上 下
219 / 225
第十章 帰還

2 再会

しおりを挟む

「……ヒュウガ。大丈夫?」

 ギーナだった。

「ギ──」

 言いかけるが、口も体も思ったようには動かない。分かっていたことだったが、ひどくもどかしかった。仕方なく、じっと彼女を見上げる。
 ゆるやかにアップにした紫の髪に、桃色の瞳。小麦色の肌。やや肩口の開いた紺色のワンピースは完全にこちらの世界のものだし、尖っていた耳も自然な丸い形になっているが、それはやっぱり、どう見てもあのギーナだった。
 彼女はするりとベッド脇に滑り込んでくると、すぐに俺の頬に手を当てた。手のひらの温かさが伝わってくる。

「大変なんだね、こっちでは。体がすぐには動かないんだろ?」
「…………」
「しょうがないよね。ずっと寝たきりだったんだし──」

 優しく頬を撫でられ、母親のような目で見つめられて、なんだか情けない気持ちになる。
 今の俺は、あちら世界での姿からすれば、さぞや見る影もないだろう。すっかり筋肉もそげ落ち、痩せこけて、肌艶も悪くなっているに違いない。家族のみんなは俺に嫌な思いをさせまいと、今までどおりの態度でいてくれたのだろうけれど、そのぐらいのことは容易に想像がつく。
「大丈夫」
 ギーナがにっこりと微笑んだ。それはまるで、俺の思念を読み取ったかのように見えた。
「安心して、ヒュウガ。だって、あたしがいるんだからさ」
「……ど」

 「どういうことだ」と訊こうとしたのだったが、やっぱりうまくはいかなかった。が、次の瞬間、彼女が無造作に豊かな胸元の間から取り出したものを見て驚いた。ギーナの手には、彼女の愛用していたあの魔法の煙管きせるが握られている。
 ギーナは指の先で、それをくるりと一回転させてにこりと笑った。

「実は、ドラゴン父さんのお計らいでさ。あたしは赤ん坊から始めるんじゃなく、このまんまの姿でこっちの世界に連れてきてもらったんだよ。てっきり、魔法は取り上げられるもんだと思ってたんだけどさ。だってこっちにゃ、そんなもんは無いっていうし」
「…………」
「でも、ヒュウガのことがあったから。なんとかちょっとでも使えるようにってお願いしてみたのさ。そしたら軽~く、『別によかろう』ってなもんでさあ。あたしもびっくりしちゃったよ」
 そうだったのか。
「さっすが、いにしえのドラゴン様だよねえ。まことに素敵なご采配。って言ってももちろん、『あまり目立つ真似はせず、周囲に迷惑をかけぬように』って、しっかり釘は刺されちゃったんだけどさ」
 そこまで言って、ギーナは急に少し申し訳なさそうな顔になった。
「でも、ごめんよ? いきなり全快にするとかは無理なんだ。<魔術師ウィザード>のあたしじゃあ、<治癒者ヒーラー>ほどの働きはできないからね。こんな所で、あんまり目立つわけにもいかないし。だけどそれでも、普通にやるよりゃ絶対にマシにしてみせるからさ。ね?」

 言うなり、ギーナは口の中でなめらかに呪文を唱え始めた。煙管の先が魔法独特の薄紫の光を発して、ぽうっと明るくなっていく。ギーナはそれを、俺の額のあたりでぴたりと止めた。
 ごく低い声で呪文がつむがれていくにつれ、体全体があたたかくなり、爽やかな香りがあたりを満たしていく。それと共に、次第に体が軽くなっていくのが分かった。

(不思議だ……)

 体幹に、見るみる力が横溢おういつしてくるのが分かる。
 が戻ってきているのだ。
 そうなってみて初めて、俺は自分の中からいかに大切な気が削がれてしまっていたかを認識した。
 やがて詠唱が静かに終わると、ふっとその香りが途切れ、光も消えた。だが、そのときにはすでに自分の筋肉に少し力が戻り、体を動かしやすくなっていることに気が付いた。

「あ……りがとう、ギーナ」

 先ほどよりは、ずっと口も動かしやすくなっている。俺は片手をゆっくり上げて、枕元に置かれたギーナの手を握った。
 ギーナはふわりと微笑んでそれを握り返すと、そうっとかがみこんで俺の枕に頭を乗せた。頬に軽く、唇が触れられた感触がした。

「これを、何度かに分けてやるんだ。そうすれば目立たない。安心して。ちゃんとうまくやるから」
「……うん」
「大丈夫。あたしがついてる。すぐに良くなるからね。ヒュウガ……」

 そのまま、首元に顔を押し付けられて抱きしめられた。
 俺はほんの少し目を閉じて、ギーナにされるままになっていた。

「そうだ。ギーナ」
「うん……?」
「あれから、あっちの世界のみんなはどうなった? トロルやオーガは」
「ああ……。うん、大丈夫だよ」
「レティやライラは? ほかのみんなは」
「まあ、慌てなくても大丈夫。すぐに分かるさ」
「え?」

 なんだ、その謎だらけの台詞は。
 不思議に思って見返すと、ギーナは長い睫毛に覆われた目を片方だけつぶって見せた。

「ま、それは今夜のお楽しみってことで」
「え?」
「じゃ、また夜にね。ヒュウガ」
「いや、ちょっと待て、ギ──」

 だが、ギーナは俺の言葉など待たず、風のように病室から出ていってしまった。

(夜……? どういうことだ)


 が、その理由はすぐに分かることになった。
 消灯時間が来て、俺はベッドに横になったまま目を閉じていた。しばらくは覚醒していたものの、やっと意識が遠のいていく。
 「ああ、眠るんだな」と思った、次の瞬間。

(えっ?)

 奇妙な違和感を覚えて、俺はぱっと目を開けた。

(なに……?)

 そこは、もとの魔王としての俺の、すでに見慣れた寝室だった。天蓋付きの寝台。豪奢な織り地の天蓋布を、灯火のぼんやりとした光が照らし出している。

(どうなってるんだ、これは)

 思わず自分の体に触れて、あちこちを確認してみる。向こうとは違って、どこも傷んでいないし、自由に動いた。
 いや、よく考えてみればそれもおかしい。そもそもマリアとの対決であれほどの重傷を負ったはずの体だ。頭に手をやってみれば、折れ砕けたはずの牡牛のような角も健在だった。
 とは言え、こちらの世界には魔法がある。恐らくはあれからすぐに<蘇生リヴァイヴ>や<治癒ヒール>の魔法が施されたのだろう。
 天蓋つきの寝台からおりて大きな姿見の前に行ってみると、そこにはやっぱり以前どおりの「魔王ヒュウガ」が、夜着の姿で映っていた。黒い長髪に、青い肌。金色に光る爬虫類のような目。
 鏡の中の男が不思議そうに首をかしげる。

(いったい……?)

 と、その時だった。
 部屋の外から「お目ざめになりましたか」と声がかかり、身の回りの世話を担当していた女官たちがしずしずと入って来た。そのまま、すっと床に片膝をついてこうべを垂れる。

「よくぞお戻り下さいました、陛下」
「皆さま、ずっとお待ちかねでいらっしゃいました。もちろんわたくしどももです」
「え? それは……」
「この二十日間ほどというものは、ずっとお眠りあそばされていましたので。わたくしどもも、まさかとは思いながらも案じ申し上げておりました」
「さ。まずはどうぞ、お召し替えを」
「みなにも召集を掛けてございますので」
「いや、待ってくれ。これは一体──」

 が、女たちは俺の言葉など待たず、口元に優しい微笑みを浮かべたまま、手早く俺の支度を整え始めた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

俺だけ異世界行ける件〜会社をクビになった俺は異世界で最強となり、現実世界で気ままにスローライフを送る〜

平山和人
ファンタジー
平凡なサラリーマンである新城直人は不況の煽りで会社をクビになってしまう。 都会での暮らしに疲れた直人は、田舎の実家へと戻ることにした。 ある日、祖父の物置を掃除したら変わった鏡を見つける。その鏡は異世界へと繋がっていた。 さらに祖父が異世界を救った勇者であることが判明し、物置にあった武器やアイテムで直人はドラゴンをも一撃で倒す力を手に入れる。 こうして直人は異世界で魔物を倒して金を稼ぎ、現実では働かずにのんびり生きるスローライフ生活を始めるのであった。

アイテムボックス無双 ~何でも収納! 奥義・首狩りアイテムボックス!~

明治サブ🍆スニーカー大賞【金賞】受賞作家
ファンタジー
※大・大・大どんでん返し回まで投稿済です!! 『第1回 次世代ファンタジーカップ ~最強「進化系ざまぁ」決定戦!』投稿作品。  無限収納機能を持つ『マジックバッグ』が巷にあふれる街で、収納魔法【アイテムボックス】しか使えない主人公・クリスは冒険者たちから無能扱いされ続け、ついに100パーティー目から追放されてしまう。  破れかぶれになって単騎で魔物討伐に向かい、あわや死にかけたところに謎の美しき旅の魔女が現れ、クリスに告げる。 「【アイテムボックス】は最強の魔法なんだよ。儂が使い方を教えてやろう」 【アイテムボックス】で魔物の首を、家屋を、オークの集落を丸ごと収納!? 【アイテムボックス】で道を作り、川を作り、街を作る!? ただの収納魔法と侮るなかれ。知覚できるものなら疫病だろうが敵の軍勢だろうが何だって除去する超能力! 主人公・クリスの成り上がりと「進化系ざまぁ」展開、そして最後に待ち受ける極上のどんでん返しを、とくとご覧あれ! 随所に散りばめられた大小さまざまな伏線を、あなたは見抜けるか!?

【書籍化】パーティー追放から始まる収納無双!~姪っ子パーティといく最強ハーレム成り上がり~

くーねるでぶる(戒め)
ファンタジー
【24年11月5日発売】 その攻撃、収納する――――ッ!  【収納】のギフトを賜り、冒険者として活躍していたアベルは、ある日、一方的にパーティから追放されてしまう。  理由は、マジックバッグを手に入れたから。  マジックバッグの性能は、全てにおいてアベルの【収納】のギフトを上回っていたのだ。  これは、3度にも及ぶパーティ追放で、すっかり自信を見失った男の再生譚である。

異世界で穴掘ってます!

KeyBow
ファンタジー
修学旅行中のバスにいた筈が、異世界召喚にバスの全員が突如されてしまう。主人公の聡太が得たスキルは穴掘り。外れスキルとされ、屑の外れ者として抹殺されそうになるもしぶとく生き残り、救ってくれた少女と成り上がって行く。不遇といわれるギフトを駆使して日の目を見ようとする物語

レベルアップに魅せられすぎた男の異世界探求記(旧題カンスト厨の異世界探検記)

荻野
ファンタジー
ハーデス 「ワシとこの遺跡ダンジョンをそなたの魔法で成仏させてくれぬかのぅ?」 俺 「確かに俺の神聖魔法はレベルが高い。神様であるアンタとこのダンジョンを成仏させるというのも出来るかもしれないな」 ハーデス 「では……」 俺 「だが断る!」 ハーデス 「むっ、今何と?」 俺 「断ると言ったんだ」 ハーデス 「なぜだ?」 俺 「……俺のレベルだ」 ハーデス 「……は?」 俺 「あともう数千回くらいアンタを倒せば俺のレベルをカンストさせられそうなんだ。だからそれまでは聞き入れることが出来ない」 ハーデス 「レベルをカンスト? お、お主……正気か? 神であるワシですらレベルは9000なんじゃぞ? それをカンスト? 神をも上回る力をそなたは既に得ておるのじゃぞ?」 俺 「そんなことは知ったことじゃない。俺の目標はレベルをカンストさせること。それだけだ」 ハーデス 「……正気……なのか?」 俺 「もちろん」 異世界に放り込まれた俺は、昔ハマったゲームのように異世界をコンプリートすることにした。 たとえ周りの者たちがなんと言おうとも、俺は異世界を極め尽くしてみせる!

【改稿版】休憩スキルで異世界無双!チートを得た俺は異世界で無双し、王女と魔女を嫁にする。

ゆう
ファンタジー
剣と魔法の異世界に転生したクリス・レガード。 剣聖を輩出したことのあるレガード家において剣術スキルは必要不可欠だが12歳の儀式で手に入れたスキルは【休憩】だった。 しかしこのスキル、想像していた以上にチートだ。 休憩を使いスキルを強化、更に新しいスキルを獲得できてしまう… そして強敵と相対する中、クリスは伝説のスキルである覇王を取得する。 ルミナス初代国王が有したスキルである覇王。 その覇王発現は王国の長い歴史の中で悲願だった。 それ以降、クリスを取り巻く環境は目まぐるしく変化していく…… ※アルファポリスに投稿した作品の改稿版です。 ホットランキング最高位2位でした。 カクヨムにも別シナリオで掲載。

最強の職業は解体屋です! ゴミだと思っていたエクストラスキル『解体』が実は超有能でした

服田 晃和
ファンタジー
旧題:最強の職業は『解体屋』です!〜ゴミスキルだと思ってたエクストラスキル『解体』が実は最強のスキルでした〜 大学を卒業後建築会社に就職した普通の男。しかし待っていたのは設計や現場監督なんてカッコいい職業ではなく「解体作業」だった。来る日も来る日も使わなくなった廃ビルや、人が居なくなった廃屋を解体する日々。そんなある日いつものように廃屋を解体していた男は、大量のゴミに押しつぶされてしまい突然の死を迎える。  目が覚めるとそこには自称神様の金髪美少女が立っていた。その神様からは自分の世界に戻り輪廻転生を繰り返すか、できれば剣と魔法の世界に転生して欲しいとお願いされた俺。だったら、せめてサービスしてくれないとな。それと『魔法』は絶対に使えるようにしてくれよ!なんたってファンタジーの世界なんだから!  そうして俺が転生した世界は『職業』が全ての世界。それなのに俺の職業はよく分からない『解体屋』だって?貴族の子に生まれたのに、『魔導士』じゃなきゃ追放らしい。優秀な兄は勿論『魔導士』だってさ。  まぁでもそんな俺にだって、魔法が使えるんだ!えっ?神様の不手際で魔法が使えない?嘘だろ?家族に見放され悲しい人生が待っていると思った矢先。まさかの魔法も剣も極められる最強のチート職業でした!!  魔法を使えると思って転生したのに魔法を使う為にはモンスター討伐が必須!まずはスライムから行ってみよう!そんな男の楽しい冒険ファンタジー!

王宮で汚職を告発したら逆に指名手配されて殺されかけたけど、たまたま出会ったメイドロボに転生者の技術力を借りて反撃します

有賀冬馬
ファンタジー
王国貴族ヘンリー・レンは大臣と宰相の汚職を告発したが、逆に濡れ衣を着せられてしまい、追われる身になってしまう。 妻は宰相側に寝返り、ヘンリーは女性不信になってしまう。 さらに差し向けられた追手によって左腕切断、毒、呪い状態という満身創痍で、命からがら雪山に逃げ込む。 そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。 そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。 現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!

処理中です...