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閑話
4 少年ヴァルーシャ
しおりを挟む「そうか。では、『青の勇者』の奴隷だった猫族も人族も、無事に目を覚ましたのだな」
「は。かなり気を揉みましたが、どうにか無事に」
「あと少し<蘇生>が遅れておりましたら、危ないところにございましたが──」
「うん。よかった」
ヴァルーシャ宮の皇帝専用執務室。磨きぬかれた床の上で、近衛騎士団の隊長と副隊長とが、それぞれ片膝をついて頭を下げている。
柔らかな赤いベルベットをあしらった椅子に腰かけ、ひじ掛けに肘をついて、少年はひとつ溜め息を漏らした。
この者たちの前では、自分は己の姿を偽らない。
普段は周囲の優秀な魔術師たちが自分に<幻術>をほどこしている。そうして実際の年齢よりも十も上に見えるように仕向けているのだ。それも、目の前の銀髪の美麗な青年によく似た姿に。
実際の自分はこのとおり、やっと十代に入ったばかりのチビの小僧だ。髪や目の色こそ偽っていないけれども、この先あの<幻術>どおりの姿に成長するかどうかは分からない。なにしろ目の前の青年は、完璧と言っていい美貌のほかに、清廉な心をも備えているものだから。
彼は自分が物心ついたときから、尽きせぬ憧憬の対象なのだ。
「……まずは、良かった。そなたたち二人も、無事でなによりだったよ。お疲れ様」
「恐れ入ります、陛下」
「有難う存じます」
「……やめてよ。もう人払いはしたんだから。いつも通りに話して? デュカリス兄さま」
つい、甘えた声を出して咎めてしまう。
自分と権力を争うことを嫌って野に下ってしまったこの甥の青年を、ヴァルーシャはひどく慕っていた。隣にいる彼の恋人も、気は強いが頼れる姉のように思ってもいる。
「……ね、兄さま。フリーダ姉さまも」
「はい」
「はい……。恐れ入ります」
先日の魔王城での一戦で、事態は思わぬ結果になった。
「青の勇者」ヒュウガを擁した連合軍は東西に分かれ、一路、魔族の国の中枢、魔王城を目指して飛んだ。まさに電光石火の早業だった。
幸いにして四天王は動こうとせず、作戦は思った以上に順調に進み、一同は速やかに魔王殲滅に成功した……かに、見えた。
しかし。
現魔王は、あのヒュウガとの因縁の人物だった。奴はむしろ、手ぐすねひいてヒュウガを待ち構えていたらしい。そうして彼の「奴隷」たる三名の女性を瀕死の状態に追い込んだ。慟哭するヒュウガを見て、気が違ったかのように笑い狂い、ヒュウガの怒りの一撃を受けてのたうち回ったのだという。
そしてあろうことか、強引に彼に魔王の座を譲る儀をおこなって、四散し、消えた。それは明らかに、彼に対する嫌がらせだった。
問題はそのあとだった。
あの忌々しい女「シスター・マリア」が、遂にその本性を露わにしたのだ。
女は「奴隷女」たちの命を盾にとり、「女たちの命惜しくば次の魔王になれ」とヒュウガを脅迫したのだという。
(……なんてことだ)
もし彼が。
彼がそこで、たとえ心を通じた女たちを見殺しにしても世界を救おうという勇者であったら。さすれば今、この事態にはなっているまい。魔王は斃れ、かの地は連合軍が制圧し、その覇権を握ったはずだ。
四天王は魔王に比べれば魔力も兵力もはるかに弱い。そしてそもそも普段から、なかなか共闘もしない者たちだと聞く。さすればそれらを制圧するのも、さほど難しくはなかったはずだ。魔王さえ、いないのならば。
しかし、自分たちはかのヒュウガのために、その機を失した。
痛恨の事態だった。
しかし、かといって悪いことばかりでもなかった。
これまでのような、何を考えているかも分からない、あるいはただただ享楽的で残虐な性質の魔王とであれば、連合国は魔族の国との停戦条約に賛同しなかった可能性が高い。
しかし相手が彼のような「魔王」であるなら、自分たちは普通の「隣人」としてかの国と付き合っていけるかもしれぬ。まあ、決して楽観などはできないが。
第一、ひとたび「魔王」になってしまったら、たとえそれまでいかに清廉な男子だったとは言え、その精神に曇りを生じないとは限らない。もしかしたら逆に一気に、堕落した享楽の魔王に変貌するかも知れないのだ。
連合国側の心配は、結局その一点に集約された。
しかし、デュカリスもフリーダもそれにははっきりと「否」と答えた。
「あの者は、そうそう弱き心の持ち主ではありませぬ」
「なんとなれば、勇者の剣たる聖なる<青藍の剣>の一振りが、そのまま彼の手元にあるということも何よりの証拠かと」
「さらには、彼の騎獣であったドラゴン、リールーが、いまだに彼と心のつながりを持っているというのです。これも大いなる証左かと」
そのように言い募ったのは、かれら二人だけではなかった。
それまで旅の同行者だった多くの者が、口をそろえて言ったのだ。
「ヒュウガはそのような魔王にはなりませぬ」
「きっと我らと手を取りあえる国づくりに尽力してくれましょうぞ」と。
(なるほど、これは──)
彼らが熱心にそう言うのを聞いて、ヴァルーシャは不思議な気持ちになったものだ。
本人にそんな意識があったかどうかは定かでないが、どうやら「青の勇者ヒュウガ」というかの青年は、相当な「人たらし」であったらしい。聞けば「奴隷」の三名の女性たちにも指一本触れなかったらしいのに、「勇者の奴隷」としての軛をはずれたあとになっても、女性がたは彼への思慕をつのらせるばかりのようだと。
生きて戻った二人の「もと奴隷」は、それゆえに毎日、泣き暮らしているようだけれども。気の毒なことだと思う。
そうしてそれは、彼の奴隷でなかった女たちも、また他の勇者の奴隷だった男たちについても同様らしい。かれらは自分たちの忸怩たる思いを持て余すようにして、来たるべき戦闘のため、日々訓練に勤しんでいるのだとか。
(こんなことなら、もうちょっと、ちゃんと話をしておくんだったな)
先般、最初の謁見において床に跪き、頭を垂れていた青年を思い出す。
あのときは忙しい政務の合い間で、「また勇者がやってきたのか」とただただ面倒に思っただけだった。それでろくに彼の顔も見ずじまいだったのだ。
尊敬するデュカリスまでが、ここまで「彼の剣技とその心根は素晴らしかった」と絶賛するのだ。ちょっと残念に思えてならない。
つぎにもし彼と会う機会があるのだとすれば。
それはもはや、あの「青の勇者ヒュウガ」ではない。
自分は「魔王ヒュウガ」となった彼と相対することになるのだ。
そのとき、彼は何を語るのだろう。
彼の今の魔力をもってすれば、この体躯のことはおのずと丸見えになるだろう。
こんな自分を見て、知って、いったいどんな顔をするのだろうか。
優しく手をとってくれる「兄さま」と「姉さま」に挟まれながら、大国ヴァルーシャの幼い皇帝はまた、ひとつ溜め息をこぼしたのだった。
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