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第三章 なにがあっても拒否ります
11 未知の能力の発現です?
しおりを挟む「陛下のお手を……? お前、急になにを言い出すんだ、シルヴェーヌ」
「ご、ごめん。本当になんだか……俺にもよくわかんなくて。でも──」
でも、俺はいまそうしなきゃいけないんだ。
そんな気がしてならない。心臓が痛いぐらいにバクバク音を立てている。
「早くしろ、そうしろ」と急き立ててくるみたいに。
「お願いです、陛下。本当に、ほんのちょっとでいいんです……」
俺は必死でテーブルの向こうにいる人を見つめて言った。
隣にいるクリストフ殿下はまだ驚いた顔をしていながらも、自分の母親と俺の顔をしばらく見比べるようにしていた。
でも、遂に言った。
「……母上。彼女がここまで言っているのです。彼女なら、決して妙なことはしないでしょう。そのように確信します。私は彼女を信頼しておりますゆえ。この私自身が保証します……ですから、どうか──」
その声が微妙に震え、瞳の奥に何かの光がきらりと光った。それに気づいたのは、たぶん俺だけだろう。
皇子がいま何を考えているのか、何を期待しているのか。
俺には本能的にわかっていたかもしれない。
でもそのときは、あれこれと冷静に考えることは難しかった。
《早くして。お願い、はやく!》
誰かが頭の中で叫んでいる。
《間に合わなくなってしまうわ。この機会を逃したら、次はいつになることか》
《そうしたら、陛下はもう──お願いよ、ケントさん》
《急いで、お願い……!》
それはか弱い女の子の声みたいだった。そして必死の声だった。
どうしてその子に俺の名前がわかっているのか。
いったい陛下になにがあるのか。
なんにも分からない。ただ胸が熱くて頭が痛くて──。
俺はその声に急き立てられるようにして、ただただ「お願いです」「ほんのちょっとでいいんです」と懇願するしかできなかった。
それはほとんど哀願に近かった。
胸の底から湧き出てくる、必死の本能的な叫びだった。
「……わかりました。それでは、ほんの少しだけ」
遂に陛下が、低い声でそっと言った。まだ不安は隠せない声ではあったけど、クリストフ殿下への信頼がそれを凌駕している感じだ。
殿下はすかさず言った。
「では、こちらへ。シルヴェーヌ嬢」
そのままさっと立ち上がり、俺の手を取る。ベル兄はぽかんとした顔で見上げただけだ。殿下はそのまま、俺を陛下の席の脇へつれていった。
俺の足はまるで自分のものじゃないみたいに震えていて、殿下に手を引かれていなかったらその場にしゃがみこんでしまいそうだった。
なんだ?
なんだこれ。なんだか自分の体じゃねえみてえ。
……って、もともと俺の体じゃないんだった。
俺はそのまま、陛下の椅子のそばに膝をついた。陛下がおずおずと手を差し出している。俺はなにかに引き込まれるようにしてその手を取った。
──その瞬間だった。
(うわっ……!)
俺の体の中で、なにかものすごく熱いものがぎゅっと集まって火の玉みたいになり、ぶわっとふくらんで光を放った。
と思った次の瞬間、すさまじい勢いで俺の体から飛び出すと、陛下の体の中へ突っ込んでいった。
(なんだ……? なんだこれ!)
それと同時に、俺の感覚にも変化が起こった。
周囲の景色がぼんやりとかすみ、急激に音が遠くなっていく。その代わりに、いやに視力だけが上がったような感じがあった。
視力だけに特化して研ぎ澄まされた奇妙な感覚。
目の精度だけが恐ろしいほどに研ぎ澄まされ、鋭敏になっている。
と、陛下の体に異変が起こった。
というか、それはずっと前からそこにあったものだった。それが今、俺の目にも見えるようになっただけだ。
(あれ、なんだ……?)
陛下の体には、なにか不気味なものがまとわりついていた。
それは真っ黒でねばねばしていて、まるで瀝青みたいに陛下の体にびっしりと巻き付いている。そいつの影響で、どす黒いしみみたいなものが陛下の体じゅうを覆っている。
そいつは陛下の体じゅうにへばりつき、あちこちでずるずる、どろどろと蠢いていた。めちゃくちゃ気色悪い。
そこから感じるのは、とてつもない《悪意》だった。
そいつらは明らかに、陛下の《生きる力》みたいなものをちゅうちゅう吸い取っていやがったから。
(てめ、このやろ……!)
俺の胸の中に、火花みたいに燃え上がるものがある。
──怒り。
そうだ。それは怒りだった。義憤といってもいいかもしれない。
それが再びまぶしいほどの光を発してぐっと力を増し、陛下の体に向かって突進する。真っ白なヘビみたいになった光の帯がくわっと口を開き、陛下の体にまつわりついた染みやねばねばを次々に食らいはじめた。
光が襲い掛かると、黒いねばねばは急に粘度を失った。まるで砂鉄のような粉状になり、磁石で散るみたいにしてあっというまに霧散していく。
光の攻撃は、黒いねばねばどもが全部きれいに消えさるまで続いた。
《ああ。よかった……》
《間にあったわ、ケントさん。きっとこれで大丈夫》
《ほんとうにありがとう……》
いかにも安堵したような、優しそうな女の子の声。
それが俺の脳のずっと奥の方で響いた。
と思ったら、いきなりそれは終わった。
はじまったのと同じぐらいに唐突に。
「シルヴェーヌ嬢……シルヴェーヌ嬢? 大丈夫ですか」
「お嬢様! お嬢様っ……!」
心配そうな皇子の声が遠くから聞こえる。もうひとつはたぶんエマちゃん。エマちゃんはもう泣き声だ。
(ああ、泣かないでよ……エマちゃん)
俺は心配させまいと、なんとかかんとかうなずいたような気がした。けど、意識がもったのはそこまでだった。
さっきまであんなに明らかだった視界があっという間に真っ暗な淵にしずんでいく。
どこまでも、どこまでも。真っ逆さまに。
「シルヴェーヌ……!」
最後に聞こえたのは、皇子の悲痛な叫びだった。
俺の意識はふつりと途切れた。
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