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第三章 武術会
5 涙
しおりを挟むその涙の意味を、佐竹は理解できなかった。
目の前にいる紫色のフードつきマントを羽織った青年は、ひどく内藤に似ていた。だが、どこか別人のような雰囲気もあった。それは彼がそのフードで、顔を半分ほども隠しているせいなのかもしれなかったが。
彼の髪は佐竹が知っているよりもかなり長く、肩のあたりまで伸びている。髪色は随分と薄くなったようだ。今ではもう完全に、茶色と言っていいぐらいだった。
そして、彼は佐竹の知っている内藤よりも少し年上のようにも見えた。
もともと童顔なほうだったとは思うのだが、それでも今は少し大人びて、ある種の男としての色気のようなものさえ漂わせている。ただそれは「男らしい」というよりは、どちらかというと優しげな柔らかいもののように見えた。
マントに隠れて服装などはよく分からなかったが、裾から覗く布地からして、凝った刺繍などの装飾がしっかりと施されたものらしい。どうやら一見して、周囲の人々よりもかなり身分の高い人物であるようだった。
「…………」
佐竹は沈黙したまま彼を見つめた。
彼は、他人と断じるにはあまりにも内藤に似すぎていた。
だが、思わず「内藤」と呼びかけてはみたものの、彼からそれらしい反応は全くなかった。
何より彼のその目は、まるで見知らぬ者を見るような色をしていた。そうしてただぼんやりと、フードの陰から佐竹を見ている。
「……!」
やがて、その目から唐突に次々と零れ始めたものに気付いて、佐竹は驚いた。
その雫は次から次へとあふれ出して、彼の頬を濡らし、フードの首元へ滴った。だが当の本人は、しばらくそのことに気付いてもいないようだった。
と、彼の隣に居た同様の出で立ちの小柄な男が、驚いて彼に「陛下」と呼びかけた。
その言葉に引っかかって、佐竹は知らず眉を顰めた。
(『陛下』、だと……?)
この世界の言葉については、佐竹もまだ十分に自信があるとは言えない。
それでもその単語は、あのミード村でも折々に耳にしたものだった。
そしてその敬称は、この国の王に対してのみ、用いられるもののはずだった。
(それは、つまり――)
目の前にいるこの人物が、この国の王だということではないのか……?
(まさか――)
佐竹は自分の行き着いた結論に驚きを禁じ得ないまま、ただ目の前の青年を見つめていた。第一、もし本当に彼が国王なのだとしたら、この状況は奇妙でもある。なぜこんな場所にこんな姿で、人目を忍ぶようにして立っているのか。
──と。
不意に「内藤」の体がぐらりと傾いた。
「……!」
そのままその場に崩れ落ちそうになる。佐竹は咄嗟にそちらに駆け寄り、彼の体を抱きかかえた。見れば彼は涙に濡れた顔のまま、まったく意識を失っていた。間近で見ても、確かにその顔は内藤のものでしかありえなかった。
中年男が慌てたように小声で叱咤してきた。
「こっ、これ! 無礼であるぞ。このお方は――」
きっとなって言いかけておきながら、男は急にあとの言葉を飲み込んだ。
そして怪訝な目で佐竹を見上げてきた。
「しかし、そなた……。何故このお方のお名を……?」
(……名?)
少し考えてから、佐竹は問うた。
「『ナイトウ』というのか? この男」
男はそれを聞いてまた激怒した。
「これ! 『このお方』と申さぬか、『このお方』と! が、うむむ……ちょっと違うような……?」
首を捻って考え込んでいる。どうもこの男の言葉は先ほどから茫洋として要領を得ない。
ともかくも、気を失った彼をこのままにしておくわけにもいかない。佐竹は木刀を背中側の腰帯に挟み、彼の膝裏をすくい上げて抱き上げた。
男がまた、じたばたと両手を振って慌てだす。
「こ、これっ、無礼な。何を……!」
「ここでこうしていても仕方がない。少し静かな場所へ行く。あんたは水でも持ってきてやったらどうだ」
男を見下ろしてそう言うと、佐竹はもはや有無を言わさず、青年の体を横抱きにしたまま大股に歩き始めた。
「サタケ! おい、サタケっ!」
いきなり後方から呼び止められて振り返れば、人ごみを掻き分けるようにしてケヴィンとガンツがこちらへやってくるところだった。ケヴィンはひどく嬉しそうな顔で声を弾ませている。
「いや~、びっくりしたぜ! さっきの試合、凄かったな!? あれって一体どうやって……って、え? なんだ?」
気を失ってぐったりした青年を抱いた佐竹と、その近くに立ち尽くしている身分の高そうなマントの男。それを見比べて、一瞬で怪訝な顔になる。ガンツはそこまであからさまに表情は変えなかったが、ケヴィンの背後でちらっと目だけで佐竹の顔を窺った。
「急病人だ。少し離れてもいいか」
素っ気なく答え、佐竹はまた踵を返して歩き出した。
「えっ!? って、おい! どこ行くんだよ」
「しばらく彼を休ませる」
「って、ええっ? そりゃまずいよ、サタケ!」
ケヴィンがびっくりして首を横に振ったが、佐竹は足を止めなかった。
「まだ試合は残ってんだぞ? おいって……!」
ケヴィンは慌てて佐竹の前に回り込み、手を広げて行く手を遮った。佐竹が足を止め、ぎろりと見下ろす。その瞳にちょっと気圧されたようだったが、ケヴィンはそれでも彼なりに精一杯の気合いを入れて、下から睨み返してきた。
「そりゃねーよ! あんな試合やらかしといて、このあとお前が出なかったら、みんな納得しねえっつーの!」
「…………」
無言でケヴィンを見下ろす佐竹に、後ろからやってきたガンツも言った。
「俺があんたの代わりに出てもいいが。多分、納得してもらえない。残念だがな」
それは至って淡々としていて、別に大して残念そうでもない声だった。
「…………」
佐竹は少し視線を落とした。
確かに、非常な世話になっており、命の恩人だとさえ言えるミード村の人々ためにはそうしてやりたい。そして、出来ることなら優勝してやりたいとも思う。それで彼らの年貢が軽減されるのだとしたら、これ以上の恩返しはないことだろう。そのことはよく分かっている。
(しかし──)
この状態の「内藤」をこのまま放っておくわけにもいかない。第一、試合に出ている間にこの中年男に、彼をどこかに連れて行かれでもしたらかなわない。
どうも先ほどから観察するに、この男の言動は胡散臭すぎる。信用ならない。こう言っては何だけれども、いま自分が目を離したら、そのくらいのことは軽くやってのけてくれそうに見えるのだ。
少なくとも腕の中にいるこの青年が「内藤ではない」とはっきり分かるまでは目を離したくない。それはどうにも気が進まなかった。
考え込んでしまった佐竹を見上げて、ケヴィンはちょっと眉間に皺を寄せ、困った顔になった。そして佐竹のそばに近づくと、中年男には聞こえないぐらいの声でそっと囁いてきた。
「……あのよ、サタケ」
佐竹は彼を見返した。
ケヴィンの目は、いたずらっぽいながらも優しかった。
「もしかして、そいつが『ナイトウ』なのかよ?」
佐竹は小さく頷いて見せた。そしてこちらも小声で答えた。
「多分な。……確かめる前に気を失ってしまったが」
「……そか」
ケヴィンは言ってにっこり笑った。
そして軽く頷くと、普通の声に戻って言った。
「え~っと……サタケ?」
ケヴィンはちょっと咳払いした。そして後ろの二人にも聞こえるように、むしろ大きな声で言った。
「その人のことが心配なんなら、俺らがちゃあんと見ててやっから。それならいいだろ? とりあえず、試合は最後まで出てくんねえかな? 俺らも一応ルツ婆様から、お前のこと頼まれてるし。俺らの顔、立ててくれよ。なっ?」
「…………」
佐竹は全てを理解した。
そして彼に一礼をした。
「……わかった。申し訳なかった」
顔を上げると、佐竹の瞳の色はもういつもの静かなものに戻っていた。ケヴィンが安心したようにちょっと息をついて微笑んだ。
「ガンツ、頼む」
そうして、佐竹は抱いていた青年の体をガンツの腕に預け、再び背中から木刀を抜いて、仕合い場へと戻っていった。
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