーンは三年前に流行病に罹り、辛うじて医者に診てもらうことはできたが回復薬に手が出ず、亡くなった。

 マグダリーナも四日前から高熱を出し苦しんでいたが、医者も回復薬も用意されなかったのだ。

(せめて毛布があれば、いいのに――)

 マグダリーナが体調を崩した日は急に気温が下がり、空気が肌を刺すような冷え込みを感じた。今年は冬がはやく訪れそうだと、父のダーモットが話していたのを思い出す。

 くたくたの布地を二、三枚重ねて縫い付けてあるだけの薄い掛け布団の中で、理奈ことマグダリーナは、きゅうっと身を縮こませた。

 いったいなんの罪があって、なんでこんな劣悪な環境の少女に、転生してしまったというのか……

 この身体に自分以外の意識……というものは感じられない。何することもできないこの状態では、どちらにせよこの身体で生きていくしかないのだった。

 理奈は地道に真面目に働いて生活していたというのに、あんまりだ。


◇◇◇


 熱は奇跡的に、翌朝には下がっていた。

 その頃には理奈自身にも、自分はマグダリーナでもあるという事を、自然と受け止められるようになっていた。

 何かの作用なのか、元の世界の家族のことは懐かしさはあっても、不思議と執心はなく、完全に過去の認識になっている。

 起きても現実は変わらなかったし、一晩寝れば、大概心はなんとか落ち着くものだ。睡眠って素晴らしい。

 普段のマグダリーナがそうしていたように、私も一人で身支度を整え、食堂へ向かう。

 貧乏子爵家では、使用人の手も足りない。マグダリーナはとりあえず、最低限の自分の世話は、自分で出来るようにはなっていた。

 偉いぞマグダリーナ!
 自画自賛して、心を慰める。

 魔法や魔導具なんかがあるファンタジーな世界ならば、金銭面以外は然程不自由はないのでは? そう思ってみたが、そこにも貧困の影響はあった。

 魔導具の動力源である魔石を買えない。

 つまり全ての家事は完全に手作業で、この広い邸宅を維持するのに明らかに人手が足りていない。

 特に日本で暮らした記憶がある分、衛生面には辛いものがある。

(まさか、魔石が買えなくて、水洗トイレが使用禁止……お……おまるだなんて……)

 当然、お風呂を沸かすなど、夢のまた夢よ……

 そしてお金のないショウネシー子爵家の食事は、数年前から昼食を兼ねた遅い朝食と夕食の、一日二食!

 一応マグダリーナの記憶と知識にある、この国の貴族の生活習慣は、食事は朝昼晩の三食に、午前と午後のティータイム付き。しかし食事回数が減っている現状、もちろんティータイムなど無い。

 長い廊下を歩き、彫刻で装飾された、重い食堂の扉を開ける。

 息切れがすごい。
 ――この身体の体力の無さは、なんとかしないといけないわ……

 久しぶりに家族揃った朝食の席につく。
 マグダリーナの記憶で食事の粗末さはわかっていたつもりだったが、実際目の当たりにすると、しおしおと悲しい気持ちになった。

 これでもかと細かく刻まれた野菜が申し訳程度入った、限りなく薄味のスープと、薄く切った芋が二切れ。

 芋二切れ……

(パンは? パンとタンパク質は無いの?! しかもこの二切れって、芋半分を私と弟と父で分けた感じだよね!)

 芋はじゃがいものように見えた。異世界と言っても、スープの中のくず野菜を見る限り、際立って異様な色合いの物など無いので一応ほっとする。

 ここでまた、マグダリーナの記憶が、貴族は土に近い野菜は食べず、主にパンと肉、川魚、果物、砂糖菓子を食べることを教えてくれる。

 つまり今食卓に並んでいるのは、平民より質素な食事なのだ。

 向かいの席に座っている、弟のアンソニーを見ると、嫌な顔もせず、お行儀よくスプーンで掬ってゆっくりゆっくりスープを飲んでいる。

 折れそうな手首の細さが、とても痛々しい。

 育ち盛りなのに、文句もわがままも言わずに、この食事を受け入れている。

 じっと見てたので目が合うと、アンソニーはニコッと無垢な笑顔を見せた。

「お姉さまの体調が良くなって、良かったです。お姉さまが伏せっていた間は、とても寂しかったので…」
「まあ……心配かけてごめんなさい」

 理奈としては初対面の少年だが、自然と胸にあたたかい愛しさを感じる。

 思わずぎゅーっと抱きしめて、アンソニーの金髪頭を撫でたい衝動に駆られたが、食事中なので我慢した。

 幸いマグダリーナが受けた淑女の礼儀作法は、身体に染みついているようで、普段の彼女の言動にそった振る舞いができる。今のところ。

「そういえばリーナは来年の春には、王立学園に入学か……そろそろ色々準備していかないといけないのかな」

 父のダーモットが、紅茶という名の薄く茶色っぽいだけのお湯が入ったカップを置いて、目を瞑り、眉間に皺を寄せた。

 何の因果か、ダーモットは前世の理奈と同じ年齢。それだけでこの世界の結婚適齢期が早めなのが伺えた。

「姉上にこれ以上の援助はお願いできないだろうが、せめて制服が入手できないか頼んでみるか……」

 マグダリーナの祖母はダーモットが幼い頃に亡くなり、祖父もマグダリーナが二歳の時に亡くなった。ダーモットにとって頼れるのは、嫁に行った二歳上の姉ドーラだけだった。

「え……!? うちはドーラ伯母様から援助していただいていたの? なのに何故こんなにお金がないのですか?」

 聞き捨てならないダーモットの言葉に、思わず問いただすと、ダーモットの後ろに控えていた執事のカルバンがやんわりと嗜める。

「お嬢様、淑女はそのようなことに関心を持たないものです」

 マグダリーナはカルバンを見た。痩せたカルバンの頭髪は、また少し薄くなっている。このままだと丸坊主になっちゃうかも知れない。

 それに父も弟もマグダリーナ自身も、今にも衰弱死しそうな様相だった。なり振り構っている余裕などないのではないか。

「いいえ、命と生活がかかっているのに、無関心ではいられません」

 キッパリと言い返すと、全員驚いたようにマグダリーナを見た。
 普段のマグダリーナなら、カルバンの注意で黙りこんでいたからだ。

 さっそくやらかしたと思わなくもないが、ここは開き直ってしまおう。

「伯母様からの援助金は、いまどうなっているの?」

 父を見上げると、彼は視線でカルバンに説明を求めた。
 カルバンは頷いて。

「国へ納める税金に使用させていただきました」
(あ――――――っ)

「それでは、領地からの税収は……」

 カルバンは深々と頭を下げる。

「力不足で申し訳ございません」
(う――――――っ)
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

転生令嬢の食いしん坊万罪!

ねこたま本店
ファンタジー
   訳も分からないまま命を落とし、訳の分からない神様の手によって、別の世界の公爵令嬢・プリムローズとして転生した、美味しい物好きな元ヤンアラサー女は、自分に無関心なバカ父が後妻に迎えた、典型的なシンデレラ系継母と、我が儘で性格の悪い妹にイビられたり、事故物件王太子の中継ぎ婚約者にされたりつつも、しぶとく図太く生きていた。  そんなある日、プリムローズは王侯貴族の子女が6~10歳の間に受ける『スキル鑑定の儀』の際、邪悪とされる大罪系スキルの所有者であると判定されてしまう。  プリムローズはその日のうちに、同じ判定を受けた唯一の友人、美少女と見まごうばかりの気弱な第二王子・リトス共々捕えられた挙句、国境近くの山中に捨てられてしまうのだった。  しかし、中身が元ヤンアラサー女の図太い少女は諦めない。  プリムローズは時に気弱な友の手を引き、時に引いたその手を勢い余ってブン回しながらも、邪悪と断じられたスキルを駆使して生き残りを図っていく。  これは、図太くて口の悪い、ちょっと(?)食いしん坊な転生令嬢が、自分なりの幸せを自分の力で掴み取るまでの物語。  こちらの作品は、2023年12月28日から、カクヨム様でも掲載を開始しました。  今後、カクヨム様掲載用にほんのちょっとだけ内容を手直しし、1話ごとの文章量を増やす事でトータルの話数を減らした改訂版を、1日に2回のペースで投稿していく予定です。多量の加筆修正はしておりませんが、もしよろしければ、カクヨム版の方もご笑覧下さい。 ※作者が適当にでっち上げた、完全ご都合主義的世界です。細かいツッコミはご遠慮頂ければ幸いです。もし、目に余るような誤字脱字を発見された際には、コメント欄などで優しく教えてやって下さい。 ※検討の結果、「ざまぁ要素あり」タグを追加しました。

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?

シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。 クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。 貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ? 魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。 ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。 私の生活を邪魔をするなら潰すわよ? 1月5日 誤字脱字修正 54話 ★━戦闘シーンや猟奇的発言あり 流血シーンあり。 魔法・魔物あり。 ざぁま薄め。 恋愛要素あり。

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

【完結】天下無敵の公爵令嬢は、おせっかいが大好きです

ノデミチ
ファンタジー
ある女医が、天寿を全うした。 女神に頼まれ、知識のみ持って転生。公爵令嬢として生を受ける。父は王国元帥、母は元宮廷魔術師。 前世の知識と父譲りの剣技体力、母譲りの魔法魔力。権力もあって、好き勝手生きられるのに、おせっかいが大好き。幼馴染の二人を巻き込んで、突っ走る! そんな変わった公爵令嬢の物語。 アルファポリスOnly 2019/4/21 完結しました。 沢山のお気に入り、本当に感謝します。 7月より連載中に戻し、拾異伝スタートします。 2021年9月。 ファンタジー小説大賞投票御礼として外伝スタート。主要キャラから見たリスティア達を描いてます。 10月、再び完結に戻します。 御声援御愛読ありがとうございました。

異世界に転生した社畜は調合師としてのんびりと生きていく。~ただの生産職だと思っていたら、結構ヤバい職でした~

夢宮
ファンタジー
台風が接近していて避難勧告が出されているにも関わらず出勤させられていた社畜──渡部与一《わたべよいち》。 雨で視界が悪いなか、信号無視をした車との接触事故で命を落としてしまう。 女神に即断即決で異世界転生を決められ、パパっと送り出されてしまうのだが、幸いなことに女神の気遣いによって職業とスキルを手に入れる──生産職の『調合師』という職業とそのスキルを。 異世界に転生してからふたりの少女に助けられ、港町へと向かい、物語は動き始める。 調合師としての立場を知り、それを利用しようとする者に悩まされながらも生きていく。 そんな与一ののんびりしたくてものんびりできない異世界生活が今、始まる。 ※2話から登場人物の描写に入りますので、のんびりと読んでいただけたらなと思います。 ※サブタイトル追加しました。

出来損ないと呼ばれた伯爵令嬢は出来損ないを望む

家具屋ふふみに
ファンタジー
 この世界には魔法が存在する。  そして生まれ持つ適性がある属性しか使えない。  その属性は主に6つ。  火・水・風・土・雷・そして……無。    クーリアは伯爵令嬢として生まれた。  貴族は生まれながらに魔力、そして属性の適性が多いとされている。  そんな中で、クーリアは無属性の適性しかなかった。    無属性しか扱えない者は『白』と呼ばれる。  その呼び名は貴族にとって屈辱でしかない。      だからクーリアは出来損ないと呼ばれた。    そして彼女はその通りの出来損ない……ではなかった。    これは彼女の本気を引き出したい彼女の周りの人達と、絶対に本気を出したくない彼女との攻防を描いた、そんな物語。  そしてクーリアは、自身に隠された秘密を知る……そんなお話。 設定揺らぎまくりで安定しないかもしれませんが、そういうものだと納得してくださいm(_ _)m ※←このマークがある話は大体一人称。

いきなり異世界って理不尽だ!

みーか
ファンタジー
 三田 陽菜25歳。会社に行こうと家を出たら、足元が消えて、気付けば異世界へ。   自称神様の作った機械のシステムエラーで地球には帰れない。地球の物は何でも魔力と交換できるようにしてもらい、異世界で居心地良く暮らしていきます!

幼少期に溜め込んだ魔力で、一生のんびり暮らしたいと思います。~こう見えて、迷宮育ちの村人です~

月並 瑠花
ファンタジー
※ファンタジー大賞に微力ながら参加させていただいております。応援のほど、よろしくお願いします。 「出て行けっ! この家にお前の居場所はない!」――父にそう告げられ、家を追い出された澪は、一人途方に暮れていた。 そんな時、幻聴が頭の中に聞こえてくる。 『秋篠澪。お前は人生をリセットしたいか?』。澪は迷いを一切見せることなく、答えてしまった――「やり直したい」と。 その瞬間、トラックに引かれた澪は異世界へと飛ばされることになった。 スキル『倉庫(アイテムボックス)』を与えられた澪は、一人でのんびり二度目の人生を過ごすことにした。だが転生直後、レイは騎士によって迷宮へ落とされる。 ※2018.10.31 hotランキング一位をいただきました。(11/1と11/2、続けて一位でした。ありがとうございます。) ※2018.11.12 ブクマ3800達成。ありがとうございます。

処理中です...