上 下
111 / 225
閑話

4 少年ヴァルーシャ

しおりを挟む

「そうか。では、『青の勇者』の奴隷だった猫族バー・シアー人族ヒューマンも、無事に目を覚ましたのだな」
「は。かなり気を揉みましたが、どうにか無事に」
「あと少し<蘇生>が遅れておりましたら、危ないところにございましたが──」
「うん。よかった」

 ヴァルーシャ宮の皇帝専用執務室。磨きぬかれたゆかの上で、近衛騎士団の隊長と副隊長とが、それぞれ片膝をついて頭を下げている。
 柔らかな赤いベルベットをあしらった椅子に腰かけ、ひじ掛けに肘をついて、少年はひとつ溜め息を漏らした。

 この者たちの前では、自分は己の姿を偽らない。
 普段は周囲の優秀な魔術師たちが自分に<幻術イリュージョン>をほどこしている。そうして実際の年齢よりもとおも上に見えるように仕向けているのだ。それも、目の前の銀髪の美麗な青年によく似た姿に。
 実際の自分はこのとおり、やっと十代に入ったばかりのチビの小僧だ。髪や目の色こそ偽っていないけれども、この先あの<幻術>どおりの姿に成長するかどうかは分からない。なにしろ目の前の青年は、完璧と言っていい美貌のほかに、清廉な心をも備えているものだから。
 彼は自分が物心ついたときから、尽きせぬ憧憬どうけいの対象なのだ。

「……まずは、良かった。そなたたち二人も、無事でなによりだったよ。お疲れ様」
「恐れ入ります、陛下」
「有難う存じます」
「……やめてよ。もう人払いはしたんだから。いつも通りに話して? デュカリス兄さま」

 つい、甘えた声を出してとがめてしまう。
 自分と権力を争うことを嫌ってに下ってしまったこの甥の青年を、ヴァルーシャはひどく慕っていた。隣にいる彼の恋人も、気は強いが頼れる姉のように思ってもいる。

「……ね、兄さま。フリーダ姉さまも」
「はい」
「はい……。恐れ入ります」

 先日の魔王城での一戦で、事態は思わぬ結果になった。
 「青の勇者」ヒュウガを擁した連合軍は東西に分かれ、一路、魔族の国の中枢、魔王城を目指して飛んだ。まさに電光石火の早業だった。
 幸いにして四天王は動こうとせず、作戦は思った以上に順調に進み、一同は速やかに魔王殲滅に成功した……かに、見えた。
 しかし。
 現魔王は、あのヒュウガとの因縁の人物だった。奴はむしろ、手ぐすねひいてヒュウガを待ち構えていたらしい。そうして彼の「奴隷」たる三名の女性を瀕死の状態に追い込んだ。慟哭するヒュウガを見て、気が違ったかのように笑い狂い、ヒュウガの怒りの一撃を受けてのたうち回ったのだという。
 そしてあろうことか、強引に彼に魔王の座を譲る儀をおこなって、四散し、消えた。それは明らかに、彼に対する嫌がらせだった。

 問題はそのあとだった。
 あの忌々しい女「シスター・マリア」が、遂にその本性を露わにしたのだ。
 女は「奴隷女」たちの命を盾にとり、「女たちの命惜しくば次の魔王になれ」とヒュウガを脅迫したのだという。

(……なんてことだ)

 もし彼が。
 彼がそこで、たとえ心を通じた女たちを見殺しにしても世界を救おうという勇者であったら。さすれば今、この事態にはなっているまい。魔王はたおれ、かの地は連合軍が制圧し、その覇権を握ったはずだ。
 四天王は魔王に比べれば魔力も兵力もはるかに弱い。そしてそもそも普段から、なかなか共闘もしない者たちだと聞く。さすればそれらを制圧するのも、さほど難しくはなかったはずだ。魔王さえ、いないのならば。
 しかし、自分たちはかのヒュウガのために、その機を失した。
 痛恨の事態だった。

 しかし、かといって悪いことばかりでもなかった。
 これまでのような、何を考えているかも分からない、あるいはただただ享楽的で残虐な性質の魔王とであれば、連合国は魔族の国との停戦条約に賛同しなかった可能性が高い。
 しかし相手が彼のような「魔王」であるなら、自分たちは普通の「隣人」としてかの国と付き合っていけるかもしれぬ。まあ、決して楽観などはできないが。
 第一、ひとたび「魔王」になってしまったら、たとえそれまでいかに清廉な男子だったとは言え、その精神こころに曇りを生じないとは限らない。もしかしたら逆に一気に、堕落した享楽の魔王に変貌するかも知れないのだ。
 連合国側の心配は、結局その一点に集約された。
 しかし、デュカリスもフリーダもそれにははっきりと「いな」と答えた。

「あの者は、そうそう弱き心の持ち主ではありませぬ」
「なんとなれば、勇者の剣たる聖なる<青藍の剣>の一振りが、そのまま彼の手元にあるということも何よりの証拠かと」
「さらには、彼の騎獣であったドラゴン、リールーが、いまだに彼と心のつながりを持っているというのです。これも大いなる証左かと」

 そのように言い募ったのは、かれら二人だけではなかった。
 それまで旅の同行者だった多くの者が、口をそろえて言ったのだ。

「ヒュウガはそのような魔王にはなりませぬ」
「きっと我らと手を取りあえる国づくりに尽力してくれましょうぞ」と。

(なるほど、これは──)

 彼らが熱心にそう言うのを聞いて、ヴァルーシャは不思議な気持ちになったものだ。
 本人にそんな意識があったかどうかは定かでないが、どうやら「青の勇者ヒュウガ」というかの青年は、相当な「人たらし」であったらしい。聞けば「奴隷」の三名の女性たちにも指一本触れなかったらしいのに、「勇者の奴隷」としてのくびきをはずれたあとになっても、女性がたは彼への思慕をつのらせるばかりのようだと。
 生きて戻った二人の「もと奴隷」は、それゆえに毎日、泣き暮らしているようだけれども。気の毒なことだと思う。
 そうしてそれは、彼の奴隷でなかった女たちも、また他の勇者の奴隷だった男たちについても同様らしい。かれらは自分たちの忸怩じくじたる思いを持て余すようにして、来たるべき戦闘のため、日々訓練に勤しんでいるのだとか。

(こんなことなら、もうちょっと、ちゃんと話をしておくんだったな)

 先般、最初の謁見において床にひざまずき、頭を垂れていた青年を思い出す。
 あのときは忙しい政務の合い間で、「また勇者がやってきたのか」とただただ面倒に思っただけだった。それでろくに彼の顔も見ずじまいだったのだ。
 尊敬するデュカリスまでが、ここまで「彼の剣技とその心根は素晴らしかった」と絶賛するのだ。ちょっと残念に思えてならない。

 つぎにもし彼と会う機会があるのだとすれば。
 それはもはや、あの「青の勇者ヒュウガ」ではない。
 自分は「魔王ヒュウガ」となった彼と相対あいたいすることになるのだ。

 そのとき、彼は何を語るのだろう。
 彼の今の魔力をもってすれば、この体躯のことはおのずと丸見えになるだろう。
 こんな自分を見て、知って、いったいどんな顔をするのだろうか。

 優しく手をとってくれる「兄さま」と「姉さま」に挟まれながら、大国ヴァルーシャの幼い皇帝はまた、ひとつ溜め息をこぼしたのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話

妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』 『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』 『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』  大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。

性奴隷を飼ったのに

お小遣い月3万
ファンタジー
10年前に俺は日本から異世界に転移して来た。 異世界に転移して来たばかりの頃、辿り着いた冒険者ギルドで勇者認定されて、魔王を討伐したら家族の元に帰れるのかな、っと思って必死になって魔王を討伐したけど、日本には帰れなかった。 異世界に来てから10年の月日が流れてしまった。俺は魔王討伐の報酬として特別公爵になっていた。ちなみに領地も貰っている。 自分の領地では奴隷は禁止していた。 奴隷を売買している商人がいるというタレコミがあって、俺は出向いた。 そして1人の奴隷少女と出会った。 彼女は、お風呂にも入れられていなくて、道路に落ちている軍手のように汚かった。 彼女は幼いエルフだった。 それに魔力が使えないように処理されていた。 そんな彼女を故郷に帰すためにエルフの村へ連れて行った。 でもエルフの村は魔力が使えない少女を引き取ってくれなかった。それどころか魔力が無いエルフは処分する掟になっているらしい。 俺の所有物であるなら彼女は処分しない、と村長が言うから俺はエルフの女の子を飼うことになった。 孤児になった魔力も無いエルフの女の子。年齢は14歳。 エルフの女の子を見捨てるなんて出来なかった。だから、この世界で彼女が生きていけるように育成することに決めた。 ※エルフの少女以外にもヒロインは登場する予定でございます。 ※帰る場所を無くした女の子が、美しくて強い女性に成長する物語です。

ハズレスキル【収納】のせいで実家を追放されたが、全てを収納できるチートスキルでした。今更土下座してももう遅い

平山和人
ファンタジー
侯爵家の三男であるカイトが成人の儀で授けられたスキルは【収納】であった。アイテムボックスの下位互換だと、家族からも見放され、カイトは家を追放されることになった。 ダンジョンをさまよい、魔物に襲われ死ぬと思われた時、カイトは【収納】の真の力に気づく。【収納】は魔物や魔法を吸収し、さらには異世界の飲食物を取り寄せることができるチートスキルであったのだ。 かくして自由になったカイトは世界中を自由気ままに旅することになった。一方、カイトの家族は彼の活躍を耳にしてカイトに戻ってくるように土下座してくるがもう遅い。

ギルドから追放された実は究極の治癒魔法使い。それに気付いたギルドが崩壊仕掛かってるが、もう知らん。僕は美少女エルフと旅することにしたから。

yonechanish
ファンタジー
僕は治癒魔法使い。 子供の頃、僕は奴隷として売られていた。 そんな僕をギルドマスターが拾ってくれた。 だから、僕は自分に誓ったんだ。 ギルドのメンバーのために、生きるんだって。 でも、僕は皆の役に立てなかったみたい。 「クビ」 その言葉で、僕はギルドから追放された。 一人。 その日からギルドの崩壊が始まった。 僕の治癒魔法は地味だから、皆、僕がどれだけ役に立ったか知らなかったみたい。 だけど、もう遅いよ。 僕は僕なりの旅を始めたから。

王宮で汚職を告発したら逆に指名手配されて殺されかけたけど、たまたま出会ったメイドロボに転生者の技術力を借りて反撃します

有賀冬馬
ファンタジー
王国貴族ヘンリー・レンは大臣と宰相の汚職を告発したが、逆に濡れ衣を着せられてしまい、追われる身になってしまう。 妻は宰相側に寝返り、ヘンリーは女性不信になってしまう。 さらに差し向けられた追手によって左腕切断、毒、呪い状態という満身創痍で、命からがら雪山に逃げ込む。 そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。 そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。 現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!

俺だけレベルアップできる件~ゴミスキル【上昇】のせいで実家を追放されたが、レベルアップできる俺は世界最強に。今更土下座したところでもう遅い〜

平山和人
ファンタジー
賢者の一族に産まれたカイトは幼いころから神童と呼ばれ、周囲の期待を一心に集めていたが、15歳の成人の儀で【上昇】というスキルを授けられた。 『物質を少しだけ浮かせる』だけのゴミスキルだと、家族からも見放され、カイトは家を追放されることになった。 途方にくれるカイトは偶然、【上昇】の真の力に気づく。それは産まれた時から決まり、不変であるレベルを上げることができるスキルであったのだ。 この世界で唯一、レベルアップできるようになったカイトは、モンスターを倒し、ステータスを上げていく。 その結果、カイトは世界中に名を轟かす世界最強の冒険者となった。 一方、カイトの家族は彼の活躍を耳にしてカイトを追放したことを後悔するのであった。

料理の上手さを見込まれてモフモフ聖獣に育てられた俺は、剣も魔法も使えず、一人ではドラゴンくらいしか倒せないのに、聖女や剣聖たちから溺愛される

向原 行人
ファンタジー
母を早くに亡くし、男だらけの五人兄弟で家事の全てを任されていた長男の俺は、気付いたら異世界に転生していた。 アルフレッドという名の子供になっていたのだが、山奥に一人ぼっち。 普通に考えて、親に捨てられ死を待つだけという、とんでもないハードモード転生だったのだが、偶然通りかかった人の言葉を話す聖獣――白虎が現れ、俺を育ててくれた。 白虎は食べ物の獲り方を教えてくれたので、俺は前世で培った家事の腕を振るい、調理という形で恩を返す。 そんな毎日が十数年続き、俺がもうすぐ十六歳になるという所で、白虎からそろそろ人間の社会で生きる様にと言われてしまった。 剣も魔法も使えない俺は、少しだけ使える聖獣の力と家事能力しか取り柄が無いので、とりあえず異世界の定番である冒険者を目指す事に。 だが、この世界では職業学校を卒業しないと冒険者になれないのだとか。 おまけに聖獣の力を人前で使うと、恐れられて嫌われる……と。 俺は聖獣の力を使わずに、冒険者となる事が出来るのだろうか。 ※第○話:主人公視点  挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点  となります。

【改稿版】休憩スキルで異世界無双!チートを得た俺は異世界で無双し、王女と魔女を嫁にする。

ゆう
ファンタジー
剣と魔法の異世界に転生したクリス・レガード。 剣聖を輩出したことのあるレガード家において剣術スキルは必要不可欠だが12歳の儀式で手に入れたスキルは【休憩】だった。 しかしこのスキル、想像していた以上にチートだ。 休憩を使いスキルを強化、更に新しいスキルを獲得できてしまう… そして強敵と相対する中、クリスは伝説のスキルである覇王を取得する。 ルミナス初代国王が有したスキルである覇王。 その覇王発現は王国の長い歴史の中で悲願だった。 それ以降、クリスを取り巻く環境は目まぐるしく変化していく…… ※アルファポリスに投稿した作品の改稿版です。 ホットランキング最高位2位でした。 カクヨムにも別シナリオで掲載。

処理中です...