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第九章 最終決戦
12 父ドラゴン 母ドラゴン
しおりを挟む《……小さき仔よ。そなたの弁、道理である》
マリアは相変わらず、冷ややかな澄んだ瞳で上空を見上げている。
《人の子の諍いごとは、畢竟、人の子の手によるほかはなし。我らが介入する道理なし》
《左様にございましょう? でしたら疾く疾く、お引き取りを》
と、にこりと微笑んだ女の周りを、急にゆらりと陽炎のようなものが包み込んだ。
《ではありますが。それはまこと、癒せぬものにございましょうや》
それは先ほどのものとはまた違う、より柔らかな思念だった。
この感じは、俺にも覚えがある。
そうだ。魔王マノンとあの魔王城で対峙した時、遠くから響いたあの声だった。
《ママ……!》
少し離れたところを飛んでいたリールーが、嬉しそうに翼をばたつかせる。どうやら上空には、伝説のドラゴンと、その奥方であるリールーの母ドラゴンがともにいるのであるらしい。
《ちいさな仔。再び生まれることを恐れるあまり、この世界に閉じこもることを選んでしまった、哀れな仔……。ですが、無理もないことです》
《…………》
マリアはわずかに唇を噛んだように見えた。
不思議なことに、父ドラゴンに対するよりも、彼女は母ドラゴンの方に、よりナイーブな反応を見せている。
《けれど、我が子リールーが信を置いたその方ならば。……そう、思うことはなりませぬか》
《どういう意味でしょう。わたくしには分かりかねます》
マリアの視線が、自然にするりと俺の方に注がれてきた。俺は呆然とそれを見返す。マリア同様、母ドラゴンの言葉の意図が飲み込めないのだ。
《あなたたち、小さき仔を癒すことがお出来になるとしたら……。それは、そちらの現魔王様しかおられませぬでしょう。お隣に、すでに素敵な方もおられるようにございますし》
「えっ……?」
ギーナがびっくりしたように体を竦ませた。まさか話の矛先が自分に向くとは夢にも思っていなかったのだろう。
俺とギーナはお互いに、目を瞬いて見つめ合う。
「どっ……どど、どういう意味だよ──」
じわじわと赤く染まっていく自分の耳を隠すように、ギーナが両手で髪を押さえた。
《今を逃せば、その機会はまた長らく失われることになりましょう。いずれにしても、そちらの魔王様に残された時間は多くない。……それでよいのですか。小さき仔よ》
《それは……大きなお世話というものですわ》
マリアは空を睨みつけながら、押し殺すように言った。
《わたくしが、ヒュウガ様のもとへですって……? よくもそんな、とんでもないご提案をひねり出されたものですわね》
《いや、待ってくれ。話がまったく見えないんだが──》
と、途端に横合いからブーイングが来た。
「え、ヒュウガっち、わかんにゃいの?」
「もうっ。ヒュウガ様ったら……!」
「さすがにこれは、オレでも分かったぜ? お前、朴念仁も大概にしとけよ~? 日向」
なんなんだ、次々と。
ライラとレティは頬を赤らめて憤慨しているが、真野に至っては完全に呆れ顔だ。レティは不満げに長いしっぽをゆらゆら振っているし、ライラは戸惑ったように眉を顰めている。
俺は困って、半ば助けを求めるように、遠くのフリーダやゾルカンたちの顔を見まわした。だが、何故かみんな憮然としたり呆れたり、かなり微妙な顔でこちらを見返しているばかりだ。
「……すまん。本気で分からん。ちゃんと説明してくれないか」
そう言ったら、みんなが「だああ」とばかりに一斉に肩を落とした。
「あー。ちょっといいか」
何故かそこで、これまで沈黙していたガイアが太い腕を上げた。
「別にそれ、あっちの世界でなくてもいいか? あと、確認なんだが、そん時ゃあ、今のマリアとしての記憶は全部消えるってことでいいんだよなあ?」
《然り》
父ドラゴンの応えは端的だ。
途端にガイアがにやっと笑った。
「そりゃあいい。だったら、俺んとこでもいいぜー? 大歓迎だ」
《それは、まことに重畳です》
空からゆるりと微笑むような気が降りて来た。母ドラゴンだ。
俺はガイアに向き直り、そのにやにや顔を少し睨んだ。
「だから、どういう意味なんだ。ちゃんと俺にもわかるように──」
「にぶーい魔王陛下のことなんざ、知るかっつーの。そこの色っぺえ姉ちゃんにでも訊きゃあいいだろ。夜、二人っきりの時にでもな。とにかく、俺のとこなら何人でもいいぜ? ミサキも『絶対欲しい』って言ってるしよ」
「おい──」
「んで、デュカ。お前のとこもいいんじゃね? そろそろ、そういうことも考えてんだろ? 閣下とよお」
「えっ……」
デュカリスが驚いて目を上げた。まさか自分に矛先が向くとは、微塵も思っていなかったらしい。
(こいつ──)
俺は渋い顔になる。
ガイアめ。もはや完全に無視か、この野郎。
デュカリスはデュカリスで、面食らった顔でちょっと頬など掻いている。
「いや、その……。そういうことはまず、閣下のご意思を尊重せねば──」
「なっ……ななな……」
そこまできょとんとしていたフリーダがここへ来て、いきなりぼわっと顔を茹であがらせた。
「こっここ、こんな所で、いきなり何を言い出すんだっ! 無礼者めがッ!」
完全に怒り心頭である。
赤パーティーの男性陣やヴァルーシャ軍の将兵たちが、銘々「ぶくくく」と笑いをかみ殺しているのが、あちこちで散見された。
《……ことほど左様に》
と、ゆらりとやってきた愉快げな思念は、父ドラゴンのものだった。それはさも、穏やかで恬淡としたご老人が、くつくつと喉を鳴らす風情に似ていた。
《世にはなにも、新たな命を厭う者らばかりがおるのではなし。温かにそなたを待ちわび、愛おしむ御仁もいくらもおろう。すべてをよくよく慮るがよい。小さき仔よ》
《…………》
《あなたがまこと、人としての生を生き直そうと思うなら。わたくしたちは、大いに後押しをいたしましょう。それは約束いたしましょうほどに》
こちらの思念は母ドラゴン。
《然り。短慮に子を儲けるような愚昧の者どものもとへではなく、心より新たな命を望んで身ごもる者のもとへ。己が腕にかわゆらしき命を抱こうと、衷心より待ちわびておる者らのもとへ。我らが魔力をもって、間違いなく送り届けて進ぜよう。……いかに》
が、その時だった。
突然、鋭い声がそれを遮った。
《お待ちください!》
キリアカイだった。
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