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第六章 暗転
8 過去
しおりを挟む宰相ズールは、そもそも辺境の人である。
家は貧しい農家であって、そうした家族の御多分に洩れぬ子沢山であった。そこの四男坊であった彼は、ただそのままであったなら無論、その後もどんな学校にも通えるはずのない境遇だった。
彼の出世の始まりは、両親に農地を貸し与えていた村長から運よくその聡明さを買われ、近隣の小都市の学問所へ入れてもらえたことである。とはいえ初めは飽くまでも、その息子の付き人としてだった。要するに、甘やかされて育ったぼんぼんの少年の身の回りの世話係にされたのである。
少年はズールを自分の奴隷のようにしか考えていなかった。だから日々ことあるごと、つまらない用事で彼をあれやこれやと鼻で使った。どうしても勉強時間は限られてしまったけれども、それでも必死に睡眠時間を削り、ズールは書物にかじりついて努力を重ねた。
ほどなく学問所の教師は彼の才を見抜き、村長に彼と養子縁組をするようにと熱心に勧めてくれた。さらにその上で王都の王立学問所、すなわちこの国の最高教育機関へ入れてやるようにと大いに勧めた。
村長は、最初のうちは渋っていた。まあ無理もない。自分の息子よりも使用人の子の方が優秀だと言われて喜ぶ親などいないからだ。だがとうとう最後には「出世をした暁には毎月うちに多額の金を送るように」という条件つきで、なんとか承諾してくれたのである。
ズールは当時、まだ八歳になったばかりの少年だった。にも関わらず、たった一人で村長の部屋に呼ばれ、なにやら小難しい証文に半ば強引に名前を書かされて、その旨しっかり約束をさせられた。ほとんど詐欺みたいなものだった。
ちなみに村長の息子はといえば、相変わらずの「箸にも棒にも」といった有様だった。要はズールは、この息子の身代わりにされたようなものだったのだ。
王都アイゼンシェーレンの学問所でも、彼は文字通り寝食を忘れて学問に励んだ。その結果、わずか十四の年にして、まさに針の穴のような狭き門である文官の地位を勝ち取り、晴れてこの王宮に出仕する運びとなったのである。
もちろんそこに至るまで、ズールは言葉に尽くせぬ苦労を重ねてきた。もとは身分の卑しい貧農の子であることは、学問所の皆が知っていた。だから心無い苛めや嫌がらせの類いなどは、日常茶飯事と言ってもよかった。
それは王宮に上がってからも、さほど変わることはなかった。
あまりの若さで、しかも聡明に過ぎる文官の少年。先輩たちはそれを冷ややかに、そして時にはもっと鋭く攻撃的なやりかたで遇してくれただけだった。それでも淡々と日々の細かな雑務をこなし、少しずつ文官らしい仕事も回してもらえるようになった頃には、ズールも一廉の青年文官として王宮の廊下を歩くまでになっていた。
もちろん、故郷への送金はずっと続けていた。身分が上がるにつれて村長の家だけでなく、ズールは実の家族にも少しずつなにがしかの援助を行なえるようになっていった。
転機が訪れたのは、ズールが二十八になった頃である。
先王のご崩御とともに、その息子であるナイトの父が即位して、若き青年王として立った年だった。
そのころ先王付きだった文官たちが相当の高齢になってきたこともあり、これを機に文官の顔ぶれを刷新する話が持ち上がったのである。そうしてズールはそれまでの真面目な勤務態度と高い事務能力を買われ、宰相の補佐官を拝命するという栄誉をうけることになったのだ。
とはいっても、十数名いる補佐官のやっと末席に入ることができただけだったのだが。
それでもズールは天にも昇る心地だった。
これでようやく、後顧の憂いは払拭される。給金も一気に今までの何倍にもなり、故郷から血縁の家族を呼び寄せて王都に住まわせることさえ可能になった。
当時はまだあの村長への送金は続けていたが、それもその男が高齢で亡くなるまでの話だった。幼い頃に書かされたあの証文には、片田舎の法務官が片手間に作った書類だったためなのか「送金は村長に対して」との記載しかなかったのである。幸いにしてズールには、その家族までをも養う義務はなかったのだ。
そしてそれを機に、ズールは妻を娶った。女性には全く縁のない職場環境だったため、相手は文官仲間の何某が適当にみつくろってくれ、ズールは一も二もなくそれに応じた。これまでの人生で単に縁がなかったばかりではなく、色ばかり黒くて痩せぎすで、仕事のことにしか興味のない朴念仁など、振り向く女は皆無だったからだ。
やがて宰相の補佐官として働くうちに、ズールはある疑問を抱えるようになった。
それはもちろん、あの国宝「白き鎧」のことである。
その真の姿については、国王陛下と宰相閣下しかご存知ではない。観察するに、年に一度の夏至の日に合わせ、おふたりで密かにお出かけになって行なうその「儀式」で、陛下は非常に過酷なご経験をされる御様子だった。
お戻りになった陛下の疲弊されたお姿は、とても正視できぬほどのものだった。それから数日間はご典医が、ご寝所につきっきりでお世話をしている様子だった。
その「儀式」で何が行なわれているのかは、まさに陛下と宰相しか知らぬことだった。ちなみにこの王宮にあっては、陛下は崩御されるまで政務に就かれるのが通例である。しかし宰相はそういう訳にもいかず、高齢になれば大抵は他の者が持ち上がりでその役に就いた。
不思議なのは、役を解かれた元宰相のその後だった。
彼らはその後、二度と王宮に姿を見せなくなる。まあそれだけなら普通なのだが、そればかりではない。
後輩である自分たちが、お世話になったお礼かたがたその方の家を訪ねるようなこともあるのだが、大抵は「もう亡くなった」と聞かされるだけなのだ。隠居後のお元気な顔を見たことはただの一度もなかった。
いくら年老いていたからとは言っても、在職中はあれほど元気で快活だった宰相閣下が、役を解かれた途端に身罷ったりするものだろうか……?
年を経るごとに次第次第に、ズールの中には恐ろしい仮説が形を成し始めた。
『彼らは密かに、亡き者にされているのではあるまいか?』と。
『そしてそれは、あの<鎧>と関係するのではあるまいか?』と──。
◇
「……では、それを疑問に思いながらも、そなたは宰相になってくれたと?」
老人が苦しげにしわぶきをして話が少し途切れたところで、ナイトが沈んだ声で言葉を挟んだ。
サイラスが再び用意したカップから水を一口飲んで、ズールはひとつ頷いた。
「ほかに、なれる者もおりませんでしたゆえ──」
「…………」
ゾディアス、ディフリード、佐竹の三人も、またサイラスも、今は二人から少し離れた場所で腰を掛けている。話が長くなると踏んだナイトが皆にそう勧めたのだ。ソファの方ではなく、普段ナイトの侍従や召使い、補佐の文官たちが使う簡素な作りの椅子である。
「それで? 宰相になってみて、その後、何がわかったのだ?」
ナイトが再び質問して、ズールはまた話を続けた。
◇
ズールが宰相に立ったのは、今より十五年前であった。
前任の宰相は例によって、役を解かれた途端に墓の下の人となった。しかしズールは今回に限っては、まだ彼が存命のうちに話をする機会を得た。それは当然、ズールが次期宰相と決まってからのことである。
その「密談」は、人払いをした宰相の執務室で二人きりで行なわれた。
それが「秘密の引継ぎ」だった。
引継ぎの内容は、こうである。
まずは<白き鎧>の位置と、その中への入り方。
そして「儀式」の行い方と、その際の<鎧>の操作方法。
更に、不慮の事態が起こった場合の対処法。
そして、「絶対秘密」の原則だ。
これら秘密の中には、国王本人ですら知らないことも多かった。不慮の事故の際の対処法などは、その最たるものだろう。
<鎧>の秘密は、命に代えても守られねばならぬ。
もしも元宰相の老人が、老いた挙げ句にその秘密の一端でも周囲に漏らしてしまうことがあったなら。それはこの王国に即座に大きな災いを招きかねない。そのようなことは、決して許すわけにはいかなかった。
ナイトの顔は、もはや蒼白になっている。
「つ……つまり、それは……」
王の声は、震えていた。
老人は力なくひとつ頷いた。
「そういうことにござりまするよ。我ら歴代の宰相は、その初めから定められておるのでござりまする。つまり役を解かれ、次なる者に引継ぎを行うたあと……速やかにかつ密やかに、自ら服毒死することを──」
王の執務室は、しばし、しんと静まりかえった。
サイラスは血の気のない顔で椅子の上に凍り付いている。ゾディアスとディフリードも身動きもしなかった。腕を組み、顎に手をやるなどしたまま一言も発さない。
佐竹は暫く考えていたが、やがて王に向かって言った。
「陛下。もしお許しいただけるならば、自分に宰相閣下へのご質問をさせていただきたいのですが」
ナイトは驚愕から抜けきってはいない顔だったが、目を上げるとすぐに頷き返した。
「あ、……ああ。むしろ、頼むよ──」
「恐れ入ります」
佐竹は一礼して立ち上がり、老人の傍に近づいた。すると、ズールはびくりと体を硬くしたようだった。ナイトが怯えた老人の背中をさすって、子供を宥めるような声で言った。
「心配いらぬ。何でも、正直に申してくれればよい」
佐竹はズールの二歩ばかり手前に来ると、床に片膝をつき、老人と視線を合わせた。
「閣下。お尋ねしたい事は様々ありますが、まずは<鎧>のなんたるかをお教えください」
佐竹の声は静かだった。きちんと敬語まで使って質問する彼を、ゾディアスはちょっと驚いたような目で見つめていた。
ズールはまたいろいろに逡巡したらしかった。だが、ナイトがまた隣で頷いて見せたのを見て、ようように言葉を発した。
「正確なことは、儂にもわからぬ……。しかし」
佐竹の目をじっと見るまでの勇気はないのか、老人は少しまた俯いた。
「それは、太古の昔よりこの世界にあったものだと言われておる。この王国が始まるよりもずっと前……そうじゃ、あの御伽噺にもある通り、天より下ったものらしい」
「…………」
佐竹は老人に厳しい目を向けたまま黙っている。
「年に一度、陛下がそこへ入られねば、<鎧>はこの地を終焉させるのだと……。前任の宰相閣下からは、そう聞かされておる」
「『入る』……? 鎧ならば、『着る』というのが正しいのでは?」
ちょっとした言い回しに疑問を感じて尋ねたのだが、ズールは嘲るように笑っただけだった。
「違う。<鎧>とは、兵どもの着る、いわゆるあの鎧を言うのではない。あれは、そう……言わば建造物じゃわ。陛下しかお入りになれぬ入り口があり、陛下はそこに、毎年夏至の日より数日の間お籠もりになる。われら宰相はその外で<鎧>の操作をし、『儀式』の完遂を見届ける──」
やはり、いまひとつ要領を得ない説明だ。要するにこのズールも、<鎧>の本体が何であるかを確と理解しているわけではないようだった。
こればかりは、現地で現物をこの目で見るより仕方がないようである。
そう結論づけてから、佐竹はあっさりと質問を変えた。
「では、七年前に起きたことをお教えください。サーティークが何をしたか。そして何故、貴方様があの<産道>を開くに至ったかを」
老人は少しの間、跪いたままの文官姿の青年をじっと見つめていたが、力なくまた頷いた。
「まあ……そうよな。まずはそこから、話さねばなるまいよ――」
再び水をひと口飲みくだすと、老人は言葉を続けた。
「七年前の夏至の日、つまりわが国の『儀式』の日。かのサーティークは<産道>を開きおったのじゃ。驚くべきことじゃった……。なにしろその日は、南では冬至の日のはずではないか。どのようにして<鎧>を操作し、あのようなことを為したものか――」
聞きながらも、佐竹は考えている。
(……それだけ、奴は<鎧>に精通し、操作に長けているということか)
もしかすると南では、エネルギーの蓄積に類する技術にまで辿りついているのやもしれぬ。とはいえここまでの状況を考え合わせると、あちらでもまだ「儀式」を行なっていると仮定して、年にもう一度使えるか使えないかといったところか。
「ともかくも、奴は『儀式の間』に現れた。そなたが見たと同じ、あの真っ黒の円い門じゃ……」
老人の目が再び過去に戻ったのを見て取って、佐竹は続く言葉を待った。
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