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終章

エピローグ

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 魔族の国に、秋風が吹く。
 あちらとの二重生活であるために、こちらの時間は飛ぶように過ぎていく。向こうでほんの数週間を過ごしただけで、こちらでの季節はすでにひとめぐりしてしまっているのだ。

 俺はいつものように、ギーナと共にガッシュの背に乗り、各地の視察に回っていた。
 <北壁>も、トロルやオーガの<分限>も、すでにもとの状態に戻っている。人々はどうにか安寧を取り戻し、日々の仕事に従事している。
 すでに視察と今後の指示等々を済ませ、俺たちは魔王城に戻る途上である。

 雄大な魔族の国。
 空はどこまでも高く澄んで碧く、はるか上空に、刷毛でひと撫でしたように、細長い雲が走っている。
 南の人族側の国々との交渉もひとまずは順調に進められ、少しずつ互いの交流が始められつつあるところだ。

 ちなみに南側の「創世神」崇拝者たちは、マリアたちが消えると同時にその信仰を捨てざるを得なくなった。数千年にもわたったその信仰が贋物であることが明白になったのだから仕方がないが、さすがに人々の混乱は必至かと思われた。
 だが驚くべきことに、彼らは自分たちの崇める神をあっさりと、あの「いにしえのドラゴン」にすげ換えてしまったのだ。
 なにしろ、あのときの荘厳な光景を見た者は数万人もいる。

『ドラゴンしんさまは、遂に偽りの神の支配にしびれを切らし、人の世の融和を目指さんとする魔王ヒュウガに手を貸して、いかづちの鉄槌をもって偽りの神と、そのしもべどもを駆逐したのだ』──。

 どうやらちまたではそんなこっずかしい物語さえ、まことしやかに語られているらしい。すでに各地をめぐる吟遊詩人たちが様々な叙事詩をつくりあげ、あちこちで語り唄い始めているとも聞く。
 ……正直、やめてもらいたい。
 だが、下手に禁止するわけにもいかない。それでは民の表現の自由を奪うことになってしまう。一応、為政者のはしくれとして、それだけはできない話だ。まったくもって頭が痛い。
 ともかくも。この地の人々はたくましいのだ。それが俺にとって、ひとつの安心材料ではある。
 この世界には、まだまだ明るい未来があると、そう信ずることができるからだ。


「あのさ、ヒュウガ」
 例によって俺の前に座っていたギーナがふと言った。半分だけ顔をこちらに向けて、軽くもたれかかって来る。
「別に……いいんだよ? 無理しなくても」
「え? どういう意味だ」
 訊き返すと、彼女はゆっくりと俺から頭を離してこちらを向いた。
「だから、『無理しなくてもいい』って言ってんの。あたし、そのために自分の『種』をこっちに置いて行ったんだから」

 思わぬ言葉が来て、少し沈黙した。
 どうも、何を言わんとするのかがよく分からない。
 ギーナは俯いて、やや肩を落としている。なんとなく寂しげだ。

「……別にさ。マリアを生むのはあたしじゃなくってもできることだし」
「あたしなんて、やっぱりあっちの世界じゃ……浮いてるし」
「こんな年増なのだって、まずいだろうし。ヒュウガの兄弟、変な顔してたじゃない?」
「やっぱりどう考えたって、ヒュウガとは釣り合ってないんだし──」

 一旦言い出すと、まるで堰を切ったように、口がどんどん止まらなくなる。そのくせ自分で言っておきながら、彼女自身がどんどん傷ついているのが分かった。肩をさらに縮こまらせ、細かく震わせている。

「いや。ちょっと待ってくれ」
 俺はそう言って、足元のガッシュに指示を出した。
 この若い黒ドラゴンは、ここまでの会話を細大漏らさず聞いている。それでは困る話だと思ったからだ。

《へーへー。まっ、そーだな。オレが聞いてちゃマズイわなー?》

 ガッシュはあっさりそう言うと、俺たちをとある森へと連れて行った。そこは、中央部に小ぶりな湖を抱えた森だった。
 森のはずれに降り立ったガッシュをそこで待たせて、俺はギーナを連れ、二人で小道を歩いて行った。俺はガッシュから降りるときに引いた彼女の手を、そのまま放さずにつないでいる。
 秋口の森の中は、空気がさらさらと乾いて気持ちがよかった。紅葉のはじまった木の葉がざわめき、その間からちらちらと陽光が差して、地面をまだらに照らしている。
 やがて木立の向こうに、陽光を跳ね返す湖の水面みなもが見えてきた。
 全体を見渡せる場所には、大きな平たい岩が突き出たところがある。ギーナに手を貸し、俺たちはそこにのぼった。

 しばらく黙って、水面を見つめる。
 やがてギーナが、ぽつりぽつりと言い始めた。

「ライラとレティは、こっちでちゃんと年を取って、おばあちゃんになって……それで、いずれ自然にあっちに行こうと思ってる」
「……そうか」
「レティは『多分、猫になるんじゃにゃいかな』なんて言ってるよ。すごく楽しそうにさ。それで、あたしらのペットになるのが夢なんだって。面白くって可愛いよね、あの子」
「ああ……うん」

 そういえば、レティが少し前、そんな未来のことを楽しそうに話したのだった。

「ライラはそこまではわからないけど、でもやっぱり、あたしたちのそばにいたいんだって。『もしかして、ヒュウガ様たちの近所で生まれて、ヒュウガ様たちの子になったマリアの友達にでもなれたらいいですね』だってさ。ほんと、泣きたいぐらい優しい子だよ」
「そうだな」
「二人とも、今からほんと……楽しみにしてるみたいでさ」
「……そうなのか」
 うん、とひとつ頷いて、ギーナはおずおずと目を上げた。握った手に、力がこもる。
「だから……さ。あたしだって別に、それでも良かったんだ。ヒュウガの体が治ったんなら、もうあっちで魔法を使う必要だってないんだし。だから」

 いつも自信たっぷりで向こうっ気の強い彼女からすると、それは随分と心細げな顔に見えた。
 遂に、小さな声が聞こえる。

「ヒュウガがあたしのこと……イヤになったら。あたし、いつでも──」

 俺は最後まで言わせなかった。
 すぐに彼女の手を引いて両腕を回し、力をこめて抱き寄せる。
 ギーナが「ひゃっ」と変な声をたてて固まった。

「それはむしろ、俺の台詞セリフだ」
「え?」
「愛想を尽かすのは、むしろギーナのほうだと思う」
「え、そんな──」
「前にも言ったはずだ。あっちで本当の俺を見て、ギーナだってよく分かっただろう。俺はただの若造なんだ。まだ何の力もない。自分で自分の生活を支えることもできない、ただの子供に過ぎない」
「いや、ヒュウガ──」
「実際、ギーナのほうで俺に愛想を尽かす可能性のほうがはるかに高い。俺はそう思ってる」
「そんな……」
 ギーナが曖昧な顔で首を横に振る。
「だから、その時は遠慮するな。いつでも俺を捨てて、こっちに戻ってくれ。自分の人生を生きてくれ。俺には、ギーナの人生をどうこうする権利なんてない。そうでなくても、あっちで早速、苦労させてしまっているわけだし」
「いや、それはさ──」
「だからこれは、『お願い』だ」

 俺はギーナの両肩をつかんだまま、彼女の瞳をまっすぐに見た。

「もし、少しでも無理だと思ったら。その時は、迷わず自分が幸せになれると思う方を選んでくれ。俺のことなど気にするな。……絶対に、気にするな」
「ヒュウガ……」
「あっちに連れて行ってしまったことで、ギーナが不幸になるのだけは我慢ならない。あっちはこっちよりも、ずっと社会が複雑なんだ。どんな問題が発生しないとも限らない。まあ俺はあっちの人間だから、それでもあそこで生きていくしかないんだが」
「…………」
「でも、ギーナはそうじゃない。それでギーナが幸せになれなかったら……それだけは、断じて認めるわけにはいかない」
「ヒュウガってば……!」

 ギーナは俺の胸元に体を寄せ、やがておずおずと両手で俺の頬をはさみこんだ。
 桃色の瞳が悲しげに笑う。

「そうじゃないだろ? こういう時、いい男が言う台詞セリフはさ」
「え?」

 そこでギーナは少しうつむくと、小さく「バカだね」と言って笑った。

「だからさ。いい男はこう言うもんなの。……『何があっても幸せにする』って」
「…………」
「『俺が必ず幸せにする』、ってさ。……そうじゃない?」

 俺はじっと、ギーナの桃色の瞳を見つめた。

 そうか。
 そうだな。

 俺は、自分もギーナの頬を両手でそうっとはさみこんだ。
 互いの額が、今にも触れ合いそうなほどに近づく。

「……愛してる。ギーナ」

 桃色の瞳が、めいっぱい見開かれる。

「必ず、幸せにする。何があっても。俺が幸せにしてみせる。……だから」

 きらきら光る桃色の宝石に、うわっと熱い雫があふれ出す。
 美しい顔がくしゃっと歪んで、途端に少女のように幼くなる。
 水面みなもを吹き渡る風が、一瞬さっとその後れ毛をなびかせた。

 愛してる。
 この人を、愛してる。

「……そばに居てくれ。これからもずっと」

 囁くようにそう言って、俺はギーナの唇に、自分のそれを触れさせた。


                          完

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