151 / 225
第四章 財欲の四天王
7 親善使節
しおりを挟む俺は少し心の声を落とし、ひたと男の眼を見据えた。
言ってみれば、ここからが俺の本題だった。
《貧しい民たちに教育をほどこし、優秀な人材が育った結果、ご自身の権益が侵される……と、わずかにでも恐れをお感じになりますか》
《へっ! バカにしないでおくんなさいよ》
途端、ゾルカンの思念がぐははは、と笑ったようだった。
《陛下。あんまり、このゾルカンを侮ってもらっちゃあ困りますぜ。ご心配には及びませんや。武力でも魔力でも、まだまだそんじょそこらのガキに負けるたあ思わねえし》
《それは無論のことですが》
俺がひと言はさむと、ゾルカンはすっとそのどんぐり眼を細めて見せた。そこには明らかに「青二才が。舐めてんじゃねえ」との意図が透けて見えた。
《平民でもなんでも、能力のある奴ぁそれなりの待遇で迎える。ウチは実力第一だ。家柄なんぞは二の次、三の次。それが信条ですぜ。それでいつかそいつに裏切られるんなら、それは俺の器のなさってもんでさあ。そんぐれえのことがわかんねえで、国の領袖が務まりますかい!》
《……なるほど。さすがです》
《なにより、そうなったって負けるとは思わねえしね。自慢するわけじゃねえが、こんなクソオヤジでも、命がけでついて来ようってえバカな部下の一人や二人ぐらいはいますもんでね》
俺は微笑みを禁じ得なかった。
その中には必ず、隣のヒエンも含まれていよう。
《感服いたしました。さすがはゾルカン殿ですね》
俺は安堵し、ほっと息をついた。
すでにヒエンから内々に主人の意向は聞かされていたのだけれども、こうして改めて彼の忌憚のないところを聞くことができて、胸のつかえがおりたのだ。
《ゾルカン殿のおっしゃる通りです。実際、貧しい家の子弟に学ぶ機会がないというのは、国の損失でありましょう。どんな貧しい家の子にも機会を与え、結果、将来を開くことができるのだとすれば、何よりです。国家にとって、その可能性を閉ざすことこそ大きな損失と言えるのではないかと、愚考いたした次第です》
《ふむ。一理ある》
ゾルカンはまた別の骨付き肉をばりばり噛み砕きながら言った。
《すげえな、あんた。そんなこと考えてんのか、その年で》
《……いえ。それは、自分のもと居た世界でも似たような問題があったからなのですが》
実際、あちらの世界でも、保護者からきちんと養育してもらえない子供たちが学習の機会をも奪われて、やがて進学や就職に困窮するというニュースが日常的に聞こえて来ていたではないか。
《ふーん。で? それとあの女ギツネと、一体どう関わってくるんですかい》
《はい。そこなのですが》
俺は、そこで手元の茶をひと口、飲み下した。
《そうして、平民の皆が暮らしやすい、ここに住みたいと思う環境を整えたうえで、これまでの『関所』の通過条件を緩和したいと考えています》
《……ほお。なるほど》
ゾルカンの目がぎらっと光った。
さすがである。この男とて四天王として、あの広い領土を百何十年もの統治をしてきたのだ。それだけで、俺が意図することを察したらしい。
《そりゃ大変だ。そんじゃあ俺んとこも、陛下のとこみてえに平民用の学問所やなんかを早速作ることにしなきゃなんねえってことだねえ》
《……できますれば、そのように。ルーハン卿、フェイロン殿も同様に取り掛かるおつもりのようですので》
《おっし、了解した》
言ってゾルカンは片方の手のひらに拳をばちんと打ち込んだ。
《へっ! こりゃ、のんびりしてらんねえなあ。まっ、こっちもあれこれやってみるわ。ついちゃあ、あんたのとこの新しい学問所、ちょいと見学させてもらっても構わねえかい》
《それはもちろん。どうぞご自由にご覧ください。なんでしたら、今からでもご案内いたしましょう》
《ん? おいおい。もう出来てんのかい》
ゾルカンが大きな目をさらにぎょろっとひん剥いて瞬かせた。
《はい。まだわずかではありますが。つい最近、読み書きのできる者たちを教師として任命し、特に冬の間に魔都まで出稼ぎに来る者の子供たちを中心に集めて、学問所を創立してみたところです》
《へえ……!》
男は呆気にとられてぽかんと俺を見つめ、次にヒエンに視線をやった。
《てンめえ、ヒエン。ここんとこ、随分と楽しそうにしてやがんなあと思ったら》
そのぼうぼう髭の顔がにやりと楽しげに歪んでいる。
《こりゃあ、側にいたらたまんねえわなあ。けど、俺以上にこのお方に惚れやがったら承知しねーぞ? ったくよ──》
《は。滅相もないことにございまする》
ヒエンは例の表情の見えない顔で、すっとゾルカンに頭を垂れた。
《ほんとかよ。あぶねえ、あぶねえ──》
くはははは、とゾルカンが哄笑する。
獅子顔の男はいつもどおり、黙ってそれに応じただけだった。
◇
さて。
南方、ヴァルーシャ帝国からの使節がやってきたのは、それから数日後のことだった。
人族側からこの魔族の国へ親善使節がやってくるなど、ここ数百年で初めての椿事、前代未聞のことである。
使節団は五頭のドラゴンで編制されたもので、団長はあの近衛騎士団副長、デュカリスが務めていた。
その少し後ろを跳んでいるドラゴンの背には、見覚えのある片目の蜥蜴族の姿が見える。確か、あの「北壁」を守る街ハッサムの総督、バーデンの腹心だった男だ。名は、確かギガンテといったはず。
相変わらず、暗い藍色をした巨体をどうにか軍服に包んだ偉丈夫である。
俺とギーナは、魔王城の広い前庭に降り立ったドラゴンたちを出迎えた。背後には魔王軍の近衛兵たちがずらりと並んで見守っている。
白いマントを翻して、長い銀髪の美貌の男がドラゴンから飛び降りると、ギガンテをはじめとする他の者たちも次々とそれに倣った。
デュカリスは大股にこちらに近づいてくると、俺の手前で立ち止まり、流れるように美麗な一礼をした。背後の者たちは片膝をついて頭を垂れる。
「ヒュウガ殿。こうしてお会いするのは久しぶりだな。ご健勝そうで、何よりだ……いや、何よりにございます、魔王陛下」
「あ、いえ」
途中で彼の言葉遣いが変わったのは、俺の背後にいた宰相ダーラムをはじめ、近衛隊や召し使いに至るまで「我らが魔王陛下に向かって、なんと無礼な物言い!」とばかりに渋い顔になったからだろう。
俺はすぐに片手をあげて、皆の態度を制した。
「やめてくれ。非礼にあたるぞ。こちらは、南側で俺が随分と世話になった御方なのだから」
「……は、はは」
慌てて頭を垂れた一同を見て、デュカリスが苦笑した。
「それを言うなら、世話になったのはむしろこちらの方なのですが。その節はもろもろ、まことにありがとうございました、陛下」
「ですから、閣下。どうぞ以前どおりになさってください。どうか『ヒュウガ』とお呼び捨てを。お言葉もどうぞ以前のままで。自分が気持ち悪いので」
「……そうですか。忝い。では、ありがたくお言葉に甘えさせてもらうよ、ヒュウガ殿」
言って稀有な美貌をゆるやかに微笑ませつつ、男は何食わぬ顔で、背後にちょっと視線を投げた。それは明らかに、俺の視線を誘導するための仕草だった。
誘われるままそちらを見やって、驚いた。
(なに……?)
巨大なギガンテの体躯に隠れるように、ちらちらとふたつの小さな影が見え隠れしている。それは俺のよく見知った姿だった。
二人とも、すでに目にいっぱい涙を溜めて食い入るように俺を見ている。
(まさか──)
俺はしばらく、何も言えずに目を瞠っていた。
胸の中に、何か言いしれぬ温かなものがうわっと溢れだしてくる。
「レティ……。ライラか?」
「ヒュウガっち!」
「ヒュウガさまっ……!」
声がするのと、影のひとつが凄まじい速さでこちらにぶっ飛んでくるのは同時だった。
0
お気に入りに追加
143
あなたにおすすめの小説
ギルドから追放された実は究極の治癒魔法使い。それに気付いたギルドが崩壊仕掛かってるが、もう知らん。僕は美少女エルフと旅することにしたから。
yonechanish
ファンタジー
僕は治癒魔法使い。
子供の頃、僕は奴隷として売られていた。
そんな僕をギルドマスターが拾ってくれた。
だから、僕は自分に誓ったんだ。
ギルドのメンバーのために、生きるんだって。
でも、僕は皆の役に立てなかったみたい。
「クビ」
その言葉で、僕はギルドから追放された。
一人。
その日からギルドの崩壊が始まった。
僕の治癒魔法は地味だから、皆、僕がどれだけ役に立ったか知らなかったみたい。
だけど、もう遅いよ。
僕は僕なりの旅を始めたから。
転生賢者の異世界無双〜勇者じゃないと追放されましたが、世界最強の賢者でした〜
平山和人
ファンタジー
平凡な高校生の新城直人は異世界へと召喚される。勇者としてこの国を救ってほしいと頼まれるが、直人の職業は賢者であったため、一方的に追放されてしまう。
だが、王は知らなかった。賢者は勇者をも超える世界最強の職業であることを、自分の力に気づいた直人はその力を使って自由気ままに生きるのであった。
一方、王は直人が最強だと知って、戻ってくるように土下座して懇願するが、全ては手遅れであった。
異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜
KeyBow
ファンタジー
間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。
何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。
召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!
しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・
いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。
その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。
上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。
またぺったんこですか?・・・
【完結】【勇者】の称号が無かった美少年は王宮を追放されたのでのんびり異世界を謳歌する
雪雪ノ雪
ファンタジー
ある日、突然学校にいた人全員が【勇者】として召喚された。
その召喚に巻き込まれた少年柊茜は、1人だけ【勇者】の称号がなかった。
代わりにあったのは【ラグナロク】という【固有exスキル】。
それを見た柊茜は
「あー....このスキルのせいで【勇者】の称号がなかったのかー。まぁ、ス・ラ・イ・厶・に【勇者】って称号とか合わないからなぁ…」
【勇者】の称号が無かった柊茜は、王宮を追放されてしまう。
追放されてしまった柊茜は、特に慌てる事もなくのんびり異世界を謳歌する..........たぶん…....
主人公は男の娘です 基本主人公が自分を表す時は「私」と表現します
2度追放された転生元貴族 〜スキル《大喰らい》で美少女たちと幸せなスローライフを目指します〜
フユリカス
ファンタジー
「お前を追放する――」
貴族に転生したアルゼ・グラントは、実家のグラント家からも冒険者パーティーからも追放されてしまった。
それはアルゼの持つ《特殊スキル:大喰らい》というスキルが発動せず、無能という烙印を押されてしまったからだった。
しかし、実は《大喰らい》には『食べた魔物のスキルと経験値を獲得できる』という、とんでもない力を秘めていたのだった。
《大喰らい》からは《派生スキル:追い剥ぎ》も生まれ、スキルを奪う対象は魔物だけでなく人にまで広がり、アルゼは圧倒的な力をつけていく。
アルゼは奴隷商で出会った『メル』という少女と、スキルを駆使しながら最強へと成り上がっていくのだった。
スローライフという夢を目指して――。
外れスキルは、レベル1!~異世界転生したのに、外れスキルでした!
武蔵野純平
ファンタジー
異世界転生したユウトは、十三歳になり成人の儀式を受け神様からスキルを授かった。
しかし、授かったスキルは『レベル1』という聞いたこともないスキルだった。
『ハズレスキルだ!』
同世代の仲間からバカにされるが、ユウトが冒険者として活動を始めると『レベル1』はとんでもないチートスキルだった。ユウトは仲間と一緒にダンジョンを探索し成り上がっていく。
そんなユウトたちに一人の少女た頼み事をする。『お父さんを助けて!』
【完結】おじいちゃんは元勇者
三園 七詩
ファンタジー
元勇者のおじいさんに拾われた子供の話…
親に捨てられ、周りからも見放され生きる事をあきらめた子供の前に国から追放された元勇者のおじいさんが現れる。
エイトを息子のように可愛がり…いつしか子供は強くなり過ぎてしまっていた…
転移した場所が【ふしぎな果実】で溢れていた件
月風レイ
ファンタジー
普通の高校2年生の竹中春人は突如、異世界転移を果たした。
そして、異世界転移をした先は、入ることが禁断とされている場所、神の園というところだった。
そんな慣習も知りもしない、春人は神の園を生活圏として、必死に生きていく。
そこでしか成らない『ふしぎな果実』を空腹のあまり口にしてしまう。
そして、それは世界では幻と言われている祝福の果実であった。
食料がない春人はそんなことは知らず、ふしぎな果実を米のように常食として喰らう。
不思議な果実の恩恵によって、規格外に強くなっていくハルトの、異世界冒険大ファンタジー。
大修正中!今週中に修正終え更新していきます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる