白き鎧 黒き鎧

つづれ しういち

文字の大きさ
上 下
112 / 131
第五章 流転

7 謝罪

しおりを挟む

 第二回の二国間交渉は、予定通り、前回から十五日後に行なわれることになった。

 佐竹たち「対ノエリオール交渉班」は、前回同様、その四日前からミード村へ向けて出立し、予定通り約束の刻限までには<白き鎧>の中で準備を完了している。今回も、こちらは佐竹、ディフリードと宰相ドメニコスの三名が担当することになっていた。
 <鎧>の外は、総勢五十名ほどが守っている。前回よりも随分と守備の兵士を減らしたのだ。隊長はゾディアス、そして副隊長を千騎長ダイスが務めている。今回はあの佐竹の元同僚である下級武官、ユージェスも参加していた。
 例によって、ヨシュアは<鎧>の扉を開くとすぐに、他の兵らと共に森の中へ入って身を隠している。

 やがて約束の刻限が来た。
 <白き鎧>の制御装置の画面が再びぼうっと明るくなる。前回同様、まずは内藤の顔が浮かび上がった。
 彼の両隣に、前回と同じ面々、つまり宮宰マグナウト翁と、天将ヴァイハルトの姿が映し出される。前回の会談で懲りたのか、マグナウトも今回はこちらのドメニコス同様、制御室に椅子を持ち込んでいる。
 今回の議題の大きな部分は、国王サーティークによる謝罪の件と、白と黒の両<鎧>を今後どうしてゆくかだ。最初の挨拶が済むとすぐ、話し合いは始められた。

『陛下からそちらへの謝罪については、すでにご本人から了承を得ています。方法や場所等について、なにかご希望はありますか……?』
 内藤が、また手許の書類と首っ引きで訥々とつとつと話をしている。
「まずは、ヨシュア陛下に対してなさるのが筋であろうな」
 宰相ドメニコスが重々しい声でそう言ったが、すぐに隣のディフリードが「とは申しましても」と口を挟んだ。
「飽くまでも、公的な謝罪という位置づけですから。正式な文書によるものも必要でしょう」
 画面の向こうで、内藤がちょっと困った顔になっている。
『え~と……。文書は、もちろん準備するつもりです。それと、こちらの陛下と、そちらのヨシュア様が直接お会いになる……ということでも、こちらは構わないのですが――』
「いやいやいや! それは無理というものでござりましょう……!」

 ドメニコスが慌てて手を振る。この国では、まだまだ「狂王サーティーク」に対する底知れぬ恐怖は健在だ。まったく払拭されていない。万が一にも至近距離から襲い掛かられたなら、あのヨシュアにそれを防ぐ手立てはないのだ。たとえサーティークが丸腰だったとしてもである。

『そう、ですか……。ではこの<鎧>の画面を介して陛下がヨシュア公に謝罪、及び正式な文書の送付、ということで、ひとまずよろしいでしょうか?』
 内藤にしては、一生懸命に敬語など使いながら尋ねてくる。佐竹は両隣の二人と相談の上、画面に向かって首肯した。
「了解しました。こちらはそれで構いません」
『あ、あのう……』
 内藤が目を上げて、ちょっと言いにくそうに口を開いた。
「なんでしょうか」

 佐竹が尋ね返す。内藤はやはり言いづらそうにぼそぼそ言った。

『実はえっと……、直接の謝罪について、陛下は今日、いますぐでも構わないっておっしゃってて……。扉のすぐ外で待ってるんですけど』
「な、なんと……!」
 驚いて、思わずドメニコスが椅子を蹴って立ち上がった。
『あ、それと佐竹にも、個人的にちょっと大事な話がしたいそうで――』
「そ、そそ、そのようなこと……!」

 老人はもはや、恐ろしさのあまりに全身をがたがたと震わせている。ドメニコスはもうすでに脳裏に、あの恐ろしい<暗黒門>が開いて、鬼の形相のサーティークが飛び出してくるところをありありと思い描いている様子だった。
 画面の向こうの老マグナウトが、それを目にして少し困ったような笑みを作った。

『あ、いや……。もちろん、無理にとは言いませんので……』内藤が申し訳なさそうに頭を搔いた。『佐竹と話すのも、ひととおり話し合いが終わってから、ということで構いませんし』

 佐竹としては、それは是非ともお願いしたいところだった。しかし、横にいるドメニコスが否やと言う限りは無理な話だろう。
 と、ディフリードが柔らかな物腰で長い銀髪を払って言った。

「そのぐらいなら、構わないんじゃないのかな? こちらはサタケともう一人、そちらもサーティーク公ともう一人……そうですね、ナイトウ殿ということで。時間が許すようなら最後に会談して頂けば。いまこの場での謝罪の件については、陛下のご意向もありますゆえ、しばしお返事はお待ちいただくとして」
「い、いや、しかし――」
 ドメニコスの顔は、恐怖にひきつったままである。
『まあ、しばらく時間もあることですし。会談中にドメニコス閣下には、ご一考いただければよろしかろう?』
 画面の向こうでヴァイハルトが、非の打ち所のない爽やかな笑顔を湛えてそう言った。


 そんなこんなで、すぐさま話は次の話題に移行した。
 <鎧>の今後の扱いについてである。

『こちらの希望としましては、最終的に<白き鎧><黒き鎧>とも破壊、または機能の完全停止を望んでおります。えっと、その……できれば、佐竹が元の世界に戻れてから、と思っておりますが……』

 最後のほうが、しおしおと自信のなさげな声音になる。内藤がちらりとこちらを窺ったようだった。もちろん、佐竹は眉をしかめている。

「ちょっと待て。この間もそんな事を言ってたが、貴様――」

 佐竹を元の世界に返す話はしても、内藤は自分のことには言及しない。どうしてもそのことが気になったのだ。

『ああ、ええっと……ごめんね? アキユキ殿』話に割って入ったのは、やはりノエリオールの竜将、ヴァイハルトだった。『その話も、良かったらこちらの陛下との、非公式の話の時でいいだろうか? 飽くまでも個人的な話だしね』
『左様ですな』
 隣に立つ小柄な老人、マグナウトも頷いている。
『まずは国同士、<鎧>を今後いかにするかの話をいたしましょうぞ、アキユキ殿。貴殿がそちらを気にされるのはようわかるが――』
 なだめるような声で言われて、佐竹はすぐに頷き返した。
「……失礼いたしました」
 素直に謝罪し、「交渉役」としての立場に戻る。
「そちらの要望は、<鎧>の破壊、または機能の停止、でよろしいですね。こちらとしても、それに異存はありません。ただ問題は、その確認を互いにどうやって行なうかです」
 佐竹が元の言葉遣いに戻ったのを聞いて、安心したように内藤がまた話を始めた。
『もちろん、そうだと思います。これはひとつの案ですが、お互いに、確実に<鎧>の破壊、あるいは機能の停止が完了したかどうかを検分する検分役を向かわせる、というのはいかがでしょうか』
「なるほど。しかし、その検分役そのものは、どのように故国に戻せばいいものか――」

 <鎧>が使えなくなった後では、誰かを相手国に向かわせても、すぐに連絡を取り合う方法も、帰還させる術もなくなってしまうのだ。
 両国の交渉役は、全員が一様に考え込んでしまう。
 丸々五分間ばかり、沈黙が場を支配した。
 と、ヴァイハルトがぽつりと独り言を洩らしたのが聞こえた。

『ああ、やはり……あいつをここへ呼んだほうが、ずっと話が早い気がするがなあ……』

 さも面倒くさげな声だ。「あいつ」というのは、どうやらサーティーク本人のことらしい。よほど気心の知れた間柄であることが窺われる。
 それにどうやらあちらの国では、<鎧>のスペシャリストは国王本人であるようだ。

「了解しました。ではそのあたりの技術的なことも、後ほどサーティーク公と話し合うと致しましょう」

 佐竹はあっさりそう言い、一旦会談を中断することにした。
 休憩時間をはさみ、その間に、直接の謝罪の件について、こちらはヨシュアに、あちらはサーティークに話をしに、それぞれの将軍が戻ることになる。
 エネルギーの節約のため、<黒き鎧>は一旦通信を切った。
 消えてゆくパネルの映像の中では、内藤が少し申し訳なさそうな表情のまま、じっと佐竹を見つめていた。





 <鎧>から歩いて十分ばかり離れた木々の間に身を潜めていたヨシュアは、ディフリードの話を聞いて、二つ返事で<鎧>に入ることを了承した。ヨシュアとしても、一度は自分の兄の命を奪った相手の顔をきちんと見ておきたい気持ちもあったことだろう。そしてもちろん、直接の謝罪の言葉も聞きたかったのだと思われる。
 一方、ヨシュアを守るためについてきていた五十名の兵らは、サーティークがあちらの<鎧>に姿を見せるらしいと聞いて一気に緊張したようだった。隊長であるゾディアスと副隊長のダイスはごく泰然としたものだったが、二人の瞳の奥にぎらりと光るものがあったのを、伝言のため<鎧>の外に出てきたディフリードだけは見逃さなかった。

「陛下。まことに、サーティーク王とお話しされてもよろしいのでございますね?」

 ディフリードがいつもと変わらぬ柔らかな声音で確認すると、ヨシュアは頬に緊張の色を滲ませつつも、「ああ」としっかり頷き返した。今日のヨシュアは襟元の詰まった準礼装に、白いマント姿である。

「どちらにしても、いずれは話をせねばならない相手なのだ。それが今でも、先でも変わらぬよ――」
 ディフリードは微笑んだまま、黙って少年王に頷き返した。そうして今度はゾディアスのほうへと歩み寄った。
「会談後、サタケがサーティーク王と個人的に話をすることになりそうだ。立会人はそれぞれ一人ずつとなった。お前、入ってやるがいい」
「……はあ?」

 ゾディアスは太い首をかしげて、ちょっと変な顔をした。
 その流れなら、その役割は本来、ディフリードかドメニコスが担うべきものだ。
 が、美貌の将軍は、ふ、と軽く吐息で笑った。ゾディアスの考えなどお見通しらしい。

「ドメニコス殿には到底無理だ。会談中に、あのご老体で失神でもされては面倒だろう? それに――」
 そのまま意味ありげな視線を巨躯の悪友に向ける。
「ここは、お前が適任だ。任せるよ、ゾディアス竜騎長どの?」
「…………」

 あまりよく意味は分からずとも、ゾディアスもこの悪友がこうまで言う以上は、それなりの理由があることだけは理解しているようだった。「しょうがねえな」とひと言いっただけで、ダイスに向かって「あとは頼まあ」と片目をつぶる。
 そうしてまた例によって「気色悪きしょくわりいわ!」と、背中に蹴りを入れられていた。


 半刻後。
 再び<黒き鎧>からの通信が入って、<白き鎧>の制御盤コンソール・パネルに光が戻った。
 最初、パネルの前には先ほどと同じ面々が待機していた。だが今回は、向こうからは見えない通路の方に、ヨシュアとゾディアスが立っている。ゾディアスはもちろん、その巨躯で少年王を守るように、制御室側に立っていた。
 この形なら、もしひとたび何かが起こっても、ヨシュアはすぐにも後ろを振り向いて<鎧>の外に逃げ出せる。そのための配慮だった。もちろん扉の外でも、ダイス率いる守備兵らが得物を構えて居並んでいる。
 こちら側はそうした風で、いかにも物々しい雰囲気が満ちていたけれども、制御盤兼通信画面に浮かびあがった内藤らの顔は、相変わらずののんびりしたものだった。

 佐竹はふと、安堵する自分を意識した。
 あの内藤が、サーティークの悪巧みを知っていて、これほど暢気のんきな顔をしていられるはずがない。まあ、彼にだけ事実を知らされていないという可能性もなきにしもあらずだが。
 とはいえ、どうも彼の周囲のヴァイハルト将軍やマグナウト翁の様子を見るに、本当に内藤はあちらの国で信用され、愛されてすらいるらしいのが伝わってくるのだ。だから恐らく、そんな心配は要るまいと思われた。
 佐竹がそんな事を考えるうちにも、内藤が先ほど同様、またつっかえながら話を始めている。

『あ、えーと……。すみません、実は陛下が今からでも謝罪をしたいということで、もう部屋の外で待ってるんですけど……。そちらのヨシュア公はいかがでしょうか?』
「な……なな、なんとっ……!」

 いきなりそんな話になって、こちらの宰相ドメニコスは倒れんばかりに驚いた。
 老人が泡を吹きそうな顔になっている間にも、画面の中に黒ずくめで黒髪、長髪の青年がずいと入ってきたのが見えた。

「お……、おおお……!」

 ドメニコスが目を剝く。
 佐竹と瓜二つの相貌をしたその男は、軽い足取りで内藤の隣にやってくると、彼の肩に無造作に手を置いてこちらを見やった。そのいかにも親しげな様子に、なぜか佐竹はちりっと胸内に不快なものを覚える。
 南の黒の王サーティークは、黒マントに黒鎧という服装こそ前回と同じだったが、あの「冬至の日」に目にした時とは随分雰囲気が違うように思われた。何より、黙って内藤と目を見交わしている、その様子からして非常に落ち着いたものだ。いやむしろ、ひどく優しげですらある。

『初めてお目にかかるわけではないが。ノエリオール王、サーティークだ。……そちらの、ヨシュア王はおられるのかな?』

 画面から流れ出てきた低い声音も、ごく静かで落ち着いていた。それさえ、皮肉なほどに佐竹とそっくりだった。
 佐竹もさすがに少し気を呑まれたようになった。が、すぐにいらえを返した。

「その前に。失礼ではありますが、武器などお持ちでないことを確認させていただきたく――」
『ああ、申し訳ない』

 サーティークはちょっと肩を竦めてあっさりそう言うと、纏っている黒マントを持ち上げて、自分の腰周りをこちらに見せた。明らかに佩刀はいとうはしていない。隣のヴァイハルトとマグナウトも同様にして見せて、やっとドメニコスは安心したらしかった。

「では……お呼びしても?」

 佐竹がそう尋ねると、それでも相当緊張した面持ちで、ドメニコスが重々しく頷いた。それを受けてディフリードが目配せをし、通路側のゾディアスが頷く。その背後から、そっと少年王が現れた。
 ヨシュアも非常に緊張しているらしい。若々しい顔がほとんど蒼白に見える。少年王はかちんこちんに固まった体でぎくしゃくとこちらへ歩いてくると、そっと佐竹の顔を見上げた。

「……どうぞ」

 佐竹は自分のいた場所を空け、代わりにヨシュアをそこに立たせた。
 恐るおそる画面に目をやったヨシュアは、初めて目にするサーティークにももちろん驚いたようだった。だが何より、その隣にいる兄とそっくりの青年に視線を吸い寄せられたようだった。

「あにう……あ、いや……、ナイトウ、殿……?」

 思わずこぼれたその言葉に、画面の向こうの内藤がはっとした顔になった。
 サーティークがそれに気づき、先に内藤を画面の中央に押しやった。

『ヨ……ヨシュア。げ、元気……?』

 少し恥ずかしそうに、そして困ったように内藤が訊く。ヨシュアの顔がくしゃっと歪んだ。泣き出しそうになった少年王の肩を、ディフリードが背後から軽く抱くようにしている。

「は、はい……。ナイトウ殿、は――」
 内藤もそれを聞くと、やっぱり半泣きの顔になった。
『うん……。なんか、ごめん……』

 この場に「ナイト」がいないにも関わらず、自分が元気でいることが申し訳ないのだろう。内藤はもう、それ以上なにも言えなくなってしまったようだった。ヨシュアはヨシュアで、零れそうなものを必死に拭って何度もかぶりを振っている。

「……いえ。よかった……」

 二人のそんな様子を黙って見ていたサーティークが、やがてそっと内藤の体を押しやるようにし、画面の中央に戻った。

『フロイタール王、ヨシュア公――』

 その声も、黒い瞳も、ごく真摯なものだった。ヨシュアは涙に濡れた瞳を静かにあげて、佐竹にそっくりの、その長髪の男を見つめ返した。

『貴公の兄上、先王ナイト殿をこの手でしいし奉ったこと。そしてここ何年もの間、貴国に攻撃を仕掛け続け、多くの将兵の命を奪ったこと――。ここに、衷心より謝罪させていただきたい』

 言って、サーティークは静かに頭を下げた。
 それは、この場で王としてできる、最高位の謝罪の姿だった。

『まことに、申し訳ないことをした──』

 サーティークの傍に居たマグナウトとヴァイハルトも、同様に深く頭を下げた。
 内藤も、同様に隣で頭をさげていた。その肩は震えていた。
 あちらでもこちらでも、部屋の中がしばし、しんとした。

 ヨシュアは画面の中で深々と下げられた敵国の王の頭を、ただ黙って、じっと見ていた。ただその瞳から、はらはらと熱い雫が、止めもなく零れ続けた。

 佐竹はそんな一同を、ただ悲しげな色を瞳に浮かべて眺めやりつつ、隣で静かに立ち尽くしていた。

しおりを挟む

処理中です...