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第六章 暗転
10 ヨシュア
しおりを挟むその後、ナイトは警護兵を数名呼んで、ズールとサイラスを別室へと引き取らせた。席を外させるためもあったが、彼らの監視と、なにより疲弊しきっているズールを休ませるためらしかった。
相手がこのような事態を引き起こした張本人であるにも関わらず、この王はどこまでも、長年仕えてくれた年老いた近臣の体を気遣っているのだった。
二人が警備兵に囲まれて部屋を出て行くのを見届けてから、ナイトはあらためてこちらに向き直った。
「このたびのことでは、そなたたちに多大の負担を強いてしまって申し訳ない」
「いえ、どうかご容赦を」
臣下への礼をしてそう言う王の言葉を、美貌の天騎長がさらりと遮った。そうして貴公子然としたたおやかな礼を披露する。
「臣下として、当然のことを致したまでです。では、我々は今後の作戦の立案等がありますので、これにて」
「右に同じ」
隣でゾディアスもぐいと兵士の敬礼をして、悪友と共に部屋を出てゆくようである。佐竹も王に一礼し、そのあとに続こうとした。しかし。
「サタケ。申し訳ないが、そなたは残ってくれぬか」
「……は」
怪訝に思って振り向くと、ナイトが先ほどよりも更に申し訳なさげな顔つきで、じっとこちらを見つめていた。
「その……。事、ここに至っては、もはや黙っておくわけにも行くまいと思ってな──」
そのひと言で佐竹にも分かった。ナイトはこの件を弟君、ヨシュアに話そうとしているのだと。
後ろの二人もそれに気づいたらしく、少し足を止めて振り向いていたが、黙って一礼し、そのまま部屋を辞していった。ゾディアスがちらりと佐竹を見やったような視線を感じた。
「同席して貰っても構わないだろうか……? サタケ」
躊躇いながらもそう言う王に、佐竹は黙って頷いた。
◇
「兄上、御用とはなんでしょうか? ……あっ、サタケ!」
召使いの男の伝言を受けて執務室にやってきたヨシュアは、佐竹の顔を見てぱっと嬉しげな顔になった。萌黄色の長衣に白いマントを流した姿はいかにも若々しく、健康的に見えた。
「午前の剣術の稽古が終わったので、今から書庫に行こうとしていたのだが。良かった、こちらに居たのだな!」
言いながら、にこにこと跳ねるようにして近寄ってくる。が、兄と佐竹を見比べるようにしてちょっと小首をかしげた。
「珍しいですね……? お二人がご一緒におられるなんて」
ナイトはそんな弟を見つめてふわりと微笑んだが、その笑みはどこか儚げだった。それはもちろん、これから弟に話すことと彼の反応を今から考えてしまうゆえのことだったろう。
佐竹も少し視線を落とした。
「まずは座ってくれぬか、ヨシュア。……少し、込み入った話なのだよ」
兄のそのひと言で、もうヨシュアは何かを感じ取ったらしい。急に笑顔を引っ込めた。しかし、ちょっと不安げな視線で隣の佐竹を見上げてから素直に頷いた。
「……はい。兄上」
先ほどズールが座っていたその場所に、王家の兄弟は隣同士になって座った。
佐竹も別のソファを勧められたが、それは固辞して立っていた。
◇
兄王の話が終わっても、ヨシュアはしばらく微動だにしなかった。
ナイトは何ひとつ包み隠さなかった。ここまでで知りえた情報のすべてを、余すところなく己が弟に語って聞かせた。
ヨシュアのほうでも最初のうちは、話の途中「えっ、でも」とか、「いえ、しかし」などと言葉を挟んでいたのだが、後半になるにつれ、ただもう愕然としたように体を強張らせて、自分の膝の辺りをじっと見つめているばかりになった。
「すまないね……ヨシュア」
真っ青な顔色で黙りこくってしまった弟を見つめて、ナイトも悲しげに項垂れた。
「そういうことなのだよ。だから、たとえ今回、かのサーティークを退けることができたとしても、私は……そなたの兄である私は、もうこの体にとどまる訳にはいかない。このサタケの友人である『ナイトウ』殿に、この体の本当の持ち主であるその方に、一刻も早くお返し申し上げなくてはならないのだよ……」
「…………」
絶句しているヨシュアは、ただおずおずと目を上げた。
さらに、吸い寄せられるようにして佐竹に目を留めた。
「サ……タケ……」
怯えたようなその視線と目が合ったとき、佐竹は眉間に皺を寄せたまま、黙ってそれを見返した。
「このため、だったのか……?」
震えるヨシュアの声が、佐竹の胸にじわりじわりと食い込んでくるようだった。
「そなたは……このために……?」
お前はこのためにここへ来たのか。
自分から大切な兄を奪うために、この城へとやってきたのか。
そう、ヨシュアの瞳が言っていた。
佐竹の胸にはまた、ぎりっと鋭い楔が打ち込まれたような感覚があった。
「よすのだ」
ナイトが静かな声で遮った。
「間違ってはいけないよ、ヨシュア。この方は、私たちによって奪われた友人を取り戻しに参られただけだ。先に彼から大切なものを奪ったのは、この私たちの方なのだよ」
「…………」
兄に窘められて一言もなく、ヨシュアは唇を噛み締めて下を向いてしまった。ナイトは僅かに震えている弟の背中に手を置いた。
「ましてや、間違ってもそなたから、兄を奪うためなどではない。こちらの世界に来るまでは、サタケ殿はこちらの状況を何ひとつ、ご存知ですらなかったのだから──」
項垂れた弟と、それを宥める兄王の姿。それは、佐竹にとって正視に耐えないものだった。佐竹は黙って二人から視線を逸らした。
「私は、本当なら……もう七年も前に、そなたを置いてゆくはずだったのだ。それを……まことに勝手なこちらの都合で『ナイトウ』殿の体を借り受けて、そなたと七年もの間、こうして過ごさせてもらうことができた。彼らに感謝しこそすれ、恨む筋合いなどあるだろうか……?」
「…………」
ヨシュアは、俯いたままぴくりとも動かない。
ナイトは昔を思い出すような声で話を続けている。
「七年前といえば、そなたはまだ、少し言葉を話せるようになったばかりだった……。あのまま別れていたのだったら、そなたにろくな思い出も残してはやれなかったに違いない。こんな風に、お互いに言葉を交わして話ができるようになったのも、なにもかも……このサタケ殿と、ご友人の『ナイトウ』殿のお陰なのだよ」
ナイトの言葉を聞きながら、膝の上の拳を握り締めて、ヨシュアは必死に涙を堪えるようだった。
だが、ついにぱたぱたっと、その手の甲に雫が落ちた。
「あに、うえ……っ」
その声はひび割れて、すぐに嗚咽にまぎれてしまった。ヨシュアは懸命にそれを堪えようと、手で口許を塞ぐようにした。ナイトは丸まった弟の背に腕を回して、やがてその体を抱きしめた。
ヨシュアの頭が押し付けられたナイトの胸元から、ひいーっというような、くぐもった声が漏れ聞こえた。
佐竹はきつく唇を噛み締めて、力任せに両の拳を握っていた。
そしてただ、床の一点だけを見つめていた。
「泣いてもよい。……いや、大いに泣くがいい。……しかし」
弟の背中をさすりながら、ナイトの声も表情も常と変わらず穏やかだった。
先ほど残される弟を思ってあれほど涙していたこの王が、いまは一粒の涙も見せてはいなかった。
「約束して欲しい。決して、彼を恨まぬと」
ナイトの視線が、ふと佐竹の方へと流れてきた。
佐竹と目が合うと、ナイトは微笑を深めて少しだけ頷いた。そしてまた弟を見下ろして、言い含めるようにして言葉を継いだ。
「そして、覚悟をもって欲しい。そなたはこれから、この国の王になるのだからね……?」
ヨシュアの肩が激しく上下して、ナイトの胸元から聞こえる嗚咽がさらに大きくなった。
佐竹はナイトがこちらに目配せをしたのを機に、静かに王族の兄弟に一礼すると、黙然として王の執務室を後にした。
部屋を辞するのと入れ替わるようにして、物々しい武装をした警備兵が十名ばかり、王の執務室に入って行った。どうやら対サーティークのための、ディフリードからの命令であるらしかった。
◇
「そんなわけで、事態は非常に切迫している。皆には急なことだろうが、よろしく頼む」
ディフリードの執務室に戻ると、十数名の武官が集められていた。そして今まさに、彼が今回の作戦に関する話を終えたところらしかった。
とはいえ彼の話しぶりからは、「切迫した」風は微塵も感じられなかった。常と同じく物柔らかで落ち着いたその声音は、だからこそ、却ってその凄みを感じさせていた。
集められた男たちは一瞥しただけでも、それぞれ腕に覚えのある猛者と見えた。もちろん、その中には千騎長ゾディアスも含まれている。中にちらりと、あの千騎長ダイスの顔も見えた。ほかにも、例の佐竹の作戦に参加してくれていた武官の顔が二名ばかり見える。
「これから毎日、交代で陛下の警護にあたる。『冬至の日』の五日前からは全員での完全警護となる。それを行ないつつ、奴が出現した際の対処について練ってゆく。つまりは陛下の身の安全を確保しつつ、攻撃と防御をいかに行なうかだ」
ディフリードのその言葉に、集められた面々が互いに顔を見合わせる様子だった。
「皆も知っての通り、かの王は非常な剣の使い手だ。奴を見たことのある者なら、その恐ろしさはよく存じていよう。生半可な作戦では、ここにいるもの全員、瞬殺の憂き目を見かねない」
部屋の中は、その台詞を聞くまでもなく、すでにぴりぴりと緊張した空気に満たされていた。誰も、ひと言も発しなかった。
「みなの意見も取り入れたい。大いに発言してくれたまえ」
それだけ言うと、ディフリードは前にゾディアスを呼び、二人で基本的な作戦の概要を説明し始めた。
「問題となるのはなにより時間だ。サタケ中級三等の説明によれば、かの<門>は僅かの時間しか開いていることができぬらしい。ここから兵舎まで歩く程度の時間だそうだ。その時間を持たせること。これが最大の要件となる」
そこで、ずいとゾディアスが前に出た。
「俺らでその時間、奴を足止めする。まずは陛下を、速やかにその場からお離し申し上げる。奴が現れたらその瞬間に、陛下の最も近くにいる者が、体を張って奴と陛下の間に入る」
「…………」
重い沈黙があった。恐らくそれをする者は、次の瞬間にはこの世に別れを告げることになろう。この場にいる誰もが、そのことを理解しているようだった。
「陛下と奴との距離が取れたら、間髪容れずに攻撃開始だ。陛下を更に遠くへお逃がししつつ、連続攻撃を掛けてゆく。奴に息をつかせるな。誰が斃れても、一切怯むことは許されん」
男たちを見回しながら、ゾディアスが腹に響く低音でそう言った。
「……で、サタケ」
言ってディフリードが急にこちらを向いた。屈強な面構えの男たちも、一斉にこちらを振り向く。
「悪いが君には、一連の作戦のための訓練において『サーティーク役』を務めてもらう。かの王の得物からして、その戦い方は相当君と似ていることと思われる。いくつかの攻撃パターンを練っておきたい。気分のいいことではないだろうが、どうか協力願いたい」
軽く頭を下げる美貌の天騎長に、佐竹は即座に一礼を返した。
「はい」
「幸いかの王の戦い方については、何人か見たことのある者がいる。事前に話を聞いておいてもらいたい」
「了解しました」
こうして大まかな作戦説明のあと、更に細かな話を詰めて、皆はすぐに練兵場へと移動した。
そして即刻、「サーティーク撃退作戦」の訓練が開始された。
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