白き鎧 黒き鎧

つづれ しういち

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第五章 秘密

9 宵闇(よいやみ)

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 その日の、深更。

 「佐竹、今日はなにやってんの?」

 久しぶりにあの空き部屋にやってくることができた内藤は、佐竹が彼を待ちながらやっていた作業の手元を見て、面白そうにそう聞いた。
 いつものように、夜着にガウンを羽織った姿だ。足元はさすがに冷えるため、今では毛糸の靴下に、毛皮で出来た室内履きを履いていた。

「写本の真似事だ。そう本格的なことではないけどな」
 簡単にそう答えて、佐竹は作業を中断し、開いていた書物を閉じた。
「あ、なんで? いいじゃん、ちょっと見せてよ――」
 内藤が名残惜しそうにそう言って覗こうとするのを、佐竹は手で遮った。
「時間がもったいない。ひとまず、先に報告だ」
「ちぇっ……」

 少し不満げに口を尖らすようにしたが、内藤はおとなしく引き下がった。ここでいかに食い下がったところで、所詮、理屈で佐竹に勝てるはずがない。そのことは、彼にもこれまでの経験で十分にわかっているらしい。
 すでに二十四歳になっているはずの内藤なのだが、普段は「ナイト」の人格に邪魔をされ、薬で眠らされていることも多かったせいか、ほとんど精神的な成長はうかがえない。今もこのとおり高校生の時と同様に、十七歳のままの姿の佐竹に向かってちょっと拗ねたような表情かおを隠そうともしていなかった。
 佐竹はなだめるように言葉を継いだ。

「時間があれば、あとで見せる。今日は新しい協力者を教えておく。天騎長のディフリードだ。見覚えはあるか?」
「ん? 天騎長、ディフリード……って、ああ! あのすっげー二枚目の将軍の人?」
 内藤はすぐに分かったらしかった。そして、何故か急にうきうきし始める。
「ほんっとイケメンだよな? あの人。最初見た時、『うっわ、ほんとに3Dなの、この人!?』とか思っちゃったもん、俺!」
 多少、言葉が意味不明になっている。言いたいことは分からなくもないのだが。

(しかし……)

 こう言っては何だが、佐竹ですら、あの普段は落ち着いた品の良い「ナイト王」の口からこういう台詞がぽんぽんとび出ることに、多少の違和感を覚えずにはいられない。
「ほんとに、あんな偉い人まで味方になってくれるって? 嬉しいけど、なんか信じらんないなあ……」
 もちろん、目の前でにこにこ笑っている内藤に向かってそんな事は言わないが。
「それもこれも、あのゾディアスの人脈のお陰だ。できればもう少し、本人が昇進に積極的だったらなお良かったんだが――」
 はは、と内藤が少し笑った。
「なーんか、分かる気がする。あの人、そーゆーの興味なさそうだもんなあ?」

 最近の内藤は、「ナイト」の人格の裏側で昼間も外界のことをじっと観察するようになっている。そんなわけで、直接の面識があるとは言えないまでも、こうしてゾディアスやディフリードの姿ぐらいは見知っているのだ。
 ともかくも。彼が今までなら精神的に不安定すぎて落ち着いて見られなかったようなことも、じっくりと見聞きできるようになったというのは喜ばしいことだった。
 また彼がそうやって落ち着いている分には、「ナイト」の方でも謎の頭痛や体調不良に悩まされにくくなるらしい。そしてその分、摂取する「薬湯」の量も減るようだった。それで結果的に、こうして夜間に「内藤」の人格が外へ出る機会が増えることにもなったのである。
 考えてみればいかにも皮肉な話ではあった。

「ともかくも、その『鎧』とやらの真の機能を明らかにするのが先決だ。俺たちが元の世界に戻るためには、恐らくその機能を使う必要がある」

 これまでこの国で見聞してきた話と内藤から聞いた話その他を考え合わせると、この世界には「魔道」と呼ばれるものが存在はするらしい。しかし、一般の人々がそれらを扱うことはまずないようだ。
 佐竹がこれまで観察してきたとおり、人々は地球で言う古代・中世期の文化程度で生活している。そして特段の「魔法」など、佐竹からすれば非現実的、非科学的な技術を生活の中で利用することはない。そしてもちろん、街や村に「魔道士」だの「魔法使い」だのという職種の人間がうろついているということもない。

 書庫の文献でも、物語や神話の中にしかそうした人々は登場していなかった。いわゆる自然科学の学問とは、それらは切り離されて考えられているようである。
 あのミード村のルツばあも確かに占いや先読みといったことはしていたが、話してみれば非常に理知的、かつ現実的な人であった。間違っても、それら「魔術」に類するものに自分たちの命を託すようなそぶりは見受けられなかったのである。

 そんな中、内藤をこの世界に連れてくるために使われた技術は秘中の秘。さらに現在ではあのズールぐらいしかその方法については知らないようだ。あのサイラスですらそこまでの情報は与えられていないらしい。
 そうしてどうやらその技術には、あの「白き鎧」が関わっている。
 この「白き鎧」の機能についてのみ、ズールは「魔道」という言葉を使う。
 いわゆる「魔道」や「魔力」といったものを疑問視してしまう佐竹にとって、どうもこのあたりの話は胡散臭くて仕方がない。

 そして。
 佐竹は再び、ひとつの仮説に行きあたる。

(むしろそれが、もっとである可能性はないのだろうか――?)

 そうであってもらったほうが、こちらにとっては都合がいい。操作方法さえマスターしてしまえば、こちらでも利用可能かも知れないからだ。
 単に「魔法」だなどと非現実的に説明されてしまったのでは、地球の人間である佐竹にとっては完全にお手上げ状態だ。その場合には、どこかで「本物の魔法使い」でも調達するより仕方がないことになる。
 そしてそんな人間は、この世界にはいないのだ。
 今後そのあたりの方針を固めるためにも、「鎧」とその機能の何たるかを知ることは絶対必須の要件だった。

「そのためには、その場所の特定と、操作方法等の情報が要る。ズールが知っているのは確かだが、それをどうやって吐かせるか――」
 それを聞いて、内藤がちょっと肩を落とした。
「ごめん……。俺、あんま役に立てなくて……」

 今のところ、彼が「ナイト」の中から見ていても、そんな情報はなかなか彼らの口から語られないらしかった。とはいえ間違いなくこの王国の最高機密に属する情報なのだから、それは致し方ないだろう。

「その辺も、ゾディアスさんとかディフリードさんとかと相談するの?」
「まあ……当然、そうなるな」

 と、小さく扉を叩く音がした。
 二人は反射的に凍りついた。

「……!」

 佐竹がふっと燭台の蝋燭を吹き消す。内藤がほとんど本能的に、佐竹の方に体を寄せた。佐竹も彼を守るようにしてその前に腕を出す。
 周囲はしばし、息づまるような闇に包まれた。
 ……しかし。

「俺だ」
 聞きなれた野太い声がして、佐竹は一気に安堵した。すぐに内藤に囁く。
「……ゾディアスだ」

 言うか言わないかのうちに、音もなく扉が開いて、ぬっと大きな影が部屋の中に入ってきた。後ろから、もう少し小さな影もするりと入ってくる。
 再び扉が閉められてから、相手の持っていた灯火から火をもらい、佐竹は改めて蝋燭を点けた。部屋全体が再びぼんやりとオレンジ色の光に照らされる。

「……こんばんは」

 低めた柔らかい声でにっこりと最初に挨拶をしたのは、やはりディフリードだった。昼間の軍服姿ではなく、ごく砕けた部屋着の上にガウンといった出で立ちである。そのせいなのかも知れないが、全身に大人の男としての色気のようなものを纏わりつかせて、その姿は妙につやめいて見えた。
 対する隣のゾディアスは、いつもどおりの無骨な軍服姿である。

「えーと……。『はじめまして』でいいのかな? この場合」

 ちょっとおどけた様子でディフリードがそう言った。だが内藤はまだ佐竹の後ろにほとんど隠れたままである。そのまま恐る恐る彼らを見返しているばかりだった。

(……まあ、仕方ないか)

 佐竹は少しため息をつく。
 一見もの柔らかに見えるディフリードはともかく、その隣で傲然と腕組みをして立っている巨躯の元上官は、後ろの内藤にしてみれば、ただただ「怖い」の一言だろう。

「心配するな。とりあえず、すぐに噛み付くことはない」

 佐竹は後ろを振り返り、内藤を宥めるつもりでそう言った。
 途端、ゾディアスに殺気のこもった半眼でめつけられる。

「……また殴られてえのか、貴様」

 言いながら、すでに握られた巨大な拳が顔の横に持ち上がっている。
 背後の内藤が、びくりと体をすくませたのが分かった。

(余計に萎縮させてどうするんだ、この男)

 心中、げんなりする。
 ディフリードはディフリードで、ゾディアスの隣で横を向き、握った手を口元に当てて「ぶくくく」と笑いをかみ殺していた。

「あ、あの……。こんばんは。はじめまして……。内藤、です……」

 佐竹の背後からちょっと顔だけ覗かせて、やっと内藤がそう言った。掠れた、震える声だった。完全にびくついて、おどおどした様子が丸出しである。まだ十分に堪能になったとはいえないこの世界の言葉であるため、その挨拶はどこか舌足らずで、幼い印象が拭えなかった。

「…………」

 そんな内藤をまじまじと見つめて、巨躯の千騎長と美貌の天騎長もやはり驚きを隠せない様子だった。

「な~るほど、ねえ……。これは、確かに別人だよねえ……」
「……だぁなあ……」

 互いに、ちょっと目を見交わしている。
 二人とも、別に佐竹の話を疑っていた訳ではないのだろう。だがここへ来て「内藤」である本人を目の当たりにすると、やはり驚かずにはいられないらしかった。
 ともあれ、ディフリードはすぐさま、にっこりと柔らかな微笑を湛えて、今は内藤である「ナイト王」に軽く会釈をした。

「では、改めまして。天騎長、ディフリードと申します。今宵こよいは運よく『ナイトウ殿』にお会いできまして光栄の至り」

 かなり砕けた普段着でありながら、その姿は貴公子然として至って優美なものだった。対するゾディアスは、これまた対照的な無骨さである。

「右に同じ。千騎長ゾディアス」

 二人二様ににんにように内藤に向かって挨拶をすると、皆はさっそく車座になって、小声で今後の相談に取り掛かった。

「まずは、一案として聞いて欲しいんだけど」
 口火を切ったのはディフリードだった。
「我々としては、陛下のご退位とヨシュア殿下の王位継承が、もっとも波風立てずにかつ手っ取り早く『ナイトウ殿』を解放して差し上げられる方策かと思うのだがね」
 隣でゾディアスが黙って頷く。
「七年前なら致し方なかったのかも知れないが、今はもうヨシュア殿下も十分にお育ちになっている。これまでにもこの国の歴史上、十四で王位を継いだ王などいくらでもいる。問題は、いかにしてなるべく早く、そちらへ話をもってゆくか。宰相殿とサイラス侍従に文句を言わせぬか、だ」

 みな、黙って頷きながらディフリードの言葉を聞いている。

「…………」

 が、内藤だけは動かなかった。
 ひとり、何かを考え込むように俯いて、次第にその表情も重く暗いものになってゆく。
 しかしその場のだれもまだ、それには気付かないでいた。

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