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第三章 北部地方

8 真意

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「つくづく、不思議なお方ですね。魔王陛下……ヒュウガ殿は」
「は?」
「ご存知の通り、これまでこちら魔族の国では、左様なまでに国の治世や民の安寧、平穏について、必死にお考えくださる魔王はおられなかった」
「はい。……それは」
「さまざまな経緯があってのこととは申せ、ヒュウガ殿が魔王となってくださったこと、民らは大いに喜んでいると聞き及んでおります。……まずはそちら、直轄領の民たちが、これまでの酷吏の重いくびきから逃れられたことは大きいのでありましょう。皆、あなた様の功績を大いに称揚、礼賛らいさんしているのだそうな」
「……いえ。左様なことは」

 俺が本気で首を横に振ると、ルーハンはさらに笑みを深めたようだった。

「今さら、ご謙遜をおっしゃいますな。ともかく、しばらくはこのフェイロンにここを預からせることと致しましょう。この者にとっても、これは良き経験となりましょうしな」
「は。勝手な願いをお聞き届けいただき、まことにありがとうございます」
 しかし、そう言って頭を下げようとしたら、すぐに「ただし」という声で遮られた。
「これは飽くまでも『預かり』でございます。もしもこの者よりも相応しき者が見つかりますれば、すぐにもこちらの統治権は陛下にお返し申し上げましょう」
「いえ、それは──」
「よいのです。どの道、自分の手に余るほどの領地など、急に持つものではありませぬからな。『分をわきまえる』こと、すなわち己が器量を見誤らぬこと。これがまつりごとには必須です。これを見誤るからこそ、人は足を掬われる。……まあそこが、心弱き人というものの悲しさでもございまするが」
「……はあ」
「ましてやここは、これまであのダーホアンの治めて来た地。あちらこちらにがまだまだ残っておりましょう。どれもこれも、一朝一夕、一筋縄でどうにかなるようなものではありませぬ。これを改善するためには、相当な覚悟が求められましょう──」
「…………」

 そんなあるじの言葉を聞いて、フェイロンの目が一瞬、ひどくうんざりしたものになったようだった。さらにじろりと俺を睨んでくる。俺は心の中だけでつい、「すまん」と手を合わせそうになった。
 想像するまでもない。これから、この男の仕事は今までの数十倍、数百倍の過酷なものになるだろう。ルーハンは俺に語り掛けているようでいて、その実、これらの言葉をこの男に聞かせるために話しているのだ。

「そちらの兎の少女も、どうやら落ち着いて来た様子。これならば、もはや『世話係』も必要ではありませぬでしょうし。フェイロンも存分に、腕をふるえようというものです」
「……は。どうぞ、よろしくお願い奉ります」
「こちらこそ」

 頭を下げた俺に向かって、ルーハンは座ったままながら、さらに深々とこうべを垂れた。
 その後ろに立つフェイロンも、今までにない真面目な顔で、きりりと腰を折ったのだった。





「やれやれ。とんでもないものを押し付けて下さったものですな、魔王陛下」
「フェイロンか」

 邸の大門のところでルーハン卿が自分の手勢の一部を連れて南西の地に戻るのを見送っていたら、不意に後ろから声を掛けられた。夕暮れ時の冬の空の向こうに、ドラゴンたちの飛影が遠ざかっていくところである。
 フェイロンは門の太い柱に寄りかかって、やや疲れたような顔でこちらを見ていた。艶やかな黒髪がひと筋、その額に落ちかかっている。それがまた、いやに色気を含んで見えた。
 少し離れた場所から、ギーナとヒエンが黙ってこちらを見ている。

「まさか自分に、斯様に大層なものを押し付けるおつもりだったとは。正直、驚きを禁じえませぬ」
「そうか?」
 俺は意識的に、ちょっと惚けた声で応じた。
「俺はこれが、当然の人選だと思ったんだがな。フェイロンの能力は買っている」
「お戯れを」
 フェイロンが形のいい眉を片方だけ上げて、皮肉げに口元を歪めて見せた。
「こうなさる以上は当然、ここはご自身の直轄領になさるものと思っていました。……してやられました。臣の浅はかさでしたな」
 その声にも、やっぱり相当に皮肉の色がこめられている。
 俺は彼に向きなおった。
「なぜだ。自分のような若造に、そんな仕事は荷が重すぎるだけのことだろう。こんなのに統治される民が迷惑するだけだ。それでは本末転倒だろう」
「左様でしょうか」
ですよ」
 俺はわずかに苦笑して見せた。
「ルーハン卿に、先ほども申し上げた通りだ。フェイロン殿なら、俺なんかの何倍も、この難しい局面を卒なくこなしてゆけるだろう。あなたには大いに期待している」
「またまた、左様なことを。だまされませんぞ」
 言って、フェイロンはついと俺に近づいてきた。
「そのような言い逃れが、通用するとお思いか」
「いや、言い逃れでは──」

 フェイロンが近づいてきたことで、ギーナとヒエンがやや身構えたようだった。ギーナは例の煙管を構えかけ、ヒエンが一歩、こちらに出てくる。が、俺は手を上げて二人を制した。
 フェイロンは彼らをちらりと横目で見やり、口の端をひきあげた。

「お教えくださいませ。あなた様の本当の目的とは、なんなのです? この地の民らの安寧と平和だというのは、まあ嘘ではありますまい。とりあえず信じて差し上げましょう」
 とりあえずって、なんなんだ。
「しかし、決してそれだけではありますまい?」
「…………」
「よいではありませんか。あなた様はわたくしに、こんな面倒ごとを押し付けた。その代わりと言っては何だが、真意の一部だけでもお漏らしくださるぐらいは構いませんでしょう? そうお訊ねしているのです」
「真意、……ですか」
「左様、真意」

 そこいらの女なら裸足で逃げそうなほどの男の美貌が、ずいと俺の顔に接近してくる。彼が近づいてくるにつれ、華やかな花の香のような匂いが強くなった。
 なにやら妙な気持ちになって、俺は一歩、退しりぞいた。

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