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第十章 魔族の世界へ

13 魔の鎌

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(まさか──)

 目を剥いた俺を見て、真野は満足げににたりと笑った。

「じっくり見とけ。お前の奴隷女どもの最期をな……!」

 そう言うなり、真野は片手をさっと振った。俺は反射的に飛び出した。言うことをきかない身体を叱咤し、もつれる足を引きずって、どうにか鎌と彼女たちの間に割ってはいる。
 ぶおん、と巨大な鎌が二人に向かって振り下ろされてきた。

「くっ──!」

 <青藍>の切っ先が、どうにかその鎌に触れた。
 だが、それだけだった。
 鎌は俺の身体ごと<青藍>を弾き返した。俺は十数メートルも吹っ飛ばされて、円柱の一つに背中から激突した。

「ぐ、はっ……」

 凄まじい衝撃。普通の人間であったなら、到底無事ではいられなかっただろう。それでも五体満足でいられたのは、すべて勇者の鎧の賜物だった。俺は呆気なくそこからずり落ちて床に叩きつけられた。
 目を上げれば、鎌は再び振り上げられている。先ほどの俺の「悪あがき」で、どうにか軌道をずらせたらしい。レティとライラはまだ無事だった。
 しかし二人はいまだ空中に縫い留められてどうにもできず、ただもがいているだけだ。
 容赦なく、第二撃が振り下ろされる。

「やめろっ……やめろおお────っ!」

 俺の叫びなど、虚しかった。
 真野は耳まで裂けるかと思えるほどに口をひき開け、満足そうな笑みを浮かべた。凄惨そのものの、残酷な笑みを。
 ビュオッと鈍いうなりをあげて、巨大な鎌が振り下ろされてくる。
 俺は思わず、顔をそむけた。見たくなかった。
 レティとライラの首が飛ぶところなど。

 鈍い衝撃音がして、がしゃ、ばたんと何かが床に落ちてきた。
 目を開くと、レティとライラが床に転がっていた。どうやら首は飛ばされていない。俺はほとんど這うようにしてそちらに近づいた。
 果たして、レティとライラにはまだ息があった。
 しかし、ただそれだけだった。

 彼女たちの着ていた金属鎧はひしゃげ、引き裂かれ、所によっては無残にどろりと溶けていた。二人ともざっくりと胴を割られている。
 レティは腹のあたりを横ざまに、ライラは胸元を袈裟に斬られていた。ライラの片腕はぶらぶらになっており、今にもちぎれてしまいそうだ。二人を中心にして、床にまるでインクのように真っ赤な液体が広がり始める。

「ライラ……レティ!」

 俺は<青藍>を放り出し、彼女らの間にうずくまるようにして、夢中で二人の頭を抱きかかえた。

「ヒュ、ウガ……さま」
「……ガ、っち……」

 二人にはまだ、どうにかこうにか息があった。しかし二人とも、今にも息絶えそうだ。ひしゃげた鎧の隙間からズタズタになった衣服と体が見えている。それぞれにおびただしい血しぶきが飛び、口からも激しく血を吐いて、二人とも真っ赤に汚れた顔になっていた。
 俺は背後に向かって絶叫した。

「シスター! 早く! 二人にヒールを!」

 が、返事はない。
 振り返ると、マリアは先ほどとまったく同じ姿勢のまま、倒れたギーナの脇に立ち尽くしていた。その頬に、言い知れぬ微笑みを浮かべたまま。

「シ、シスター……?」

 そこで俺は、はじめて気づいた。
 マリアはほんのわずかもギーナに<ヒール>をした様子がない。ギーナは相変わらず床に倒れ伏したままで、無残な傷もそのままだった。その体はぴくりとも動かない。
 まさか……もう。
 背筋にぞくりと、冷気を覚えた。

「シスター! なにをなさっているのです。早く! 早く、皆にヒールを!」

 俺がどう叫んでも、マリアはその頬に気味の悪い笑みをはりつけたまま、こちらをじっと見ているだけだった。
 混乱した。
 どういうことだ。
 一体、なにがどうなっている……?

「アホか、ヒュウガ」
 千々に乱れる俺の思考を遮ったのは、ガラスのような真野の声だった。
「まだ、そいつが俺たちの味方かなんかだと思ってんの? だとしたら、勘違いもいいとこだぜ」
「なに……?」
「そいつは『創世神』のしもべ……どころか、『そのもの』って言っていいヤツなんだ。この土壇場で、面白い観察対象の『ラット』がどんな顔で泣きわめくのか、ズタボロになって殺されんのか、見たくてしょうがなかった奴なんだぜ? <ヒール>なんて、するもんかよ」
 真野の声は、完全に冷笑する者のそれだった。
「なんだって──」
「なんでかは知らないが、オレには最初からそう言ってたぜ。もちろん、そこにいるのとは違う『マリア』だけどな」
 その声はどこまでも冷ややかだった。
「多分だけど。オレとお前をやり合わせて楽しむのが、今回の最大のエンターテインメント。クライマックスだったんだろうよ。そいつにとっては、な」

「す、みませ……」
 か細い声がして、俺はハッと自分の腕の中を見た。
 ライラとレティが血みどろの顔で、俺を必死に見上げていた。
「ヒュウガ、っち……。ごめ、ね……?」
「レティ──」
「ライラっち……一生懸命、弓の練習してたにゃよ? ヒュウガっちに迷惑、かけられないからって……ちょっとでも、役に立ちたいから、って。だから、怒らないで──」
「そんなこと──」

 そんなこと、思うものか。
 こんなことに巻き込んで、こんな目に遭わせまいと……そう思って、二人を戻らせたはずだったのに。

「でも……来たかったのにゃ。ライラっちも、レティも……ヒュウガっちと離れるの、ほんとうにイヤだったにゃ。ずっと一緒に……いたかったのにゃ」

 次第にその声から力がなくなっていく。
 レティはむせて、げほっと真っ赤なものを吐き出した。二人とも、急激に顔色が悪くなっていく。ライラの顔は、ほとんど真っ白だった。

「信じて、くださいますね……? これで」
「なに……? 何を──」

 俺は必死で二人の体を抱きしめ、耳を寄せてそばだてた。
 そうしなければならないほど、二人の声はか細くなっていた。

「ちゃんと……これが、わ、たしたち、の──」
 ライラがうっすらと笑いながら、ごくわずかに唇を動かした。
「本当、の……気持ちだ……って」

(……!)

 その言葉が、全身を貫いた。
 そんな。
 ……そんなことが。
 勇者の「奴隷」として押し付けられた、勇者を無条件に慕う感情。それゆえに俺に向けられた好意なんだと、ほかに理由なんかないと、はじめのうちこそ思っていたのは確かだが。
 そんなもの、今になってはどうでもよくなっていたのに。
 俺が彼女たちを遠ざけたのは、その心を疑ったからなんかじゃない。
 俺はただただ、彼女たちを危ない目に遭わせたくなかっただけだ。

 大切だから。
 大切だったからだ。
 だから決して、こんな風に傷つけたくなかった。
 ……なのに。

「ごめ、にゃ……。けっきょ、く……足手まといに……なっちゃったにゃ」
「す、みませ……力、不足で」
 力なく、レティが泣き笑いの顔になる。ライラも涙を流している。
「やめろ。もういい。しゃべるな、二人とも──」
 言って俺は、すぐさま手元に<治癒ヒール>用の<魔法薬ポーション>を現れさせた。
「頼む。飲んでくれ。早く……!」

 薬を二人の口元にあてがうが、指が震えてうまくいかない。彼女たちのほうでも、もうそれを飲み下す力が残っていないようだった。二人とも、ろくに口に含めないで口の脇から薬をこぼしてしまう。
 やがてレティが、ぶるぶると体を震わせ始めた。次いで、ライラが。

「寒い……にゃ。もう、ヒュウガっちの顔……見えない、にゃ」
「ヒュウガ、さま……」
「痛い、よう……ヒュウガっち。暗いよう。なんも、見えないよう……」
 レティが子供のような泣き声で言う。
 俺は二人を抱きしめた。
「ライラ! レティ……!」

 いやだ。
 だめだ。
 こんなことで、失われないでくれ。
 お願いだ。

 二人の顔が熱く歪んだ。
 ぼろぼろと零れ落ちた熱い雫が二人の顔に落ちかかる。
 苦しげだったレティとライラの顔が、それで不思議にふわりと笑ったようだった。

「……えへ。な、泣かにゃいで……? ヒュウガっち」
「う……れしい。ヒュウガ、さま──」

 そうして、最後の最後。
 二人はほとんど同時にこう言った。


──ダイ、スキ──。

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