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第一章 南の国
4 覚書
しおりを挟む「おう、サタケ。ちょっといいか」
荒っぽく自室の扉を叩く音とその声で、佐竹ははっと目を覚ました。
どのくらい眠っていたものか。空が一日じゅう夜間と同じ状態であるというのも、なかなかに不便なものである。
即座に身を起こして扉を開けると、もはや見慣れた偉丈夫がぬっと目の前に立っていた。言わずと知れたゾディアスである。彼はすでに先ほどの鎧は脱いで、いつもの軍服姿に戻っていた。
「悪いな。急ぎで見せたいもんが出てきたもんでよ。ちっと付き合え」
ぐいと顎だけで行き先を指し示すと、巨躯の上官は返事も待たずに歩き出した。佐竹もすぐにその後を追う。
連れて行かれたのは、どうやら高級文官の執務室らしかった。
ゾディアスについて中に入ると、すでにディフリードとサイラスが待っていた。ディフリードもゾディアス同様、いつもの軍服とマント姿に戻っている。
「ああ、来たね。少しは眠れたかな? サタケ」
美貌の天騎長は柔らかくそう言ってにっこり笑った。いついかなる時にもこの微笑みを絶やさない胆力は、彼が見た目よりもずっと男らしい性質であることを物語っている。
一方のサイラスは、それとは対照的だった。
顔色はすっかり病人のようになっている。それは青白いを通り越して、もはやほとんど黄ばんで見えた。贅肉の多い体つきも、気のせいか少しばかりほっそりしている。彼は両手を揉みしだき、やってきたゾディアスと佐竹のほうへ、しきりにおどおどと怯えたような視線を走らせていた。
「これなんだけどね」
ディフリードはさりげない様子で、手にしていた羊皮紙の包みを佐竹に渡した。それは結構大部なもので、厚みが五センチばかりもあった。ちょっとした百科事典ぐらいの大きさはある。
佐竹が怪訝な顔で見返すと、ディフリードは困ったような笑みを浮かべた。
「君宛てなんだよね。……ズール宰相閣下から」
「……!」
佐竹は驚き、あらためて手許の包みをまじまじと見た。
確かに、表書きには「サタケ殿へ」としたためてある。端にはズールの署名もあった。開け口には封蝋が捺されている。まだだれも開けていないのは明白だ。
となるとこの部屋は、どうやらズールその人の執務室であるのだろう。要するに、亡くなった宰相閣下の部屋の整理をする中でこれが出てきたということらしい。見つけたのは恐らく、そこにいるサイラスか。
「……開けてみてもよろしいですか?」
訊ねる佐竹に、場の一同は三者三様に頷いた。
「どうぞ? そのために呼んだんだ」
ディフリードの返事を受けて、佐竹は封蝋の部分を切った。
中身は、端を革紐でしっかりと綴じ付けられた分厚い羊皮紙の束だった。軽くぱらぱらと捲ってみると、几帳面な文字が隅々までびっしりと並んでいる。ところどころには、絵や図による解説などもあるようだった。
最後に文書の冒頭部分に戻り、あらためてそこを読んでみて、佐竹は言葉を失った。
(これは──)
──「『白き鎧』覚書」。
その冒頭には、確かにそうあったのだ。
「いや、しかし」
佐竹は即座にそれを閉じ、ディフリードに返そうとした。
「これを自分が受け取るというのでは、あまりに──」
「うるせえよ」
いきなり隣から遮ったのは、ゾディアスの野太い声だった。見れば、さも「しょうがねえな」と言わんばかりの目で見下ろしている。
「それが、爺さんの気持ちなんだろうがよ。ま、あの爺さんは爺さんなりに、色々反省やらなんやら、してたっつうことなんじゃね?」
「ちっともそうは見えなかったけどな」と巨躯の男は肩を竦めて見せ、面倒臭そうに頭を掻いた。それを見たサイラスが何を思ってか、またびくびくと首を竦める。その様子は、今にもゾディアスの巨大な拳が自分の方へ飛んでくるのではあるまいかと憂慮しているようだった。
が、当のゾディアスは隣の肝の小さな男のことなど、まったく眼中にないようだった。
「汲んでやらねえかよ、そこんとこはよ」
盛り上がった胸筋の前で腕を組み、ちょっと首をかしげるようにして佐竹の顔をちらりと見てくる。
「…………」
手許の文書を見つめて黙してしまった佐竹を眺めて、ディフリードが苦笑したようだった。
「まあ、こう言ってはなんなんだけどね。我々としても、君の能力を当てにしていると、そういうことなんだよね」
「……は?」
意外な台詞に目を上げると、美々しい菫色の瞳が悪戯っぽい色を湛えて笑っていた。ディフリードはちらっとゾディアスを目を見交わすと、言葉を続ける。
「ヨシュア殿下の許可は頂いてある。今後、我々は本格的に、あの<白き鎧>の調査に着手することになった」
佐竹は目を瞠った。
(<鎧>の、調査……?)
「その正確な場所と、操作方法。まずはそこからだ。さらに<鎧の稀人>の何たるか、そして<鎧>のこれまでの歴史的な成り立ちや経緯。それらについても詳細な調査をしたいと考えている」
「…………」
「となれば当然、古代の文物を読み解く能力が必要になるだろう。ついては、君や優秀な書庫の面々にも協力を仰ぎたい。……と、要するにそういう話なんだよね」
ディフリードはさもなんでもないことのようにさらさらと説明している。だがその内容は到底、そんな簡単なものではなかった。
この国にあって、今まで<白き鎧>の扱いは、ほとんど「禁忌」とでも呼ぶべきものだった。つまり「最高機密」としてのそれだったのだ。それに比べれば、これはまさに百八十度の方針転換と言っていい。
驚くべきことだった。どうやら自分がのんびりと眠っていた間に、王宮内上層部ではそういう話になったものであるらしい。
ゾディアスが顎を掻きながらのんびり言った。
「まあなあ。今までなら、頭の固えおっさんどもが大反対してたとこなんだけどよ──」
ここで言う「おっさんども」というのは要するに、この国の重臣であるところの将軍たちや大臣たちのことを指すのであろう。
「ここへ来て、おっさんどもも『このままじゃまずい』っつーことが、やっと分かったみてえでな。サーティークの野郎にできて、俺らにできねえってことはねえだろ、っつーことになってよ」
ディフリードが頷いて、その先を引き取った。
「今後、奴に対抗するためには、わが国が同等の力を入手することは不可欠だ。昨日のような失態は二度と許されん。我々には、そこに書かれていることを研究し、その操作に精通して、かの王と渡り合う準備をする必要がある」
「了解しました」
佐竹は静かに一礼をした。
願ってもない話だった。
あの<白き鎧>を調べ、その操作方法を熟知することがもし可能ならば。
もしかすると、内藤を救い出し、元の世界に戻る方法を見出せるかもしれないのだ。
「ああ、それと」
すぐに部屋を辞そうとした佐竹を、ディフリードが引き止めた。
「ヨシュア殿下が、明日、王位を継承される」
佐竹は驚いて足を止めた。
(王位継承……? この段階でか)
昨日攫われたばかりで、ナイトの生死もまだ不明だというこの時期に。こちらの思考を読み取ったように、ディフリードがにこりと笑った。
「もちろん、ナイト王陛下が無事にお戻りになられれば、すぐに王位は返上されるとのことだ。つまりこれはあくまでも暫定的な措置。<鎧>を動かすための当座の方便ということだよ」
「……はい」
「で、それに合わせ、多少こちらにも異動があった。正式な辞令は明日下りる運びとなるが、ひと足先に伝えておこう」
そこでちょっと、ディフリードはゾディアスと目を見交わした。気のせいか、ゾディアスが少し憮然とした顔になる。
「君とゾディアス、それに私は、この任務に携わるに当たり、少し昇級することになった。今後、君は上級三等となる。ゾディアスが竜騎長、私は竜将ということになる」
「いえ、しかし」
思わずそう答えていた。
文官とはいえ上級三等ともなれば、武官なら万騎長と同等だ。つまりあちらの世界でいえば、大佐クラスということになるだろうか。
どう考えても、こんな若造が拝命するような身分ではない。大体、それのどこが「少し」だというのか。
「お二人はともかく、自分などが──」
とても納得がいかなかった。あの作戦のとき、自分はただ目の前でナイト王をむざむざと奪われただけではないか。今回のことでは殆ど何もしなかったに等しい。
が、「そんな人間が昇進など」と固辞する言葉はあっさりと遮られた。巨大な手のひらがばしばしと背中をどやしつけてきたからだ。
「うっせえ。いいから黙ってお受けしろ!」
見ればゾディアスが佐竹を睨みおろしている。自身の苛立ちを隠そうともしていない。その顔を見て、ディフリードが堪らず吹き出した。
「そいつも同じ事を言ったよ。殿下の前でね」
「こら、てめえ──」
ゾディアスがぎろりと悪友を睨めつける。額に青筋の立った恐ろしい形相だ。だが、美貌の上官はもちろん意に介さない。口に手を当て、くすくすと忍び笑っただけである。
「でも、しょうがないよね? あのお可愛らしいヨシュア殿下に『どうかどうかお願いだから』って、目の前で泣かれちゃあ──」
「ってめ……!」
ぶん、と巨大な拳が空を切った。
が、ディフリードは鮮やかに体を躱して、きれいに避けただけだった。まるで舞いでも見るようだ。どうやらこれも、二人の日常茶飯事であるらしい。
「まあ、そんなわけだから。辞退すると、この『鬼の竜騎長』殿に殺されるよ? ここはみんなで諦める、という事でなにぶんよろしく。『サタケ上級三等』殿?」
言いながらまた、堂に入った華麗なウインクが飛んでくる。
佐竹は辟易して半眼になった。どうしてこう、ここの軍隊の上官どもは、男に向かってやたらに片目をつぶりたがるのだろう。
「……了解しました、『ディフリード竜将閣下』」
仕方なく、美貌の上官にそう返して一礼した。もちろん後半は彼に対するささやかな「意趣返し」だ。そしてそのまま「『白き鎧』覚書」を手に、佐竹はその部屋を後にした。
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