白き鎧 黒き鎧

つづれ しういち

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第三章 黒の王

4 英雄譚

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「ユウヤっ!」

 鋭い声に驚いて顔を上げた。
 途端、真っ黒い旋風つむじかぜが目の前を駆け抜けたようだった。

「ヴァイハルト! 貴様……っ!!」

 気がつくと、サーティークがもうヴァイハルトの胸倉を掴み上げていた。
 見るからに怒り心頭の形相である。内藤は驚きのあまりに固まった。

「落ち着け。俺は何もしとらんぞ」
「なに?」
「疑うなら、本人に訊いてみればよかろう」

 ヴァイハルトは「どうどう」と言わんばかりのしらけた目つきでサーティークを見返している。両手を顔の横に上げ、完全に「降参」のていだ。サーティークがぎろりとこちらを睨んだ。
 内藤は、慌ててぶんぶんと首を横に振った。もちろん「何もされてません、本当です」という意味だ。
 しかしサーティークは、それでも眉間に皺を刻んだまま再びヴァイハルトを睨みつけた。

「にしても、どういうつもりだ。何故こんな所にユウヤを──」
「話をしたがってたのはそちらの坊やさ。俺の方じゃない。だよね? ユウヤ殿」

 ほとんど明後日の方を向きながら、そんなことをうそぶいている。ちらりとその視線がこちらに流れてきて、内藤は目を丸くした。

(え~っと……)

 別に間違いでもなかったけれども、ちょっとその言い草はひどくないか。

(ていうか。気づいてたのか、この人……) 

 少し肩を落とす。要するにこの男、内藤が彼から何かを聞きだしたがっていることなど、とうにお見通しだったのだ。陛下の幼友達らしい天騎長殿は、どうやら素晴らしい勘の持ち主でもあるらしい。
 これはどうやら、日を改めたほうが良さそうだ。
 内藤はサーティークに向き直り、涙を拭ってから頭を下げた。

「ごめんなさい、陛下……。ヴァイハルト様の妹さんのこと、ちょっと聞いてみたくなっちゃって……つい」

 サーティークが目をみはった。
 しばし、場に沈黙が下りる。

「……なぜ俺に訊かん」

 押し殺したような低い声。なんとなく、地の底から這い出てくるような。

(う……)

 それがしづらいから彼に訊こうとしたのだとは、やっぱり本人には言いづらい。
 内藤がぼやぼやしているうちに、サーティークの視線はかなり剣吞なものになっている。

「なんでもいいが、迂闊だぞ。こんな女ったらしにほいほいついて行くんじゃない。あっという間に食われるぞ」
「……は?」
「人聞きの悪いことを言うな、馬鹿もんが。第一、男に食指は動かんわ。生憎とな」

 「『女ったらし』と自分に一体なんの関係が」と思ったら、ヴァイハルトも間髪いれずに抗議をしていた。言い放ってそっぽを向いている。
 卑しくも国王陛下を馬鹿呼ばわりする、この男は何者か。
 内藤は呆れながらも、二人に対する認識を少し改めた。
 この二人、どうやら「仲がいい」。

「ちっ」と小さく舌打ちをして、サーティークがその胸倉から手を離した。「どうだかな。節操なしの言う台詞など、誰が信じるか」
 そう吐き捨てて、じろりと最後にヴァイハルトを睨んでから、サーティークは内藤の胸もとをマントごとがっちりと掴むと、馬のほうへとぐいぐいと歩き出した。
「うわ、ちょっと……!」
 内藤の抗議の声など、当然のように無視される。
「帰るぞ。この忙しいのに、余計な手間を掛けさせるな」
「ちょ、ちょっと陛下、待ってって……!」
 どうしてこう、自分はだれかに引きずっていかれるパターンが多いのか。



 有無を言わさず国王に連行されてゆく文官の青年を見送りながら、ヴァイハルトはこっそりと肩をすくめていた。

(それのどこが、『気を許したつもりはない』んだかね?)

 若き陛下は、お気づきなのか、そうでないのか。

(しょうのない奴だよ、まったく──)

 ちょっと頭を掻いてから、ヴァイハルトも足早に陵墓を出て白嵐に騎乗すると、すでに遥か先を駆け去ってゆく二騎を追い、王都への街道を戻っていった。

 



 王宮に戻ってから、サーティークは政務のために一旦執務室に戻った。が、夕餉の後、改めてそこに内藤を呼んだ。
 すでに空は白夜の時期を過ぎてもとの夜の色を取り戻している。吹く風の中に秋の気配を覚える時候となっていた。

「来たか。入れ」

 扉が開くのとほとんど同時に、サーティークが執務机の向こうから短く言った。
 そこにはすでに宮宰マグナウトと天騎長ヴァイハルトが待っていた。ヴァイハルトは執務机の傍の壁に寄りかかるようにして立っており、マグナウトは執務机の手前にある応接セットのソファにちょこんと座っている。いつもなら居るそのほかの文官らなどは、誰も居なかった。
 皆は明らかに、内藤一人を待っていた様子である。全員、自分より目上の面々ばかりであることにふと気づいて、内藤は慌てて一礼をした。おずおずと執務机の正面に立つ。

「えっと。おお、お待たせしました……」
「さて。どこから話をしたものか」

 机に肘をつき、両手を組み合わせた姿勢のまま、サーティークが内藤を見やってぼそっと言った。
「さほど込み入った話というほどのことでもないが、詳しく話せば長くなる」
 言いながら、老人と脇にいる旧友の顔をちらりと見やる。
「まあ、ともかくも。ユウヤ殿にお座り頂きましょうぞ、若」

 老人がそう言って、ちょいちょいと内藤に手招きをする。「自分の傍に座るように」と促しているのだ。ヴァイハルトが立ったままなので、内藤はつい、気兼ねをした。そちらを見やると、青年将校も慣れた様子で華麗に手を上げ、「どうぞ」とばかりに会釈してきた。
 それでようやく恐る恐る、老マグナウトの隣に座り込む。サーティークがそれを待ちかねたように、すぐさま口を開いた。

「話をする前に、いくつか確認しておきたいことがある。いいか? ユウヤ」
「あ、はい……」
 内藤は、なんだか声も体もいつも以上に小さくなって答えた。
「ここにいる二人にはすでに、そなたの『正体』については話してある。ということで、忌憚のないところを言って貰いたい」
「え? あ、はい……」
「そなた、俺とこの国をどう思う」
「えっ? えと……」

 訊ねられたことのスケールが思った以上に大きすぎて、内藤は一瞬、口ごもった。そんなもの、どう答えればいいというのか。

「もともとフロイタールにいたお前なら、かの国で俺がどう言われているかは知っていよう。さぞや悪名高き王ということになっているのも、想像に難くない。が、お前はどうだ? この国に来て数ヶ月、ここで働いてみてどう思った」
「あ、はい……」

 確かに、北の王国フロイタールでのサーティークの評判は最悪だった。
 まあ、わざわざ敵国の王を褒める人間もいないだろう。だが、「冷酷無比」「悪逆非道」「恐怖で国民を支配する無道の王」と、それはそれは凄まじい言われようだったと思う。

(だけど……)

 当のサーティークその人を間近に見て、知ってから、そしてこの王宮と王都で様々な人々と接してみてから、内藤の考えは大きく変わった。
 確かに、あの「赤い砂漠」を越えて何度も北へ侵攻し、その都度多くの将兵の命が犠牲になったのは事実らしい。そしてもちろん、国民の中にその不満が皆無とは言えないはずだ。だけれども、それが大きく渦巻いて王国の土台を揺るがすほどかといえば、そうではない。

 街の人々の言葉を借りれば、それはサーティークが「呪われし<鎧>の支配から人々を解放するための英断」を下したのだ、ということになるらしかった。
 それでも、もし彼が自分はぬくぬくと安全な地にあって、地図上で兵の駒を動かすだけの王だったなら、そうは言われていなかったろう。
 サーティークは、自ら愛馬・青嵐を駆り、あの「赤い砂漠」を越えて、何万もの将兵の指揮を執ってきた。かつ、自ら刀を取って、先陣を切って戦う王だった。だからこそ、人々は彼を支持したのだ。彼がそうやって戦うのは、そうすることで一人でも失われる兵を減らさんがためだったのだ。彼の体に残った多くの刀傷が、それを雄弁に物語っている。
 この国では、すでにサーティークをモチーフにした英雄譚が、吟遊詩人たちによって歌われ始めているほどなのだ。それは多くの場合、敵の奇襲によって崩れたち、恐慌に陥りかけた兵たちが、救援に駆けつけた勇猛果敢な若き王によって勇気を鼓舞される、感動的な叙事詩となっている。

 街でそんなうたを耳にするたび、内藤の心に去来するのは、不思議と地球のことだった。

 敵も、味方も、立場ひとつだ。
 立場が変われば、人は「神」にも「悪鬼」にもなる。
 事実、北で「恐怖の魔王」「魔神の申し子」と呼ばれたサーティークは、ここでは輝かしい「救いの王」であり、「解放の賢王」の名をほしいままにしているのだ。

 そもそも、北での<鎧>に対する見方と、この南の国でのそれとは大きく違う。
 北では<鎧>は、建国の時代から受け継がれてきた秘密の国宝に類するようなものだ。今ではもはや半ば神格化すらされて、かりそめにもそれに触れれば、国に大きな災厄が及ぶと信じられ、畏怖されている代物である。

 しかし、ここでの<鎧>の認識はそうではない。サーティークが意図的に国民に理解を促してきたためもあるのだろうが、それはここでは単なる「国のお荷物」、自分たちの進歩や幸福を歪める「過去の遺物」との見方が強かった。
 そもそも、その「儀式」に何の意味があるのか。国にとって最重要人物ともいえる国王を数日間も拘束し、疲弊させるあのような儀式に、一体なんの益があるというのだろう。国王をたとえ一時でも「行動不能」に追いやることは、それだけ国や民にとっての重要な政務が滞るということなのに、だ。

 それは一体、誰のための「益」なのか。
 今では国民の中にすら、そうした疑問の声は多い。
 そして、その古ぼけた伝統や慣習を依怙地いこじなまでに守らんとする北の国は、この南の国ではもはや「<鎧>の手先」また「狂信者」と見なされている。<鎧>そのものの実態がなんであれ、それに対する人々の「信仰心」のようなものをこそ恐怖され、敵視されてもいるのだった。
 もちろん、この南の国にも北のように<鎧>の力を恐れ、伝統を固く守りたがる人々は存在する。いや、八年前の事件までは、相当数が存在した。それを打ち払う契機となったのが、八年前のその事件であるということまでは、内藤も噂で聞いて知っている。
 以上のことをかいつまんで話してから、内藤は言葉を継いだ。

「だから、なんていうか……すごく、価値観が変わったっていうか。<鎧>がみんなの暮らしが良くなることを邪魔してるんなら、陛下がそれを壊そうと思うのも当然なのかな、って……。北の国は、ちょっと言葉は悪いんですけど、<鎧>を妄信してるようなとこがあって、なんか怖かったし」

 そしてその「妄信」が、自分と佐竹をこの世界に堕としたとも言える。
 あのズールは、「儀式」を滞らせることを死ぬほど恐れていた。恐れるあまりに自分をかの世界から召喚したのだ。そうして佐竹は、その内藤を救うため、自らこの地へと堕ちてきた。
 内藤自身は、<鎧>について恨みこそすれ、大切だなどと思ったことは一度もないのだ。

「……よくわかった」

 内藤の話を聞き終えて、サーティークが短く言った。
 その顔は、至極満足げに見えた。マグナウトとヴァイハルトも、それぞれに目を見交わし、頷き合うようにしている。

「では、よいな? 二人とも。ユウヤにかの事件について話すこと、うけがうな?」
「……ああ」
「ようござりましょう」

 二人の臣下が頷くのを見て、サーティークはようやく、過去の物語を始めたのだった。

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