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第五章 事態は急転直下です

7 聖騎士さまにお会いします

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「……さむっっ!」

 まず思ったのはそれだった。
 ぴゅうぴゅう吹き付けてくる寒風に、俺の体は勝手にぶるっと震えてしまった。思わず自分の肩を抱く。冷たい風が、ほとんど頬を刺すみてえだ。

「こちらは帝都と比べるとかなり寒いですね。さ、これを」

 宗主さまはそう言うと、すぐに自分がまとっている白いマントを脱いで俺に着せかけてくれた。
 こういう「女の子扱い」は個人的にはちょいビミョーだけど、今はありがたく受け取っておく。だってさみいもん! 今にも鼻水たれそーだもん!

 北壁は帝国の北限にあり、そこは標高の高い山々がつらなる寒冷地だ。山頂は夏でも雪をかぶっている。冬場、氷と雪に閉ざされるこの険しい大山脈があるからこそ、北からの魔族の侵略を防げているとも言える。いわゆる「自然の要衝」ってやつだな。
 魔族はこの高い山脈を乗り越えてようやく帝国の兵士や魔導士たちの防衛線に到達する。そこを乗り越えるまでに、やつらは魔導士たちによる遠隔攻撃や毒、病気、攻撃力や防御力低下の魔法をかけられてすでにかなり疲弊している。だからこそ、人間側の攻撃も防御も効果的に行えるわけだ。
 ま、ここいらへんは騎士団入団試験の時にあわてて詰め込んだ知識だけどな。シルヴェーヌちゃん自身も、こっち方面のことはそんなに詳しくなかったみてえだし。

 大山脈の山裾にはごつい防壁を建てまわした要塞があり、それ自体が大きな街になっている。壁の内側には兵士たちのための兵舎や食事や酒を出す店、そのほか日用品や装備なんかを売る店やらがうじゃうじゃと身を寄せ合うようにして建っている。
 わざわざ俺に伝えはしないんだろうけど、きっと兵士たちの寂しさをまぎらわせるための「そーゆーお店」も多いんだろうなと思った。
 ちなみに要塞はここだけじゃなく、北壁に沿ってあちこちに点在しているそうだ。ここには中央司令部があるってわけ。

「ともあれ、急ぎましょう。聖騎士どのは司令部内の医療施設におられます」
「はいっ」

 宗主様を見るなり、どこの衛兵もビシッと姿勢を正して最敬礼し、すぐに通してくれた。要するに「顔パス」だ。そりゃそうだよな。
 司令部は要塞の中心部にあり、医療班の施設はそれより少し西へ移動した場所にあった。第八騎士団らしい騎士たちの姿がときどき見えたけど、みんな疲れ切った表情に見えた。
 一応隠そうとしてるんだろうけど隠しきれてねえ感じ。一年ごとにほかの騎士団と交代になるそうだけど、ずいぶんしんどい仕事みたいだ。

 医療施設の建物へ足早に入っていくと、中から青白い顔をした魔導士たちがわらわらと出てきて歓迎してくれた。

「お待ち申し上げておりました、グウェナエル宗主様!」
「ああ、もう間に合わないかと──」
「こちらがあのシルヴェーヌ嬢ですか、なんとお若い……」
「ささ、挨拶はあとで。早くこちらへ」

 みんな、宗主様ほどの豪華さではないけどやっぱり魔導士としての長い衣とフードつきのマントをつけている。そしてみんな疲れ切っている様子だった。血色が悪くて、目の下にひどいクマを作ってる。ろくに食べていなさそうだ。

(こりゃ、思ってた以上にヤバそうだな……)

 「どうぞどうぞ、さあさあ早く」と奥へ通され、俺と宗主はとある部屋に導かれた。

(うっ……)

 入った途端に、ヤバさがさらに強まった。
 色んな薬草や魔法のための触媒の匂いだろうか。薄暗い部屋の中には、なんだか鼻がひん曲がりそうなほどのひどい臭いが立ち込めていた。空気自体がやたらによどんでいる。
 部屋じゅうに、唱えられている謎の呪文がずうっと響いていた。何を言っているのか、俺の耳ではよく聞き取れない。

 大して広くはない部屋だったけど、よく見るとここには魔導士たちがたくさん詰めていた。みんな、なんとなく幽霊みたいな顔だ。部屋の隅で死んだみたいに座りこんで眠っている奴もいる。
 交代で《時遅れの儀》とかいう魔法をかけているって話だったから、疲れきってそのままそこですぐに休んでしまう奴がいるんだろう。

「さ、マグニフィーク少尉。こちらへ」

 宗主が俺の手を引かんばかりにしてベッドのそばへ連れていく。
 その上に寝かされている人をひと目みて、俺は絶句した。

(なっ……なんだよ、これっ……!)

 自分の血の気がひいていくのがわかる。
 だって、あの皇后さまのときの比じゃなかった。
 隆々とした筋肉によろわれたたくましい体。がっしりした顎、太い眉をした男らしい顔つきの人物が、目を閉じて横たわっている。
 でもその皮膚はほとんど土気色……いや、ほとんど紫色に見えた。
 《癒しの手》の持ち主としての視界がそう見せているのかどうかはわからない。でも、とにかくヤバいのだけはすぐにわかった。
 こりゃもう、文字通り「なんとか死なさずに置いといた」ってだけの状態だ。必死で《時遅れの儀》を使ってなければ、もう数秒でこと切れる寸前だったことだろう。宗主が「時間がない」って言ったのは、決して誇張でもなんでもなかったわけだ。

 そして。
 なにより俺が驚いたのは、その体に掛けられた幾重もの暗黒魔法らしきどす黒い影の凄まじさだった。
 皇后陛下のときだってびっくりしたけど、こりゃあそんなもんじゃない。でかくて真っ黒いヘビどもが、聖騎士の体に何重にも巻き付いて締め上げているのが見える。そのぬめぬめと黒く光る鱗の一枚一枚から、黒ずんだ紫色の《呪い》を山ほど放出している。

 それはまさに「瘴気しょうき」だった。
 聖騎士の命を食らおうと、ぴらぴらした長くて真っ赤な舌をのばしたり、鋭い牙をざっくりと彼の体に突き立てたりしている。
 それが聖騎士に残った命の火を今にも消しそうになっているのが、《癒し手》としての俺の目にははっきりと見えた。
 黒い瘴気のヘビたちのせいでよく見えなかったけど、ちらちらと見える赤い光は物理的な傷を意味しているんだろう。どうやら聖騎士は相当な重傷も負っているんだ。

(ひでえ……)

 一体だれがどうやって、これほどの呪いをこの人に掛けたんだろう。
 が、今はそれを考えている暇はなかった。
 俺はグウェナエルのマントを彼に返して、すぐに聖騎士の腕に触れた。

「みんな、ちょっと離れて。すぐに《癒し》を始めます!」

 言われるまま、グウェナエルと他の魔導士たちが距離を置く。それをちゃんと確認してから目を閉じた。神経を集中させる。

 この人は絶対に助けなきゃならない。なにしろ、北壁の守りの最大にして最高の守り手だ。この人をうしなったら、帝国はまちがいなくヤバいことになる。そんなことはわかりきってる。
 北から溢れ出てくる魔族どもが人の世界へどっと侵入してしまったら、なにが起こるかわからない。大多数の魔力を持たない人々は、こいつらにあっという間に殺されるに決まっている。そうなれば、軽く何万人という人が命を喪うことになるんだ。

──だから。

(聖騎士トリスタン。あんたは……あんたこそは、絶対に死なせねえ!)

 俺は意識をさらに集中させ、ねばつく黒い大ヘビどもの駆逐にかかった。

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