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第八章 魔王の謎
10 ふたつの約束
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「だから、もし……そういうことになりそうだったら。あたし、シスターに言うつもり。『あたしのこと、闇落ちさせてよ』って」
「……!」
息をのんだ。
俺は絶句して、ミサキの顔を穴のあくほどに見つめ返した。
まさかこの女の口から、そんな言葉を聞こうとは。
「あたしさえ『闇落ち』すれば、みんなはすぐに自由になれる。そのまま、まっすぐ逃げてくれればいいの。魔王なんてどうでもいい。そりゃ、ちょっとぐらい顔を拝んでやりたかったし、グーパンかましてやりたいのも本音だけどさ。みんながひどい目に遭うぐらいならどうでもいい」
「…………」
「まあ、中にはあたしのこと恨んでるやつもいると思うけど……とにかく、みんなが魔王やら魔族に八つ裂きにされるのだけは勘弁してほしいから」
「ミサキ……」
今朝、この女がひどく青い顔をして怯えた様子だったのを、俺は単純に魔王と相対するのを恐れてのことだと勘違いしていた。
単に、己が身を案じるがゆえの怯懦なのだと。
だが。どうやら、それだけではなかったのだ。
「……で、そうなったら」
ミサキは俺の目をじっと見たまま言った。それも、ごくごく軽い言い方で。
「ガイアたちのこと、あんたに任せてもいい? ……ヒュウガ」
「…………」
「それで、ちょっとだけあんたのリールーを貸して欲しいの。あたしがみんなから十分離れて、逃げ切れるところまででいいからさ──」
俺は今度こそ本当に絶句して、呆然と彼女の顔を見返した。
「任せる」もなにも。俺は彼らを<テイム>するつもりは一切ない。赤の勇者であるミサキの軛から放たれた後は、すべて彼らの自由だろう。いや、本来そうであるべきだ。
彼ら自身が自分の意思で俺について来たいとか、ともに魔王を倒したいとか言うのなら話は別だが。
俺が淡々とそんなことを言うと、ミサキは呆れたように少し笑った。
「あんた、結構わかってないんだ。そこは、まあ……あんたのいいとこなんだろうけどさ」
「どういう意味でしょうか」
「わかんないの? しょうがないなあ」
ミサキはわざとらしいため息をついて肩をすくめた。
「別に<テイム>したわけじゃないのにさ。みんな、かなーりキミのことは気に入ってんのよ。特に、前衛の三人がね」
それはガイアとデュカリス、ヴィットリオのことだろう。
「あのガイアが、あんたのことは何だかちょっと、妬けるぐらい嬉しそうに話すしさあ。参っちゃうわよ」
「……そうなのですか」
「そうなのよ! まるで、出来のいい弟でもできたみたいな顔しちゃってさ。あーだこーだ文句は言ってるけど、毎日、鍛えるのが楽しくってしょうがないみたい。ちょっとムカついてたんだから、あたし」
なんだか意外だった。
「ああめんどくせえ」というのは、今ではもはや彼の口癖のようになっている。まあそう言いながらも「約束だかんな。しょうがねえ」と、鍛錬についてはいっさい手を抜かないでくれていたけれども。
褒められることこそあまりないが、それでも実感として、以前よりも格段に実戦向けの技の練度が上がってきているのがわかる。
「だから。もしあんたが『魔王を倒す』って言い続けるなら、きっとみんな、それなりに力になってくれる。特にガイアなんて、勇者の<テイム>のことも魔王のことも、とにかく腹に据えかねてるって感じだからさ。大喜びで『一緒に行く』って言うんじゃない?」
「それは、そうかもしれませんが──」
「ん?」
ミサキの片眉がぴくりと上がった。
「なんか、あんたらしくないわね、ヒュウガ。そんな、奥歯にものが挟まったみたいな言い方。なに? どうしたのよ」
「いえ……」
ガイアの話が出たのと同時に、俺は以前、彼から一方的にされてしまったあの「約束」のことを思いだしていたのだ。
彼はミサキが「闇落ち」するなどして勇者の資格を失った場合、彼女を連れて逃げると言った。
奴隷としての束縛が失われたとき、自分がミサキをどう思うかまでは分からない。最悪、あっさり殺すことも考えられる。しかしそれでも、彼はミサキを他の男の手には渡したくないのだと言った。そして俺に、自分たちが逃げるのを手助けして欲しいのだとも。
となれば、それとこれとは少し矛盾することにはならないだろうか。双方ともに約束してしまったのでは、最悪の場合、どちらか一方を裏切ることにもなりかねない。
言い澱んだまま足元を見つめた俺を見て、ミサキは少し沈黙した。
その目の色は、不思議に落ち着いたものだった。
「……誰に、なに言われたか知らないけど。まあ、なんとなく予想はつくけどね」
「え……」
「でも、真に受けちゃダメよ? そもそもうちの男はみーんな、あたしの『奴隷』なんですからね。あたしが『闇落ち』した途端、速攻で首を刎ねに来る奴ばっかりよ。そんなの、わかりきってるでしょうが!」
吐き捨てるように言うその声が、どこかいびつに掠れて聞こえた。
「いや……。そうでしょうか」
「えっ?」
「ガイアも、そのほかの皆さんも。……本当にその時に、あなたを襲ったりするでしょうか。俺にはそうは思えない」
「ええ? ど、どうしてよ……?」
いや、確証はない。しかしどうしても、納得がいかないのだ。
ミサキの<テイム>によって彼女の奴隷になっているとは言っても、ガイアはそこまで理性を曇らされているようには見えない。
本人の言に従えば、彼はそもそも「これまで商売女しか相手にしてこなかった」男だ。ゆえに現在、特定の相手はいない。あのデュカリスのように、ミサキの奴隷になったことで恋人と引き離されたのとはわけがちがう。
いや、そのデュカリスだって、いざその時になっても「恨み骨髄」とばかりにミサキに襲い掛かるとは到底思えない。彼は間違いなく理性の人だからだ。
「勇者」のなんたるか、「奴隷」の何たるかをよく理解していればこそ、彼だってミサキを一方的に憎んだりはしないのでは。そもそも、一時の感情に任せてそういうことするような御仁だとはどうしても思えないのだ。
もちろん、ミサキがここまでであまりにも傍若無人なことを彼らに強要していれば、話は別なのだろうけれども。
しかし観察している限りにおいて、ミサキはそこまでひどいことは求めていない。単純にいい男たちに囲まれて「姫様、姫様」とちやほやされ、好意を向けられていたかっただけだろう。
詳しいことまでは知らないが、夜のほうでも男たちに無理を言っていた様子はほとんど見えない。それはあの「緑の勇者」と、このミサキの大いなる違いである。
(……だとしたら)
俺はそこまで考えてから、改めてミサキに向き直った。
そして、とある提案をしたのである。
「……!」
息をのんだ。
俺は絶句して、ミサキの顔を穴のあくほどに見つめ返した。
まさかこの女の口から、そんな言葉を聞こうとは。
「あたしさえ『闇落ち』すれば、みんなはすぐに自由になれる。そのまま、まっすぐ逃げてくれればいいの。魔王なんてどうでもいい。そりゃ、ちょっとぐらい顔を拝んでやりたかったし、グーパンかましてやりたいのも本音だけどさ。みんながひどい目に遭うぐらいならどうでもいい」
「…………」
「まあ、中にはあたしのこと恨んでるやつもいると思うけど……とにかく、みんなが魔王やら魔族に八つ裂きにされるのだけは勘弁してほしいから」
「ミサキ……」
今朝、この女がひどく青い顔をして怯えた様子だったのを、俺は単純に魔王と相対するのを恐れてのことだと勘違いしていた。
単に、己が身を案じるがゆえの怯懦なのだと。
だが。どうやら、それだけではなかったのだ。
「……で、そうなったら」
ミサキは俺の目をじっと見たまま言った。それも、ごくごく軽い言い方で。
「ガイアたちのこと、あんたに任せてもいい? ……ヒュウガ」
「…………」
「それで、ちょっとだけあんたのリールーを貸して欲しいの。あたしがみんなから十分離れて、逃げ切れるところまででいいからさ──」
俺は今度こそ本当に絶句して、呆然と彼女の顔を見返した。
「任せる」もなにも。俺は彼らを<テイム>するつもりは一切ない。赤の勇者であるミサキの軛から放たれた後は、すべて彼らの自由だろう。いや、本来そうであるべきだ。
彼ら自身が自分の意思で俺について来たいとか、ともに魔王を倒したいとか言うのなら話は別だが。
俺が淡々とそんなことを言うと、ミサキは呆れたように少し笑った。
「あんた、結構わかってないんだ。そこは、まあ……あんたのいいとこなんだろうけどさ」
「どういう意味でしょうか」
「わかんないの? しょうがないなあ」
ミサキはわざとらしいため息をついて肩をすくめた。
「別に<テイム>したわけじゃないのにさ。みんな、かなーりキミのことは気に入ってんのよ。特に、前衛の三人がね」
それはガイアとデュカリス、ヴィットリオのことだろう。
「あのガイアが、あんたのことは何だかちょっと、妬けるぐらい嬉しそうに話すしさあ。参っちゃうわよ」
「……そうなのですか」
「そうなのよ! まるで、出来のいい弟でもできたみたいな顔しちゃってさ。あーだこーだ文句は言ってるけど、毎日、鍛えるのが楽しくってしょうがないみたい。ちょっとムカついてたんだから、あたし」
なんだか意外だった。
「ああめんどくせえ」というのは、今ではもはや彼の口癖のようになっている。まあそう言いながらも「約束だかんな。しょうがねえ」と、鍛錬についてはいっさい手を抜かないでくれていたけれども。
褒められることこそあまりないが、それでも実感として、以前よりも格段に実戦向けの技の練度が上がってきているのがわかる。
「だから。もしあんたが『魔王を倒す』って言い続けるなら、きっとみんな、それなりに力になってくれる。特にガイアなんて、勇者の<テイム>のことも魔王のことも、とにかく腹に据えかねてるって感じだからさ。大喜びで『一緒に行く』って言うんじゃない?」
「それは、そうかもしれませんが──」
「ん?」
ミサキの片眉がぴくりと上がった。
「なんか、あんたらしくないわね、ヒュウガ。そんな、奥歯にものが挟まったみたいな言い方。なに? どうしたのよ」
「いえ……」
ガイアの話が出たのと同時に、俺は以前、彼から一方的にされてしまったあの「約束」のことを思いだしていたのだ。
彼はミサキが「闇落ち」するなどして勇者の資格を失った場合、彼女を連れて逃げると言った。
奴隷としての束縛が失われたとき、自分がミサキをどう思うかまでは分からない。最悪、あっさり殺すことも考えられる。しかしそれでも、彼はミサキを他の男の手には渡したくないのだと言った。そして俺に、自分たちが逃げるのを手助けして欲しいのだとも。
となれば、それとこれとは少し矛盾することにはならないだろうか。双方ともに約束してしまったのでは、最悪の場合、どちらか一方を裏切ることにもなりかねない。
言い澱んだまま足元を見つめた俺を見て、ミサキは少し沈黙した。
その目の色は、不思議に落ち着いたものだった。
「……誰に、なに言われたか知らないけど。まあ、なんとなく予想はつくけどね」
「え……」
「でも、真に受けちゃダメよ? そもそもうちの男はみーんな、あたしの『奴隷』なんですからね。あたしが『闇落ち』した途端、速攻で首を刎ねに来る奴ばっかりよ。そんなの、わかりきってるでしょうが!」
吐き捨てるように言うその声が、どこかいびつに掠れて聞こえた。
「いや……。そうでしょうか」
「えっ?」
「ガイアも、そのほかの皆さんも。……本当にその時に、あなたを襲ったりするでしょうか。俺にはそうは思えない」
「ええ? ど、どうしてよ……?」
いや、確証はない。しかしどうしても、納得がいかないのだ。
ミサキの<テイム>によって彼女の奴隷になっているとは言っても、ガイアはそこまで理性を曇らされているようには見えない。
本人の言に従えば、彼はそもそも「これまで商売女しか相手にしてこなかった」男だ。ゆえに現在、特定の相手はいない。あのデュカリスのように、ミサキの奴隷になったことで恋人と引き離されたのとはわけがちがう。
いや、そのデュカリスだって、いざその時になっても「恨み骨髄」とばかりにミサキに襲い掛かるとは到底思えない。彼は間違いなく理性の人だからだ。
「勇者」のなんたるか、「奴隷」の何たるかをよく理解していればこそ、彼だってミサキを一方的に憎んだりはしないのでは。そもそも、一時の感情に任せてそういうことするような御仁だとはどうしても思えないのだ。
もちろん、ミサキがここまでであまりにも傍若無人なことを彼らに強要していれば、話は別なのだろうけれども。
しかし観察している限りにおいて、ミサキはそこまでひどいことは求めていない。単純にいい男たちに囲まれて「姫様、姫様」とちやほやされ、好意を向けられていたかっただけだろう。
詳しいことまでは知らないが、夜のほうでも男たちに無理を言っていた様子はほとんど見えない。それはあの「緑の勇者」と、このミサキの大いなる違いである。
(……だとしたら)
俺はそこまで考えてから、改めてミサキに向き直った。
そして、とある提案をしたのである。
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