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第四章 財欲の四天王

7 親善使節

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 俺は少し心の声を落とし、ひたと男のまなこを見据えた。
 言ってみれば、ここからが俺の本題だった。

《貧しい民たちに教育をほどこし、優秀な人材が育った結果、ご自身の権益が侵される……と、わずかにでも恐れをお感じになりますか》
《へっ! バカにしないでおくんなさいよ》

 途端、ゾルカンの思念がぐははは、と笑ったようだった。

《陛下。あんまり、このゾルカンを侮ってもらっちゃあ困りますぜ。ご心配には及びませんや。武力でも魔力でも、まだまだそんじょそこらのガキに負けるたあ思わねえし》
《それは無論のことですが》

 俺がひと言はさむと、ゾルカンはすっとそのどんぐりまなこを細めて見せた。そこには明らかに「青二才が。舐めてんじゃねえ」との意図が透けて見えた。

《平民でもなんでも、能力のある奴ぁそれなりの待遇で迎える。ウチは実力第一だ。家柄なんぞは二の次、三の次。それが信条ですぜ。それでいつかそいつに裏切られるんなら、それは俺の器のなさってもんでさあ。そんぐれえのことがわかんねえで、国の領袖が務まりますかい!》
《……なるほど。さすがです》
《なにより、そうなったって負けるとは思わねえしね。自慢するわけじゃねえが、こんなクソオヤジでも、命がけでついて来ようってえバカな部下の一人や二人ぐらいはいますもんでね》

 俺は微笑みを禁じ得なかった。
 その中には必ず、隣のヒエンも含まれていよう。

《感服いたしました。さすがはゾルカン殿ですね》

 俺は安堵し、ほっと息をついた。
 すでにヒエンから内々に主人の意向は聞かされていたのだけれども、こうして改めて彼の忌憚きたんのないところを聞くことができて、胸のつかえがおりたのだ。

《ゾルカン殿のおっしゃる通りです。実際、貧しい家の子弟に学ぶ機会がないというのは、国の損失でありましょう。どんな貧しい家の子にも機会を与え、結果、将来を開くことができるのだとすれば、何よりです。国家にとって、その可能性を閉ざすことこそ大きな損失と言えるのではないかと、愚考いたした次第です》
《ふむ。一理ある》
 ゾルカンはまた別の骨付き肉をばりばり噛み砕きながら言った。
《すげえな、あんた。そんなこと考えてんのか、その年で》
《……いえ。それは、自分のもと居た世界でも似たような問題があったからなのですが》

 実際、あちらの世界でも、保護者からきちんと養育してもらえない子供たちが学習の機会をも奪われて、やがて進学や就職に困窮するというニュースが日常的に聞こえて来ていたではないか。

《ふーん。で? それとあの女ギツネと、一体どう関わってくるんですかい》
《はい。そこなのですが》

 俺は、そこで手元の茶をひと口、飲み下した。

《そうして、平民の皆が暮らしやすい、ここに住みたいと思う環境を整えたうえで、これまでの『関所』の通過条件を緩和したいと考えています》
《……ほお。なるほど》

 ゾルカンの目がぎらっと光った。
 さすがである。この男とて四天王として、あの広い領土を百何十年もの統治をしてきたのだ。それだけで、俺が意図することを察したらしい。

《そりゃ大変だ。そんじゃあ俺んとこも、陛下のとこみてえに平民用の学問所やなんかを早速作ることにしなきゃなんねえってことだねえ》
《……できますれば、そのように。ルーハン卿、フェイロン殿も同様に取り掛かるおつもりのようですので》
《おっし、了解した》
 言ってゾルカンは片方の手のひらに拳をばちんと打ち込んだ。
《へっ! こりゃ、のんびりしてらんねえなあ。まっ、こっちもあれこれやってみるわ。ついちゃあ、あんたのとこの新しい学問所、ちょいと見学させてもらっても構わねえかい》
《それはもちろん。どうぞご自由にご覧ください。なんでしたら、今からでもご案内いたしましょう》
《ん? おいおい。もう出来てんのかい》

 ゾルカンが大きな目をさらにぎょろっとひんいて瞬かせた。

《はい。まだわずかではありますが。つい最近、読み書きのできる者たちを教師として任命し、特に冬の間に魔都まで出稼ぎに来る者の子供たちを中心に集めて、学問所を創立してみたところです》
《へえ……!》

 男は呆気にとられてぽかんと俺を見つめ、次にヒエンに視線をやった。

《てンめえ、ヒエン。ここんとこ、随分と楽しそうにしてやがんなあと思ったら》
 そのぼうぼう髭の顔がにやりと楽しげに歪んでいる。
《こりゃあ、側にいたらたまんねえわなあ。けど、俺以上にこのお方に惚れやがったら承知しねーぞ? ったくよ──》
《は。滅相もないことにございまする》
 ヒエンは例の表情の見えない顔で、すっとゾルカンにこうべを垂れた。
《ほんとかよ。あぶねえ、あぶねえ──》

 くはははは、とゾルカンが哄笑する。
 獅子顔の男はいつもどおり、黙ってそれに応じただけだった。





 さて。
 南方、ヴァルーシャ帝国からの使節がやってきたのは、それから数日後のことだった。

 人族側からこの魔族の国へ親善使節がやってくるなど、ここ数百年で初めての椿事、前代未聞のことである。
 使節団は五頭のドラゴンで編制されたもので、団長はあの近衛騎士団副長、デュカリスが務めていた。
 その少し後ろを跳んでいるドラゴンの背には、見覚えのある片目の蜥蜴族リザードマンの姿が見える。確か、あの「北壁」を守る街ハッサムの総督、バーデンの腹心だった男だ。名は、確かギガンテといったはず。
 相変わらず、暗い藍色をした巨体をどうにか軍服に包んだ偉丈夫である。

 俺とギーナは、魔王城の広い前庭に降り立ったドラゴンたちを出迎えた。背後には魔王軍の近衛兵たちがずらりと並んで見守っている。
 白いマントを翻して、長い銀髪の美貌の男がドラゴンから飛び降りると、ギガンテをはじめとする他の者たちも次々とそれに倣った。
 デュカリスは大股にこちらに近づいてくると、俺の手前で立ち止まり、流れるように美麗な一礼をした。背後の者たちは片膝をついて頭を垂れる。

「ヒュウガ殿。こうしてお会いするのは久しぶりだな。ご健勝そうで、何よりだ……いや、何よりにございます、魔王陛下」
「あ、いえ」

 途中で彼の言葉遣いが変わったのは、俺の背後にいた宰相ダーラムをはじめ、近衛隊や召し使いに至るまで「我らが魔王陛下に向かって、なんと無礼な物言い!」とばかりに渋い顔になったからだろう。
 俺はすぐに片手をあげて、皆の態度を制した。
「やめてくれ。非礼にあたるぞ。こちらは、南側で俺が随分と世話になった御方なのだから」
「……は、はは」
 慌ててこうべを垂れた一同を見て、デュカリスが苦笑した。
「それを言うなら、世話になったのはむしろこちらの方なのですが。その節はもろもろ、まことにありがとうございました、陛下」
「ですから、閣下。どうぞ以前どおりになさってください。どうか『ヒュウガ』とお呼び捨てを。お言葉もどうぞ以前のままで。自分が気持ち悪いので」
「……そうですか。かたじけない。では、ありがたくお言葉に甘えさせてもらうよ、ヒュウガ殿」

 言って稀有な美貌をゆるやかに微笑ませつつ、男は何食わぬ顔で、背後にちょっと視線を投げた。それは明らかに、俺の視線を誘導するための仕草だった。
 誘われるままそちらを見やって、驚いた。

(なに……?)

 巨大なギガンテの体躯に隠れるように、ちらちらとふたつの小さな影が見え隠れしている。それは俺のよく見知った姿だった。
 二人とも、すでに目にいっぱい涙を溜めて食い入るように俺を見ている。

(まさか──)

 俺はしばらく、何も言えずに目をみはっていた。
 胸の中に、何か言いしれぬ温かなものがうわっと溢れだしてくる。

「レティ……。ライラか?」
「ヒュウガっち!」
「ヒュウガさまっ……!」

 声がするのと、影のひとつが凄まじい速さでこちらにぶっ飛んでくるのは同時だった。
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