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第五章 民のうねり

7 衝突

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《……そうですか。でしたら、仕方がありませんわね》

 彼女の手がさっと上がったのと、それが始まったのとはほぼ同時だった。
 キリアカイの周囲にいた近衛隊の<魔道師ネクロマンサー>たちが一斉に杖を掲げ、魔法の詠唱を始めたのだ。
 その途端、下方から人々の悲鳴があがった。

「きゃああっ! あんた……!」
「うわあああっ!」
「ひいいっ……!」

 見れば、数十人もの人々の体が次々と宙に浮かんで、何メートルも持ち上がり、キリアカイ側へと引き寄せられていく。まずは労働力になりそうな若い男が選ばれているように見えた。その家族や恋人らしい女性たちが悲鳴をあげて、男たちの足にとりすがろうとしている。子供たちがわあわあと火がついたように泣き出した。

(ちっ……!)

 要するに、実力行使というわけだ。結局はこうなるのか。
 しかし、これも予測の範疇ではあった。俺もすぐに片手を上げてこちらの<魔導師>たちに合図を送る。隣のギーナもすでに愛用の煙管きせるを構え、詠唱を始めていた。

「<無効化インヴェイルド>!」

 こちらが撃つのは、あちらの魔法を打ち消す魔法だ。同様の声が周囲で上がり、浮き上がっていた男たちが、今度は地面から二、三メートルも上から落とされる羽目になって悲鳴をあげた。下にいた他の男たちが、慌ててその体を受け止めてやっている。
 それを見届けるや否や、魔導師たちは別の呪文を唱え始めた。

「<魔力盾マジック・シールド>!」

 すると、キリアカイ軍と地上の群衆との間にたちまち分厚いシールドが現れた。はっきりと目に見えるものではないが、表面がちらちらと銀色に輝いていることでその存在がわかる。
 シールドのひとつひとつは六角形をしており、それが合わさって大きな傘を形成していた。銀色に輝く亀甲柄のため、それはちょうど、巨大な亀の甲羅のようにも見えた。
 人々からは数十メートルも上に掛かる半透明の甲羅は、形といい大きさといい、ちょうど東京ドームを連想させるような姿だった。
 俺は地上に向かって叫んだ。

「今のうちだ。早く、みな砦へ!」

 砦に入ってしまいさえすれば、キリアカイは手を出せない。法律上、砦の中は魔王領だからだ。要するに、もといた世界で言えば、他国の領事館と同じ扱いということになるだろうか。
 ひとたびそこを攻撃してしまえば、キリアカイは本格的に魔王軍とことを構えることになる。それはあの女とて避けたいはずだった。
 しかしこちらも、手出しができないという点では同じだ。できるのは、キリアカイの領土側にいる人々を守ることだけ。積極的にキリアカイ本人やあちらの魔導師たちを攻撃するなどは行えない。それはすなわち、彼女の領土への明らかな攻撃とみなされる。
 それをやってしまったが最後、魔族の国に内乱を勃発させることになるだろう。

「急いでにゃ! 早く走るのにゃー!」
「早く、走ってください、みなさん!」

 下方からレティとライラの声が聞こえた。
 見れば二人とも、村人の子らしい小さな子供を抱きかかえて必死に砦へ向かっている。そのすぐ脇を、脚の弱った年寄りを一度に何人も抱えたギガンテが大股に疾走していた。
 さすがにすさまじい膂力りょりょくである。ギガンテはそのまま何人かをいっぺんに自分の騎獣であるキメラに乗せては、砦との間を何往復もしているようだ。
 他の武官らも同様に動いてくれている。また、魔道師たちは<空中浮遊レビテーション>を使って次々に人々を浮き上がらせ、砦の入り口へと運んでやっていた。

「あたしも行く。いいだろ? ヒュウガ」
「ああ。どうか、みんなを頼む。気を付けろよ」
「わかってる。ヒュウガもね」

 にこっと笑って言うが早いか、ギーナも同じ魔法を使い、またたく間に人々の方へと降下していった。高所恐怖症が治ったはずはないけれども、今はみんなを助けたい一心で、そのことを忘れられているのだろう。
 ギーナは地上近くまで降りるとすぐに、足の遅い人々数名にまとめて一気に<空中浮遊>を掛け、宙に浮かせて砦へ運んだ。
 下で必死の救出劇が行われている一方、巨大な亀の甲羅の上では、キリアカイ側の魔導師たちによる波状攻撃が始まっていた。魔導士たちは火炎、氷結、電撃、毒魔法など、ありとあらゆる攻撃魔法を使ってシールドを破ろうと試みている。

「<獄炎連撃ヘル・ファイア>!」
「<魔氷結嵐デイモン・ブリザード>!」
「<魔族雷撃イーヴィル・サンダー>!」

 銀色の傘の上ですさまじい魔撃が唸りをあげ、激しい火花を散らして渦巻いた。シールドのお陰でその攻撃が下の人々に当たるということはない。けれども、それは轟くような音になって人々に降り注いだ。
 女性が悲鳴をあげて、両耳をおさえながら走っている。子供たちは驚いて泣きわめき、中にはその場に棒立ちになってしまっている者もいる。慌ててそばを走る大人たちの足に、今にもひっかけられそうだった。
 まさに阿鼻叫喚の大混乱である。そんなこんなで、人々の進みは余計に遅くなっているようだ。

(……いかんな)

 俺は一度、呼吸を整えた。
 そうして、敢えてゆっくりと静かな声を出すよう心掛けつつ、<念話>によって人々に語り掛けた。

《みんな、大丈夫だ。こちらのネクロマンサー部隊はわが軍の精鋭ばかり。決して奴らの攻撃を皆に届かせたりはしない。どうか安心して先へ進んでくれ。手のあいている者、体の丈夫な者は、できるだけ足の弱い者や子供に手を貸してやってほしい。どうか、頼む》

 この轟音の中、普通の声で語り掛けても到底声は届かなかっただろう。しかしこれは<念話>である。これならば、一人ひとりの心に直接思いを届けることができるのだ。
 見ていると、群衆の中の多くの者が、ガッシュに乗った俺の方を見上げてくれているようだった。やがて、気風きっぷのよさそうな中年オヤジ風の男だの、たくましい体躯をした青年だのがこう言いあう声が聞こえ始めた。

「よし! 魔王様もああおっしゃってるんだ。俺たちも急ごうぜ」
「そうだな。ここで立ち止まってちゃあ、陛下のご迷惑になるんだしよ」
「じいさん、大丈夫か。俺の背に乗んな!」
「そっちのばあちゃんと子供ら、俺の荷車に乗りねえ!」
「いいんだいいんだ、遠慮すんなよ! 慌てなくっていいからな」

 ひと口に魔族とはいっても、みな種族はさまざまである。トロルやゴブリンなどこそいないけれども、顔立ちも姿も千差万別だ。それら雑多な人々が、わいわいと互いに声を掛け合いながら、またどよどよと進み始めた。

(……よし)

 俺は少し安堵して、再び前を見た。
 シールドを破ろうとするキリアカイ側のネクロマンサー部隊の攻撃は続いている。そこでは相変わらず、じっと見ていると網膜をやられてしまいそうなほどの光と音が炸裂していた。
 じりじりと時間が進む。
 こちらの魔導師たちは、半分がシールドを作り出すチームに回っているため、人々を救出する側の手は足りていなかった。が、それもレティやライラ、ギガンテたちの協力のもと、少しずつ解消しつつある。

 その時だった。
 俺の頭に、聞き覚えのあるふたつの声が鳴り響いた。

《おう、お待たせしちまいやしたか? 陛下》
《陛下。お待たせをいたしました》

 それこそが、俺が待ちわびたしらせだった。

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