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つづれ しういち

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第六章 茫漠

9 邪道剣

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 山のに、巨大な「兄星」がぼかりと浮かぶ。
 明るい色と星々をばらまくように散らした夜空が、二人の剣士を見下ろしている。

 その後、むくれてしまった内藤を何とかなだめすかして、サーティークと佐竹はあらためてその場で真剣勝負を行なうことになった。
 内藤が一人でいったん宿所に戻り、仕合いの立会い人になってもらうべくマグナウト翁を起こしに行った。
 彼が戻ってくるまでの十数分の間、二人はそこで少し昔の話をしていた。

 佐竹は、かつての宗之の話を。
 そしてサーティークは、母とレオノーラにまつわる一連の事件の話を。
 二人は互いに、互いの話を黙って聞いた。
 レオノーラとその腹の子の顛末は、佐竹にとっても相当衝撃的なものだった。だがサーティークは淡々と、感情を交えずに事実を簡潔に説明しただけだった。


「しかし、ここまで似ているとなると――」
 やがてサーティークがまじまじと佐竹の顔を見て苦笑した。
「そなたの母君のお顔も、もしや俺の母と似ているということなのだろうか?」
「さあ、それは――」

 言いかけて、ふとある物の存在を思い出した。
 《黒き鎧》の《門》をくぐってこちらへ来る前に、懐に入れてきたものである。

「何だ? それは」

 佐竹が懐から取り出したものを見つめて、サーティークが不思議そうに言った。
 ずっと電源を落としていたので、充電は切れていないはずである。少し写真を見るぐらいのことなら、まだ使えるかもしれない。

「『スマートフォン』という物ですが……。まあ《鎧》の通信機能に近いものを、この大きさに集約したもの、とでも言いましょうか」

 あれこれと細かい説明をするのも面倒なので、ひとまず電源を入れてみる。「百聞は一見に如かず」だ。幸いまだ使えそうだった。
 たしか機種変更をした際に、馨子かおるこが無理やり自撮りして保存した画像がどこかにあるはずだ。あの時は「あきちゃんがいつでもお母様といっしょにいられるようにね!」と、鼻息も荒く大威張りで豪語していたものだったが。
 画面の上で指を滑らせながら、知らず佐竹は半眼になっていた。

(まさか、こんな所で役に立とうとはな)

 サーティークは佐竹の手元を覗きこんで面白そうな顔をしている。

「ほほう。これはまた、素晴らしい技術のようだな」
「……ああ、これです」

 求める画像を見つけて、佐竹はスマホをサーティークに差し出した。
 それは佐竹の母、馨子が、例によって高そうなスーツを身にまとい、リビングでなぜか仁王立ちになっている写真だった。両腕を組み、これ以上ないほどのでピースサインをしている。
 なぜあの母はこんな色気や母性のかけらもない写真をおのが息子に持っておかせたがるのか。佐竹には皆目かいもくわからない。
 いや、もちろんそのようなものを醸し出された写真なら、自分は即座に消去しただろうことも間違いないが。
 仕方がないのでそのまま見せてはいるものの、佐竹はただひたすらに羞恥しか覚えなかった。やむを得ず、片手で顔を覆っている。

「なんと申しましょうか……。お恥ずかしき限りです」

 あとはもう仏頂面になるしかない。
 一方のサーティークはというと、食い入るように画面を見つめている。
 その顔を見るだけで、佐竹には大体答えがわかった。

(……なるほど)

 髪や目の色こそ違うらしいが、やはりそれは王太后ヴィルヘルミーネその人の容貌と瓜二つであるようだ。
 と、じっと画像を見つめていたサーティークがふと佐竹を見上げた。
 至近距離で目と目が合う。
 見れば見るほど自分と姿のよく似た王だ。佐竹はときどき、鏡を見ているような錯覚にとらわれるほどである。
 王は静かな声で言った。

「アキユキ」
「はい」
「明日の《儀式》の件だが。ひとつ、言っておくことがある」
「何でしょうか」

 サーティークは少し言葉を切り、眉間に皺を刻んで、真っすぐに佐竹の瞳を見返した。

「《儀式》中、意識は決して手放すな」
 佐竹は黙したまま、冴えざえとした王の黒い瞳を見返した。
「それはそのまま、そなたの死を意味するだろう――」

 しばしの沈黙が場を支配した。
 やがて佐竹は王にひとつうなずき返した。

「了解しました」

 王も黙ったままだった。
 そうしてひとつ、佐竹にうなずき返しただけだった。





「あっ、それスマホ!? 懐かしい~!」

 マグナウトを伴って戻ってきた内藤は、サーティークが手にしたものを見て開口一番そう言った。
 そして馨子の画像を見るなり言った。

「うあ、これ佐竹のお母さん!? やばっ! まるっきり、想像してた通りだよ~!」

(……どういう意味だ)

 冷たい佐竹の視線を受けて、内藤はすぐに焦ったようにわたわたとフォローした。

「え? えへへっ、違うよ? きっとすげえ美人だろうな~って。んでもって、見るからに『デキる女!』って感じだろうな~って思ってただけだって。ほんと!」
「おい──」

 不審げな目になった佐竹のことはそっちのけで、彼はもうマグナウト翁やサーティークとともに勝手に写真を撮ろうとしはじめている。
 パシャ、と軽い音がする。撮れた画像を見なおして、老人と青年王が驚きの声をあげた。

「なるほど、面白いものだな」
「いかにも、左様にござりまするなあ――」

(……いい加減にしろ)

 なんなのだ、この緊張感のなさは。
 これからサーティークと真剣勝負をしようかという、その時に。
 だがよくよく観察してみると、内藤はあえてそういう空気を作っている風にも見えた。彼にとってはこんなふうにへらへらしてでもいなければ、次々と襲ってくる不安や恐れとつきあいきれないのかも知れない。

(まあ……よしとするか)

 そんな風に思い直して、佐竹は彼らが自分もまじえてあと数枚の写真を撮るのにも、渋々付き合ってやることにした。





「それでは双方、ご準備はよろしいですかな」

 夜の空き地に少し離れて向き合う二人の青年の間で、小柄な老人が声を掛けた。
 松明は今、二人の間、ちょうど老人の真向かいにある。

 当初は「文官の自分ごときが」と固辞する様子だったマグナウト翁だったが、現時点でほかに適当な立会い者はいない。王から何度も強く請われるに及んで、ようよう承諾してくれたのである。
 佐竹にはそのあたりの事情はよく分からなかったが、どうやらこのご老人、文官ではありながらもたいした胆力の人物であるらしい。小柄で飄々とした風情も、寡欲にしてなにかを達観したような佇まいも、確かに一見して一廉ひとかどの御仁だとは思ったのだが。

 内藤は前回と同様、空き地の外から二人の様子を見つめている。
 まだ少し心配げな瞳ではあったが、それでももうこの勝負に口を挟むことはなかった。これがこの世界で最後の勝負になるのなら、それは悔いのないようにやったほうがいい。彼は彼なりに、そう考えてくれたのかもしれなかった。

 佐竹は作法どおり、まずは場の隅で蹲踞そんきょした姿勢から立ち上がり、少し前に出て一礼した。愛刀「氷壺」はすでに鞘を払ってある。サーティークも同様にして、すでに抜き身の状態の「ほむら」を手に、場の中央へと進み出た。
 佐竹はいつもの下段の構え、サーティークは特に構えらしい構えはないのか、ただ「その場に何の気なしに立っている」といった風情で、片手に「焔」を持ったままである。その刀身が、松明の明かりをきらきらと照り映えさせている。
 マグナウトは静かな瞳で二人を交互に見やると、仕合いの開始を宣言した。

「それでは、始め」

 その声が掛かっても、二人はやはり動かなかった。あのゾディアスとの立会いと同様だ。
 というよりも、佐竹に関しては動く取っ掛かりが何もなかった。
 動きたくとも、動けないのだ。いきなり打ち込んで行ったところで、目の前の青年王から即座に必殺の返戻へんれいがあるばかりだろう。そして仕合いもそこで終わりだ。
 今回ばかりは、まさかあの「冬至の日」のような無様な立会いで相手をするわけにはいかない。
 それにしても。

(……恐ろしいな、この男)

 わかりきっていたことだったが、あらためて佐竹は思った。
 声が掛かる前となんら変わらぬ、なにげない立ち方でありながら、かの男の纏う気には針の先ほどの隙もない。うっすらと口許に笑みすら湛えていながらも、その裏に隠された覇気たるや、凄まじい圧力だ。

 それでいて、サーティークはひどくたのしげだった。
 先ほどスマートフォンで遊んでいた時と、そのはほとんど変わらない。
 ただ殺すため、身を護るための剣でない、その一事が、この男には単純に嬉しいのかも知れなかった。
 逆にそういう修羅を知らない佐竹にとって、相手の余裕のどこかになんとかつけ入る隙を見つけてみたいところではある。
 とはいえ、焦りは禁物だ。

 佐竹の気持ちは、凪いでいる。
 常に変わらず、ただ静かだった。
 呼吸を整え、ひたすらに自分の「機」を待つ。

 さらさらと、こずえに残った枯れ葉が風にあおられて音をたてた。

 ――と。

「いつまでこうしているつもりだ? アキユキ」

 さも楽しげ声でそう言って、青年王がにやりと口角を上げた。

「そちらが来られんなら、こちらからくとしようか?」

 と、言った刹那。

(……!)

 もう、目の前に彼の顔があった。
 ほとんど本能的に佐竹は跳び退すさった。しかし、ぴう、とサーティークの「焔」が風鳴りをたて、顔のすぐそばに一瞬の真空をつくりだした。
 下から上へと斬り上げられた「焔」によって、佐竹の短い髪がぱっと空に散る。

「ひ……!」

 内藤が声にならない声をたてて口をおさえた。
 サーティークはそのまま凄まじい速さで縦横無尽に剣を振りぬきはじめた。なんとかその速さについていけてはいるものの、ほとんど守勢一方となる。
 きぃん、かかっと剣戟音が響くたび、仄暗い空間に、時折りぴしりと火花が散った。
 と、たん、と音がしたと思った途端、目の前からサーティークの姿が消えた。

(跳躍──)

 と、考える暇もなかった。
 ましらのごとき身の軽さで佐竹を跳びこえ、そう思った時にはもう、王は背後に下り立って次の斬戟を放っている。
 うしろから袈裟に切り下ろすところを気の流れだけで読みきって、ふり向きざまに辛うじて止めしのいだ。

「……ほほう」

 王の口から愉しげな声が零れ出る。
 そのままぎぎっとやいばを軋らせて、力押しの鍔迫つばぜり合いになった。
 それでも、サーティークの唇から、笑みが消えることはない。

「なるほど……確かに少しは」

 「相手になるようになったな」と言いたいらしかったが、佐竹もそこまでは言わせなかった。
 渾身の力で刀ごと相手を押し戻し、跳び退すさってふたたび打ち込む。真横に一閃させた「氷壺」を、サーティークは柔軟な体で沈み込んで難なくかわした。そのまま足を払われるところを、佐竹の方でも跳躍によって躱しきる。
 数合すうごう切り結んでは跳び退り、間髪いれずにふたたびやいばをあわせる。
 そして時には肘や足を使ってでも、相手の動きを封じ、また牽制した。

 こうした動きそのものは、剣道の正道からは当然、大きく外れるものである。
 だけれども、彼と渡り合うためにこの数ヶ月、あのゾディアスやディフリードから叩き込まれたごく実戦的な技だった。この際サーティークと互角になるためならなんでもしようと、佐竹自身そう覚悟した故の結論でもあった。

 それを「けがれた剣」となじる向きがあることは重々承知だ。
 しかしそれを排して、目の前の修羅の剣士に通用するかと言われれば、それは甚だ疑問だった。

 だから、佐竹は敢えてこの道をとった。
 「穢れ」だろうが「汚れ」だろうが、目的のため、生き残るためならばそうするほかは無いこともある。
 目の前のこの剣士とて、そのためにこそ身につけてきた、それこそ血塗ちまみれ、泥塗れの剣技であるはずだ。

 それを自分がわらえるか?

 ……否だ。

 このさき元通り、父の愛した清い剣の道に戻れるかどうかはわからぬ。わからぬが、今の自分にできることは、ただこれのみだ。
 そして一度ひとたびそうと決めたなら、それをただ、まっすぐに極めるほかはない――。

 ……そうした思いも、やがてすべてが無になってゆく。
 王と打ち合わせる剣、その剣筋、相手の息遣いだけを感じて、もはやほかの何ものも目にも耳にも入らなくなる。

 やがて二人がひとつの生き物ででもあるかのようにして、
 佐竹はかの王とともに無心に、ただ無心に剣を振り続けた。


「……それまで」

 マグナウト翁が静かな声でそう言ったとき、「焔」は佐竹の首筋一センチ横、「氷壺」は王の長い黒髪の横一センチのところで、ともにぴたりと止まっていた。
 が、はらり、とその髪がふた筋ばかり地面に落ちて、佐竹はすぐに剣を引いた。
 即座に礼をする。

「参りました」

 素直に言った。
 サーティークも姿勢を正し、美しい一礼を返す。王はなにか今までにないような、晴れやかな笑顔で佐竹を見た。

「……いや。見事なものだった」

 見れば呼吸のひとつも乱れていない。まだまだ余裕があるのは明らかだった。
 二人はいったん離れて互いに礼をし、愛刀を鞘に戻して空き地を出た。
 そばで見ていた内藤はそこでやっと、ほうっと息を吐いたようだった。

「あ、ああ……なんか、足が動かない……」
 またもや半分泣きそうな、情けない声を出している。その言葉通りひょこひょこと変な歩き方をしていた。
「心臓がまだ、ばくばく言ってるよ~……」
 言って胸をおさえるようにしている。
「大丈夫か、内藤」

 声をかけて肩を貸す。内藤はまだ少し顔色も悪いようだ。やはり随分と心配をしてくれていたらしい。彼にしてみれば、二人が振るう剣筋のほとんどが見えてすらいない状況だったのだろう。

「ほっほ。相変わらずでござりまするなあ、ユウヤ殿は……」

 マグナウト翁がとことこと内藤の隣にやってきて、暢気な笑顔で言った。
 佐竹は隣を歩くサーティークの方をふと見やった。

「おぐし、申し訳もなきことにございました。まことに不調法ぶちょうほうの限りにございます」
 内藤の腕を肩に回したままで頭を下げる。サーティークは軽く笑った。
「なんの。いい加減、切ろうかと思っていたところだしな」
「えっ、そうなんですか?」
 なぜか内藤が真っ先にその言葉にひっかかった。
「長いと色々と面倒だしな。アキユキ殿のような短髪もよいかと思っている。なかなか似合っておられるし――」

 言いながら、サーティークは額のところからぐいと髪をかき上げるようにした。
 さすが大人の男なだけに、そういう仕草には色気がある。

「えーっ! もったいない! 陛下はその方がいいですよ!」
 いきなり大声を出した内藤を見て、あとの三人はふつりと黙った。
「だって絶対、そっちの方がかっ……」
 言いかけて、ふと黙る。
 そうして自分に肩を貸している強面こわもての友人のほうを恐るおそる見た。
「…………」
 しばしの沈黙。

「『そっちの方が』の続きは何だ? きちんとお伺いしたいものだな、『ユウヤ殿』――?」

 佐竹の声は地を這っている。
 さらにぎろりと、殺気をめて横目で睨んだ。

「え……、ええ~~っと? 俺、今そんなこと言ったっけ……?」

 必死にごまかそうとするその顔が、すでに冷や汗でびっしょりだ。
 目も完全に泳いでいる。

(……こいつ)

「ふっははは!」
 さらに剣呑になった佐竹の目を見て、サーティークがまた吹きだした。
「そなたら、まこと面白いな」
「ほんに、ほんに……」

 かかか、と愉しげな黒の王と老人の笑声が、明るい夜空の下に響いた。
 
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