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第十章 魔族の世界へ
17 大団円
しおりを挟む「ダメ……だ。ヒュウガ……!」
苦しげに聞こえて来たのは、掠れきったギーナの声だった。
「何を言ってんだい……。そんな、女の言うこと……に、だまされんじゃ、ないよ……」
床に倒れ込んだまま、火傷まみれでほとんど見えていないだろう目で、それでも必死に俺を見ている。うっすらと微笑んでいるようだ。
「あ……たしらは、なんとでもなるさ。あんたが、そんな……なんでもかんでも、しょい込むことなんてない──」
「ギーナ──」
すでに虫の息だというのに。
それでも必死に、彼女は俺に笑って見せてくれていた。
「大丈夫さ。ライラも、レティも……部隊のヒーラーたちが来りゃあ、ちょちょいのちょいで蘇生だって、ヒールだってしてもらえる」
言いながら、ギーナは床を這おうともがいた。こちらに来ようとしているのだ。しかし、それは虚しい努力だった。彼女の爪が渇いた音をたて、弱々しく床を掻いただけだ。ギーナはその瞳にちょっと悔しげな色を浮かべたが、またこちらを向いて笑った。
「だから……いいから」
「…………」
「あんたは、帰んな。あんなに、帰りたがっていたじゃないのさ。……あんたの世界は、向こうなんだから。そうだろう?」
「…………」
「これが、最後のチャンスかもしれないんだよ……?」
「…………」
「あたしらの、ことなんて……心配しなくって、いいんだからね──」
シールドの向こうでは、再びすさまじい魔撃が繰り出され、戦闘が再開されている。それなのに、内側のこちらには、ひたすらに冷たい空気が張り詰めていた。
床に伏したギーナの姿を冷たい視線で見やっていたマリアが、笑顔のままでこちらを振り向いた。
それはまさしく、悪魔の微笑みそのものだった。
「……と、いうご意見もあるようですわね。まあ、いかようでも結構ですわ。さ、お決めになってくださいまし。ヒュウガ様」
俺は黙って、女の顔を見つめ返した。
その向こう、懇願するような瞳でじっと俺を見ているギーナと目が合う。俺は彼女に、わずかに笑って頷いて見せた。ギーナがハッと表情を凍り付かせる。
「……わかった」
「ダメ! ヒュ──」
遮ろうとするギーナの声を、俺は無視した。
元気よくとはいかなかったが、それでも十分、堂々と宣言した。
「『魔王』になる。……それで、問題解決だ」
にいっと、マリアが満面の笑みになった。
三日月のような形になったその口は、ほとんど耳に届きそうなほどに見えた。
「……よろしいのですね? それで」
「ああ」
「ダメだ! ダメだったら。……何を言ってんのさ、バカヒュウガ──」
その時だった。
遮ろうとしたギーナの声を、さらに激しく遮る声が脳の中で鳴り響いた。
《ダメダメ、ダメ──!! バカバカ、ヒュウガのバカ──っっ!!》
(え? これは──)
《やだやだあ! ヒュウガがマオウになっちゃうなんて、ボク、やだあっ! ママ! たすけてよう、ママぁ──!!》
考える暇もなかった。
次にはもうそれにかぶさるようにして、こんな声がしたからだ。
《みなさまがた。どうか避けてくださいましね。よろしくて?》──と。
いや、それは「声」と呼ぶようなものではなかった。何かの大きな存在の思念、そのものだと思われた。とても豊かで慈悲深く、おおらかで、そして気高い思念だった。
俺はなぜか、それが誰のものであるのかを説明されるまでもなく知っているような気がした。
いや、声ばかりではなかった。その時、俺の頭の中にはこの大広間の天井部分が大いに破壊される映像が、怒涛のように流れ込んできたのだ。
周囲の皆が、一瞬ハッとして動きを止めた。どうやら皆にも同じものが見え、聞こえたということらしい。
(まさか──)
ライラやレティの体に覆いかぶさり、身がまえたのと、ドドドォン、と凄まじい轟音がしたのはほぼ同時だった。壁にできたひび割れから、一瞬、目もくらむような光が差し込んだ。
「うわっ……?」
「おおおおっ!」
シールドが一瞬だけ消え去って、周囲の音が急に大きく耳を打つ。広間の壁がばらばらと崩れ始めた。そこにぽっかりと大穴が開き、外からの風がごうごうと吹き込み始める。屋根や壁を構成していたらしい残骸が、砂ぼこりとともにぱらぱらと落ちかかって来た。
それらの光と轟音に気圧されたのか、なだれこんで来ていた魔族どもが部屋の外に退いている。一部は建物の外へと吹き飛ばされたようにも見えた。
今までの暗さが嘘のように、周囲が明るくなる。開いた壁の外には、外界の空がくっきりと見えた。とは言え、そこは戦闘による煤だの煙だので相当に曇っていた。
連合軍の騎獣であるドラゴンとキメラの群れが、そこに羽虫のようにちらばって浮かんでいるのが見える。どうやら外での戦闘は、随分と落ち着いて来ていたらしい。
その中から白銀色のドラゴンが、さあっとこちらへ舞い降りてくるのが見えた。シエラに乗ったフリーダだ。
が、それもつかの間のことだった。シールドはあっという間に元通りに回復していた。
それは再び、俺とマリア、レティたち三人だけを外界から分断する。フリーダはシエラから飛び降りると、さも忌々しげに魔力による壁の前に立ち尽くし、厳しい視線でこちらを睨みつけていた。その視線はおもに、こちらのシスターを射抜いている。
「ずいぶんと邪魔が入るものですわね。……まったく、ほとほと困った方ですわ、あなたという方は。ヒュウガ様」
呆れたようにそちらに一瞥を投げ、マリアが吐息を洩らす。それでも、彼女はただ楽しげにしか見えなかった。どこにも慌てた様子はない。むしろ余裕綽々と言ってよかった。
「正直申し上げて、あなた様がここまでこの世界の人々を──いえ、もはやドラゴンたちですらも──味方につけるとは思いもよらないことでした。わたくしたちに誤算があったとすれば、まずそれですわね」
俺は黙って身をおこし、女を睨み返した。
「けれど、事態は寸分も好転などしておりません。このシールドは、たとえ先ほどのリールーの母ドラゴンといえども、破ることは叶わないのですから」
(なんだって──)
あれほどの破壊力をもつ魔撃をもってしても、このシールドは崩れないのか。
そんなことが、あるだろうか──?
マリアの口ぶりからして、やはり先ほどの攻撃は、ヴァルーシャの帝都にいるはずのリールーやシエラの母ドラゴンによるものらしい。数千年、いやそれ以上も生きてきたと言われるドラゴンですら、この女には敵わないのか。
俺の思考を読み取ったように、マリアはさらに笑みを深めた。
「当然でございましょう? どんなに年降るドラゴンと申しましても、それとてたかが被造物ではありませんか。『創世神』から見ればそんなものは、箱庭の中にある単なる玩具のひとつに過ぎません」
「では……やはり」
やっぱりこいつは、そのものなのか。
「創世神」のしもべのふりをして、「システム・マリア」としてこの世界にまき散らされた、少女の姿をしたこの「ユニット」は。
「どうなさるのです? 条件はなにも変更されませんわよ? あなた様が魔王になることを肯うならば、ただいますぐにも、これら女性がたの命はお救いしましょう。……さもなければ、それまでです。あなた様はもとの世界にお戻りください。大願成就。すべて終了。これにて『ハッピー・エンド』というわけですわね」
(『ハッピー・エンド』……?)
これが。
これがか。
沈黙のまま、恐らくは殺気を含んだ凄まじい目で睨んでいるだろう俺の視線を、マリアはそよ風ほども感じていない様子だった。
「……さあ。改めてあなた様に問います」
すうっと両手を横に上げ、まさに慈母の微笑みとしかいいようのない優しい笑みを浮かべている。
「魔王になられるのですか。なられないのですか」
場はまたしん、と、水を打ったような静けさに包まれた。
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