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第五章 民のうねり
1 雪解け
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その第一報が入ったのは、デュカリスが魔都へ来てからさらにひと月後のことだった。
魔王領の北東、キリアカイの領地と接する地域の都督が、早馬ならぬ「早ドラゴン」に乗った伝令をよこしたのだ。
「魔王陛下にお知らせ申し上げますッ! 北東方面、四天王キリアカイ殿の領地から、次々と領民がなだれ込む由にございます!」
(始まったか──)
魔王城、謁見の間。
俺は自分の王座について、長い階段のはるか下で床に膝をついた伝令の声を聞いていた。隣の椅子にはギーナが座り、俺たちを囲むようにして、レティとライラ、ヒエンとギガンテ、それに宰相ダーラムが立っている。やや後ろに、マルコとシャンティも控えていた。
季節は冬から春へと向かう時候となっている。厳しかった寒さが緩み、分厚い積雪が溶け出して川の氷を日ごとに薄くし始めたころだった。つまりそれは、とりも直さず領民たちがみずから動きやすい時期になったということだ。
俺たちは、これを待っていた。
「北東の関所にキリアカイ領の領民どもが大挙して長蛇の列をなしており、こちらへの移住を希望しております。関所の役人どもは、ただいまそれを捌くのに大わらわとのこと」
「わかった。すぐに人員を出す」
言って左にいたギガンテに目配せをすると、男は即座に一礼して踵をかえし、必要な指示を出すべく、のしのしと大股に去っていった。
もとより、予想の範囲内なのだ。すでに下準備も終わっている。
「キリアカイ側の動きは?」
「は、それが──」
伝令の弁はこうだ。
雪解けと共に移動を開始した大量の領民たちの報せを受けて、キリアカイは慌ててその関所へ数百名からなる兵を差し向けてきた。もちろん、領民たちが勝手に領地外へ出ることを阻止するためだ。
魔王軍管轄の関所については直接の手出しはできない。が、そこに到達するまでに領民たちをあの手この手でとどまらせ、場合によっては武力によって脅しつけて、力づくでもといた場所へ帰らせようとしているらしい。
本来、領民たちは勝手に農地から離れることを許されない。民が勝手に耕作をやめ、他の領地へ移動してしまったのでは、作物の作り手がいなくなってしまうからだ。それでは国の礎が危うくなる。そのための関所であり、警備兵なのだ。
今までならそれでよかった。
双方の領民たちの状況にさほどの違いがなかったからだ。
しかし、この冬から状況は大きく変わった。
「今度の魔王様は、貧しい農村の子供らにまで、タダで学問をさせてくださるそうだぜ」
「なんでも、冬の間の出稼ぎ中は、なんとその学問所で子供を預かって、食べさせてくださるそうな」
「大人だって、望むなら受け入れてくださるんだと」
「頑張って文字を覚えれば、農民の俺たちだってお役目がいただけることもあるそうな」
「やたら袖の下を欲しがったりやら、税のピンハネやらするきたねえ役人は、魔王様の領地ではみーんなクビだと! それで、ちゃあんとしたお役人を入れ直しておられるそうだぜ」
「魔王様の御膝元では、今年は一人の凍死も、一軒の娘や息子を売る家もなかったそうな」
「しかも今年から、関所のお取り調べをゆるめてくださっているんだと。移り住みたい者は、誰でも歓迎してくださるそうだぜ」
「新しくご領内に来た者らには、開墾する土地をくださるそうな」──
そうして、大きなうねりが始まったのだ。
雪解け水が小さな流れをつくり、やがて大きく逆巻いて大河を作りだすように。
『魔王領へ』
『魔王領へ』
『魔王領へ』──。
何千、何万という人々が、新天地を求め、希望を求め、少しでも楽な暮らしを求めて、魔王領を目指して動き始めた。
確かに、最初はこちらの意図的な情報操作だった。
事実ではあったけれどもそういう噂を積極的に流し、それがキリアカイ領の領民にまで聞こえるようにと多数の密偵を放ったのだ。
プロパガンダは大切だ。それは、あの「もと緑パーティー」だった女性方に教えてもらったことだった。
実際、その成果は絶大だった。ネットなどないこの世界でも、人の噂は十分に千里を走ってくれたのだ。
国は、人だ。
人のいなくなった国など、もはや国としての体をなさなくなる。
金銀財宝を咥え込んだ愚かな女帝が一人いるだけで、一体何ができようか。
そもそもその側近たちも、もともとその財のみに目がくらんで、彼女のそばに居る者ばかり。これ以上の甘い汁が望めぬとなったとき、女のそばに残る者が一体いく人あるだろうか。
俺は黒いマントを払って立ち上がった。
今度は右隣を見る。
「……行くぞ、ヒエン」
「はッ!」
「主殿にも、その旨お伝えしておいてくれ」
「了解いたしましてございます」
俺は瞬時に黒い鎧を<装着>すると、例のバルコニーで待ち構えていたガッシュに飛び乗った。ギーナが当然のようにそばに座る。
魔王城の尖塔、その下方では、すでに待機していたドラゴン部隊、総勢百頭あまりが飛び立っている。
《行くぞ、ガッシュ》
《おうともよ! あー、楽しみ、楽しみぃ!》
屈託のない少年ドラゴンの思念が脳裏で踊る。
目指すは、北東。
ガッシュの素晴らしい翼は灰色の雲を切り裂き、一直線に空を疾った。
魔王領の北東、キリアカイの領地と接する地域の都督が、早馬ならぬ「早ドラゴン」に乗った伝令をよこしたのだ。
「魔王陛下にお知らせ申し上げますッ! 北東方面、四天王キリアカイ殿の領地から、次々と領民がなだれ込む由にございます!」
(始まったか──)
魔王城、謁見の間。
俺は自分の王座について、長い階段のはるか下で床に膝をついた伝令の声を聞いていた。隣の椅子にはギーナが座り、俺たちを囲むようにして、レティとライラ、ヒエンとギガンテ、それに宰相ダーラムが立っている。やや後ろに、マルコとシャンティも控えていた。
季節は冬から春へと向かう時候となっている。厳しかった寒さが緩み、分厚い積雪が溶け出して川の氷を日ごとに薄くし始めたころだった。つまりそれは、とりも直さず領民たちがみずから動きやすい時期になったということだ。
俺たちは、これを待っていた。
「北東の関所にキリアカイ領の領民どもが大挙して長蛇の列をなしており、こちらへの移住を希望しております。関所の役人どもは、ただいまそれを捌くのに大わらわとのこと」
「わかった。すぐに人員を出す」
言って左にいたギガンテに目配せをすると、男は即座に一礼して踵をかえし、必要な指示を出すべく、のしのしと大股に去っていった。
もとより、予想の範囲内なのだ。すでに下準備も終わっている。
「キリアカイ側の動きは?」
「は、それが──」
伝令の弁はこうだ。
雪解けと共に移動を開始した大量の領民たちの報せを受けて、キリアカイは慌ててその関所へ数百名からなる兵を差し向けてきた。もちろん、領民たちが勝手に領地外へ出ることを阻止するためだ。
魔王軍管轄の関所については直接の手出しはできない。が、そこに到達するまでに領民たちをあの手この手でとどまらせ、場合によっては武力によって脅しつけて、力づくでもといた場所へ帰らせようとしているらしい。
本来、領民たちは勝手に農地から離れることを許されない。民が勝手に耕作をやめ、他の領地へ移動してしまったのでは、作物の作り手がいなくなってしまうからだ。それでは国の礎が危うくなる。そのための関所であり、警備兵なのだ。
今までならそれでよかった。
双方の領民たちの状況にさほどの違いがなかったからだ。
しかし、この冬から状況は大きく変わった。
「今度の魔王様は、貧しい農村の子供らにまで、タダで学問をさせてくださるそうだぜ」
「なんでも、冬の間の出稼ぎ中は、なんとその学問所で子供を預かって、食べさせてくださるそうな」
「大人だって、望むなら受け入れてくださるんだと」
「頑張って文字を覚えれば、農民の俺たちだってお役目がいただけることもあるそうな」
「やたら袖の下を欲しがったりやら、税のピンハネやらするきたねえ役人は、魔王様の領地ではみーんなクビだと! それで、ちゃあんとしたお役人を入れ直しておられるそうだぜ」
「魔王様の御膝元では、今年は一人の凍死も、一軒の娘や息子を売る家もなかったそうな」
「しかも今年から、関所のお取り調べをゆるめてくださっているんだと。移り住みたい者は、誰でも歓迎してくださるそうだぜ」
「新しくご領内に来た者らには、開墾する土地をくださるそうな」──
そうして、大きなうねりが始まったのだ。
雪解け水が小さな流れをつくり、やがて大きく逆巻いて大河を作りだすように。
『魔王領へ』
『魔王領へ』
『魔王領へ』──。
何千、何万という人々が、新天地を求め、希望を求め、少しでも楽な暮らしを求めて、魔王領を目指して動き始めた。
確かに、最初はこちらの意図的な情報操作だった。
事実ではあったけれどもそういう噂を積極的に流し、それがキリアカイ領の領民にまで聞こえるようにと多数の密偵を放ったのだ。
プロパガンダは大切だ。それは、あの「もと緑パーティー」だった女性方に教えてもらったことだった。
実際、その成果は絶大だった。ネットなどないこの世界でも、人の噂は十分に千里を走ってくれたのだ。
国は、人だ。
人のいなくなった国など、もはや国としての体をなさなくなる。
金銀財宝を咥え込んだ愚かな女帝が一人いるだけで、一体何ができようか。
そもそもその側近たちも、もともとその財のみに目がくらんで、彼女のそばに居る者ばかり。これ以上の甘い汁が望めぬとなったとき、女のそばに残る者が一体いく人あるだろうか。
俺は黒いマントを払って立ち上がった。
今度は右隣を見る。
「……行くぞ、ヒエン」
「はッ!」
「主殿にも、その旨お伝えしておいてくれ」
「了解いたしましてございます」
俺は瞬時に黒い鎧を<装着>すると、例のバルコニーで待ち構えていたガッシュに飛び乗った。ギーナが当然のようにそばに座る。
魔王城の尖塔、その下方では、すでに待機していたドラゴン部隊、総勢百頭あまりが飛び立っている。
《行くぞ、ガッシュ》
《おうともよ! あー、楽しみ、楽しみぃ!》
屈託のない少年ドラゴンの思念が脳裏で踊る。
目指すは、北東。
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