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第九章 最終決戦
8 開戦
しおりを挟む《わたくしが、これまでで最も憎らしかったのは……懲らしめて差し上げたかったのは。誰より、あなた様なのですよ! ヒュウガ様──!》
場はまた、しんと静まり返った。
俺はしばらく、身動きもできずにじっとマリアを見つめていた。奥歯を噛みしめ、体の両脇で拳を握り、必死に考える。
つまり、この局面での最善策が何かをだ。
《……では》
俺はぐっと背筋を伸ばし、マリアを見据えて言った。
《ご所望なのは、やはり俺ひとりということでよろしいのか? シスター・マリア》
「ちょっと、ヒュウガっ……!」
ギーナがハッとして鞍から立ち上がり、俺のマントの端を握る。今はこの高所にいることも失念してしまっているらしい。
俺は構わず先を続けた。
《だとしたら、話は早い。このような大軍をもってあなたと対峙し、多くの犠牲を払うなど、そもそも自分の望むところではなかったのですし》
「ヒュウガ! このバカっ……!」
「そうにゃ、ヒュウガっち! なに言い出すにゃっ!」
「ダメ、やめて、ヒュウガさまっ……!」
そばのドラゴンの背の上から、悲鳴のようなライラとレティの声も聞こえる。
「バカじゃないのかい? 何を言ってるんだい! あんたは……あんたはっ!」
もはや人目もはばからずに叫びながら、ギーナが俺の鎧にとりすがり、がむしゃらに肩のあたりにしがみついてくる。
「あんたは、帰らなきゃダメじゃないかっ! 今までずっと、そのためにやってきたんだろう? 魔王を倒して、無理やり魔王にされて……それでも今まであきらめずに、どうにか向こうへ帰る方法を探して来たんじゃなかったのかいっ!」
掠れる声で叫びながら、ギーナは俺の胸をドンドン叩いた。そのまま、物凄い力で胸元を握りしめられる。
その綺麗な桃色の瞳に、どっと熱いものが溢れてくるのを、俺は黙って見つめ返した。胸元を握った彼女の手の上に、自分の手を重ね合わせる。
美しい瞳。
美しい涙。
──うつくしい人。
まっすぐに、何の嘘もなく注がれてくるこの瞳の色。
いつからだろう。
いつの間にか、俺はこの色が大好きになっていた。
「そうにゃ。こっちの世界のために、ヒュウガっちがなんて……そんなの絶対ダメにゃー!」
「そうです、やめてください、ヒュウガ様っ!」
ライラとレティも必死に叫んでいる。
《……あらあら。相変わらずの人望にございますわね、ヒュウガ様。本当に、憎らしいぐらい》
マリアの声には、ひと筋の憐憫もありはしない。あるのはただただ、冷笑だった。
《そして、さすがのお覚悟ですわ。もしもあなた様がその御身をわたくしの手にゆだねてくださるのであれば……。今回の、この一連の無礼については咎めなしといたしましょう》
俺はマリアに向かってひとつ頷いて見せた。
《ただし。ひとつだけお約束いただきたい》
《あら。何をでございましょうかしら》
俺は一度、丹田に力を込めた。
《どうか今後、もうこの世界に干渉されるのはおやめください。堕ちてきた人々を、ただそのまま、この地で平和に暮らしていくに任せて頂きたいのです。異世界から来た『勇者』も『魔王』も、『ハーレム』も『奴隷』も要りませぬ。この地のことは、この地の人々に任せて欲しい。……この願い、聞き届けて頂けますでしょうか》
《あら。それは……困りましたわね》
ころころと、女が笑う。
《そんなことまで、お約束する謂れはございませんわ。あなた様は、こうしてヴァルーシャ軍と魔族軍、それにドラゴンたちまで率いてわたくしを凌駕したおつもりかもしれませんけれど──》
言って女は、ちらりと周囲の軍勢をひとわたり見回した。
《わたくしたちを『たった三百人ではないか』と侮るのは、あまりお勧めいたしませんわ。本来、わたくしたち一人一人の魔力は、あなたや四天王よりも強大なものです。それに、わたくしたちはあなた方が目にしているよりももっと多い》
「む」と後方のゾルカンが片眉を跳ね上げたらしいのが即座にわかった。
さすがに意外だったのだろう。周囲の四天王、フリーダたちも怪訝な顔で目を見合わせている。
それを見て、マリアは笑みを深めたようだった。
《ヒュウガ様、マノン様はご存知の通りですが。わたくしたちは本来、何千、何万といるのですから。それだけ、あちらで無残に殺された小さき者は多いということですわ。それはそちらの、自業自得というものでしょう》
《…………》
《この肉の器なんて、所詮、仮初めのものに過ぎません。実際にはここに、数十倍もの非業の魂が納められているのです》
俺はまた言葉を失うしかなかった。
それでは、一体どうすればいいというのか。
マリアたちの恨みは深い。
勝手な都合で実の親に殺されたこと、だれの愛情も受けられなかったこと。
その憎しみ、やるせなさ。
そして何よりも、どうしようもない寂しさと……哀しみ。
それは、誰がどんなことをしても贖えるものではないのだろう。
いったい何をどうすれば、彼女たちが納得してくれるというのか。
俺にはまったく分からなかった。
眉間に皺をたてて項垂れる俺を、マリアは冷笑を浮かべた青い瞳で見下ろしている。その瞳は凍り付いたままだ。
《よう、大将。……諦めようや》
唐突に背後から飛んできた思念は、四天王ゾルカンのものだった。
《あんたは十分、譲歩した。そんでこの始末よ。ダメだその女。こりゃもう、拳でやり合って白黒つけるしかありませんぜえ?》
《いや、ゾルカン──》
《そいつは、俺らを虚仮にしてんのよ。そーゆー奴にゃあ古今東西、拳でブン殴って分からせるしかねえっつの》
《僭越ながら。わたくしも同意見にございますな》
するりと入って来た静かな思念は、ルーハン卿のものだ。即座にゾルカンがにやりと笑った。
《およ。ルーハンのおっさんと意見が合うたあ、珍しいねえ》
《閣下に向かって、無礼な物言いはよして頂こう、ゾルカン殿。……陛下。ルーハン閣下がそう仰せとあらば、私ももちろん、ご一緒いたしまするほどに》
《右に同じ》
続いて言ったのはフェイロンとヒエン。
《あたくしも同じですわ、陛下》
その声はキリアカイだ。
《あたくし、申し上げましたわね? そいつが八つ裂きになるところを見ないうちには、夫と子のもとへは参れませんと。……どうか、あたくしとのお約束を遺漏なきようお果たしくださいませな》
虹色のドラゴンに乗った金色の鎧のもと女帝は、鋭い眼光をまっすぐに俺に向けてきていた。
《っつうことで。号令をよろしく頼んまさあ、御大将?》
「…………」
俺は、隣で危うくずり落ちそうになったギーナの腰を抱いて引き寄せながら、ゆっくりと周囲を見渡した。
左翼のフリーダと右翼のデュカリスも、黙ってこちらに頷きかえしてくるのが見える。
(そうか……。もう、やむを得んか──)
俺は胸をかき毟られるようなやるせない思いに駆られながら、しばらく沈黙してマリアたちの光の環を見つめていた。
「ヒュウガ……」
抱き寄せたギーナの顔に、ひとつ頷く。
そうして、俺は静かに片手を上げた。
《全軍に告ぐ。……これより、マリアへの一斉攻撃を開始する》
こうして遂に、魔族とヴァルーシャ帝国の連合軍とマリアとの戦の幕は切って落とされた。
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