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第二章 白き鎧
6 朋友(とも)
しおりを挟む「へえ、村の皆は、いつもこんな美味しいものを食しているのか。羨ましいな……」
渡された焼き芋をひと口食べてみて、ヨシュアの顔が嬉しそうにほころんだ。佐竹の見るところ、それは日本のものとは見た目も味もかなり違う。違うけれども、それはやはり、どこからどう見ても「焼き芋」と呼ぶしかないものだった。
ヨシュアの宿所となっている、ルツの家の別棟である。
あれからディフリードに促されて、一同はまたすぐここに戻った。今は、先ほど席を外していた王付きの枢密侍従も同席している。マールとその幼馴染みの少年オルクも、ちょっと居心地悪そうに部屋の隅に座っていた。
「陛下。お話というのは他でもないのですが」
適当なところで、ディフリードが切り出した。
「ん?」
「これはわたくしからのご提案なのですが。この村におられる間だけでも、陛下と同じ年頃の者を側付きとしてお召し抱えになる、というのはいかがでしょうか」
「えっ……?」
ヨシュアが目を見開いた。あまりに突飛な話なのだろう。
「どうしてまた、急に……?」
困惑している少年王に、ディフリードはいつもの吸い込まれるような微笑みを向けた。
「大変僭越なことながら。あの『冬至の日』以来、陛下におかれましては、誠にご心痛続きのこととお察し申し上げます」
その一言で、ヨシュアの目に言い知れない翳りがふっと過った。
側付きの枢密侍従が、すかさず「これ、そなた……!」と遮ろうとした。だが、ディフリードは構わず続けた。
「にも関わらず、陛下がこれまでまことに気丈に、お務めを果たして下さっておられます。そのこと、家臣一同、感嘆せぬものとてありませぬ。しかしながら──」
一旦、そこで言葉を切る。
「王としてのお務めは、今だけを全うすれば済むというものではございませぬ。これより何年にも亙り、ずっと続くものにございましょう。誠に不躾ながら、今のような心身ともに張り詰められた状態が、そうそう長続きできるとは到底思われない──」
ずばりと言われて、ヨシュアが困ったように目を伏せた。
「すまぬ……。私が、至らぬばかりに──」
「いえ、そうではございませぬ」
ディフリードは即座に否定した。
「ですから、申し上げているのでございます。どうか、陛下。もっと、陛下に年頃の近い者を側にお置きくださいませ。そしてその者に、できることならお心の僅かの部分なりとも、預けてやって頂きたいのです」
ヨシュアのみならず、その場の一同が、しんとしてその言葉を聞いていた。ディフリードはここで少し、砕けた態度と口調に変わった。
「まあ、平たく申し上げれば、こうです。『お友達』を作って頂きたいのですよ、陛下」
「と、友達……?」
ヨシュアが鸚鵡返しに言った。目を白黒させている。
「はい。無論、『ご学友』などとは違いまするぞ?」
「あ、……ああ」
まだ戸惑っている様子のヨシュアを見やって、ディフリードがまた、花のような笑みを浮かべた。
「私事にて恐縮ではございますが。自分にも、まあ一応、そんな風に呼べる者がおらぬではありませぬ」
彼自身はまっすぐにヨシュアを見て微笑んだままだったが、何故か背後にいるゾディアスが、ふと明後日の方を見たようだった。
佐竹はそちらをちらりと見やった。
「友、……か。羨ましいな……」
ヨシュアがぽつりと言った。
「ディフリード。そなたにとっての、友とは……? 一体、どんな者なのだ……?」
花の顔に刷いた笑みが、さらに深くなった。
「……そうでございますね。『居ると居ないとでは大違い』ということだけは、確かでございましょうな――」
ゾディアスはもはや、腕組みをして目をつぶり、「忍の一字」とでもいった体である。びきびきと、こめかみに太い青筋が立っている。
佐竹はもう、ただただ気の毒な思いに満たされ、敢えてそちらを見ないようにしていた。まあ、「武士の情け」というやつだ。
ディフリードの言葉は続く。
「王宮にあって、また戦場にあって……そやつが、どれほどわたくしの背中を支えてくれたものか。それは言葉にすることもできませぬ。もし今生が彼の居ない人生であったなら。言いすぎであるかも知れませぬが、もはやわたくしも、ここにこうして生きてはいなかったやも知れませぬ」
ヨシュアはじっと、男の菫色の瞳を見返している。男の瞳は珍しく、真摯な色を湛えつつも微笑んでいた。
「もちろん、当人にそう申したことはございませんが。心より、感謝しておりますよ、その者にはね──」
途端、背後からごうっと、恐ろしいまでの殺気が湧き立った。
美貌の竜将がそれに気付かぬはずはなかった。が、それでも彼は飄々と、いつもの笑顔を崩さないままヨシュアへの言葉を続けていた。
「できますことなら陛下にも、そのような御仁が側にいてくださればと。このディフリード、切に願い奉る次第にございます」
言って一礼する姿も、涼やかに流麗なままである。
「そうなさいましたなら、陛下のお心に掛かる事どもも、わずかなりとも重みを減じることになりましょう。陛下がもう少し肩の力をお抜きくださること。そのことも、今後はもっと、ずっと重要な意味を持つようになって参りますゆえ」
「…………」
ヨシュアはそれでも、まだ困惑したままの顔でディフリードを見返すばかりだ。
「これは結局のところ陛下の、ひいてはこの国の未来をも左右することでございます。差し出がましいご提案とは思いますが、どうかご一考のほど、宜しくお願い申し上げます」
最後に深々と一礼したディフリードに合わせ、後ろの面々も一様に頭を下げた。
ただ一人、ゾディアスだけは、ぎりぎりと奥歯を軋らせるようにして美しい銀髪の流れる男の背中を睨みつけていた。なんとなく、眼光だけでその背中に焼け焦げができそうなほどだった。
しばしの沈黙があった。
しかし、やがてヨシュアはひとつ頷いた。
「……分かった」
その声は、穏やかで嬉しげだった。今までこの村で聞いた、どの場面よりも。
「感謝するぞ、ディフリード。そなたの心よりの、温かな提案にな……」
皆が目を上げると、少年王は少し、目を潤ませているようだった。
「で、でございます」
ディフリードはにっこりと、間髪容れずに言葉を続けた。
「とりあえず、そこなオルクという少年などはいかがでしょう?」
「……はあ!?」
驚いたのは、ほかでもない。
白手袋をした美麗な将軍の手で指し示された少年、オルクだった。あまりのことに、鳩が豆鉄砲を食った顔で口をぱくぱくさせている。
その顔から察するに、この少年は今の今まで、こんな場違いな場所に座らされて「なんで俺が?」とずっと頭の中で疑問符をくるくるさせていたらしい。
「な、なに……? え? おお俺っ……??」
自分で自分を指差して、きょろきょろと周囲を見回す。
部屋中の視線を一身に浴びて、彼はもはやその髪色と変わらないほどに頬を紅潮させていた。
「ううう、嘘だろっ!? なんで俺っ……!?」
そこでディフリードが、ヨシュアに再び向き直った。完全にしれっとした顔である。
「第一に、手近でございます」
「って、おい……!」
言うに事欠いて、その言い草は酷かろう。さすがの佐竹も、ちょっと半眼になる。
「そして第二に、このマール嬢と、昔からの幼馴染みでもあるそうで」
「えっ……」
今度はマールが呆然と男を見た。が、ディフリードの視線をうけて、機械仕掛けの人形よろしく、慌ててこくこくと頷いている。彼女にも、今ひとつ事情が飲み込めていないのだろう。
オルクはますます慌てている。
「そっ、それは、そーだけどっっ……!」
「彼女の幼馴染みでしたら、人柄そのほかは一応安心できましょう。見たところ、この通り底意もなにもない、ただの純朴な田舎少年以上のものでもありませぬし──」
褒めているのか、いないのか。
これではさっぱり分からない。
オルクはとうとう、頭を抱えて雄叫びを上げた。
「だあっ! だから! ちょっと待ってって……!」
……と。
「ぷ、くくく……」
一同は目を瞠った。その声が、誰の口から洩れ出たものかに気付いたのだ。
その方は顔を真っ赤にして口許を押さえ、ぷるぷると肩を震わせていた。
だれあろう、少年王ヨシュアその人である。
「は、あははは……。ああ、お……おかしい……っ」
衝動をどうにも堪えきれず、言葉が途切れとぎれになっている。
「わ、わかった……ディフリード」
腹をおさえて、もう息をするのも苦しげなほどだ。
「そ、その者……召し抱える。……よ、よろしくな、オルクとやら」
やっとのことでそこまで言うと、少年王はもはや、涙を零して笑い転げた。
そんなヨシュアの姿を見て、枢密侍従がハッと顔を歪ませ、口許をおさえた。少し肩のあたりが震えている。感極まっているのだろう。
つい先だって兄王を亡くし、国王としての重責を負い、崩れ落ちまいと必死に耐えて来た少年王。臣下に涙を見せまいと、弱みを見せて心配を掛けまいと、その年で懸命にこらえてきたものはいかほどのものだったか。
その彼が。少年王ヨシュアが。
いま、腹を抱えて笑っているのだ。
ディフリードとゾディアスが、なんとも言えない光を湛えた静かな瞳をして、じっとそれを見つめていた。
そして佐竹も、胸の内に久しぶりに溢れる温かなものに、しばし心をゆだねていた。
◇
翌朝。
山間部にある村の入り口には、冷たい空気が下りていた。
ヨシュアはそこから、<白き鎧>に向けて出発した。今日は馬に騎乗している。ディフリードとゾディアス、佐竹やヨルムスも、ともに騎乗してついていく。ほかには護衛兵が数名いるだけだ。
皆は厚手のマントに身を包み、静かに馬を歩ませてゆく。吐く息は白くけむり、顔を覆ったマントの布をすぐさま湿らせてゆくようだった。馬の蹄が、足元の霜を踏んではしゃりしゃりと音をたてる。
ヨシュア付きの枢密侍従の男は、この日、オルクやマールとともに村で留守番ということになっている。
ちなみにオルクの両親は、彼の突然の出仕話に当然ながら驚嘆した。そして、相当に困惑した。しかし、そのまま彼を王都に連れて帰るという話ではなく、今後どうするかはオルクの意志で決めてよいというのを聞いて、ひと安心したようだった。
<鎧>までの行程はごく順調なものだった。事前に兵らの手によって、森の中に道案内のための目印をつけてあるためだ。空は夕刻の色を帯びて薄明るい。おかげで道を見つけるのも、さほど困難ではなくなってきている。
その場所は一見して、周囲の景色とさして変わったところがなかった。
特別な目印も、何もない。ただの森の一般的な茂みに過ぎなかった。
(ここが……?)
ヨシュアは不思議な感慨をもって周りを見回すようにしていたが、佐竹がさっと下馬してとある叢を押し分けた途端、ぎょっと目を見開いた。
「あ……。それ、なのか……?」
それは、ほんの小さな石版のように見えた。
草木に覆われてしまっているため、ちょっと見るだけではまったく見分けがつかない。しかし、その奥にある岩肌に、それは確かに存在していた。
大人の手のひらより少し大きいぐらいの、長方形の石版。その真ん中にぽつりと小さな窪みが作られている。
たったそれだけの小さな物をこの山中から見つけ出すのに、どれほどの困難を伴ったことか。たとえあのズールの「覚書」が手許にあったのだとしてもだ。まこと、佐竹と兵らの努力には頭が下がる。
「どうぞ、こちらへ」
佐竹が静かにヨシュアに向かって会釈をすると、ヨシュアは頷き返して自分も下馬した。そうして、腰に差した自分の剣をほんの少し鞘から引き抜いた。かちりと小さな音がする。
現れた刃に軽く親指を押し当てると、ちっと鋭い痛みが走った。じわりと赤いものが染み出してくる。
ヨシュアは佐竹に導かれるまま茂みに近づくと、その指をそっと石版の窪みにあてがった。
なんの音もしなかった。
しかし、「それ」はいきなり開いた。
ぽかりと暗い空洞が、木々の間に現れたのだ。
先ほどの石版のついた石壁が、まるごとそこから消えていた。
(これが、<鎧>か──)
兄王が、長年あの<儀式>をおこなってこられ、そして命を落とされた場所。
ヨシュアはこくりと喉を鳴らした。
さすがの佐竹も、その暗黒の穴を見つめてしばし停止しているようだ。しかし、彼はひとつ息をついただけで、すぐにこちらを振り向いた。
その目は、飽くまでも静かだった。
「……参りましょう」
「うん……」
そうして予定通り監視の兵を二名だけ残して、皆はゾディアスを先頭に、一人ずつその中へ入っていった。
応援ありがとうございます!
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