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第十章 魔族の世界へ
11 闖入者
しおりを挟む「ギーナ! なんてことを──!」
「い……いんだ。早く──」
彼女を抱き起こした俺の腕を、苦しげな息をおして、ギーナはぐいと押しやった。
「早く、倒しな。……これ以上、躊躇したら……許さない、よ」
「…………」
「いつまで、あんなのに……好き勝手、言わせておくのさ。魔王、なんて……はやく、倒して」
切れ切れに言いながら、傷と煤で赤黒く汚れた顔でギーナはうっすらと笑ったようだった。
「はやく、みんなで……帰ろう、よ」
そこまで言うと、ギーナはふっと目を閉じた。俺の腕を掴んでいた指先から力が抜ける。
(ギーナ……!)
慌ててその口元に顔を寄せる。どうにか呼吸はしていることが分かって、ほっとした。まだ、意識を失っただけのようだ。
しかし、その息は今にも止まってしまいそうだった。きりきりと締めつけられるように胸が痛む。呼吸するのも苦しいほどだった。
俺は唇を噛み、マリアのほうをきっと見た。
「シスター! お願いです。早く<治癒>を!」
マリアの動きは、いらいらするほど緩慢に見えた。それでも一応、こちらへ歩いてくるのを確認して、俺はギーナの体を床へ横たえた。そのまま彼女の身体の前に立ちふさがるようにして身構える。ふたたび<青藍>を構えなおした。
術者が打撃をこうむったことで、俺の身体からはほとんどの<防御魔法>が消え去っている。青き鎧も<青藍>も、常と変わらぬ状態に戻ってしまっていた。
だが、それでも戦わないわけにはいかない。
いつのまにか、真野は長い階段の中ほどにまで下りてきていた。ウィザードたちと同様に、少し宙に浮いたままの姿である。にやにやと気味の悪い笑みで口角をゆがめ、さも面倒くさげな様子で両手をだらりと下げたその姿は、まるで幽鬼のような風情だった。
金色に変貌したその瞳には、人のものとはまったく違う、爬虫類そっくりの細長い瞳孔が浮かんでいる。真野はきらきらと、さも楽しげにその瞳をぎらつかせていた。
「どうやらお姉ちゃんはもうダメみたいだね。これで邪魔者はいなくなった。さっさとかかってこいよ、日向」
「真野……」
ぎりっ、と奥歯を噛みしめる。
「……どうしてだ」
「ああ?」
押し殺した俺の声を、真野はちゃんと聞き取った。胡散臭そうな目をして片眉をあげ、じっと俺の表情をうかがっている。
俺は一歩、真野の方に近づいた。
「なぜ、こんなことをしなければならない? お前も俺も、たまたまこちらの世界に落ちてきただけの人間だ。『創世神』とやらの意思によって『魔王』と『勇者』にさせられたからと言っても、だからといってこうやって、本当に戦わねばならないほどの理由になるわけがない」
もともと友達だったとまでは言わないが、それでも同じ教室にいた、クラスメートではないか。互いに憎み合っていたわけでもなし、それどころかこうやって、同じ運命に落とされた、いわば仲間と言ってもいいほどの間柄のはずなのに。
が、真野はさもあきれ果てたような顔で俺を見やっただけだった。
「まーだ、そんな甘いこと言ってんの?」
そうして無造作にその片手をぶん、と振った。
途端、その指先から幾本もの炎の柱が飛び出した。炎はあっという間に俺に到達し、<青藍>と俺の身体すべてを包んで燃え上がった。
「ぐっ……は!」
熱い。
いや、熱いなどと言うものではない。
じりじりと鎧の表面が焼ける。だが<バフ>なしとはいっても、そこは勇者の鎧と剣だった。やがて炎が消えたあとでも、少しの焼け焦げも残らない。
ただ、中身はそうはいかなかった。頬や鼻の頭に火傷ができ、びりびりとした痛みを覚える。
「言っただろ? オレは、お前なんか大っ嫌いなんだよ。何度言ったら分かるのさ。お前と一緒に逃げるだ? 冗談じゃないね」
真野が再び手をあげる。
バチバチと音をたて、次は電撃魔法の攻撃が襲い掛かった。その手から生み出された魔撃が容赦なく俺を包む。<青藍>で反撃しようにも、魔撃はその刀身を包み込み、俺をも飲み込んで攻撃してきた。
体じゅうがビリビリと苛まれる。皮膚のすべて、内臓のすべてが焼けるように、また何百本ものナイフで切り刻まれるような痛みに包まれた。
「ぐあ! あああッ……!」
それでも、俺は<青藍>を構えたまま、どうにかそこに立っていた。
「真野……っ」
どうにか一歩、また真野に近づく。
「やめるんだ。……それで、俺と」
真野が一瞬、ウッと声を呑んであとずさった。
しかし。
「う……うるさい! うるさいうるさいうるさい、うるさあああ────い!!」
遂に、目をひん剥いて絶叫した。
「うるせえんだよっ! 黙れ! 死んじゃえ! お前なんか……おまえ、なんかああああっ!」
そうしてもう手当たり次第、めったやたらに魔撃を生み出しては、俺に向かって叩きつけ始めた。
炎熱魔法。電撃魔法。氷結魔法。
そして毒魔法と、あらゆる呪いを含んだ魔法。
それらがもう滅茶苦茶に、俺の身体に降り注いだ。
「オレのことなんか、ほっとけばよかったのに! そうすりゃ、もうちょっとは楽だったのに──!」
もはや吠えるようだった。
真野は喉も枯れよと叫び散らかす。
「どうせ、どうせっ……ちゃんと助けられやしないんだからっ。いつもいつも、そばにいてくれるわけでもないくせにっ……! だから──だから、オレはっ……!」
真野の顔は、俺にはもうよく見えなかった。
けれどもその声は、確かに泣いているように聞こえた。
俺の耳にはそれが、小さな子供がわあわあと親を探し、あるいは助けを求めて泣いている、そんな声に聞こえてならなかった。
「お前なんか……大っ嫌いだ。この、偽善者野郎! お前なんか……お前なんかあああっ……!」
頭が朦朧とする。
視界が霞む。
痛みと、熱と、心臓を掴まれるような呼吸の苦しさ。
体中を荊でぐるぐる巻きにされ、皮膚のすべてを抉りとられるような激痛。
そんなものが入れ替わり立ち替わり、俺の体を苛んでいく。
いつのまにか膝をつき、俺は叩きつけられる魔撃をなすすべもなく受け続けていた。まだ体を起こしていられるのが不思議なぐらいだった。恐らく、鎧のお陰なのだろう。
しかし。
遂にぶつぶつと意識が途切れはじめた。
真野の叫びが遠のいていく。
頭の芯がぼんやりとして、視界がどんどんおぼろに霞んでいく。
(……終わる、のか)
『そうよ。それでいい。……終わっておしまいなさい、ヒュウガ様』──。
ブラックアウトしかかった意識の底で、だれかが優しい声で言う。
それが胸の奥から聞こえてくるのか、天上から聞こえてくるのか、それすらももう、俺には判然としなくなっていた。
ひどく満足げで、おだやかな声。
あれは……だれの声なんだ。
(そうか……終わりか)
これで、俺も終わりなのか。
そう思い、すでに見えなくなっている目を閉じる。
体全体が、もはや痛みなのかなんなのか分からない、ただただ激しい衝撃に包まれている。
音もにおいも感じなかった。
もはや五感が壊れてしまったのだろう。
真っ暗だ。
なにもかも。
真っ暗だ……。
(……すまない。みんな──)
しかし。
遂にゆらりとくずおれかけた、その時だった。
「にゃにゃ──っ! ヒュウガっち、しっかりするにゃ──!」
「立ってください、ヒュウガ様っ……!」
ここで聞こえるはずのないふたつの声が、高らかにそこに響き渡った。
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