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第八章 事態は一転、どん底です
2 皇宮へ飛んでいきます
しおりを挟む《皇子がいなくなったのです。突然、魔族に襲われて……っ。あれからなんの消息もっ……ううう~っ》
「ど、どういうことなんスかっ」
《そ、それが──》
遂に皇后陛下がわっと泣き崩れたらしい。今まで必死で我慢されていたんだろう。しばらくつらそうな嗚咽が続いて、まともに話もできなくなってるみたいだ。
俺の焦燥がどんどん加速する。
目の前が暗くなり、頭がぐわんぐわんと音をたてる。
自分の心臓のバクバクが、うるさいぐらい耳に響く。
と、太い男の声があとを引き取った。すぐにわかった。皇帝陛下だ。
《つい先ほど、『新たな魔王』を自称する者から我々に連絡があった。……手下の者らにクリストフを拉致させ、みずからの手元に置いている──と》
(な……っ)
なんだって?
ざあっと全身の血が引いていく感覚。
拉致? 皇子を……?
しかも「新たな魔王」だと?
なんだそれ。
なんだよそれっ! わけわかんねえ!
俺はしばらく、ぱくぱくと無意味に口を動かした。
全部が到底、現実だとは思えなかった。
「い、一体……」
(一体どういうことなんだよっ……!)
呆然としている俺の耳に、陛下の声がつらつらと入ってきている。なのに、それは風みたいに俺の耳を素通りするばかりで、意味はほとんど理解できなかった。
でも、「とにかく内密にすぐ来てほしい」ってことだけはわかった。
どうやらこの事態は、俺に直接関係があることらしい。どういうことなのかはわからないけど。
と、今度は別の声が《魔力の珠》から流れてきた。
《事態はお聞きのとおりです。なるべく早くご用意ください。わたくしが、すぐにも《跳躍》でお迎えにあがります》
「って。え? そ、宗主さま……?」
その落ち着いた聞き覚えのある声を、俺が聞きまちがうはずがなかった。
《はい。一刻を争います。お着替えだけで結構です。さあ急いで、どうか》
「は……はははいっ!」
俺はドスン、バタンとほとんど転げ落ちるみたいにしてベッドからとび出た。
途端、枕元にまるまっていたドットがぴくっと目を覚ます。即座に俺の普通じゃない様子を見てとって「どうしたの?」と目で訊いてきた。
この子はとっても敏感な子だ。当然だった。
(しまった……)
だめだ。落ちつけ。
こういう時ほど落ちつかなきゃなんねえ。剣や魔法の師匠からも、騎士団の隊長からも、いつもそう言われてんじゃんよ、俺!
「平常心は、危急の時のなによりの宝」。いつもいつも言われてたじゃん。
(くっそう!)
ゴチンと一発、自分の頭をグーで殴って頭をふる。
それでようやく、少しだけ頭が冴えた。
……そうだ。落ち着け。
今の俺は、これでも一応帝国の騎士なんだぞ。
危急の事態に、慌てふためいていていいわけがねえ。
落ち着け。ウソでもいいから落ち着くんだ。
騎士は騎士らしく行動しろ。どんなときでも。
何度も何度も言われたじゃねーか!
「きゅる、きゅるるん?」
もう一度「ねえねえ、どうしたの」と言わんばかりにドットがやってきてテーブルに乗り、俺を見上げる。
「うん、ごめんなドット。起こしちまったな。いいからお前は寝てて」
言いながらも忙しく頭を働かせる。
まずこのネグリジェみたいな寝間着すがたじゃマズい。髪の毛だって寝るとき仕様のかわゆい三つ編みだし。時間に余裕がないはずなのに、一応あっちが待ってくれたのは、「騎士として、また公爵令嬢として最低限の身支度をしろ」って意味だろうし。たぶん。
着替えはすぐ隣の衣裳部屋に揃ってる。
いつもならエマちゃんをはじめとした侍女ちゃんやメイドちゃんに着替えさせてもらってるけど──
(エマちゃんだけ起こすか……? いやいや、ダメだ)
皇帝陛下は「なるべく内密に」とおっしゃった。つまりこれはトップシークレットの事態ってことだ。
エマちゃんの口が堅いことはわかってるけど、巻き込むことで迷惑をかけることにもなりかねねえ。下手したら命にだって係わるかも。それだけはダメだ。ここは俺ひとりでどうにかしなきゃ。
というわけで、俺はドットに「静かにしててな」と言い含め、燭台を持ち、足音を忍ばせて部屋の外へ出た。隣の部屋にすべりこみ、ろうそくの明かりだけで服を探す。
そこでなんとかかんとか騎士服を着こみ、鏡を見ながら髪を後ろでくくった。つまりポニーテールだな。このぐらいなら、俺にでもなんとかなる。
それから部屋を見回して、ふと、とあるものに目が留まった。ちょっと考え、それを持って寝室に戻る。
それから愛用の騎士の剣を腰にさげ、大事な《魔力の珠》を手にとった。
「宗主さま。お待たせしました。用意できました」
《わかりました。すぐに参りますので、そこで待機していてください》
声が聞こえた次の瞬間には、目の前に例の「北の精霊王」よろしく、真っ白で神々しい宗主さまの姿がふわりと現れていた。
こんな事態だってのに、やっぱり宗主さまの顔にはなんの動揺も浮かんでいない。いつもどおりの静かな湖面の表情だ。
「さあ、こちらへ。マグニフィーク大尉」
「はいっ」
「忘れ物などはございませんね?」
「あ、はい。たぶん……。あ。それと」
そこで俺は、持ってきていたとある物のことで宗主さまにちょっとしたお願いをした。
宗主さまは特に顔色を変える様子もなく、俺のお願いを聞き届けてくださった。
「では参りますよ」
宗主さまはもう次の術式を展開している。
ぶうん、と例のちょっと不快な感覚が平衡感覚をおかした──と思った瞬間。
「ぴゃぴゃっ!」
背後からぴゅんっとドットが飛んできた。
そのまま術式の内側に突っ込んできて、俺の腰のあたりにしがみつく。
「あ、ドット。ダメじゃん、お前は──」
と言ったけどもう遅かった。
《跳躍》の魔法は発動され、次に目を開いたときには、俺はもう皇宮の奥の宮、皇帝陛下と皇后陛下のお住まいの一室に立っていた。
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